へへへ~いどうもこんばんは! そうだいでございます~。
いやぁ、先日ついに敢行してしまいました、山形~山梨の1泊3日往復車旅、片道500km!! 去年から始めている個人的な年1ビッグイベントだったのですが、今年は夏ではなく秋にチャレンジしました。
ほんっとうに、心の底から! 生きて帰って来ることができてよかったな、としみじみ痛感しております……今年もすばらしい旅になったのですが、がっつり風邪ひいちった……
これはやっぱり、今年のゴールデンウィークに山形の米沢市で行われた「上杉まつり」の川中島合戦再現イベントで上杉軍の足軽になった身でいながら、武田勝頼と因縁の深い新府城跡をのこのこ探訪してしまったがための祟りなのでありましょうか……いや、単にケチって高速使わずに一般道で行って疲れただけか。
正直、行った初日の山梨のお天気は、一日中のぐずぐず雨という最悪のコンディションだったのですが、雨の中おとずれた新府城跡や武田八幡宮は非常にムード満点で絵になっていました。く、熊の気配がめっちゃ怖かった……
宿泊した南アルプス市・芦安温泉の宿も、昭和中期の大型旅館の雰囲気を今に伝える、率直に言うと複数回の増築による通路のカオスな迷宮化が最高なところでございました。露天風呂に入ろうとしたんですけど、宿泊棟の1階に降りてから外通路を通って別棟に行って、そこから2階に上がってまた外回廊を通って露天風呂って、あんた……昔ながらの旅館は、高齢者に当たりが異常に厳しい! 歳とってからゆっくり泊まろうったってそうはいかないから、足腰が元気なうちに行っとけ行っとけ!
帰りの日は一転しての好天だったのですが、「長野ナンバーのドライバーさんの交通法規順守の徹底ぶり」を身に染みて感じながら、結局まるまる一日かかって深夜に山形に到着いたしました。もうちょっと早く到着する算段だったのですが……大きな声じゃ言えませんが、制限速度で走る車って、山形じゃそんなに多くは、ね……ゴニョゴニョ。
なぜか去年から始まった山梨県への温泉旅行、元気だったらぜひとも来年もやってみたいです。でもこれ、ほんとに体力をゴリゴリに削りますんで、体調管理には十二分に気をつけて、また1年これを楽しみにして生きていこうと思います。山梨、ほんとに楽しい!
さてさて、それでここ数日、久しぶりに体調が最悪な日が続いてダウン(しながら働いて)いたのですが、やっとなんとか快復して余裕が出てきましたので、ようやく、かねてから観よう観ようと思っていた映画を鑑賞してまいりました。
いやほんと、ここんところ『箱男』あたりから観なきゃいけないと思ってるエンタメ作品が渋滞しちゃってて! 早くひとつひとつ消化していかなければ……船越さんの『黒蜥蜴』2024も、録画はしたけどまだちゃんと観てないのよ……今年の秋はほんとに忙しい!! なんだかんだ言って師走までこんな感じになりそう。
映画『傲慢と善良』(2024年9月27日公開 119分 アスミック・エース)
映画『傲慢と善良』(ごうまんとぜんりょう)は、辻村深月による長編恋愛ミステリ小説『傲慢と善良』(2019年3月刊)の映画化作品。原作小説は2019年度ブクログ大賞・小説部門大賞を受賞し、2024年10月時点で累計部数100万部を突破している。
あらすじ
仕事も恋愛も順調に過ごしてきた青年・架。しかし長年付き合った彼女のアユにフラれてしまったことをきっかけにマッチングアプリで婚活を始める。そこで出逢った、控えめで気の利く女性・真実と付き合い始めるが、1年が経っても結婚には踏み切れずにいた。
そんな折、架は真実からストーカーの存在を打ち明けられる。そしてある夜、「架くん、助けて!」と恐怖に怯える真実からの電話が。真実を守らなければと決意し、架はようやく真実と婚約するが、その矢先に真実が突然、姿を消してしまう。
両親や過去の見合い相手を尋ね、真実の居場所を探す中で、架は知るよしもなかった真実の過去と噓を知るのだった……
おもなキャスティング
西澤 架 …… 藤ヶ谷 太輔(37歳)
東京生まれの東京育ち。国産クラフトビールの製造販売業社長。容姿端麗で女性経験も豊富。かつての彼女である6つ年下のアユ(三井亜優子)は理想の相手だったが、早く結婚して子供を持ちたいと望むアユの願いを先延ばしにした結果、振られて別の相手と結婚された過去がある。30歳代後半になってからマッチングアプリに登録して婚活を始め、大勢の女性と会う中で真美と知り合ってなんとなく交際を始めたものの、心のどこかでアユを引きずっている。学生時代からの友人の美奈子に真美と何% くらい結婚したいかと聞かれて「70% 」と答える。
坂庭 真実 …… 奈緒(29歳)
東京都内の英会話教室で働く事務員。
群馬県前橋市に生まれ育った。2人姉妹の次女。大人しく自分の意見を主張するのは苦手。利発で大学進学を機に上京した姉(岩間希美)と違い、高校から地元の女子校に進学し、そのままエスカレーター式に系列女子大へ進学。卒業後は母の勧め通り群馬県庁の臨時職員として働いた。進学や就職については母親・陽子の影響が強く、自らで深く考えたことはなかった。大学の同級生や県庁の同僚が次々と彼氏を作り結婚していく中、真美は特に彼氏ができることもなく過ごす。母親のはからいで地元の県会議員夫人・小野里が運営する結婚相談所の世話になることになったが、相手の欠点ばかりに目が行ってしまい結婚には至らなかった。その後、いつまでも自分を子ども扱いする両親に耐え兼ね、実家を出て姉を頼り上京した。
美奈子 …… 桜庭 ななみ(31歳)
架の大学時代からの友人。仕事ができ美人で気も強く、要領よく生きてきた女性。架との付き合いも長く、遠慮なく意見を言う。架に、過去に架の彼女だったアユと比べて真美に対して70点の気持ちしかないのなら結婚すべきではないと忠告する。
岩間 希実 …… 菊池 亜希子(42歳)
真実の姉。母親・陽子の束縛を嫌い大学進学を機に実家の前橋から上京し、今は結婚して一児の母となっている。何かにつけて母親の言いなりである妹・真美に対していら立つこともあるが、真美をなにかと気に掛けている。
坂庭 陽子 …… 宮崎 美子(65歳)
群馬県前橋市に住む、真実と希実の母親。自分の価値観を真実に押し付け、真実を何かと束縛しようとする。
坂庭 正治 …… 阿南 健治(62歳)
群馬県前橋市に住む、真実と希実の父親。妻・陽子の言うことに大きく反対はせず、真実と希実の子育てを任せてきた昔気質な性格。
小野里 …… 前田 美波里(76歳)
群馬県前橋市の県会議員の妻。結婚相談所を運営している。真実の母・陽子に依頼され、真実にお見合い相手を紹介する。
高橋 耕太郎 …… 倉 悠貴(24歳)
真実が九州地方の七山市(架空の都市)で知り合う災害ボランティアのリーダー。
よしの …… 西田 尚美(54歳)
七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」のママ。真実を居候として受け入れ面倒を見る。
架の親友・大原 …… 小林 リュージュ(35歳)
大学時代からの架の親友。電子機器部品の卸業を経営している。40歳近くになっても未婚の架を心配している。
美奈子の親友・梓 …… 小池 樹里杏(30歳)
真実の見合い相手・金居 …… 嶺 豪一(35歳)
群馬県前橋市で電子機器メーカーに勤めるエンジニア。2児の父。
真実の見合い相手・花垣 …… 吉岡 睦雄(48歳)
群馬県高崎市で歯科医院に勤める独身男性。
真実の地元の友達・泉 …… 里々佳(29歳)
真実の中学校時代の友達。前橋で偶然、真実と金居に出遭う。
三井 亜優子 …… 森 カンナ(36歳)
かつて架の交際相手だった女性。
きたきたきた~! 我が『長岡京エイリアン』いとしの辻村深月先生の小説を原作とする映画作品のご登場でございます。
辻村先生は、畏れ多いことに私とほぼ同年代の方なので、どうしても「日本小説界の若手ホープ」という印象が離れないのですが、気がつけば辻村先生も今年でデビュー20周年を迎えるという押しも押されもせぬベテランとなり、それにともない、先生の小説作品を原作とする映像作品もかなり多くなってきました。でも、今でも「映像化!」という知らせを聞くとドキッとしてしまうんですけどね。やっぱりファンにとっては気になる話題というか……本質的に小説とは全く別の作品と割りきるべきなんですけどね。
ざっとまとめてみますと、今回の『傲慢と善良』(以下、映画版は『ゴー善』と略)も含めますと、辻村先生の小説作品はこれまでに「TV 単発ドラマ1作(『踊り場の花子』)」、「TV 連続ドラマ4作(『鍵のない夢を見る』など)」、「実写映画5作(『ツナグ』、『太陽の坐る場所』、『朝が来る』、『ハケンアニメ!』、『ゴー善』)」、「アニメ映画2作(『大長編ドラえもん のび太の月面探査記』、『かがみの孤城』)といった形で映像化されています。いや~、気がつけばこんなにみごとな花ざかり。
これらの諸作は、それぞれ制作スタッフが全く違う作品だし別々の味わいがあるわけなのですが、共通しているのは「出演俳優にかかる真剣勝負度の圧がすごい」ということではないでしょうか。
これはもう、原作小説の生々しいまでの「登場人物が身を切ってる感」が、辻村ワールドならではの味わいにして魅力の核心というところが関係しているとしか言えないでしょう。つまり、辻村作品を原作とする以上、どうしてもそれに取り組む俳優の皆さんも、通りいっぺんに台本に書かれた役を演じるというだけでなく、俳優である以前に一人の人間として、嘘偽りのない「過去の自分」をありありとさらけ出した上で演じなければならない覚悟を要求されるからだと思うのです。若き日にこれからどうやって生きていこうかと悩む鬱屈とした自分、他人とのコミュニケーションに苦慮する自分、プロとして生きていくための覚悟を決めた瞬間の自分、こういう生き方で良いのかと道の途上ではたと立ち止まる自分……
お話の面白さもさることながら、多くの人々の心をむんずと鷲掴みにする辻村ワールドの魔力の本質は、登場人物たちのそういった苦悩を通じて、読んでいる人に自身の過去を、大人になってとんと忘れ去ってしまっていた自分自身の姿、その時の空気のにおいや体温の高揚、肌の汗ばみまでをも鮮烈によみがえらせるような記憶喚起力にあると思います。まさに魔力! そして、それを引き起こす対象となっているのが小説の読者だけでなく、小説を原作とした二次作品の出演者にさえ波及しているというのが、映像作品の「真剣度」を異様に高めてしまう要因なのではないでしょうか。
なんか軽いノリで辻村作品を映像化している例も観たいような気もするのですが、なかなかね……それはそれで原作ファンの反応が怖いような気もしますよね。読者も真剣そうだな~、辻村ワールドって! 私はどうなのであろうか……
さてさて、そんなこんなで今回の『ゴー善』なわけなのですが、当初、あの長編小説『傲慢と善良』が映画化されると知った時、私は「また難しい作品を……大丈夫かな?」という不安が先に立ってしまいました。
なぜなら、『傲慢と善良』は大部分が「いなくなった人を探す」お話であり、ただひたすらに「いない人の思い」を想像する旅に出る男の姿をロードムービー的に追う形式になっているからです。当然、最終的に男は相手にたどり着いて物語は終わりを迎えるのですが、その路程で殺人事件のような衝撃的な展開があるわけでもないし、いない人の過去に関しても、ぶっちゃけそんなに異常な出来事があったわけでもありません。
ふつうなんです! この物語に登場する人物たちは、主人公の男女を含めて、み~んなごくふつうの人生を送っている人ばかりなのです。
でも、この「ふつうの人生」の中でつまびらかにされていく人間同士のすれ違い、軋轢、対立、羨望、さげすみ、愛憎の濃密さときたら……ここ! この、死ぬほど大変なことでもないんだけど、地味にボディに効いてくるような細かい起伏が延々と続く人生のディティールを異様に高い解像度で描写しているところが、原作小説のものすごいところなんですよ! そうそう、ふつうに生きるって、こういう風にとてつもなく辛くて大変で、それでもたま~にステキな出逢いもあるからやめられないことなんだよなぁと、しみじみ感じ入ってしまうんですよね。
この原作小説を読み進めていくと、タイトルにある「傲慢」と「善良」とは、別に対立する関係にあるものでもないし、作中で言及されてもいたジェーン=オースティンの長編小説『高慢と偏見』(1813年)のように、明確に超えるべき壁として立ちはだかる話でもないらしいことがわかってきます。つまり、登場する架と真実は、性別も家族環境も生き方もまるで違う者同士でありながら、自分自身の心にいつの間にか、しかもかなり昔から強固な価値観を持っており、それこそが表裏一体の関係にある「傲慢 / 善良」という共通の何かであることが明らかになってくるのです。そして、おそらくこれは、この小説に登場する人物全員どころか、読者も含めた現代日本人すべてに多かれ少なかれ根ざしているものなのではないか、という気配が次第ににじり寄ってくるという、何か、今まで日常生活の中でごくふつうに見えていたものが、ある瞬間から異様な違和感のある何かに見えてしまうような不気味な黙示録作品。それが小説『傲慢と善良』であると思うのです。
私、この小説の読後感にいちばん似た感覚のあった作品って、コーエン兄弟の映画『ノーカントリー』(2007年)なんですよね。お話は終わるけど、提示された「なにか」の気配は消えないという、この異物感。
もちろん、この小説における架と真実のお話は、ひとつの物語として終わりはするんですが、現実世界にいる私達の「傲慢と善良」はどうなっているのか、この小説を読んだことで何かしらの変化は起きたのか、それとも何も変わらずに心の中に存在し続けるのか……小説の中から辻村先生が読者に押しつけがましく直接呼びかけるような文章は一文も無いのですが、こういう問いかけを球速160km 台で投げかけられているような気がしてくるのが、たまらない! でも、ここまでドカドカッと読者の心の柔らかいところに入りこんでくる人もそうそういないような気がするからこそ稀有な存在なのです、小説家・辻村深月って。家族よりも家族、母ちゃんよりも母ちゃん!! ちょっ、勝手に開けんなって!!
ともかく、この小説『傲慢と善良』は、非常に読み応えのある作品ではあるのですが、その面白さが、果たして映像作品になる時に「伝わりやすいものなのか」というと、私はかなり難しいと感じたんですよね。しかも、登場人物同士が会話するパートとほぼ同じかそれ以上の分量で、主人公の回想や心中思惟が物語の大部分を占めているのですから、セリフに頼らない相当にハイレベルで繊細な演技力も主人公の2人には要求されるわけで。これを映画化とは……こりゃ大変な難物ですぞ!
ほら~、ここまで字数を割いといて映画になった『ゴー善』の話にじぇんじぇん入ってないよ! ちゃっちゃと観た感想を言っときましょう。映画のほうの『ゴー善』についての私の感想は、
後半が全然ちがう話になっとるが……原作小説に挑戦した勇気はたたえたい。
というものでした。面白く観ましたよ!
そうなんですよ。映画『ゴー善』は、物語の中盤から展開と設定が、原作小説とだいぶ違ったものになっているのです。
ざっくり言ってしまうと、失踪した真実のおもむいた土地が、原作の宮城県仙台市ではなく、北九州地方の「七山市」という町に変更されています。これは架空の都市で、実際に撮影された地名で言うと佐賀県唐津市の七山地区となるようです。
原作小説では、真実は仙台市で東日本大震災の復興ボランティアに従事するのですが、『ゴー善』ではおそらく、2017年7月の「九州北部豪雨」いらい毎年のように発生している豪雨災害の復興ボランティアに従事するために、真実は七山におもむいたようです。
この変更自体は、映画の制作時期にかんがみて、より今現在リアルに災害が起こっている九州に舞台を移したのではないかと想像がつくわけなのですが、問題は、この七山で展開される真実と架との再会の経緯が、はじめからおしまいまで原作小説とまるで違うものになっているというところです。
具体的に比較していきますと(以下、後半の展開に触れまくります。注意!!)、
≪原作小説の時間の流れ≫
1、四月。真実が失踪してから約3ヶ月後に架がひとつの「結論」に達し、失踪いらい更新が途絶えている真実のインスタグラム投稿の最終記事にコメントの形でメッセージを伝える。
2、ほぼ同じ時期に、仙台でボランティア活動をしていた真実が架のコメントを読み、いったんの返信をするが具体的な再会時期は保留する。
3、さらにほぼ同じ時期(真実が架のコメントを読む前日)に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
4、七月。宮城県東松島市にある JR仙石線の無人駅「陸前大塚駅」(実在)で真実と架が再会する。
≪映画版の時間の流れ≫
1、真実の失踪に関して架がひとつの「結論」に達し、真実のスマホにメールを送るが、真実は返信せず九州の七山市におもむく。
2、七山で暮らしてからも真実はインスタグラムの投稿を続けており、架も投稿をチェックしている。
3、真実が七山で暮らして2年後。真実が地元の地域振興課に「地元産クラフトビール」の開発を提言し、提携先として架の会社を紹介する。
4、ほぼ同じ時期に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
5、架が企画会議のために七山におもむき、その風景を見て真実が七山にいることに気づく。
6、七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」の店先で真実と架が再会する。
このような感じになります。映画版は6、の後にもう一つの山場があってエンディングとなるのですが、そのロケーションは原作小説をかなり意識したものとなっていましたね。
上の2バージョンを見比べてまず目立つのは、映画版の架の方が、あのエンディングを迎えるにしては行動が異様に受け身すぎるというか、2年間も何をやってたんだと不思議に思えるほど優柔不断な男に見えるという点ではないでしょうか。
だって、どのくらいの頻度かは語られなかったのですが、連絡は途絶えているとはいえ、真実はインスタ更新してるんでしょ? しかも、どこに住んでるのかは語らないにしても風力発電の巨大タービンとか、みかんの木とかのヒントは写ってたわけだし……それをチェックしてるんだったら、普通は住所を特定して押しかけるくらいのこと、本気で結婚したいんだったらするんじゃないかな。まぁ、それに対して真実がどう反応するのかは別の話なわけですが。
2年間ですよ、2年間。お互いピッチピチの20代前半でもなし、いつまでも若いわけでもないその時期に急がないということは、ほんとに架に原作小説のような真実への想いがあるのか?と疑ってしまうところがあります。それで結局、映画版はなんだか真実が「しょうがねぇから最後のチャンスを……」みたいにクラフトビール企画という救いの手を伸ばした感じになっちゃってるんですよね。
確かに、原作小説のほうのクライマックスで真実は架に対して「この人は、とても鈍感なのだ。」という感慨を抱くのですが、映画版の架は、原作小説とは全く違う意味で鈍感としか言いようのない人物になっていると思います。それは……鈍感というか、「自分がない」のでは?
あと、この現代に真実がインスタを続けているというのは、どう考えても話が「真実と架」だけに収まるには無理があるような気がします。映画に登場した人物の中でも、美奈子とか真実の母親とか小野里とか、架と同じかそれ以上の関心で真実の所在を追求しようとする可能性のある人物はいるような気がします。この状況で2年間、なにも起こらないはずがないでしょ……
私はここらへんに、映画版の土壇場にきての整合性のなさを感じてしまうのです。な~んかリアリティがないし、架もカッコ悪い。映画オリジナルのこの「空白の2年間」が、原作小説の「濃厚過ぎる約半年間」とは全く比較にならないほど希薄なものになっているのですから。
ついでに申しますと、架が真実のインスタ投稿にあった風力タービンの写真から七山に真実がいることに気づくという描写があるのですが、これも、田舎住まいの私からするとおかしいと言わざるを得ないというか……だって、あんな真っ白くてバカでかいタービン、海岸沿いの場所だったら日本海でも太平洋でも、日本全国どこにでもあるでしょ!? なんでそれが決め手になんの!? もっとみかん畑のある角度から見た風景とか、個性豊かなきっかけは別にあっただろう。
何の特徴もない風力タービンを見ただけでそれをどこだと判断するなんて、人種も性別もわからないのに髪の毛が黒いだけでディーン・フジオカだと判断するようなものだと思うんだけどなぁ。
余談ですが、私、先ほども申した通りに車で山形~山梨を往復したのですが、夜の9~10時ごろに新潟県の村上市で出くわした風力タービンの巨大な影が、めっっっっちゃ怖かったです……中央ハブのライトだけが灯台みたいに煌々と照らされていて、近づくと巨大なタワー部分が次第にぼーっと見えてくるという。周囲には歩行者はおろか車すらないし! デイヴィッド=リンチの世界みたいな雰囲気で最高でした。
おそらく、映画『ゴー善』の一連の改変は、「みかんの木」の成長速度を考えて、真実と高橋が植えた苗木が育って花を咲かせるまで約2年かかるといったところから逆算してそういったタイムスケジュールになったのではないでしょうか。当然、小説と違って「絵」を大切にする映画なのですから、そういう判断があっても良いかとは思うのですが、問題は、その「2年間」という設定に、原作小説の「トータルでも約半年」の4倍も延びちゃってることに対する説得力充分なフォローが無かったということなのです。
その結果、『ゴー善』の架は、真実を必死に探し出すこともせずに2年間も暮らし、それなのに真実からの助け舟をもらって再会できたかと思ったら、この期に及んで「結婚したいよう!」などと言い出す行きあたりばったりな男になってしまったのです。そして、それに対する真実の返答を受けての反応も、映画をご覧の通り、非常に受け身で消極的なものになっているのですから仕方がありません。原作小説『傲慢と善良』のクライマックスで、鈍感ながらも、というか鈍感であるがゆえの「凛々しさ」を見せてくれた架とは全くの別人と言わざるを得ないのではないでしょうか。
映画『ゴー善』のクライマックスで、真実は原作小説と同じように、架が「70点(実際には70% )」と言ったことにこだわる問いかけをするのですが、『ゴー善』の真実がキレるべきなのは、もはやそんなことではないような気がしますよね……
ともかく、映画『ゴー善』の後半部分は、原作小説『傲慢と善良』の架が見せてくれた一連の成長を、まるでナシにしてしまう改悪につながった部分が大きいと思います。第一、原作で真実が仙台に行ったのも、群馬での見合い相手の金居がそもそものきっかけであるという丁寧な伏線があったし、金居の発言から、災害復興支援ボランティアの現代日本におけるある種の精神的緩衝地帯、駆け込み寺という側面もきっちり描いている原作のほうが数段ディティールが細かくて面白かったと思うのですが……
とまぁ、映画版の後半の展開について、私も見た直後は「どうして変えたのか理由がわからん!」とプリプリしながら映画館をあとにしたのですが、つらつら考えまするに、『ゴー善』は原作『傲慢と善良』におけるクライマックスの展開における「真実の受け身」感に多少の不満があったがために、逆に真実に言いたいことを言わせて架にアタックさせる選択肢を採ったのではないでしょうか。
すなはち、『傲慢と善良』のクライマックスにおける架の、「傲慢 / 善良」の壁を突破する勢いを持った凛々しさあふれる言動には、解決しない現代日本にはびこる問題をあらわにした重い小説にさわやかな一陣の風のような奇跡的なハッピーエンドをもたらす効果がありました。それまでの架では言えなかった、できなかったことを表明する、新しい架への変身が高らかに宣言されていたのです。
ところが、その反面で架の変身は果たして本当にその後も続いていくものなのか、単に真実との結婚という事案に関して意固地になって瞬間的な感情で言い出しただけなのではないか?という非常に意地悪な見方もできるわけで、フィクション小説ならではのきれいごとと取れなくもない甘い香りに満ちたエンディングになっているのです。当然、辻村先生もそのことを承知の上で、『傲慢と善良』の2人が選んだ未来が決してバラ色ではないということも言い置いているわけですが、そこには先生らしく「三波神社」のご加護も添えてくれています。
おそらく『ゴー善』の選択したエンディングは、なんだかんだいって最終的には「白馬に乗った王子様」という非現実的なヒーローに変身してしまった架に救われるだけの受け身なヒロインになってしまった『傲慢と善良』の真実への反論として、最後の最後までなんの変身も見せず情けない存在のままで七山を去ろうとする架を強引に救い上げる「軽トラに乗った王女様」として、ヒロインはヒロインでもプリキュアのような行動力・主体性のある人間に変身した真実を描きたかったのではないでしょうか。だからこその『ゴー善』における脚本の改変と、演技力抜群の奈緒さんの真実役起用だったと思うのです。名前はキュアキャリイ(スズキ)でしょうか、それともキュアスクラム(マツダ)かな。
なんとも明るい未来の見えない鬱然とした日本社会の影の側面を照射する続く展開の末にひらけるのは、決然たるヒーローとなった架がみちびく『傲慢と善良』の結末か、「70点ってなんじゃー!」と荒ぶるヒロインとなった真実がみちびく『ゴー善』の結末か。あなたは果たして、どちらのエンディングを選ぶでしょうか。
要するに、「人間なんてそんなに簡単に変身できるものだろうか」とややシニカルに解釈し直したのが『ゴー善』の架像だったと思うのです。それもそれで一つの考え方かとは思うのですが、ちょっと『傲慢と善良』の架とは別人すぎるような気もしますよね。演じた藤ヶ谷さんがちと不憫……
あとこれも言っておきたいのですが、辻村ワールドならではの共有世界システムで『傲慢と善良』以外の作品にも登場している「谷川ヨシノ」という重要人物が、『ゴー善』では名前こそ同じものの全く別人になっていたのは、やはりちと残念でした。
いや、近所のみかん畑に顔を出しただけで真実に「なんで来たんですか!?」ってビックリされるって、どんだけ行動力が低いんですか……谷川ヨシノさんとは天と地ほど、サラブレッドとなめくじほどの差のあるお人になっていましたね。
ま、そんなこんなでいろいろくだくだと申しましたが、今回の映画版『ゴー善』は、出演俳優の皆さんの演技こそ素晴らしかったものの(特に前田美波里さんが頭3つくらいズ抜けて最高でした)、やはり後半のオリジナル展開に首を傾げざるを得ない点があったことが引っかかってしまいました。原作小説に真っ向から別案を提示するのならば、作者の了解は当たり前のこととしても、原作に対抗しうる頑丈な別構造を持ったプランを練り上げてほしいですよね。キューブリック監督の『シャイニング』ほどとは申しませんから……
あ、でも! チョイ役ながらもかなり重要な役に、あの映画『太陽の坐る場所』にも出演していた森カンナさんが出ていたのは良かったねぇ! 映像版の辻村ワールドの常連になるつもりなんですか、カンナさーん!? いい覚悟の決まり方ですね。
いや~でも、「70点」って、そんなにぐじゃらぐじゃら言うほど問題のある点数なんですかね……と、人生のあらゆる局面において赤点を叩きだし続けておるわたくしが申しております。いいじゃん、70点! もちろん、人を評価する時に出すべき点数ではありませんけどね。
70点、別にいいですよねぇ。『信長の野望』シリーズの武将でいったら「黒田長政」とか「細川忠興」、「秋山信友」とか「佐々成政」くらいのクラスでしょ。全然いいじゃん! 役に立ちまくりですよ。「藤堂高虎」もいいですよね、裏切りが怖いけど。
私が大好きな足利義昭公なんか、最近の統率力はだいたい「20~30点」よ!? 生きてるだけでいいの!! それどころか、全体的な能力値が驚異の「ひとケタ~10点台」の今川氏真でだって、天下統一はできるんだぜ!!
70点でうだうだ言ってる場合じゃないよ! 加点してけ加点してけ~!!
そもそも論、ワケのわかんない心理テスト、滅ぶべし!! あんなん、根拠もなにも……なんだっけ、アレ、ホラ、エビとかカニみたいな、なんか今ふうの言い方の……アレがないんだからぁっっ。
いやぁ、先日ついに敢行してしまいました、山形~山梨の1泊3日往復車旅、片道500km!! 去年から始めている個人的な年1ビッグイベントだったのですが、今年は夏ではなく秋にチャレンジしました。
ほんっとうに、心の底から! 生きて帰って来ることができてよかったな、としみじみ痛感しております……今年もすばらしい旅になったのですが、がっつり風邪ひいちった……
これはやっぱり、今年のゴールデンウィークに山形の米沢市で行われた「上杉まつり」の川中島合戦再現イベントで上杉軍の足軽になった身でいながら、武田勝頼と因縁の深い新府城跡をのこのこ探訪してしまったがための祟りなのでありましょうか……いや、単にケチって高速使わずに一般道で行って疲れただけか。
正直、行った初日の山梨のお天気は、一日中のぐずぐず雨という最悪のコンディションだったのですが、雨の中おとずれた新府城跡や武田八幡宮は非常にムード満点で絵になっていました。く、熊の気配がめっちゃ怖かった……
宿泊した南アルプス市・芦安温泉の宿も、昭和中期の大型旅館の雰囲気を今に伝える、率直に言うと複数回の増築による通路のカオスな迷宮化が最高なところでございました。露天風呂に入ろうとしたんですけど、宿泊棟の1階に降りてから外通路を通って別棟に行って、そこから2階に上がってまた外回廊を通って露天風呂って、あんた……昔ながらの旅館は、高齢者に当たりが異常に厳しい! 歳とってからゆっくり泊まろうったってそうはいかないから、足腰が元気なうちに行っとけ行っとけ!
帰りの日は一転しての好天だったのですが、「長野ナンバーのドライバーさんの交通法規順守の徹底ぶり」を身に染みて感じながら、結局まるまる一日かかって深夜に山形に到着いたしました。もうちょっと早く到着する算段だったのですが……大きな声じゃ言えませんが、制限速度で走る車って、山形じゃそんなに多くは、ね……ゴニョゴニョ。
なぜか去年から始まった山梨県への温泉旅行、元気だったらぜひとも来年もやってみたいです。でもこれ、ほんとに体力をゴリゴリに削りますんで、体調管理には十二分に気をつけて、また1年これを楽しみにして生きていこうと思います。山梨、ほんとに楽しい!
さてさて、それでここ数日、久しぶりに体調が最悪な日が続いてダウン(しながら働いて)いたのですが、やっとなんとか快復して余裕が出てきましたので、ようやく、かねてから観よう観ようと思っていた映画を鑑賞してまいりました。
いやほんと、ここんところ『箱男』あたりから観なきゃいけないと思ってるエンタメ作品が渋滞しちゃってて! 早くひとつひとつ消化していかなければ……船越さんの『黒蜥蜴』2024も、録画はしたけどまだちゃんと観てないのよ……今年の秋はほんとに忙しい!! なんだかんだ言って師走までこんな感じになりそう。
映画『傲慢と善良』(2024年9月27日公開 119分 アスミック・エース)
映画『傲慢と善良』(ごうまんとぜんりょう)は、辻村深月による長編恋愛ミステリ小説『傲慢と善良』(2019年3月刊)の映画化作品。原作小説は2019年度ブクログ大賞・小説部門大賞を受賞し、2024年10月時点で累計部数100万部を突破している。
あらすじ
仕事も恋愛も順調に過ごしてきた青年・架。しかし長年付き合った彼女のアユにフラれてしまったことをきっかけにマッチングアプリで婚活を始める。そこで出逢った、控えめで気の利く女性・真実と付き合い始めるが、1年が経っても結婚には踏み切れずにいた。
そんな折、架は真実からストーカーの存在を打ち明けられる。そしてある夜、「架くん、助けて!」と恐怖に怯える真実からの電話が。真実を守らなければと決意し、架はようやく真実と婚約するが、その矢先に真実が突然、姿を消してしまう。
両親や過去の見合い相手を尋ね、真実の居場所を探す中で、架は知るよしもなかった真実の過去と噓を知るのだった……
おもなキャスティング
西澤 架 …… 藤ヶ谷 太輔(37歳)
東京生まれの東京育ち。国産クラフトビールの製造販売業社長。容姿端麗で女性経験も豊富。かつての彼女である6つ年下のアユ(三井亜優子)は理想の相手だったが、早く結婚して子供を持ちたいと望むアユの願いを先延ばしにした結果、振られて別の相手と結婚された過去がある。30歳代後半になってからマッチングアプリに登録して婚活を始め、大勢の女性と会う中で真美と知り合ってなんとなく交際を始めたものの、心のどこかでアユを引きずっている。学生時代からの友人の美奈子に真美と何% くらい結婚したいかと聞かれて「70% 」と答える。
坂庭 真実 …… 奈緒(29歳)
東京都内の英会話教室で働く事務員。
群馬県前橋市に生まれ育った。2人姉妹の次女。大人しく自分の意見を主張するのは苦手。利発で大学進学を機に上京した姉(岩間希美)と違い、高校から地元の女子校に進学し、そのままエスカレーター式に系列女子大へ進学。卒業後は母の勧め通り群馬県庁の臨時職員として働いた。進学や就職については母親・陽子の影響が強く、自らで深く考えたことはなかった。大学の同級生や県庁の同僚が次々と彼氏を作り結婚していく中、真美は特に彼氏ができることもなく過ごす。母親のはからいで地元の県会議員夫人・小野里が運営する結婚相談所の世話になることになったが、相手の欠点ばかりに目が行ってしまい結婚には至らなかった。その後、いつまでも自分を子ども扱いする両親に耐え兼ね、実家を出て姉を頼り上京した。
美奈子 …… 桜庭 ななみ(31歳)
架の大学時代からの友人。仕事ができ美人で気も強く、要領よく生きてきた女性。架との付き合いも長く、遠慮なく意見を言う。架に、過去に架の彼女だったアユと比べて真美に対して70点の気持ちしかないのなら結婚すべきではないと忠告する。
岩間 希実 …… 菊池 亜希子(42歳)
真実の姉。母親・陽子の束縛を嫌い大学進学を機に実家の前橋から上京し、今は結婚して一児の母となっている。何かにつけて母親の言いなりである妹・真美に対していら立つこともあるが、真美をなにかと気に掛けている。
坂庭 陽子 …… 宮崎 美子(65歳)
群馬県前橋市に住む、真実と希実の母親。自分の価値観を真実に押し付け、真実を何かと束縛しようとする。
坂庭 正治 …… 阿南 健治(62歳)
群馬県前橋市に住む、真実と希実の父親。妻・陽子の言うことに大きく反対はせず、真実と希実の子育てを任せてきた昔気質な性格。
小野里 …… 前田 美波里(76歳)
群馬県前橋市の県会議員の妻。結婚相談所を運営している。真実の母・陽子に依頼され、真実にお見合い相手を紹介する。
高橋 耕太郎 …… 倉 悠貴(24歳)
真実が九州地方の七山市(架空の都市)で知り合う災害ボランティアのリーダー。
よしの …… 西田 尚美(54歳)
七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」のママ。真実を居候として受け入れ面倒を見る。
架の親友・大原 …… 小林 リュージュ(35歳)
大学時代からの架の親友。電子機器部品の卸業を経営している。40歳近くになっても未婚の架を心配している。
美奈子の親友・梓 …… 小池 樹里杏(30歳)
真実の見合い相手・金居 …… 嶺 豪一(35歳)
群馬県前橋市で電子機器メーカーに勤めるエンジニア。2児の父。
真実の見合い相手・花垣 …… 吉岡 睦雄(48歳)
群馬県高崎市で歯科医院に勤める独身男性。
真実の地元の友達・泉 …… 里々佳(29歳)
真実の中学校時代の友達。前橋で偶然、真実と金居に出遭う。
三井 亜優子 …… 森 カンナ(36歳)
かつて架の交際相手だった女性。
きたきたきた~! 我が『長岡京エイリアン』いとしの辻村深月先生の小説を原作とする映画作品のご登場でございます。
辻村先生は、畏れ多いことに私とほぼ同年代の方なので、どうしても「日本小説界の若手ホープ」という印象が離れないのですが、気がつけば辻村先生も今年でデビュー20周年を迎えるという押しも押されもせぬベテランとなり、それにともない、先生の小説作品を原作とする映像作品もかなり多くなってきました。でも、今でも「映像化!」という知らせを聞くとドキッとしてしまうんですけどね。やっぱりファンにとっては気になる話題というか……本質的に小説とは全く別の作品と割りきるべきなんですけどね。
ざっとまとめてみますと、今回の『傲慢と善良』(以下、映画版は『ゴー善』と略)も含めますと、辻村先生の小説作品はこれまでに「TV 単発ドラマ1作(『踊り場の花子』)」、「TV 連続ドラマ4作(『鍵のない夢を見る』など)」、「実写映画5作(『ツナグ』、『太陽の坐る場所』、『朝が来る』、『ハケンアニメ!』、『ゴー善』)」、「アニメ映画2作(『大長編ドラえもん のび太の月面探査記』、『かがみの孤城』)といった形で映像化されています。いや~、気がつけばこんなにみごとな花ざかり。
これらの諸作は、それぞれ制作スタッフが全く違う作品だし別々の味わいがあるわけなのですが、共通しているのは「出演俳優にかかる真剣勝負度の圧がすごい」ということではないでしょうか。
これはもう、原作小説の生々しいまでの「登場人物が身を切ってる感」が、辻村ワールドならではの味わいにして魅力の核心というところが関係しているとしか言えないでしょう。つまり、辻村作品を原作とする以上、どうしてもそれに取り組む俳優の皆さんも、通りいっぺんに台本に書かれた役を演じるというだけでなく、俳優である以前に一人の人間として、嘘偽りのない「過去の自分」をありありとさらけ出した上で演じなければならない覚悟を要求されるからだと思うのです。若き日にこれからどうやって生きていこうかと悩む鬱屈とした自分、他人とのコミュニケーションに苦慮する自分、プロとして生きていくための覚悟を決めた瞬間の自分、こういう生き方で良いのかと道の途上ではたと立ち止まる自分……
お話の面白さもさることながら、多くの人々の心をむんずと鷲掴みにする辻村ワールドの魔力の本質は、登場人物たちのそういった苦悩を通じて、読んでいる人に自身の過去を、大人になってとんと忘れ去ってしまっていた自分自身の姿、その時の空気のにおいや体温の高揚、肌の汗ばみまでをも鮮烈によみがえらせるような記憶喚起力にあると思います。まさに魔力! そして、それを引き起こす対象となっているのが小説の読者だけでなく、小説を原作とした二次作品の出演者にさえ波及しているというのが、映像作品の「真剣度」を異様に高めてしまう要因なのではないでしょうか。
なんか軽いノリで辻村作品を映像化している例も観たいような気もするのですが、なかなかね……それはそれで原作ファンの反応が怖いような気もしますよね。読者も真剣そうだな~、辻村ワールドって! 私はどうなのであろうか……
さてさて、そんなこんなで今回の『ゴー善』なわけなのですが、当初、あの長編小説『傲慢と善良』が映画化されると知った時、私は「また難しい作品を……大丈夫かな?」という不安が先に立ってしまいました。
なぜなら、『傲慢と善良』は大部分が「いなくなった人を探す」お話であり、ただひたすらに「いない人の思い」を想像する旅に出る男の姿をロードムービー的に追う形式になっているからです。当然、最終的に男は相手にたどり着いて物語は終わりを迎えるのですが、その路程で殺人事件のような衝撃的な展開があるわけでもないし、いない人の過去に関しても、ぶっちゃけそんなに異常な出来事があったわけでもありません。
ふつうなんです! この物語に登場する人物たちは、主人公の男女を含めて、み~んなごくふつうの人生を送っている人ばかりなのです。
でも、この「ふつうの人生」の中でつまびらかにされていく人間同士のすれ違い、軋轢、対立、羨望、さげすみ、愛憎の濃密さときたら……ここ! この、死ぬほど大変なことでもないんだけど、地味にボディに効いてくるような細かい起伏が延々と続く人生のディティールを異様に高い解像度で描写しているところが、原作小説のものすごいところなんですよ! そうそう、ふつうに生きるって、こういう風にとてつもなく辛くて大変で、それでもたま~にステキな出逢いもあるからやめられないことなんだよなぁと、しみじみ感じ入ってしまうんですよね。
この原作小説を読み進めていくと、タイトルにある「傲慢」と「善良」とは、別に対立する関係にあるものでもないし、作中で言及されてもいたジェーン=オースティンの長編小説『高慢と偏見』(1813年)のように、明確に超えるべき壁として立ちはだかる話でもないらしいことがわかってきます。つまり、登場する架と真実は、性別も家族環境も生き方もまるで違う者同士でありながら、自分自身の心にいつの間にか、しかもかなり昔から強固な価値観を持っており、それこそが表裏一体の関係にある「傲慢 / 善良」という共通の何かであることが明らかになってくるのです。そして、おそらくこれは、この小説に登場する人物全員どころか、読者も含めた現代日本人すべてに多かれ少なかれ根ざしているものなのではないか、という気配が次第ににじり寄ってくるという、何か、今まで日常生活の中でごくふつうに見えていたものが、ある瞬間から異様な違和感のある何かに見えてしまうような不気味な黙示録作品。それが小説『傲慢と善良』であると思うのです。
私、この小説の読後感にいちばん似た感覚のあった作品って、コーエン兄弟の映画『ノーカントリー』(2007年)なんですよね。お話は終わるけど、提示された「なにか」の気配は消えないという、この異物感。
もちろん、この小説における架と真実のお話は、ひとつの物語として終わりはするんですが、現実世界にいる私達の「傲慢と善良」はどうなっているのか、この小説を読んだことで何かしらの変化は起きたのか、それとも何も変わらずに心の中に存在し続けるのか……小説の中から辻村先生が読者に押しつけがましく直接呼びかけるような文章は一文も無いのですが、こういう問いかけを球速160km 台で投げかけられているような気がしてくるのが、たまらない! でも、ここまでドカドカッと読者の心の柔らかいところに入りこんでくる人もそうそういないような気がするからこそ稀有な存在なのです、小説家・辻村深月って。家族よりも家族、母ちゃんよりも母ちゃん!! ちょっ、勝手に開けんなって!!
ともかく、この小説『傲慢と善良』は、非常に読み応えのある作品ではあるのですが、その面白さが、果たして映像作品になる時に「伝わりやすいものなのか」というと、私はかなり難しいと感じたんですよね。しかも、登場人物同士が会話するパートとほぼ同じかそれ以上の分量で、主人公の回想や心中思惟が物語の大部分を占めているのですから、セリフに頼らない相当にハイレベルで繊細な演技力も主人公の2人には要求されるわけで。これを映画化とは……こりゃ大変な難物ですぞ!
ほら~、ここまで字数を割いといて映画になった『ゴー善』の話にじぇんじぇん入ってないよ! ちゃっちゃと観た感想を言っときましょう。映画のほうの『ゴー善』についての私の感想は、
後半が全然ちがう話になっとるが……原作小説に挑戦した勇気はたたえたい。
というものでした。面白く観ましたよ!
そうなんですよ。映画『ゴー善』は、物語の中盤から展開と設定が、原作小説とだいぶ違ったものになっているのです。
ざっくり言ってしまうと、失踪した真実のおもむいた土地が、原作の宮城県仙台市ではなく、北九州地方の「七山市」という町に変更されています。これは架空の都市で、実際に撮影された地名で言うと佐賀県唐津市の七山地区となるようです。
原作小説では、真実は仙台市で東日本大震災の復興ボランティアに従事するのですが、『ゴー善』ではおそらく、2017年7月の「九州北部豪雨」いらい毎年のように発生している豪雨災害の復興ボランティアに従事するために、真実は七山におもむいたようです。
この変更自体は、映画の制作時期にかんがみて、より今現在リアルに災害が起こっている九州に舞台を移したのではないかと想像がつくわけなのですが、問題は、この七山で展開される真実と架との再会の経緯が、はじめからおしまいまで原作小説とまるで違うものになっているというところです。
具体的に比較していきますと(以下、後半の展開に触れまくります。注意!!)、
≪原作小説の時間の流れ≫
1、四月。真実が失踪してから約3ヶ月後に架がひとつの「結論」に達し、失踪いらい更新が途絶えている真実のインスタグラム投稿の最終記事にコメントの形でメッセージを伝える。
2、ほぼ同じ時期に、仙台でボランティア活動をしていた真実が架のコメントを読み、いったんの返信をするが具体的な再会時期は保留する。
3、さらにほぼ同じ時期(真実が架のコメントを読む前日)に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
4、七月。宮城県東松島市にある JR仙石線の無人駅「陸前大塚駅」(実在)で真実と架が再会する。
≪映画版の時間の流れ≫
1、真実の失踪に関して架がひとつの「結論」に達し、真実のスマホにメールを送るが、真実は返信せず九州の七山市におもむく。
2、七山で暮らしてからも真実はインスタグラムの投稿を続けており、架も投稿をチェックしている。
3、真実が七山で暮らして2年後。真実が地元の地域振興課に「地元産クラフトビール」の開発を提言し、提携先として架の会社を紹介する。
4、ほぼ同じ時期に、ボランティアの高橋青年が真実をデートに誘う。
5、架が企画会議のために七山におもむき、その風景を見て真実が七山にいることに気づく。
6、七山の飲み屋「FUNNY NANAYAMA 」の店先で真実と架が再会する。
このような感じになります。映画版は6、の後にもう一つの山場があってエンディングとなるのですが、そのロケーションは原作小説をかなり意識したものとなっていましたね。
上の2バージョンを見比べてまず目立つのは、映画版の架の方が、あのエンディングを迎えるにしては行動が異様に受け身すぎるというか、2年間も何をやってたんだと不思議に思えるほど優柔不断な男に見えるという点ではないでしょうか。
だって、どのくらいの頻度かは語られなかったのですが、連絡は途絶えているとはいえ、真実はインスタ更新してるんでしょ? しかも、どこに住んでるのかは語らないにしても風力発電の巨大タービンとか、みかんの木とかのヒントは写ってたわけだし……それをチェックしてるんだったら、普通は住所を特定して押しかけるくらいのこと、本気で結婚したいんだったらするんじゃないかな。まぁ、それに対して真実がどう反応するのかは別の話なわけですが。
2年間ですよ、2年間。お互いピッチピチの20代前半でもなし、いつまでも若いわけでもないその時期に急がないということは、ほんとに架に原作小説のような真実への想いがあるのか?と疑ってしまうところがあります。それで結局、映画版はなんだか真実が「しょうがねぇから最後のチャンスを……」みたいにクラフトビール企画という救いの手を伸ばした感じになっちゃってるんですよね。
確かに、原作小説のほうのクライマックスで真実は架に対して「この人は、とても鈍感なのだ。」という感慨を抱くのですが、映画版の架は、原作小説とは全く違う意味で鈍感としか言いようのない人物になっていると思います。それは……鈍感というか、「自分がない」のでは?
あと、この現代に真実がインスタを続けているというのは、どう考えても話が「真実と架」だけに収まるには無理があるような気がします。映画に登場した人物の中でも、美奈子とか真実の母親とか小野里とか、架と同じかそれ以上の関心で真実の所在を追求しようとする可能性のある人物はいるような気がします。この状況で2年間、なにも起こらないはずがないでしょ……
私はここらへんに、映画版の土壇場にきての整合性のなさを感じてしまうのです。な~んかリアリティがないし、架もカッコ悪い。映画オリジナルのこの「空白の2年間」が、原作小説の「濃厚過ぎる約半年間」とは全く比較にならないほど希薄なものになっているのですから。
ついでに申しますと、架が真実のインスタ投稿にあった風力タービンの写真から七山に真実がいることに気づくという描写があるのですが、これも、田舎住まいの私からするとおかしいと言わざるを得ないというか……だって、あんな真っ白くてバカでかいタービン、海岸沿いの場所だったら日本海でも太平洋でも、日本全国どこにでもあるでしょ!? なんでそれが決め手になんの!? もっとみかん畑のある角度から見た風景とか、個性豊かなきっかけは別にあっただろう。
何の特徴もない風力タービンを見ただけでそれをどこだと判断するなんて、人種も性別もわからないのに髪の毛が黒いだけでディーン・フジオカだと判断するようなものだと思うんだけどなぁ。
余談ですが、私、先ほども申した通りに車で山形~山梨を往復したのですが、夜の9~10時ごろに新潟県の村上市で出くわした風力タービンの巨大な影が、めっっっっちゃ怖かったです……中央ハブのライトだけが灯台みたいに煌々と照らされていて、近づくと巨大なタワー部分が次第にぼーっと見えてくるという。周囲には歩行者はおろか車すらないし! デイヴィッド=リンチの世界みたいな雰囲気で最高でした。
おそらく、映画『ゴー善』の一連の改変は、「みかんの木」の成長速度を考えて、真実と高橋が植えた苗木が育って花を咲かせるまで約2年かかるといったところから逆算してそういったタイムスケジュールになったのではないでしょうか。当然、小説と違って「絵」を大切にする映画なのですから、そういう判断があっても良いかとは思うのですが、問題は、その「2年間」という設定に、原作小説の「トータルでも約半年」の4倍も延びちゃってることに対する説得力充分なフォローが無かったということなのです。
その結果、『ゴー善』の架は、真実を必死に探し出すこともせずに2年間も暮らし、それなのに真実からの助け舟をもらって再会できたかと思ったら、この期に及んで「結婚したいよう!」などと言い出す行きあたりばったりな男になってしまったのです。そして、それに対する真実の返答を受けての反応も、映画をご覧の通り、非常に受け身で消極的なものになっているのですから仕方がありません。原作小説『傲慢と善良』のクライマックスで、鈍感ながらも、というか鈍感であるがゆえの「凛々しさ」を見せてくれた架とは全くの別人と言わざるを得ないのではないでしょうか。
映画『ゴー善』のクライマックスで、真実は原作小説と同じように、架が「70点(実際には70% )」と言ったことにこだわる問いかけをするのですが、『ゴー善』の真実がキレるべきなのは、もはやそんなことではないような気がしますよね……
ともかく、映画『ゴー善』の後半部分は、原作小説『傲慢と善良』の架が見せてくれた一連の成長を、まるでナシにしてしまう改悪につながった部分が大きいと思います。第一、原作で真実が仙台に行ったのも、群馬での見合い相手の金居がそもそものきっかけであるという丁寧な伏線があったし、金居の発言から、災害復興支援ボランティアの現代日本におけるある種の精神的緩衝地帯、駆け込み寺という側面もきっちり描いている原作のほうが数段ディティールが細かくて面白かったと思うのですが……
とまぁ、映画版の後半の展開について、私も見た直後は「どうして変えたのか理由がわからん!」とプリプリしながら映画館をあとにしたのですが、つらつら考えまするに、『ゴー善』は原作『傲慢と善良』におけるクライマックスの展開における「真実の受け身」感に多少の不満があったがために、逆に真実に言いたいことを言わせて架にアタックさせる選択肢を採ったのではないでしょうか。
すなはち、『傲慢と善良』のクライマックスにおける架の、「傲慢 / 善良」の壁を突破する勢いを持った凛々しさあふれる言動には、解決しない現代日本にはびこる問題をあらわにした重い小説にさわやかな一陣の風のような奇跡的なハッピーエンドをもたらす効果がありました。それまでの架では言えなかった、できなかったことを表明する、新しい架への変身が高らかに宣言されていたのです。
ところが、その反面で架の変身は果たして本当にその後も続いていくものなのか、単に真実との結婚という事案に関して意固地になって瞬間的な感情で言い出しただけなのではないか?という非常に意地悪な見方もできるわけで、フィクション小説ならではのきれいごとと取れなくもない甘い香りに満ちたエンディングになっているのです。当然、辻村先生もそのことを承知の上で、『傲慢と善良』の2人が選んだ未来が決してバラ色ではないということも言い置いているわけですが、そこには先生らしく「三波神社」のご加護も添えてくれています。
おそらく『ゴー善』の選択したエンディングは、なんだかんだいって最終的には「白馬に乗った王子様」という非現実的なヒーローに変身してしまった架に救われるだけの受け身なヒロインになってしまった『傲慢と善良』の真実への反論として、最後の最後までなんの変身も見せず情けない存在のままで七山を去ろうとする架を強引に救い上げる「軽トラに乗った王女様」として、ヒロインはヒロインでもプリキュアのような行動力・主体性のある人間に変身した真実を描きたかったのではないでしょうか。だからこその『ゴー善』における脚本の改変と、演技力抜群の奈緒さんの真実役起用だったと思うのです。名前はキュアキャリイ(スズキ)でしょうか、それともキュアスクラム(マツダ)かな。
なんとも明るい未来の見えない鬱然とした日本社会の影の側面を照射する続く展開の末にひらけるのは、決然たるヒーローとなった架がみちびく『傲慢と善良』の結末か、「70点ってなんじゃー!」と荒ぶるヒロインとなった真実がみちびく『ゴー善』の結末か。あなたは果たして、どちらのエンディングを選ぶでしょうか。
要するに、「人間なんてそんなに簡単に変身できるものだろうか」とややシニカルに解釈し直したのが『ゴー善』の架像だったと思うのです。それもそれで一つの考え方かとは思うのですが、ちょっと『傲慢と善良』の架とは別人すぎるような気もしますよね。演じた藤ヶ谷さんがちと不憫……
あとこれも言っておきたいのですが、辻村ワールドならではの共有世界システムで『傲慢と善良』以外の作品にも登場している「谷川ヨシノ」という重要人物が、『ゴー善』では名前こそ同じものの全く別人になっていたのは、やはりちと残念でした。
いや、近所のみかん畑に顔を出しただけで真実に「なんで来たんですか!?」ってビックリされるって、どんだけ行動力が低いんですか……谷川ヨシノさんとは天と地ほど、サラブレッドとなめくじほどの差のあるお人になっていましたね。
ま、そんなこんなでいろいろくだくだと申しましたが、今回の映画版『ゴー善』は、出演俳優の皆さんの演技こそ素晴らしかったものの(特に前田美波里さんが頭3つくらいズ抜けて最高でした)、やはり後半のオリジナル展開に首を傾げざるを得ない点があったことが引っかかってしまいました。原作小説に真っ向から別案を提示するのならば、作者の了解は当たり前のこととしても、原作に対抗しうる頑丈な別構造を持ったプランを練り上げてほしいですよね。キューブリック監督の『シャイニング』ほどとは申しませんから……
あ、でも! チョイ役ながらもかなり重要な役に、あの映画『太陽の坐る場所』にも出演していた森カンナさんが出ていたのは良かったねぇ! 映像版の辻村ワールドの常連になるつもりなんですか、カンナさーん!? いい覚悟の決まり方ですね。
いや~でも、「70点」って、そんなにぐじゃらぐじゃら言うほど問題のある点数なんですかね……と、人生のあらゆる局面において赤点を叩きだし続けておるわたくしが申しております。いいじゃん、70点! もちろん、人を評価する時に出すべき点数ではありませんけどね。
70点、別にいいですよねぇ。『信長の野望』シリーズの武将でいったら「黒田長政」とか「細川忠興」、「秋山信友」とか「佐々成政」くらいのクラスでしょ。全然いいじゃん! 役に立ちまくりですよ。「藤堂高虎」もいいですよね、裏切りが怖いけど。
私が大好きな足利義昭公なんか、最近の統率力はだいたい「20~30点」よ!? 生きてるだけでいいの!! それどころか、全体的な能力値が驚異の「ひとケタ~10点台」の今川氏真でだって、天下統一はできるんだぜ!!
70点でうだうだ言ってる場合じゃないよ! 加点してけ加点してけ~!!
そもそも論、ワケのわかんない心理テスト、滅ぶべし!! あんなん、根拠もなにも……なんだっけ、アレ、ホラ、エビとかカニみたいな、なんか今ふうの言い方の……アレがないんだからぁっっ。
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