5月7日の初日以来、ボン劇場で上演中のホセ・クーラ主演・演出のピーター・グライムズ。 これまで、(告知編)、(初日編)で紹介してきました。
今回は、主にクーラの作品解釈と演出コンセプトについて、またグライムズの人間像をどうとらえるか、などについて、クーラの発言やインタビュー、フェイスブックの投稿などから紹介したいと思います。
画像は前回同様、ボン劇場のHP、FBなどからお借りしています。
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≪ 劇場のワークショップの報道より ≫
リハーサル中の4/23、クーラは、ボン・オペラで開かれたピーター・グライムズに関するワークショップに出席し、作品や演出について語っています。以下は、その様子とクーラを紹介した報道記事からの抜粋です。
●「オペラの反逆者――ホセ・クーラはボンで『ピーター・グライムズ』の解釈を提示」
(「Kulturexpresso」)
クーラは確かに、表現力豊かで、偉大な声をもつ、多彩なボーカリストの1人だ。しかし演出家としての彼を知る人は多くない。
クーラは、作曲家や指揮者として訓練を受けた芸術家であり、彼はすでに15歳の時に指揮者として登場し、歌への転向を28歳で決意した。
妥協を許さない創造的な天才だ。
クーラは、彼のアプローチを哲学的に見ている。そのメッセージは彼にとって明らかだ。グライムズの海に対する闘いは、 無慈悲な社会における、おそらく多くの人々の人生の闘いの原因でもある。
部外者としてピーター・グライムズは、村のコミュニティによって観察され、同情を得られず、偏見を持たれるようになった。人類史の古いテーマ:適応できない者は除外される。
彼が2人の男の子の死において罪を犯しているかどうか――最終的にチーム全体によって否定される。チームの意見によると、グライムスはおそらく強く非接触的であるが、愛情のために泣く男だ。
オペラの歌詞はジョージ・クラブの詩に基づいており、クーラは、それを彼のプロダクションの重要な基盤と呼んでいる。
またクーラは歌手として、新しい自らの基準をつくり、この役柄で新たな挑戦を見いだしている。
明らかに、このディスカッションでは、クーラの現在の世界に対する関心が強調された。アルゼンチンの全体主義体制下で育ったこのアーティストは、激動する社会的、政治的な出来事に、無関心でいることはできない。
深みのある、自立的な芸術的雰囲気の彼のコミットメントは特徴的だ。モンテカルロオペラとの共同制作であるこの制作は、きっと感動的なオペラ体験になるだろう。
(「Kulturexpresso」)
≪ ボンでのクーラのインタビューより ≫
Q、主演、演出、舞台など多くをどうやる?
A(クーラ)、10年前からこの全体的アプローチを追求してきた。秘訣は、事前に沢山働くこと。様々な事態に備えて、できるだけ多くのものを用意するようにしている。
とりわけ、信頼でき、深い理解が得られるチームを持つことが重要だ。
例えば、自分で出演する舞台を作るとき、私の仕事の重要な部分は、キャラクターが生きて生活できる舞台を作ること。まず行動を視覚化してから、空間を設計し、必要なものすべてを得るようにする。
Q、全てのことを1人でやる長所と短所は?
A、自分のルールに固執しなければ、悪くないと思う。
それぞれ長所と短所があり、完璧なシステムはない。私は歌手として知的なアプローチで知られてきた。したがってこれらの研究を発展させることは驚くことではないと思う。
私のプロダクションでは、登場人物のキャラクターと心理的な深さが常に一定の方法で示される。いつも最初にコンセプトを作るが、その背後には必ず私自身が存在する。このコンセプトが作品のあらゆる側面に反映されることを常に念頭に置いている。
私がこの挑戦を探求する理由は、プロセスが非常に面白いということ。もちろんそれは非常に疲れる。それが実際私が思う唯一の欠点だ。
エゴによって自分を失う危険はない。私はすべての同僚(技術スタッフも)から、その分野における正直さを求めている。その分野の担当者のアドバイスを受けなれば、人間としてアーティストとして発展することはできない。
(1人で多くのことをすることについて)批判する人はいるが、プロセスのプロフェッショナリズムと結果の質に疑問を呈する人はいない。もちろん私の作品が好きでない人がいるのは当然だが、真剣さを否定することはできない。
Q、このオペラのどこが魅力?
A、実際に演技し、テキストと音楽が一致して感じられるオペラ。
加えて私の「夢の記録」を完成させることができる。オテロ、サムソンとデリラ、タンホイザーとピーター・グライムズ。4つの偉大なオペラの国から1作品ずつ。この4つの大役を歌ったことを誇らしく思う。
今年はタンホイザー(モンテカルロ歌劇場)で始まり、今、ピーター・グライムズをやり、オテロ(リエージュ・ワロン王立劇場)でシーズンを締めくくる。
私が歌いたいもう一つのタイトルは「スペードの女王」。しかしチャイコフスキーは、言葉の壁のために、私の芸術的な欲求から逃れてしまうのではないかと恐れている。
Q、海が重要な役割を果たす?
A、私はアルゼンチンのパンパから来た。ロサリオの自宅は海から1000㌔離れていた。しかし私はいつも海に魅かれていた。たぶん制限された閉鎖的スペースが嫌いだったからだと思う。グライムズは、人々を窒息死させる閉鎖的社会の制約についてのものだ。
Q、ボンについては?
A、これまでは数日の滞在だったので、何も見て回ることはできなかった。今回は1月半滞在するが、しかしこの作品は非常に強烈なので、観光の機会はほとんどないだろうと思う。
劇場の楽しい雰囲気を楽しみにしている。同僚とスタッフはプロフェッショナルで献身的だ。経済的な削減にもかかわらず劇場の高い水準を維持している彼らの役割は、支持する価値がある。
ピーター・グライムスの後で、伝説的なベートーヴェン・オーケストラ・ボンを指揮したいと願っている。アンサンブルとコーラスとともに、ボンのオペラの頼りになる存在だ。
(ボン劇場のHP掲載、ホセ・クーラインタビューより)
≪ クーラが引用したピーター・ピアーズの言葉から ≫
ブリテンのピーター・グライムズ初日、劇場内は大興奮・大喝采、レビューも高い評価でした。一方、1つの批評が、クーラのグライムズについて「暴力性と残虐さの複雑性を欠く」と指摘しました。これに対する反論でしょうか、クーラはFBに、このオペラの作曲家ブリテンの生涯のパートナーで、初上演の時のグライムズ役でもあったピーター・ピアーズの言葉を引用しました。
●グライムズは複雑な「現代的」なキャラクター。彼はたくさんいる
「..または、この男は興味深く、敏感で、苦しんでいなければならず、また彼は、彼の困難に対し、聴衆の関心と同情を受けなければならない。
彼は複雑な『現代的』なキャラクターであり、昔ながらの残酷な悪役ではない。グライムスは英雄でもないし、オペラの悪役でもない。彼はサディストでも、悪魔的なキャラクターでもない。そして音楽は、それをはっきりと示している。
彼はごく普通の弱い人間であり、社会と矛盾する自分を認識し、それを克服しようとする。そうすることで従来の規範に反し、社会によって犯罪者に分類され、そうやって破滅させられる。
グライムズは、まわりにたくさんいる!」
(ピーター・ピアーズ)
≪ クーラのフェイスブックの投稿より ≫
ピアーズの言葉の引用に続いて、グライムズの人物像の解釈に関するクーラ自身の次のような解説がフェイスブックに掲載されました。
●グライムズの攻撃性、双極性の背景にある極端な不安、家庭への切望
いくつかの(尊重すべき)見方とは対照的な、グライムズの心理とピアーズの言葉について、もう少し。
グライムズのパーソナリティについての全体的なポイントは、彼は暴力的なのではなく(NOT violent)、攻撃的である(but aggressive)ということだ。この2つの言葉は同義語ではないが、何人かの解釈者はそう主張し、あるものは罠に落ちる・・。
グライムスの攻撃性は、彼の極端な不安の結果であり、彼の双極性の人格からくる――彼はエレンに「手を離せ」と叫んだかと思うと、その20秒後には、「あなたは私の唯一の希望だ・・」という。
人生で最終的に成功したいという思いから、重荷を背負いすぎている時、彼の残忍な力は、彼が少年を傷つけたいと思っているかのような激しいやり方で、彼に少年を押させる――「少年よ、海に行くぞ!」、彼は興奮して叫び、少年は2m飛び離れて、恐怖する。
その1分後、彼はまるで少年が息子であるかのように話しかけ、2人の世話をする家庭と女性を持つことを約束する。グライムスは、ここでは哀れで、やさしく、愛し、愛されることを切望している。
ボア―亭での "オールドジョン"の歌の間。彼はみんなの喜びに惹かれ、考える。「自分もみんなとの曲に参加して、彼らと楽しむことができるだろう。多分、しばらくの間、少なくとも受け入れてもらえる」
しかし、彼の社会的な不器用さのために、彼は間違って歌い、みんなを混乱させる。
暴力的、NO! 涙ぐましく、悲しく、甘く、哀れな、彼は、エレンが少年に「ピーターがあなたを家に連れていく」という時、すぐに心がやわらぐ。家?そう、家――彼の夢・・。
グライムズは、ある意味で、私にカジモド(「ノートルダムの鐘」の主人公)を連想させる。彼は、本当はそうでないにもかかわらず、醜く、暴力的だというレッテルが張られている。彼がエスメラルダを必死に愛している時も、誰もが、彼は彼女を傷つけていると思う。しかし彼は、それを反証するには不器用すぎる・・。ピーターとエレンと同様に。
私はすべての解釈を尊重する。私は他の見解を尊重する。
しかし、尊重することは、コピーするということを意味しない。それどころか、コピーするというのはまったく逆であり、敬意を欠くことだ!
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ブリテンの生涯のパートナーであり、グライムズ初演の主役を担ったピアーズの言葉も引き、さらに自らの言葉を重ねて、グライムズの人物像を語ったクーラ。
クーラは、彼を特殊で異常な人物ではなく、複雑ではあるがどこにでもいる人間、現代の社会の閉鎖性、偏見・差別、生きる困難、人生と苦闘する姿として、普遍的に描きたかったのだと思います。
社会的な関心とヒューマンで温かい視点をもつクーラならではの、グライムズが描き出されたのではないかと思います。ぜひ映像化を期待したいです。