イヤイヤイヤイヤみなさん、どうもこんにちは~。そうだいです。
今日の千葉は、久しぶりに朝から雨です。毎度毎度のことですが、まだまだやっぱり寒いやねぇ。
最近は私の家でもようやくDVD が観られるようになったということで、これまで1年半ほど見向きもしなかったCD屋さんの DVD コーナーにも、ひまな時に足を運ぶようになりました。前にも言ったかも知れませんが、私の近所にレンタル屋さんがなくなっちゃったのがいたいなぁ。間にあわなかった....
今までは「ケッ! どうせわしには縁のない世界よ....」と思っていた数々の映像作品が、これからはお金さえ払えば私だって楽しむことができるんだと思うと、も~うウッヒウヒなんですよ!! 映画もPV もぜんぶなんだぜ!? キエ~うれしくて息絶えそう。
ただ、そうなった時にかぎって、なかなか観たいものがみつからないんですよね~!! 言うよね~。
あ、そういえばお店の中で、小学生くらいの男子が店員さんにこんな質問をしていました。
「あのぉ、『ぼかろ』のCD ありますか?」
「は? ぼかろ?」
店員さんは一瞬うごきを止めてしまっていましたが、しばらくして、
「....あぁ~、初音ミクとか。」
と言って男子をそのコーナーに連れて行きました。
なるほど。「ぼかろ」とは、「ヴォーカロイド」の略だったんですなぁ。
その音だけを聞いた時、私の頭の中では「まるぼうろ」とか「ノボカイン」とか「マルボロメンソールライト」とかが混沌と渦巻いていたのですが、「ボカロ」はもう一般的に使われている単語なんでしょうか? いろいろと勉強していかないといけないねぇ。
そういえば、あの「妖狐」を「いぬ」と読むタイトルのマンガも最初はビックラこいたねぇ。
『妖狐×僕SS』で「いぬぼくしーくれっとさーびす」って! 犬は「ネコ目イヌ科イヌ属」!! 狐は「ネコ目イヌ科キツネ属」!!
あら、けっこう近いんですね....っていうか、どっちも「ネコ目」なんだ....
まぁ、そんなこんなの新発見があるのでCD 屋さんや本屋さんに行くのは楽しくてしょうがないのですが、結局、私がDVD 復活記念として久しぶりに購入したのはこの2本でした。
『稲川淳二の超こわい話 セレクション 第1巻』(2002年7月 バンダイビジュアル)
『稲川淳二の超こわい話 2003 第2巻』(2003年7月 バンダイビジュアル)
なんでこんなシッケシケの(ほめ言葉です)作品を買ってしまったんだろう!? そりゃもう、「安かったから」しかないんですけどね。
大好きなんですよねぇ、稲川さん!! もはや、「独演」とか「一人語り」とかいう分類の仕方では解釈できない「稲川淳二」としか言いようのないジャンルになっている感があります。もう誰もあいつを止められねぇ!!
稲川淳二さんもすでに現在おん年64歳。まだまだその語りの不思議な魅力におとろえはないのですが、「和装に白髪頭」というイメージもだいぶ定着してきましたね。
ところが、私が今回手に入れたDVD におさめられている稲川さんは、そんな現在の稲川さんよりも多少....いや、だいぶ若い外見と語り口を見せてくれています。
それは当然のことで、まずこれら2本のDVD は約10年前にリリースされたものです。この時点で「ひと昔前の稲川さん」でしょ。
しかもそれに加えて、『セレクション』のほうはその内容が「1995~97年にリリースされていたビデオ版『超こわい話』の再編集版』」となっているため、さらに「ふた前昔の稲川さん」がおがめるということで、ファンの私にとっては非常にお得な買い物となっていたのです。やったね!!
1990年代のアラフォージュンジ、2000年代のフィフティージュンジ、そして2010年代の還暦ジュンジ....「怪談語り」はまさしく稲川さんのライフワークとなっているんですねぇ。
ところで、1980年代生まれの私にとって、タレント・稲川淳二という存在を最初に知ったときのイメージは、
「なんだかわからないけど周囲のタレントたちにヒドい目に遭わされてれているかわいそうなおじさん」
というミもフタもないものでした。
たぶん、それは『スーパージョッキー』で巨大水槽の水責めなどをくらっていた稲川さんを観た記憶が原点になっているかと思うのですが、その「稲川さん = 元祖リアクション芸人」という印象は、私の中ではぬぐえないものがあります。
ところがちょっと調べてみると、稲川淳二さんが「TVタレントの副業として怪談語りをやっている。」という構図は正確ではないらしいんですね。
まず、稲川さんは少なくとも「お笑い芸人」だったことはないようです。
稲川さんが「プロの工業デザイナー」であることは有名なのですが、1976年に芸能人としてのキャリアをスタートさせることとなった最初のお仕事は「ラジオパーソナリティ」だったそうです。しかも、天下の『オールナイトニッポン』のDJ !
なるほどねぇ。怖い話ではなかったにしても、稲川さんの活動の芯には最初っから「語り」があったんですねぇ。
稲川さんの語りを聞いていると、「おもしろい語りはカツゼツのよさが前提ではない」ということを実感します。なにを言っているのかよくわからない部分があったのだとしても、聴く人が思わずその部分を推測して補完してしまうような「引力」があったのならそれでいいのです。そこが、アナウンサー系や声優系にはない稲川さんの最大の武器なんですよねぇ。まさしくこれは、プロの俳優としての戦法。
でも、稲川さん自身はプロの俳優としての修行を積んでいた期間はまったくなかったようです。もちろん、35年という長い芸能キャリアの中では、この『長岡京エイリアン』でも取り上げたことのあったNHK 大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年)で「イエズス会の日本人修道士・ロレンソ了斎」の役を演じたように、俳優としてのお仕事もあるにはあったのですが、あくまでも稲川さんの魅力は、誰かの役を通じてではなくご本人のパーソナリティに寄与するところが大きいわけです。
そういえば、まだ「怪談の語り手」という部分がそれほど有名でなかった時期に、「キリスト教の原理を日本人に広める語りのエキスパート」としてのロレンソ役に稲川さんを起用した『信長』スタッフの方はかなりの慧眼でしたねぇ。いつかまた、どっかのドラマで現在の稲川さんにロレンソの役をやってもらいたい!! 「いや~なんだかコレ、ミョ~に奇跡なんだな~。」って聖書の話をしてくんねぇかなぁ。
まぁこういった感じで、「お笑い芸人」や「俳優」というはっきりした出生地を持っていないのに、日本の芸能界に確固たる地位を築き上げているお方としては、稲川さんのほかにはタモリさんという大巨人がいると思われるのですが、お2人とも業界の中で「な~んかおもしろいしろうとがいる!」という評価を受けてデビューしているいきさつも非常に似かよったものがありますよね。
ただし、その一方でこの2人のあいだに、
「交友関係が異常に広い・TV を活動の中心においていない」 = 稲川淳二
「交友関係は限定している・TV を活動の中心におきまくり」 = タモリ
というミョ~なねじれが生じていることは実に興味深いです。TV で名をあげることと実際の交友関係を広げることの両立はむずかしいのでしょうか? 余計なお世話ですけど。
ただまぁ、お2人とも歩む道はだいぶ違っていますが、それぞれの世界を代表するエンターティナーであることは間違いありません。
私が今回買った『稲川淳二の超こわい話』シリーズは、バンダイビジュアルからリリースされているオムニバスもので、稲川さんの「怪談語り」が1本につき5~6話ぶん収録されている、いわば「淳二ワールド大全集」というおもむきのある全24作にもおよぶロングセラータイトルとなっています。
このシリーズは1995~2004年にVHS ビデオで、2002年以降はDVD にシフトされるかたちで現在までリリースが続いており、これは1993年いらい毎年夏におこなわれている稲川さんの怪談語り全国講演「ミステリーナイトツアー」に次ぐ歴史をほこるライフワークとなっています。「ミステリーナイトツアー」は今年の夏で20周年なんですって! 行ってみようかな~、生ジュンジ!
このように、稲川さんが「怪談語り」を仕事の中心にすえるようになったのは1990年代の前半から、そしてそれがじわじ~わと浸透していって、レンタルビデオの人気タイトルとなってブレイクしたのは中盤からということなのですが、稲川さん自身が怪談を語る仕事に初めて取り組んだのは、1987年にカセットテープで販売された『秋の夜長のこわ~いお話』というものだったのだそうです。稲川さんがTV 番組のレギュラーとして活躍しはじめたのが1983年のことなのですから、稲川さんの中での「怪談語り」は、「TV タレントが余技でやっている」という表現では簡単に片づけられない歴史を持っているんですよねぇ。怪談しゃべって25年!
ひところ、確か5~6年前に「お菓子といっしょに8センチCD がついてくる食玩」が狂ったようにコンビニに乱立していた時、1970~80年代の懐メロやアニソン集の影に隠れて、「稲川淳二の怪談CD 」がついてくるという、思わず「誰トク!?」と絶叫してしまいそうになる素っ頓狂なシリーズがありました。いや、誰トクって私が喜んで買い集めていたから私がトクしてたんですけど。
そのころしょっちゅう聴いていた稲川さんのCD と、今回買ったDVD とを比較して感じたことなんですけど、やっぱり稲川さんの語りは「稲川さんの表情」コミコミで楽しまないといけませんな!! 声だけじゃあ物足りない。
とにかくね、稲川さんの語りには、「それを語っている稲川淳二という人物がどのくらい不可思議な存在なのか。」という部分を味わう楽しみがあるんですよね。つまり、稲川淳二という人が、お話の中に出てくる程度の怪異や幽霊ではまったく動じない高みに位置している。だからこそ、そんじょそこらのしろうとには出せない「全体を俯瞰する」視点が垣間見える奥行きの広さがあるんですよね。
もちろん、そういった「私はなんでも知っている」的な視点ばっかりでものを語ると、それは聴く人に臨場感を与えないただの「ナレーション」になってしまいます。
そこでいかんなく発揮されるのが、稲川さんの「よくわかんない表現」!
「な~んかミョ~なんだな~。」
「ぞくっとしたんだけど、理由がよくわかんないんだなぁ~。」
「な~んでそこに女の人がいるのかな~って一瞬気にはなったんだけど、まぁいいか~と思ってね。」
「な~んだかイヤ~な雰囲気のする部屋だったんだけど、まぁ疲れてるから早く寝よっか~なんて。」
適当!! 言い方が絶妙に適当なんです!
しかしみなさん、よく考えてみましょう。
人間は明らかに異常な「なにか」を見た瞬間にこそ、その体験を「恐怖との遭遇」として自身の記憶に強烈に刻み込みますが、そのものに出遭う直前までは本人はすべての見たものを「日常の風景」として適当にとらえており、「寒気がする」「雰囲気が悪い」程度の違和感は気のせいとして処理しようとするのが普通であるわけなのです。
稲川さんの語りは、そのへんがものすご~く自然なんですが、さんざん恐怖体験を語っている稲川さんが25年もの長きにわたって自然でいつづけられるのは明らかに不自然です。なんでアンタはそんなにナチュラルなんだと! ちょっとは呪いとかたたりとかに遭ってるんじゃないんすか!?
今回、『セレクション』で1990年代の稲川さんを、『2003』で2000年代の稲川さんを楽しむというチャンスを得た私から見てみますと、1990年代の稲川さんは基本的に目をギョロッとひんむきながら汗ダラッダラで「怖いでしょ! 怖いでしょ!」とアピールする、勢いまかせのようなパワープレイが見受けられるのですが、2000年代の稲川さんはだいぶ落ち着いた印象で、ストレートな物言いだけでなく、聴く人にわざと「?」と思わせる伏線を張るなどといった、技巧的な語り方を意欲的に取り入れる余裕を持った感もあります。
比較してみると、『セレクション』のほうで、まだ若さも残っていてガリガリにやせたおじさんが顔から汗を飛ばしながら語る超名作『長い遺体』『樹海の声』『渓谷の廃屋(私がいちばん好きな話!)』といった磐石のラインナップも最高なのですが、語りの中での「カメラワーク」を自由自在に切り替えるベテランらしさの生まれた『2003』収録の『地下通路』『窓をたたく女』『3年A 組』もいいんですよね。
つまり、稲川淳二の怪談は、この20年以上のキャリアの中で、まるで一流ミュージシャンの歌声やギターテクニックのように「若いアグレッシブ期」から「円熟の技巧期」へと移行していく「プロのあゆみ」を続けているのです。もう60代になっても語り続けているのですから、むしろこれは落語の世界に近くなっているのかも知れません。
ここまできちゃったら、「新作が旧作より怖いか?」とか「語り方がうまくなっているか?」とかいう浅いポイントで稲川淳二という語り手の価値が左右されるような次元の話ではなくなってきてしまいました。もはや、続けているかぎり誰もが文句を言えない「天下一品の淳二ワールド」のゲートが開かれてしまったのです....カツゼツが悪いの、話の視点がとびとびでわかりづらいのでウダウダ言ってるようじゃあまだまだおめぇも青いという、批判がそのまんま批判者に返ってくる「淳二バリア」が発現してしまったのだッッ!!
おそろしい....果たして、稲川さんはこの「怪談語り」を、どのくらいの時期で「一生モノの仕事」にすると決心したのでしょうか。
こればかりは本人に聞いてみないとわからないのですが、稲川さんが無理に「語りをうまくしようとする」努力をしていない、つまり、カツゼツは悪くてもそのままで、話の整理の仕方が粗くてもそのままで自分のペースにあわせて語り続けていたそのスタイルは、まさしく長距離マラソン走者の走り方に近いものがあります。無理なダッシュをするように、その時代の好みにあわせようとする小細工を弄しない愚直さが、芸人に物まねされるくらいにメジャーな淳二スタイルに昇華したのですから、そうとうな初期から稲川さんはこの「道」を意識していたのではないでしょうか。
驚くべき稲川淳二の「怪談語り20カ年計画」。
もはや、彼はお話の中に登場する「人間」でも「幽霊」でもない第3の存在「稲川淳二」になってしまったのです。したがって、稲川淳二ご本人には「その話、ホント? ウソ?」なんていう人間の価値観も通じないし、幽霊のたたりがおよぶこともない!
あなたは、晴れわたった空の色が青いことに真正面から疑義を呈する勇気があるだろうか。
稲川淳二の怪談になにを言ってんのかわかんない部分がちょいちょいあるのは、そのくらいに、またはブラックコーヒーが苦いようにごくごく自然な現象なのです....キャ~!!
まぁ、わざわざ私のようにDVD を購入しなくても、なんか動画サイトで山ほど淳二ワールドは楽しめるらしいんでね。みなさんもぜひとも、単純に怖がるだけでなく、そのいびつで不安定な状態を四半世紀も保ち続けている稲川さんの異常さに驚愕しましょう。25年間、車の片輪走行をやってるようなもんですよ。とんでもねぇお方だ!!
稲川淳二。その2012年の「新たなるフェイズ」を固唾を呑んで見守ろう! こわいな~、こわいな~!!
《余談ですが》
『2003』のほうのDVD を再生しようとしたら、「ヴヴヴヴ....」みたいな不協和音が10秒ほど続いて、
「そんなことしてもむだよ....」
という女性のささやきが聞こえてくるというビックリがありました。
いや、「そんなこと」ってあなた、私は再生ボタンを押してあなたのお話を聴こうと思ってるんですけど....
いくら死んだ人でも、やっていいことと悪いことがあると思うんですが....怖がる以前にちょっとイラッときてしまった幽霊ちゃんのイタズラでした~。
かわいらしいものよ!
今日の千葉は、久しぶりに朝から雨です。毎度毎度のことですが、まだまだやっぱり寒いやねぇ。
最近は私の家でもようやくDVD が観られるようになったということで、これまで1年半ほど見向きもしなかったCD屋さんの DVD コーナーにも、ひまな時に足を運ぶようになりました。前にも言ったかも知れませんが、私の近所にレンタル屋さんがなくなっちゃったのがいたいなぁ。間にあわなかった....
今までは「ケッ! どうせわしには縁のない世界よ....」と思っていた数々の映像作品が、これからはお金さえ払えば私だって楽しむことができるんだと思うと、も~うウッヒウヒなんですよ!! 映画もPV もぜんぶなんだぜ!? キエ~うれしくて息絶えそう。
ただ、そうなった時にかぎって、なかなか観たいものがみつからないんですよね~!! 言うよね~。
あ、そういえばお店の中で、小学生くらいの男子が店員さんにこんな質問をしていました。
「あのぉ、『ぼかろ』のCD ありますか?」
「は? ぼかろ?」
店員さんは一瞬うごきを止めてしまっていましたが、しばらくして、
「....あぁ~、初音ミクとか。」
と言って男子をそのコーナーに連れて行きました。
なるほど。「ぼかろ」とは、「ヴォーカロイド」の略だったんですなぁ。
その音だけを聞いた時、私の頭の中では「まるぼうろ」とか「ノボカイン」とか「マルボロメンソールライト」とかが混沌と渦巻いていたのですが、「ボカロ」はもう一般的に使われている単語なんでしょうか? いろいろと勉強していかないといけないねぇ。
そういえば、あの「妖狐」を「いぬ」と読むタイトルのマンガも最初はビックラこいたねぇ。
『妖狐×僕SS』で「いぬぼくしーくれっとさーびす」って! 犬は「ネコ目イヌ科イヌ属」!! 狐は「ネコ目イヌ科キツネ属」!!
あら、けっこう近いんですね....っていうか、どっちも「ネコ目」なんだ....
まぁ、そんなこんなの新発見があるのでCD 屋さんや本屋さんに行くのは楽しくてしょうがないのですが、結局、私がDVD 復活記念として久しぶりに購入したのはこの2本でした。
『稲川淳二の超こわい話 セレクション 第1巻』(2002年7月 バンダイビジュアル)
『稲川淳二の超こわい話 2003 第2巻』(2003年7月 バンダイビジュアル)
なんでこんなシッケシケの(ほめ言葉です)作品を買ってしまったんだろう!? そりゃもう、「安かったから」しかないんですけどね。
大好きなんですよねぇ、稲川さん!! もはや、「独演」とか「一人語り」とかいう分類の仕方では解釈できない「稲川淳二」としか言いようのないジャンルになっている感があります。もう誰もあいつを止められねぇ!!
稲川淳二さんもすでに現在おん年64歳。まだまだその語りの不思議な魅力におとろえはないのですが、「和装に白髪頭」というイメージもだいぶ定着してきましたね。
ところが、私が今回手に入れたDVD におさめられている稲川さんは、そんな現在の稲川さんよりも多少....いや、だいぶ若い外見と語り口を見せてくれています。
それは当然のことで、まずこれら2本のDVD は約10年前にリリースされたものです。この時点で「ひと昔前の稲川さん」でしょ。
しかもそれに加えて、『セレクション』のほうはその内容が「1995~97年にリリースされていたビデオ版『超こわい話』の再編集版』」となっているため、さらに「ふた前昔の稲川さん」がおがめるということで、ファンの私にとっては非常にお得な買い物となっていたのです。やったね!!
1990年代のアラフォージュンジ、2000年代のフィフティージュンジ、そして2010年代の還暦ジュンジ....「怪談語り」はまさしく稲川さんのライフワークとなっているんですねぇ。
ところで、1980年代生まれの私にとって、タレント・稲川淳二という存在を最初に知ったときのイメージは、
「なんだかわからないけど周囲のタレントたちにヒドい目に遭わされてれているかわいそうなおじさん」
というミもフタもないものでした。
たぶん、それは『スーパージョッキー』で巨大水槽の水責めなどをくらっていた稲川さんを観た記憶が原点になっているかと思うのですが、その「稲川さん = 元祖リアクション芸人」という印象は、私の中ではぬぐえないものがあります。
ところがちょっと調べてみると、稲川淳二さんが「TVタレントの副業として怪談語りをやっている。」という構図は正確ではないらしいんですね。
まず、稲川さんは少なくとも「お笑い芸人」だったことはないようです。
稲川さんが「プロの工業デザイナー」であることは有名なのですが、1976年に芸能人としてのキャリアをスタートさせることとなった最初のお仕事は「ラジオパーソナリティ」だったそうです。しかも、天下の『オールナイトニッポン』のDJ !
なるほどねぇ。怖い話ではなかったにしても、稲川さんの活動の芯には最初っから「語り」があったんですねぇ。
稲川さんの語りを聞いていると、「おもしろい語りはカツゼツのよさが前提ではない」ということを実感します。なにを言っているのかよくわからない部分があったのだとしても、聴く人が思わずその部分を推測して補完してしまうような「引力」があったのならそれでいいのです。そこが、アナウンサー系や声優系にはない稲川さんの最大の武器なんですよねぇ。まさしくこれは、プロの俳優としての戦法。
でも、稲川さん自身はプロの俳優としての修行を積んでいた期間はまったくなかったようです。もちろん、35年という長い芸能キャリアの中では、この『長岡京エイリアン』でも取り上げたことのあったNHK 大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』(1992年)で「イエズス会の日本人修道士・ロレンソ了斎」の役を演じたように、俳優としてのお仕事もあるにはあったのですが、あくまでも稲川さんの魅力は、誰かの役を通じてではなくご本人のパーソナリティに寄与するところが大きいわけです。
そういえば、まだ「怪談の語り手」という部分がそれほど有名でなかった時期に、「キリスト教の原理を日本人に広める語りのエキスパート」としてのロレンソ役に稲川さんを起用した『信長』スタッフの方はかなりの慧眼でしたねぇ。いつかまた、どっかのドラマで現在の稲川さんにロレンソの役をやってもらいたい!! 「いや~なんだかコレ、ミョ~に奇跡なんだな~。」って聖書の話をしてくんねぇかなぁ。
まぁこういった感じで、「お笑い芸人」や「俳優」というはっきりした出生地を持っていないのに、日本の芸能界に確固たる地位を築き上げているお方としては、稲川さんのほかにはタモリさんという大巨人がいると思われるのですが、お2人とも業界の中で「な~んかおもしろいしろうとがいる!」という評価を受けてデビューしているいきさつも非常に似かよったものがありますよね。
ただし、その一方でこの2人のあいだに、
「交友関係が異常に広い・TV を活動の中心においていない」 = 稲川淳二
「交友関係は限定している・TV を活動の中心におきまくり」 = タモリ
というミョ~なねじれが生じていることは実に興味深いです。TV で名をあげることと実際の交友関係を広げることの両立はむずかしいのでしょうか? 余計なお世話ですけど。
ただまぁ、お2人とも歩む道はだいぶ違っていますが、それぞれの世界を代表するエンターティナーであることは間違いありません。
私が今回買った『稲川淳二の超こわい話』シリーズは、バンダイビジュアルからリリースされているオムニバスもので、稲川さんの「怪談語り」が1本につき5~6話ぶん収録されている、いわば「淳二ワールド大全集」というおもむきのある全24作にもおよぶロングセラータイトルとなっています。
このシリーズは1995~2004年にVHS ビデオで、2002年以降はDVD にシフトされるかたちで現在までリリースが続いており、これは1993年いらい毎年夏におこなわれている稲川さんの怪談語り全国講演「ミステリーナイトツアー」に次ぐ歴史をほこるライフワークとなっています。「ミステリーナイトツアー」は今年の夏で20周年なんですって! 行ってみようかな~、生ジュンジ!
このように、稲川さんが「怪談語り」を仕事の中心にすえるようになったのは1990年代の前半から、そしてそれがじわじ~わと浸透していって、レンタルビデオの人気タイトルとなってブレイクしたのは中盤からということなのですが、稲川さん自身が怪談を語る仕事に初めて取り組んだのは、1987年にカセットテープで販売された『秋の夜長のこわ~いお話』というものだったのだそうです。稲川さんがTV 番組のレギュラーとして活躍しはじめたのが1983年のことなのですから、稲川さんの中での「怪談語り」は、「TV タレントが余技でやっている」という表現では簡単に片づけられない歴史を持っているんですよねぇ。怪談しゃべって25年!
ひところ、確か5~6年前に「お菓子といっしょに8センチCD がついてくる食玩」が狂ったようにコンビニに乱立していた時、1970~80年代の懐メロやアニソン集の影に隠れて、「稲川淳二の怪談CD 」がついてくるという、思わず「誰トク!?」と絶叫してしまいそうになる素っ頓狂なシリーズがありました。いや、誰トクって私が喜んで買い集めていたから私がトクしてたんですけど。
そのころしょっちゅう聴いていた稲川さんのCD と、今回買ったDVD とを比較して感じたことなんですけど、やっぱり稲川さんの語りは「稲川さんの表情」コミコミで楽しまないといけませんな!! 声だけじゃあ物足りない。
とにかくね、稲川さんの語りには、「それを語っている稲川淳二という人物がどのくらい不可思議な存在なのか。」という部分を味わう楽しみがあるんですよね。つまり、稲川淳二という人が、お話の中に出てくる程度の怪異や幽霊ではまったく動じない高みに位置している。だからこそ、そんじょそこらのしろうとには出せない「全体を俯瞰する」視点が垣間見える奥行きの広さがあるんですよね。
もちろん、そういった「私はなんでも知っている」的な視点ばっかりでものを語ると、それは聴く人に臨場感を与えないただの「ナレーション」になってしまいます。
そこでいかんなく発揮されるのが、稲川さんの「よくわかんない表現」!
「な~んかミョ~なんだな~。」
「ぞくっとしたんだけど、理由がよくわかんないんだなぁ~。」
「な~んでそこに女の人がいるのかな~って一瞬気にはなったんだけど、まぁいいか~と思ってね。」
「な~んだかイヤ~な雰囲気のする部屋だったんだけど、まぁ疲れてるから早く寝よっか~なんて。」
適当!! 言い方が絶妙に適当なんです!
しかしみなさん、よく考えてみましょう。
人間は明らかに異常な「なにか」を見た瞬間にこそ、その体験を「恐怖との遭遇」として自身の記憶に強烈に刻み込みますが、そのものに出遭う直前までは本人はすべての見たものを「日常の風景」として適当にとらえており、「寒気がする」「雰囲気が悪い」程度の違和感は気のせいとして処理しようとするのが普通であるわけなのです。
稲川さんの語りは、そのへんがものすご~く自然なんですが、さんざん恐怖体験を語っている稲川さんが25年もの長きにわたって自然でいつづけられるのは明らかに不自然です。なんでアンタはそんなにナチュラルなんだと! ちょっとは呪いとかたたりとかに遭ってるんじゃないんすか!?
今回、『セレクション』で1990年代の稲川さんを、『2003』で2000年代の稲川さんを楽しむというチャンスを得た私から見てみますと、1990年代の稲川さんは基本的に目をギョロッとひんむきながら汗ダラッダラで「怖いでしょ! 怖いでしょ!」とアピールする、勢いまかせのようなパワープレイが見受けられるのですが、2000年代の稲川さんはだいぶ落ち着いた印象で、ストレートな物言いだけでなく、聴く人にわざと「?」と思わせる伏線を張るなどといった、技巧的な語り方を意欲的に取り入れる余裕を持った感もあります。
比較してみると、『セレクション』のほうで、まだ若さも残っていてガリガリにやせたおじさんが顔から汗を飛ばしながら語る超名作『長い遺体』『樹海の声』『渓谷の廃屋(私がいちばん好きな話!)』といった磐石のラインナップも最高なのですが、語りの中での「カメラワーク」を自由自在に切り替えるベテランらしさの生まれた『2003』収録の『地下通路』『窓をたたく女』『3年A 組』もいいんですよね。
つまり、稲川淳二の怪談は、この20年以上のキャリアの中で、まるで一流ミュージシャンの歌声やギターテクニックのように「若いアグレッシブ期」から「円熟の技巧期」へと移行していく「プロのあゆみ」を続けているのです。もう60代になっても語り続けているのですから、むしろこれは落語の世界に近くなっているのかも知れません。
ここまできちゃったら、「新作が旧作より怖いか?」とか「語り方がうまくなっているか?」とかいう浅いポイントで稲川淳二という語り手の価値が左右されるような次元の話ではなくなってきてしまいました。もはや、続けているかぎり誰もが文句を言えない「天下一品の淳二ワールド」のゲートが開かれてしまったのです....カツゼツが悪いの、話の視点がとびとびでわかりづらいのでウダウダ言ってるようじゃあまだまだおめぇも青いという、批判がそのまんま批判者に返ってくる「淳二バリア」が発現してしまったのだッッ!!
おそろしい....果たして、稲川さんはこの「怪談語り」を、どのくらいの時期で「一生モノの仕事」にすると決心したのでしょうか。
こればかりは本人に聞いてみないとわからないのですが、稲川さんが無理に「語りをうまくしようとする」努力をしていない、つまり、カツゼツは悪くてもそのままで、話の整理の仕方が粗くてもそのままで自分のペースにあわせて語り続けていたそのスタイルは、まさしく長距離マラソン走者の走り方に近いものがあります。無理なダッシュをするように、その時代の好みにあわせようとする小細工を弄しない愚直さが、芸人に物まねされるくらいにメジャーな淳二スタイルに昇華したのですから、そうとうな初期から稲川さんはこの「道」を意識していたのではないでしょうか。
驚くべき稲川淳二の「怪談語り20カ年計画」。
もはや、彼はお話の中に登場する「人間」でも「幽霊」でもない第3の存在「稲川淳二」になってしまったのです。したがって、稲川淳二ご本人には「その話、ホント? ウソ?」なんていう人間の価値観も通じないし、幽霊のたたりがおよぶこともない!
あなたは、晴れわたった空の色が青いことに真正面から疑義を呈する勇気があるだろうか。
稲川淳二の怪談になにを言ってんのかわかんない部分がちょいちょいあるのは、そのくらいに、またはブラックコーヒーが苦いようにごくごく自然な現象なのです....キャ~!!
まぁ、わざわざ私のようにDVD を購入しなくても、なんか動画サイトで山ほど淳二ワールドは楽しめるらしいんでね。みなさんもぜひとも、単純に怖がるだけでなく、そのいびつで不安定な状態を四半世紀も保ち続けている稲川さんの異常さに驚愕しましょう。25年間、車の片輪走行をやってるようなもんですよ。とんでもねぇお方だ!!
稲川淳二。その2012年の「新たなるフェイズ」を固唾を呑んで見守ろう! こわいな~、こわいな~!!
《余談ですが》
『2003』のほうのDVD を再生しようとしたら、「ヴヴヴヴ....」みたいな不協和音が10秒ほど続いて、
「そんなことしてもむだよ....」
という女性のささやきが聞こえてくるというビックリがありました。
いや、「そんなこと」ってあなた、私は再生ボタンを押してあなたのお話を聴こうと思ってるんですけど....
いくら死んだ人でも、やっていいことと悪いことがあると思うんですが....怖がる以前にちょっとイラッときてしまった幽霊ちゃんのイタズラでした~。
かわいらしいものよ!