ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

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わからないこと・不思議なこと・喪の作業-2017年精神分析学会・その1

2024年10月18日 | 精神分析に学ぶ

 2017年のブログです

     *

 名古屋に来ています。

 昨日から2017年精神分析学会が開催されており、2年ぶりに参加させてもらいました。

 1日目は、編集委員会企画セミナー、研修症例、教育研修セミナーの三つのプログラムを選択、じーじはいずれも藤山直樹さんが出席される会場に参加させてもらいました。

 午前中の編集委員会企画セミナーのテーマは、事例の書き方。

 事例をいかに説得力のある形にまとめるかで議論がされました。

 藤山さんの、客観性は必要だが、書き物なので創造的で美的であることが重要と思う、との発言は刺激的でしたし、同意できました。

 午後の研修症例は、若手治療者による表情恐怖の事例に藤山さんが助言をされました。

 面接では優しく共感するだけでなく、わからないことや不思議なことは聴くのが自然、治療者が怖がって聴かないことは不親切ではないか、との指摘には思わずうなりました。

 じーじも同じような傾向があるので、反省させられましたし、勉強になりました。

 夕方の教育研修セミナーのテーマは、いかに分析的臨床を描写するか-体験から言葉へ。

 ここでは、まず高野晶さんのていねいな臨床描写の実践報告に思わずうなり、藤山さんの、体験を言葉にする時には、さまざまな「喪」の作業が必要、との発言にいろいろと考えさせられました。

 また、いい文章を書くためには詩や小説をたくさん読むことが大切、との指摘にはおおいに同意をしました。

 ふだんから役に立つのかどうかわからないような本をたくさん読んでいて、誰かさんから、無駄遣いのかね食い虫、と言われているようなじーじですが、それもまったく無駄でもないのかも(?)、と自己弁護をしてしまいました。

 1日目の終了が午後7時半と、じーじの私にはかなりハードな日程でしたが、しかし、勉強になりました。今日と明日もなんとか頑張りたいと思います。       (2017.11 記)

     *

 2023年秋の追記です

 わからないことを聴くことと、わからないことに耐えることはどんな関係になるのでしょう。

 わからないことを聴く時、なんでもかんでも聴くのではなく、クライエントさんにとっても大切と思われることを聴くのではないかと思います。

 そういう聴くことが出てくるまで、わからないことに耐えて、待っているのかなと思ったりします。

 これは、解釈の時の、話してもわからないことは話さない、ということとパラレルな感じかもしれません。       (2023.10 記)

 


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