(鑑賞編)2018年 ホセ・クーラ、ボロディナとマリインスキーでサムソンとデリラ / Samson et Dalila / Jose Cura & Olga Borodina in Mariinsky
ホセ・クーラのロシアでの初オペラ全幕出演となる、マリインスキー劇場のサムソンとデリラ。2018年5月5日、無事に開幕し、大喝采、熱狂のうちに幕を下ろしました。
インターネットのライブ放映もトラブルなく終了、日本でも視聴できたようです。
地元サンクトペテルブルク出身のメゾソプラノ、オリガ・ボロディナの音楽活動30年記念の特別公演であるこの舞台。ボロディナと長年、サムソンやカルメンなどで共演してきたホセ・クーラが、この1つの公演のために招聘され、サムソンを演じました。
ボロディナ1963年生まれ、クーラ1962年生まれ、ともに50代半ばとなりました。1998年にこの2人で、サムソンとデリラのスタジオ録音してからちょうど20年でもあります。
経験を積み、息の合った円熟カップルによって歌われたこのサムソンとデリラ。舞台装置や衣装なしのコンサート形式でしたが、主役2人の熱の入った演技と歌唱、醸し出されるケミストリーによって、コンサート形式とは思えないほど、ドラマに入り込むことが可能でした。
録画が現在、マリインスキー劇場のライブ中継サイト(マリインスキーTV)で見ることができます。またYouTube上からも直接、視聴することができます。いつまで視聴可能なのかはわかりません。以下にリンクを貼っていますので、ぜひ、お早めにどうぞ。
→ (告知編)などこれまでの記事
マリインスキーTV
In memory of Dmitry Yefimov
Marking thirty years of the stage career of Olga Borodina, People’s Artist of Russia
Samson et Dalila opera in three acts (concert performance)
Dalila: Olga Borodina
Samson: José Cura
High Priest of Dagon: Vladimir Moroz
Abimélech: Oleg Sychov
Old Hebrew: Yuri Vorobiev
The Mariinsky Orchestra
Conductor: Emmanuel Villaume
YouTube上でも直接視聴できます。
Самсон и Далила
≪クーラの公演をめざして初めて海外の劇場へ≫
今回、幸いにして、現地・サンクトペテルブルクでこの舞台を鑑賞することができました。
●チケットとロシア旅行の手配
クーラの公式カレンダーにマリインスキー劇場への出演が早い時期から明記されたために、この公演の存在を知っていましたが、劇場サイトの公演一覧にはなかなか掲載されずにいました。ある日、突然、演目だけがアップされ、出演者は後ほど告知すると出た段階で、急いで席を確保しました。
その後、航空券とホテルを手配、ロシアはビザが必要なため、旅行会社に依頼しました。最低でも1か月半前くらいから準備しないときびしいかもしれません。でも今、電子ビザが導入されつつあるようなので、近い将来、もっと手続きが簡略になりそうです。
結局、公演のページにクーラの名前が明記されたのは、かなり後になってからで、しかも10日ほど前には突然、演目がカルメンからサムソンに変更。びっくりしましたが、劇場からお詫びのメールもちゃんと届いて、チケットが有効だと説明されていたのでほっとしました。
●ロシア・サンクトペテルブルクへ
成田から中継地のフィンランド・ヘルシンキ空港まで約10時間、ヘルシンキからサンクトペテルブルクまでは思った以上に近く、1時間程度で到着します。フィンランド湾を超えればもうロシア、サンクトペテルブルクです。
ヘルシンキ空港もサンクトペテルブルク空港も、どちらも新しく、広々として、待ち時間も快適でした。Wi-Fiも問題なくつながります。入国・出国審査はちょっと緊張しましたが、笑顔とハロー&サンキュー&スパシーバだけで特別なトラブルなく通過でき、ひと安心でした。
空港から旧市内までちょっと遠い(約1時間ほど)のが不安でしたが、行きは、旅行会社が手配した日本語の話せるガイド付きの迎えの車でホテルまで。車中、日本語勉強中の若い女性が熱心に名所の説明をしてくれて、その彼女に日本からのお土産を用意してなかったのが心残りです。
帰りは頑張って、地下鉄と路線バスを乗り継いで空港に向かいました。
●伝統あるマリインスキー劇場へ
サンクトペテルブルク旧市街の西側に位置するマリインスキー劇場(写真下)。
運河を挟んですぐ裏手には、新しく建設された現代的な新館があります。反対側の旧館正面には、サンクトペテルブルク音楽院もあります。
ホテルから路線バスで行く予定でしたが、なぜかなかなかバスが来なかったため、30分ほどかけて歩いていきました。
帰りは再度、路線バスに挑戦。今は、グーグルの地図で何でも調べられるので、バス停の位置や時間、路線もすべてわかります。とはいえ不安いっぱいでしたが、バスに路線ナンバーが電光掲示されているので、それに乗り込むと、車内で係員が料金を徴収します。1人40ルーブル。小さな紙片のチケットをくれました。気さくな中年の女性で、ロシア語がまったくわからない私たちに、親切に降りる停留所を教えてくれました。
話が前後してすみませんが、休憩の時にとった劇場内(写真下)。
正面の貴賓席も販売されています。今回の公演の場合、1階平土間の正面周辺で5000ルーブル。日本円で約1万円でした。しかも、ロシア在住者はこの半額ですから、約5000円くらい。
少し左右や1階後方で8千円ほど。上方の席は、確か1000~2000円くらいからあったと思います。
インターネットの劇場サイトで、好きな公演の好きな席を選択し、簡単な登録をして決済すると、すぐにメールが送られてきました。そこにチケットが添付され、それを印刷、またはスマートフォンなどに保存しておけば、劇場のなかのゲートにかざすだけでOKです。
クロークにコートを預け、ゲートに行くと、係員がいて一瞬とまどった私を助けてくれました。また手荷物は中が見えるように開けて簡単なチェックを受け、金属探知機を通ります。
以前の記事で紹介しましたが、今回初めて、この劇場サイトを見て大変驚きました。
マリインスキー劇場だけで旧館、新館、コンサートホールをもち、さらに小規模ホールがいくつもあって、シーズン中は毎日、オペラ、バレエ、クラシックコンサートをはじめ、ジャズなど多彩なジャンルの公演が、1日に昼夕あわせ2、3公演から9公演も行われています。この規模と体制には本当にびっくりです。しかもサンクトペテルブルクには、ほかにもたくさんの劇場、コンサートホールがあります。ロシアの文化的な厚み、歴史と伝統を思わされました。
≪サムソンとデリラの舞台――巨大なエネルギーとカリスマに圧倒≫
●一瞬で舞台を掌握するクーラ
今回のサムソンとデリラは、コンサート形式でした。オケピットをふさいでその上でやるのかと思っていたら、そうではなく、オーケストラは通常のピットの中。舞台上には、後方にコーラス用の階段状の壇が設置され、前方に、中継用の集音マイクらしきものが数本立っているだけのちょっと殺風景な装置でした。
しかしコーラスが入り、オケが入って開演し、クーラのサムソンが右手からゆっくりと姿を現した途端、舞台上の雰囲気が一変したように感じました。クーラはすでにサムソンそのもの。顔つきも、歩き方も、仕草も、完璧にサムソンでした。クーラが舞台を一瞬で掌握し、緊張感とドラマの雰囲気をつくりあげたようでした。
コンサート形式なのに、マイクの前に立って歌うのではなくて、クーラは舞台上をゆったりと歩き回り、コーラスに向かって、民族の苦悩を嘆く人々を励ますような表情を見せます。そしてサムソンの第一声、「止めよ、兄弟たちよ」から以降は、クーラが、迫力ある歌唱と表情、しぐさで、サムソンが群衆を立ち上がらせていくように、コーラスを煽り、気分を盛りたてていき、ピットでは、指揮者もオケを煽り、クーラと指揮者が一体となって、ぐいぐいと盛り上がりをつくっていきました。
●指揮者との相性も抜群
今回の指揮者は、フランス出身のエマニュエル・ヴィヨームさん。
クーラよりさらに大柄で、まるでボクシングのヘビー級チャンピオンのような容貌。指揮棒なし、体をいっぱいにつかってエネルギッシュにパワフルに振ります。後方の私たちにも、指揮者の息遣いが聞こえ、香水が香り、汗が飛び散ってくる(さすがにそれはないですが)かのような臨場感あふれる指揮ぶりでした。テンポもよく、メリハリもきいて、打楽器の音が粒だって聞こえ、ドラマを盛り上げるスタイルは、クーラともぴったりでした。
それもそのはず、このヴィヨームさんは、クーラとボロディナが2002年に、シカゴでこのサムソンとデリラで共演した際にも、指揮をした方でした。
ボロディナの30年を祝うために、クーラとヴィヨームさん、そこまで考えて演目とキャストを準備していたことを知って、地元のスター、ボロディナへのつよい尊敬と愛が伝わりました。
●熟年のアーティストの2人、圧倒的なオーラと存在感、パワー
長年、共演を重ねてきたクーラとボロディナ。
ともに長いキャリアと経験をもつアーティストです。もちろん50代半ばですから、98年のCDに比べると、2人とも声がかなり重くなっています。若い頃に比べれば、きっと体力的な衰えが声のコンディションに影響していることと思います。
クーラは2015年に北京の国家大劇院でサムソンを歌った時に、インタビューで以下のように語っていました。
――2015年クーラのインタビューより
30年のキャリアを経た今、若く新鮮で美しい声を持っているとはいえない。劇場での私の歌は完璧ではない。しかし私のエネルギー、強さとカリスマを聞くことができる。年を経て、これはアーティストとして重要なことだ。
オペラにおいて、私の声は、様々な情報が統合されて含まれている。音は材料であり、その材料を利用して、私は、人々の心の中に別のものをつくりだすことができる。人々は、声にそうした様々な要素を含まない人の歌を聞いた時に、それが完璧だと感じる。しかし、それは私たちに必要な情報を伝えていないのだ。
時には、私たちは表面上において、完璧ではない。しかし、その人のキャラクターの個性や人格の特性は、あなたに深い影響を与えるだろう。そしてあなたは、この人が美しいことを知る。音も同じ理由だ。ある人がとても良い音だとしても、もし良いキャラクターと魅力的な個性をつくりだすことができないならば、意味がない。
専門家は私の公演を聞き、完璧でないと言うだろう。しかしあなたは、ステージで私のエネルギーを聞くことができる。強さとカリスマが公演の私の声にある。これがアーティストとしての私の最も重要なポイントだ。
(2015年北京での報道)
まさにクーラの発言どおりの舞台でした。
避けがたい加齢による影響を補って余りある、劇場内を興奮させるパワーと表現力、存在感がありました。
また、この数年の間に放送されて視聴した他の役、トスカのカヴァラドッシや西部の娘のジョンソン、アンドレア・シェニエなどの歌唱と比べても、かなり違う印象を受けました。やはり、作品とキャラクターの分析、解釈を深め、演技や声、歌唱を変えているクーラだからなのだと思います。
➡ クーラのサムソンの解釈を紹介した記事
●ボロディナをたて、支えるクーラ
ボロディナの声の迫力、低く、独特のまったりした響きの素晴らしさは言うまでもありません。
特に、2幕の2人のデュエット、「あなたの声に私の心は開く」から、後半の2人の感情的なぶつかり合いの場面は、大変な強い声、迫力で2人が歌い切りました。
そしてクーラは、この公演の主役であるボロディナを、いっかんしてリスペクトし、たてて、支えることに徹していたように思います。もちろんサムソンは主役ですから1人の時はクーラのパワー全開ですが、ボロディナが舞台に上がっている時には、一歩引いて、ドラマの流れに沿ってボロディナに焦点があたるように気遣っていたような印象でした。
2人の場面は、温かさと色っぽさ、そして一転しての怒りのエネルギーにあふれていました。
何よりも、サムソンとデリラのスコアと台本を熟知した2人、歌唱でも演技でも、落ち着きとゆとり、余裕たっぷりです。
クーラは、デリラに惹かれる思い、心の葛藤をへて、物理的にも心理的にもデリラとの距離を縮めていく様子、そっとデリラの髪を撫でる様子などを、控え目な演技で、ボロディナを支え、たてながら、官能的に絶妙に表現していました。
●劇場内と録画の違い
帰宅してから、オンデマンドの録画で、記憶を反芻、復習しました。
聞き比べてみて、私が感じたのは、録画では、マイクで声を近くで直接集音し、さらにまた生中継という条件のために、やはり声と音楽のバランスが違うように思われることです。
またクーラの声と高音が、サムソンという声を張り上げる場面が多い役柄のせいもあり、録画では少し荒く聞こえる部分が見受けられましたが、劇場内ではほとんど気にならず、オケと一体となって大迫力で迫ってきたことです。
そして何よりも、劇場内が観客も一緒になって舞台を作り上げているという実感、この1度きりの公演に立ち会っているという臨場感はかけがえのないものでした。一期一会の場への感謝が、心に深く刻まれました。
思い切って行ってよかったと思いました。
ラストのサムソンの絶叫は、本当に天井が落ちてくるかのような大迫力で、劇場中がビリビリと震えました。
●大喝采、大熱狂のカーテンコール
各幕間、終演後のカーテンコールの拍手とブラボ―はとてもすごかったです。
30年を迎えたボロディナへの大喝采、そしてクーラもそれに劣らないほどの大喝采を受けました。
地元サンクトペテルブルクの人々のボロディナへの愛と尊敬、そして劇場デビューしたクーラへの熱狂的な歓迎ぶりに、私も胸が熱くなりました。
さらにオケと指揮者へも、勝るとも劣らない大喝さいが。出演者、コーラス、観客、一体となって、大熱狂の一夜でした。
幕間にはクーラのインタビューも。
終演後には、ボロディナ、クーラ、指揮者そろってのサイン会も開催されました。
素晴らしい公演に巡り合えて、マリインスキー劇場とサンクトペテルブルク、出演者、そしてクーラに、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。
クーラは2006年以降、来日がなく、日本ではほとんど忘れ去られているように思います。しかし現在でも、豊かな声、経験、表現力、パワーを兼ね備え、さらに指揮や作曲、演出の活動を総合的に発展させてきたクーラは、他とは比べられない、個性と存在感に輝いています。
同行した家族は、クーラが、「一貫した演技で一瞬たりとも気を抜かない。音をただ伸ばすようなことがなく、すべての音に意味がある。音楽性がすごい」と感想を述べていました。
私も同感です。そして、とにかく、カリスマ性、オーラに圧倒されました。
つぎも、できるだけ早く、今度は別の役で見たい、聞きたい・・。その思いで胸が痛いほどです。その機会ができるだけ早くめぐってくることを願っています。
興奮気味の文章となったことをお許しください。またあまりに興奮して全力で拍手していたために、カーテンコールでも写真を撮りそこね、クーラの写った写真は何もありません。舞台の様子は録画からです。ご了解ください。