人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

2018年 ホセ・クーラ 母国を去った理由、写真について、サッカーについて・・ クロアチア・ザグレブでインタビュー

2018-07-22 | 芸術・人生・社会について①




ホセ・クーラは、クロアチアの首都ザグレブの夏の音楽フェスティバル、ザグレブ・クラシック2018に出演しました。その様子は、前回の記事で、他の7月のコンサートと一緒に紹介しています。

その時のインタビュー記事が掲載されましたので、今回はそこから抜粋して紹介したいと思います。
比較的短い記事で、回答も簡潔なものです。これまでインタビューで語ってきた内容と共通する内容が多いですが、現在の若手歌手の育成をめぐる問題、欧州移住の選択、多面的な活動について、写真についてなど、クーラのこれまでの歩みや考え方がよくわかります。

またちょうど、サッカーのワールドカップでクロアチアが大活躍していた時期で、サッカーとクロアチアチームについて、ホットな話題もあります。

クロアチア語からなので、例によって誤訳直訳、あるかと思いますが、ご容赦ください。

→ 元の記事をご覧ください。








≪クロアチアのチームには世界最高のサッカー選手がいる。幸運を!≫



1970年、ホセ・クーラが8歳の時、ピアノ教授は両親にメッセージを送った。「リトル・ホセは音楽に興味がなく、彼には他の趣味を見つけるほうがよい」と伝えている。その教師の判断とは対照的に、アルゼンチン人であるホセ・クーラは、世界で最も有名なテノールのひとりとなっている。それだけでなく、彼は指揮者、作曲家、演出家、シナリオ作家でもあり、趣味としての写真も見いだした。
彼は1991年に故郷のアルゼンチンを去り、ヨーロッパでプロフェッショナルとしての運を求めて成功した。1993年にヴェローナでデビューし、1997年にはミラノ・スカラ座に出演した。
ザグレブ・クラシック2018で今夜はクロアチアのEvelin Novakと一緒にコンサートを行う。同時に、アートパビリオンで写真展が開かれた。
"ホセ・クーラ――著名なテノールがレンズを通して見た人生"
7月15日まで開催。



Q、これは初めてのクロアチア訪問ではなく、あなたはザグレブ、ドゥブロヴニク、リエカに?

A(クーラ)、クロアチアは、私がこれまで見たなかで、最も美しい海辺の景色を持つ楽園のような国。そしてとりわけ、トップアスリートとミュージシャンの国だ。
私は最近、非常に才能のあるクロアチアのソプラノ、クリスティーナ・コラーと仕事をする栄誉ももっていた(プラハでのクーラ演出のナブッコ)。
リエカでは特別な記念すべき作品として、11年前のオペラ "La commedia e finita"(オペラ道化師からクーラが再構成した作品)がある。それは私の最も素晴らしいキャリア上の経験の1つだった。


――若手歌手に過酷な時代、真のアーティストになるためには

Q、あなたの背後には30年のキャリアがある。今日オペラ歌手への要求は、あなたが始めたときよりも大きい?

多くの才能のある歌手がいるが、現在のシステムでは彼らを成長させることができない。彼らはこのハードワークの要件に対処するために成熟する前に、「収穫」されてしまう。その結果、彼らの多くは、優秀になる機会を得る前に「翼を燃やしてしまう」ということだ。非常に若い歌手は、瞬間的に名声を得てしまうことで、その負荷に対処する方法を知らない。過酷なインターネットがもたらした現象でもある。
優れたシステムにおいては、本当のアーティストになるために十分な長さの時間が準備されるようでなければならない。


Q、デジタル時代では、短いビデオ、YouTubeで、たった2分でストーリーを伝える。3時間続くオペラが、若い一般の視聴者を魅了し、生き残るためには、オペラにどういう挑戦が必要か?

A、生き残りの問題は常に存在していた。私たちが、ファースト・フードか、それともきちんと調理された食事を選択するのか、どうか。それは私たち次第だ。







――母国から去った理由、ひろがる多面的な活動と充実

Q、なぜあなたは1991年に母国のアルゼンチンを去った?

A、どんな移民とも同じように、私は、母国が好きでないから去ったわけではない。アルゼンチンでは、私にとって指揮者または作曲家としての未来がなかったからだ。
当時は我々の歴史の中で画期的な瞬間だったが、軍事政権と戦争の恐怖から回復していた若い民主主義の時代だった...こうしたすべては、バルカン半島においてあなたたちもよく知っているだろう。
私はヨーロッパで幸福を試すために、文字通り世界の半分を旅した。 そして実現した。


Q、あなたはオペラ歌手、指揮者、作曲家、演出家、写真家...。どうやってこれらのバランスをとる?

A、私のルール上では稀だが、より多くの楽しみのために、指揮し、同時に歌うことはある。
すべての私の芸術的な取り組みは補完的なものであり、良い指揮者になることで、私はより良い歌手になったことに気づく。良い歌手の本来のあり方を知ることで、私は良い指揮者になる。
私は歌手のニーズを理解しているので、うまくやれる。そして指揮者と歌手としての長いキャリアをもっているので、よりよい作曲家にも...。すべて一緒にやることは大変なハードワークだが、結果は非常に充実している。


――写真について

Q、いつから写真を?

A、写真は10代からの私の趣味。
私は専門家ではなく、自分の作品を公開するつもりはなかった。
しかし、私の写真を見たスイスの出版社が、私の聴衆は「私は毎日見ているもの」を知ることに興味をもつだろうと考え、それらを出版するように提案した。2008年に、写真集「Espontáneas」が公開され、高く評価を受けた。


――クロアチアチームには最高の選手がいる、才能、ライフスタイルと姿勢

Q、あなたには少年時代、指揮者とサッカー選手になるという2つの夢があったと読んだが、その後、何が起きた?

A、誤解があるが、私はサッカーをやったことはない。私は非常に良いラグビー選手であり、スポーツでキャリアを実現するチャンスがあったことは事実だ。しかし私は、スポーツよりも、音楽教育を優先させた。私の教授が「指や手をつかって(スポーツの)練習をしているなら、あなたの音楽キャリアは終わる」と言ったとき、私の判断は簡単だった。

サッカーに関しては、クロアチアのチームには世界でも最高の選手がいる。才能の点だけでなく、モドリッチ(クロアチア主将)のような選手たちは、完全なプレーヤーの真の実例だからだ。彼らはスポーツを素晴らしいものにするすべてを持っている。それは、お金の面だけでなく、彼らのライフスタイルと姿勢だ。クロアチアに、世界チャンピオンになるにふさわしい幸運を願う。

(「www.vecernji.hr」)






*画像はザグレブフィルハーモニー管弦楽団FBなどからお借りしました。
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