往生のきわを悟り、自らしたためられたあいさつ文に心動かされます。
生前中は一方ならぬお育てを頂きありがとうございました。
お浄土が近しく感じられます。称名
往生のきわを悟り、自らしたためられたあいさつ文に心動かされます。
生前中は一方ならぬお育てを頂きありがとうございました。
お浄土が近しく感じられます。称名
葬儀に伺った葬儀屋さんにあった
カレンダーを見ていると(H29.5.15)
大安吉日なのに「不成就の日」と記されている
何ともややこしい日だ!
私は六曜とか迷信は全く気にしないけど
こういうのを信じて振り回されている人は
かわいそうだな…
地獄があるかないか?
仏の智慧に出会い
聞信するところに
自分の心の闇に気づき
明らかに見えてくる
自分自身の心の闇黒性を知らされるところに
見えてくる世界を地獄という。
だから私には地獄があります。
「道」
風もなく
か細き道の 星あかり
かすかに望む 朝焼けの空
(kei)
(注釈)
息子達も成長し
これとて望むものもなく
唯、黙然と歩みけり
のぞむは弥陀の仏国。
先日、鴨川まで行くんだから
たまには母親の気分転換になると思い
母親と一緒に鴨川まで行き
母は一人で鴨川シーワールド見学
私は用を済ませ、母と合流し
勝浦で一泊していると
仙台から仕事の依頼
一泊朝食後、急ぎ松戸のお寺に帰宅。
急ぎ準備し仙台へ来て、
夕方から仙台恩慶寺のお手伝い
その日は仙台に泊り、
翌日
早朝からお手伝い、
夕方の新幹線で帰宅
まるで芸能人なみのスケジュールだ
(写真は仙台の新緑)
昨日(子供の日)の朝日新聞に
「子どもは親や先生の目の届かないところで育っていく」
と言うような事が書かれていた。
仲間や友人と共に少し怖い目にあいつつ
していいことといけないこと
どこまで人を頼りに出来るか
…
まさに私もそうだった(笑)
~子どもの詩~
「わるもの」
かいぞくとかどろぼうとか
わるものは
つかまえるのはかわいそうだから
そだててあげれはいいんじゃない
やさしくしたら
いいひとになるとおもうよ
(東京家政大付属みどりヶ丘幼稚園年中 菅野康介佑)
「お念仏(南無阿弥陀)申したらお浄土へ参る」という。
たったそれだけのことで無上涅槃へ至る?
…信じられます?
なかなか信じられませんよね
親鸞聖人も、一代諸教の中でも
お念仏のみ教えを信じる事は
「難の中の難」と言われる。
なぜ信じられないかと言うと
「邪見驕慢の悪衆生」は信を獲ること難しと言われる。
私たちは、自分という「我」で凝り固まっています。
それを「邪見驕慢の悪衆生」と言うのでしょうね。
この凝り固まった「我」を揉み解ぐす。
それを聴聞という。
嘘も方便という言葉があります
方便は嘘ではありません。
親鸞聖人は
「方便と申すは、かたちをあらはし、御なをしめして、衆生にしらしめたまふを申すなり。」
(一念他念文意)
私たちが思慮できない究極的な真実の世界から
究極的な真実を理解できない私に
はたらきかけて、絶え間なく近づき、
真実たらしめるはたらきであります。