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加藤周一『夕陽妄語2 1992-2000』2016・ちくま文庫-ドイツと日本の戦争責任のあり方を考える

2024年05月04日 | 加藤周一さんを読む

 2022年5月のブログです

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 加藤周一さんの『夕陽妄語2 1992-2000』(2016・ちくま文庫)を再読する。

 加藤さんの『夕陽妄語』の感想文は、なぜか、『1』と『3』だけがあって(よかったら読んでみてください)、『2』がなかったので、再読してみた。

 1992年から2000年にかけて、『朝日新聞』に月1回ずつ連載されたエッセイをまとめたもの。

 この間、日本では、戦後50年問題、阪神淡路大震災、オウムサリン事件などがあり、海外ではユーゴスラビア紛争その他が起きた。

 加藤さんはそれぞれの出来事を冷静に、時に熱く述べるが、じーじの見るところ、その通底には日本の戦争責任のあり方の不十分さを問うているものがあるように感じられた(加藤さん、間違っていたら、ごめんなさい)。

 ドイツが、ナチスの戦争責任とそれへの協力者に対して長年にわたって厳しく糾弾していることは、歴史を学ぶと明白である。

 イタリアも同様。

 しかし、日本だけは、あいまいである。

 一応の反省は表明しているが、教科書検定で中国侵略が進出になったり、南京大虐殺がなかったことになったりする。

 慰安婦や徴用も強制ではなかったかのようになる。

 そして、日の丸・君が代の強制。

 まるで今のロシアを見ているようだ。

 そう、ロシアのウクライナ侵略をみていると、昔の日本がやってきたことを思い出さざるをえない。

 日本民族を守るため、アジア民族を解放するためと称して、日本はアジア各国を侵略した。

 その結果が無残な敗戦と混乱である。

 おそらくロシアも結果的には同じことになるのではないか。停戦が実現しても、経済破綻はまぬがれそうもない。

 戦争は勝っても負けても民衆を苦しめる。それがわからないような政府や国家は必要ない。

 日本も今からでもきちんと戦争責任を反省し、責任を取り、アジアの国々に信頼されるようになってほしいと思う。     (2022.5 記)

 

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