あっちょわ~。みなさま、どうもこんばんは。そうだいでございます。
ゴールデンウィーク、もう終わっちゃいますね。基本的に全国ではもう夏かってくらいの好天が多かったみたいですが、楽しくお過ごしになれましたでしょうか。でも、連休の最終日は疲労感や明日へのヒーコラ準備やらばっかりが残っちゃっていけませんやね。また今年もあっという間だったぁ……
私もおかげさまでカレンダー通りの連休をいただきまして、5月3日には人生で2度目となる川中島合戦(ただし於:山形県米沢市松川河川敷)に参陣してまいりました。米沢市が市長以下、威信を賭けて盛り上げる「上杉まつり」最終日の最大イベントですね。
私は2年前と今年に、上杉軍の雑兵の一般参加枠に応募して毎年3日に開催される上杉軍団行列(午前)と川中島合戦(午後)に参加できたのですが、いや~、今年も楽しかった……めっちゃくちゃ疲れて、めっちゃくちゃ日焼けしますけどね!
実は、個人的に「今年も楽しかった」どころか「今年が最高に楽しかった!!」と、いち雑兵役として参加した身としては思わず昇天してしまいそうな超貴重な体験ができましたので、正直、来年以降にまた雑兵として参加するかどうかは微妙な気持ちです。もう、今年以上の奇跡には巡り合えないんじゃなかろうかと……
時間に余裕さえあったのならば、上杉まつり関連の体験記のみで記事を挙げたい気もするのですが、明日からまた普通の日々が始まりますし、だいたい本記事も完成させていないことですし、我が身をもって経験したかけがえのない「十数秒間」は、ひそかに胸の中におさめておきたいと思います。ま、職場では多分さんっざんに言いふらすだろうけどね!
具体的にどういった体験をしたのかは言いませんし、地元のケーブルテレビ局による生中継番組をはじめとする公式各局のニュース映像のどこにも、今年の川中島合戦のクライマックスで起きたその瞬間をカメラに収めたものはないのですが、実は某超有名動画配信サイトにアマチュアの方が撮影してアップした合戦の録画映像に、なんとそれが遠目ながらばっちり激写されております。末代までの恥……
ともかく、私が申しあげたいのはこれだけです。「角田信玄サマ、誠にありがとうございました!!」 やっぱり漢だったねェ。
さぁ! そんでこんで今回は戦国時代じゃなくてもっと昔の平安時代、延び延びになっていた映画『陰陽師0』を観た感想の本文でございます。映画に関する情報は、こちらの前回記事でどうぞ。
さっさか本題に入りたいのですが、私はこの『陰陽師0』を大変おもしろく観まして、いかにも自作に確固たる美学を貫き通す名匠・佐藤嗣麻子監督らしく、様々な観点からみても完成度の高いエンタメ作品であると感じました。
さすがに佐藤監督のダンナ様の『ゴジラ -1.0』ほどの規模で制作されたとは思えないのですが、だからこそ、限られた条件の中で手堅く破綻の無い物語を構築する佐藤監督の本領が発揮されているとも言えると思います。ハデな大作ではないんだけど、綺麗な名品って感じでしょうか。
曲がりなりにも、本作はあの野村萬斎の『陰陽師』シリーズ2作の続編(前日譚)ですからね。いくら佐藤監督でも大丈夫かな……という心配は若干あったのですが、萬斎晴明の呪縛に引っぱられることなく、立派に独り立ちした作品になっているところにも好感が持てました。まぁ、『陰陽師Ⅱ』(2003年)からおよそ20年も経ってますからね……でも、いまだに安倍晴明と言えば萬斎さんか羽生結弦くんですよね。初代はゴローさんなのに!
私が『陰陽師0』のここがいいと思っている点は、ざっくり言うと4つありますので、それぞれについてぱぱっと触れていきましょう。
1、役者陣のキャスティングと各演技が非常によろしい
日本を代表する実在のオカルトヒーローといえばこのお人!という感じで、2000年代の夢枕獏原作の連作幻想時代小説『陰陽師』シリーズの映画化から始まった大ブームから2020年代現在に至るまで、他の追随を許さない第一人者として不動の地位を得ている安倍晴明なのですが、そのミステリアスなキャラクターも影響してか、実写作品に出てもその史実上の年齢に、演じている役者さんが必ずしも忠実にキャスティングされているわけではない状況が、なかば慣習化していました。簡単にいえば、たいていの作品の時代設定ではすでに老齢であるはずの晴明を、30代前後のかっこいい俳優さんが演じることが多いんですね。
この齟齬は、藤原道長やら紫式部やらといった日本史の有名人が活躍する時代よりも晴明が前の世代の人だったという点と、実際に晴明が30代だった時の彼の事績がほとんど残っていないという2つの原因によるもので、晴明がいること自体は無理がないんだけど若くはない……というジレンマが生じているのでした。ま、気持ちよくガン無視してる映像作品ばっかですけどね! 最たるものは窪塚晴明の『源氏物語 千年の謎』(2011年)になりますでしょうか。85歳の最晩年の晴明を当時32歳の窪塚さんが演じてるよ~!!
その点、まさに晴明伝説の始まり「0」を語る本作は、「とにかく若き日の晴明をちゃんと描こう」という、過去作品のどれよりも晴明に誠実に寄り添ったスタンスに立っており、数え年28の晴明を、ほぼ同年齢の山崎くんが演じているところにも、真面目なキャスティングの姿勢が見えます。
この史実の人物の年齢をしっかり反映させたキャスティングは、晴明以外の実在した人物たちの配役にも徹底されており、ワトスン役の源博雅や村上天皇も、ほぼ同年齢の俳優さんが演じています。実はこれ、単なる佐藤監督のこだわりとかいう問題ではなく、本作オリジナルの架空の人物である貞文(40代)も陰陽頭の藤原義輔(70代)も、作中でそれぞれの年齢を明言したうえで同じ年代の俳優さんが演じているし、しかもそれが彼らの行動の動機になっているので、本作では「年齢」というテーマがかなり重視されているがゆえのキャスティングであるようです。
え? 史実の徽子女王は当時20歳? で、演じていた奈緒さんは……いいじゃないか! かわいかったんだから!! 女性に対して失礼だねチミ!!
いや、実は本作キャスティングでの例外ともいえる徽子女王と奈緒さんとの年齢の差、私としましては勝手に「我が意を得たり!」と感じてしまう点なのでありまして、つねづね我が『長岡京エイリアン』でも、こういう歴史ドラマのお話をするたんびにバカの一つ覚えのように連呼しているのですが、私は「歴史上の人物は10歳ほど年上の現代人が演じる方が良い」という実感を持っているのです。理由は、江戸時代以前と現代とで日本人の平均寿命がだいぶ違っているし、生活上の精神的な成熟も現代の方がかなりのんびり屋さんになっていると思うからです。最近やっと日本の成人年齢が下がって18歳になりましたが、昔の成人にあたる元服 or 裳着(もぎ)は年齢が統一されてはいないものの早ければ11~12歳くらいなんですからね! やっぱり同じ歳でもつらがまえが違ってくると思うんだよなぁ。
だって、今の20歳前後の女優さんで、奈緒さんくらいに徽子女王を演じられる実力のある人、いますかね? それは難しいと思う。
なので、年齢を史実に合わせているのはけっこうなのですが、奈緒さん以外の上記の俳優さんがたは役に対しておおむね若いと思います。晴明と博雅に関しては「もうだいぶいい歳なのにゴロゴロしてる」というヤバさが足りないような気がしますし、貞文と義輔についても「今やらなきゃ死んじゃうよう!!」という焦りが足りないと思うんですよね。なんだかんだ言って安藤政信さんも小林薫さんも若いしカッコいいからなぁ!
また、本作である種の悪役ともいえる珍しい立場にいた村上天皇も、もうちょっと権力に倦んだだるさも持つ帝王でいて欲しかったのですが、ピッチピチのリヒトくんだと女好きっぽい悪さが少ないような気がするんですよね。徽子女王が嫌悪する生ぐささが今一つないというか。
ただ、奈緒さんも他の方々も、演技の面ではもう文句のつけようのない方ばかりだったと思います! 染谷将太さんの博雅は、かつて伊藤英明さんが自然体で演じていた「愛すべき能天気さ」を計算されつくしたプランでみごとに体現していましたし、キャラクターが強すぎるがために演者の個性が出しにくい晴明という難役を、主演の山崎くんも悠々と演じきってくれたと思います。基本的には鉄面皮でクールな人物なのですが、後半にいくにつれて徐々に感情を開いてエピローグではおなじみの晴明&博雅タッグができあがるという丁寧な演技は非常に高度だったと思います。
あれですね、山崎くんはひたすら非現実的な美青年のようでいて、左まゆ毛がマンガみたいに半円カーブを描いているギャップがあるのがチャーミングですね! 冷徹そうでいて実はかわいくもあるという……ずるい!
2、陰陽師という職掌に関する解釈のバランス感覚がよろしい
本作で重要なのは、「安倍晴明=陰陽師」という構図ではなく、晴明はあくまでも異端な存在であって、陰陽師という職業自体は非常にお堅い宮仕え(文字通り!)の国家公務員であるという点を、冒頭からバッチリ提示していることです。
萬斎晴明の前作を観てもわかるように、陰陽寮という官庁に務めているモブの陰陽師もいるにはいるんだけど、晴明ほどの一流の陰陽師は昼は寝床でグーグーグー、夜に本領を発揮するか式神にお酌をさせて縁側で酒を吞んでいるものですというイメージを押していたのが過去作品の定型だったのではないかと思います。まぁ、誰も見ていない所で書物を読みふけって勉強したり反閇ステップを踏んで都の地霊を抑えたりはしているのでしょうが、そういう地味な部分は意図的に省略している演出が多かったんですよね。
余談ですが、前回にも資料であげた過去の晴明関連映像作品のうち、ほんとのほんとに史実の晴明や陰陽師のお仕事をエンタメ要素ほぼゼロのガチンコで描写した作品は、NHK BSプレミアムの科学番組で特別編として再現されたドラマ『いにしえの天文学者 安倍晴明』(2020年11月)一作のみです。キャーゴローさん!!
これはすごいですよ~。実は呪術者でも予言者でもなく「天体観測士で気象予報士」だったという陰陽師と、彼らの地位向上に生涯をささげた晴明の真実をちゃんとまとめていてすばらしいです。お堅いNHK さまの本領発揮。検索すればまだ、どうにかして動画が観られるはず!
蛇足ですが、『陰陽師0』のテーマソングをかのバンドが手がけているのは、たぶん「天体観測」つながりなんじゃないっすかね……♪視えないものを視ようとしてェ~ 渾天儀(こんてんぎ)ィをのぞきこんだァ~ら凶兆星がみえちゃった☆
実はこれ、その展開がとっくに終わっちゃったから今さらではあるのですが、現在絶賛放送中の2024年度大河ドラマ『光る君へ』でも劇的に描かれた花山天皇強制丸ボウズクーデター「寛和の変」を非常に分かりやすく晴明の視点から説明してくれているガイド篇なんですよね。大人気の藤原道兼さんは出てこないけど……晴明を精神的支柱にして政権掌握の賭けに出る右大臣兼家と、なんだかんだ言っても強固な権勢をよりどころとしたい下級貴族(当時)晴明とのダークな共依存関係がよくわかります。もはや松本清張の世界!
それに対して本作『陰陽師0』はと言いますと、晴明がまだ正規採用の陰陽師にもなっていない学生時代というオリジナリティを最大限に利用して、律令制国家の中での必要不可欠な特殊技能を持った職掌集団としての陰陽寮のシステムをまず描き、それに対して非凡の「呪力=人心掌握術」をすでに会得しているがゆえに、「人をだまくらかす仕事なんてやりたくねぇ~。」と、はたから見れば怠惰にしか見えない生活を送るヤング晴明の鬱屈を浮き彫りにしているのです。天才であるがゆえに、努力したところで先が知れている「ギリ平安貴族になれない底辺官僚」としての陰陽師業界に、入る前からすでに嫌気がさしてしまっているんですね。これは、真面目に陰陽五行説や太陰暦の研究をしている陰陽博士の皆さんからは嫌われるわ……比叡山か高野山いけ!!
3、舞台となる平安時代初期の建築物や衣装に関するデザインの冒険がよろしい
こういうあらすじだけを見ると、なんだか本作は晴明の頭を抑えつける要素しか周囲になくて非常に重だるい雰囲気のような感じがするのですが、そこらへんを陰陽寮の内装や徽子女王、村上帝あたりの皇族達の邸宅のデザインで非常にファンタジックかつ美麗にディティールアップしているのが本作の実に巧妙でしたたかなところだと思います。やっぱりキャリアの初期から国籍を超えた活躍をしている佐藤嗣麻子監督ならではのセンスと言いますか、私達がなんとなくひな祭りの雛人形や十二単みたいなイメージしか持っていない平安時代の貴族階級の風俗に対して、本作は「それよりちょっと昔」の10世紀前半の物語になるので、かなり自由に大陸文化を取り入れた美術になっているんですよね。そこらへんが、古いのに新鮮で綺麗なんだよなぁ。
陰陽寮がなんとなくハリー・ポッターシリーズっぽいのはご愛敬ですが、徽子女王が十二単とは程遠い艶っぽくもある「うすぎぬ」主体の装束だったり、「掃除する女房のことも考えろ!」と思わざるを得ない散らかしっぷりで部屋中に花をちりばめていたりする「映画スクリーンの幅を考えた広い空間美術」になっているのは、もう観ているだけで幸せでしたね。なるほど、髪が異様に長いお姫様はああやって寝るんだ……寝相よすぎ!!
4、シリーズものの「0」としての分のわきまえ方がちゃんとしていて素晴らしい
本作は、制作スタッフがまるまる総とっかえなので佐藤嗣麻子監督がどこまで意識しているのかはわからないのですが、いちおう萬斎晴明の『陰陽師』2部作のシリーズ作品であるはずです。
それでなのかどうか、本作は作品のスケールが萬斎晴明以上に大きくならないようにきれいにまとまっています。「平安のシャーロック=ホームズ」としての晴明のキャラクターが完成し、名ワトスン役としての博雅との信頼関係もスタート、華と闇の村上朝もいよいよこれから始まるぞという期待感に包まれて物語は終幕するわけです。決して、萬斎晴明のように清涼殿付近で建物や石畳がぶっ壊れるテロ行為が行われたり、コントみたいな肉じゅばんを着た祟り神が日本列島の崩壊を狙うような、現実世界に侵食する異常事態は発生しないわけなのですね。
それでも、本作も立派なエンタメ作品である以上、お客さんがガッカリしないようなアクションや CGスペクタクルは必要なわけなのですが、そこで佐藤嗣麻子監督が採ったのが、
「作中の破壊描写はすべて呪(しゅ)です。実際の建物や動物(かえるちゃん)に危害は加えられていません。」
という妙手なわけなのでした。うまいね~。
これによって、徽子女王や彼女の琴にまとわりつく黄金の龍の怪異や、晴明の術によってはじけ飛ぶかえるちゃんといった不思議現象がすべからく観る者、体験する者の主観による「真実」であって客観的な「事実」ではないことを、わかりやすい種明かしも含めて丁寧に説明しており、後半における羽生結弦くんチックな晴明独特の無重力なアクションも、原生林のような鬱蒼とした森のビジュアルで展開される敵の張った「八門遁甲の陣」も、すべては現実にあらわれるものではなく、術にかかった人たちの心の中で構築されるイマジネーションの共有世界なのだというルールが徹底されているのです。つまり、わんさと押し寄せる下っぱ戦闘員(同期の学生諸君)を踏み台にして陰陽寮狭しとピョンピョン飛び跳ねている時点で、晴明は自分自身が敵の術者のつくった「夢の中」にいる状況を冷徹に看破しているのです。「夢なんだからコレやっても文句はねぇだろ!」みたいな開き直り無敵キラキラスターマリオの境地にいるのですから、もはや手のつけようがありません。さすがは晴明!
なるほど、集合的無意識の世界なのね~。昔っから『宇宙刑事ギャバン』の「マクー空間」に代表される「特撮もののクライマックスでヒーローと敵が必ず行くよくわかんない場所(たいてい採石場)」って一体なんなんだろうって思ってたんだけど、正義の味方と悪者が仲良くグースカ眠っていっしょに見ている夢の世界なのかも知れませんね。なかよし!!
「葉っぱでつぶれるかえるちゃん」や「無からネズミを生む術」、「八門遁甲の陣」など、多くの有名な呪術エピソードを、心理トリックを利用した催眠マジックとして見事に再解釈した本作なのですが、私は特に「蟲毒の術」を人間社会に応用した理論がリアルで怖いなと感じました。
なるほど、今までさんざんフィクション世界で使われてきて非現実的、非科学的なまじないの代表みたいなイメージをかぶっていた蟲毒も、こういう解釈で見ると、21世紀現代のブラック企業の中で誰かが仕掛けていても全く無理のない呪いなのですね。自由で実力主義な競争社会のようでいて、実は……というイヤ~な恐怖ですね。
……とまぁこんな感じで、本作『陰陽師0』はいろいろと設定や美術世界がかなり用意周到に計算された非常にウェルメイドな作品で、見た目こそハデではあったものの、いかにも大作映画らしい粗もほうぼうに見られた萬斎晴明2部作とは似ても似つかない「年の離れた兄貴2人を反面教師にして理知的に育った末っ子長女」みたいな秀作になっています。要するにあれです、『陰陽師0』はキュアフィナーレなんです! 髪の毛にこんぺいとうがくっついてるのにクールにすましてるんです! 本当なんです信じてください!!
なので、ともかく面白かったよ~、観た方がいいよ!でおしまいにしても全然かまわないのですが、そこはそれ、ここは我が『長岡京エイリアン』の領域展開結界ですので、いつもの流れにのっとりまして、「ここ、もうちょっとこうして欲しかったな~」みたいな点をつぶやいてみたいと思います。いや、不満なんて一つくらいしかないんですけどね。
そこはどうなのよ!? と感じた点
●賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子にあたる賀茂保憲が陰陽寮のどこにもいない
はいこれ! これは、これだけはいただけませんな!! 佐藤嗣麻子監督の作品であるからこそ、このポイントからは逃げないで真正面から取り組んでいただきたかった。
賀茂保憲! 賀茂保憲ですよ!! このお人が、本作の舞台となった時期に陰陽寮にいないはずがないんですよ。
晴明の師匠・賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子という、おいしいにも程のあるポジションにある彼はれっきとした歴史上の実在人物(917~77年)で、生没年のわからない忠行が何歳の時にもうけた子なのかは不明なのですが、晴明の4歳年上になる陰陽師の先輩であり、『陰陽師0』の物語時期(天暦二年=西暦948年)では数え年32歳のはずです。
このお方が本作に全く出てこないのが不思議……ではあるのですが、よくよく見てみると逆に「出てこないのも無理ないか」と感じてしまうのが、陰陽師業界では異常ともいえる保憲の出世スピードの速さで、948年の時点で彼は陰陽寮の暦博士と陰陽博士を兼任しており当時の宮廷の暦(今でいうカレンダーだが生活・政治上の重要度が段違いに高い)の制定の責任者を担当。官位にいたっては作中の陰陽頭・藤原義輔とおんなじ「従五位下」に叙せられているのです。映画の作中で村上帝をはじめとする皇族や大臣たち上級貴族「公卿(くぎょう)」と同列にいられずに、宮廷庭の玉砂利にじかに座っていた哀愁漂う背中が印象的な義輔でしたが、同じ時期の保憲は同じ官位でも宮廷にのぼることが許される「殿上人(てんじょうびと)」クラスにいたらしいので(のぼれない従五位下は「諸大夫」と呼ばれる)、ともすれば陰陽寮の上司であるはずの陰陽頭でさえも頭の上がらない出世を保憲はとげていたということになります。え? お父さんの忠行? 当然のごとく、保憲はこの時点で父・忠行の官位(正六位上)を軽く超えています。嗚呼、オヤジの威厳よ、いずこ……
そんな実在したスーパーマン賀茂保憲が当ったり前のように陰陽寮のトップたる陰陽頭に就任するのは、『陰陽師0』の時代の約10年後となる天徳元(957年)年のことなのですが、それにしたって41歳なので、史実では陰陽頭どころか陰陽博士にすらならず、51歳の時に天文博士に就任したのがキャリアのピークという晴明に比べても、「陰陽師ものの主人公にするんならフツー保憲さんじゃないの?」と頭をひねってしまう出世の差が開いてしまっているのです。
ただし、ここで晴明さんの名誉のために断っておきますと、当時の平安朝における「キャリア(肩書き)」と「官位」とは全く別のものでして、確かに肩書きの上では保憲と晴明との差は歴然としているものの、実際の貴族社会における待遇や権威・権力を左右するのは官位の方であり、その点では保憲が「従四位上」で晴明が「従四位下」ということで肉薄、しかも保憲の従四位上は晩年近くの功労昇進なので、無冠であっても晴明のステータスと知名度、信頼度は保憲と双璧をなすものであったはずです。でも晴明が保憲にずっと頭が上がらなかったのは事実のようで、『光る君へ』のように晴明が宮廷社会の闇の相談役として活躍するのはすべて、保憲の没後(970年代後半以降)の話となります。兄弟子は強し!
さぁ、こんな晴明以上に常識はずれな活躍をしていた保憲を、この『陰陽師0』に出すのは果たしてどうなのよ!?と脚本を担当した佐藤嗣麻子監督が大いに頭を悩ませたことは想像に難くありません。ましてや、あの加門七海先生が監修を務めているのですから、まかり間違っても「出すの忘れちゃった☆」といううっかりミスはありえないでしょう。
948年時点での賀茂保憲が陰陽寮で博士としてバリバリ働いていたことは歴史的事実なので、そんな彼ががっつり陰陽寮を舞台とした『陰陽師0』に出てこないわけがないのです。私、最後の最後までいつ出てくるのかと思ってワクワクしてたんだけど、ついに出てこなくってズッコケちゃいましたよ! そんな馬鹿な!! そんなもん、『ドラゴンボールZ 』にベジータが出てこないようなもんよ!? 無印じゃなくてZ によ!?
もったいないにも程のあるカットなのですが……佐藤嗣麻子監督の立場になってみると、本作は明らかに「ガチガチの身分制社会の中で思うようにならず年齢ばかり重ねていき、鬱積してゆく生者たちの怨念」という、21世紀現代日本でも世の中の至る所に観られる大問題をテーマにすえています。そうである以上、その強固なはずの身分制社会をひょひょいのひょいっと乗り越えちゃっている保憲アニィを「ハーイみんなぁ☆」みたいな感じで作中に登場させるわけにはいかなかったのでしょう。そんな保憲が出てきちゃったら、義輔も忠行も是邦も貞文も、どんな顔して迎えたらよいのやら……陰陽師ものフィクションとしてはかなり異例なことに、この『陰陽師0』って、「死んだ怨霊がつけ入るスキ間がないくらいに生者のルサンチマンが粉塵爆発寸前レベルで充満している世界」なんですよね。ホラーじゃなくて純然たるミステリ世界。ほんと、いまの日本に瓜二つ……
でもさぁ、存在まるごと消すっていうのは、どうなのかね。まぁ、確か萬斎晴明にも保憲は出てこなかったかと思うのでギリギリOK かとは思うのですが、夢枕獏の原作小説でもちゃんと出てくるし岡野玲子のマンガ版でもいい味を出していたので、そんな好キャラ保憲を出さないっていうのは……守りに入ってるというか、創作の姿勢としてカッコよくはありませんよね。物語の面白さよりも結構の美しさを取ったということか。う~ん。
映画館で観ている最中から思っていたのですが、本作って、人知を超えた非凡な才能を持つヒーローの孤独と目覚めを描くという点で、同じ佐藤嗣麻子監督の『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(1995年 以下『エコⅠ』と呼びます)を彷彿とさせる「主人公 VS アウェーな環境」の物語だと感じていました。ややこしいことを言いますが、この『エコⅠ』の前日譚にあたる『エコエコアザラクⅡ』もあるのですが、『陰陽師0』での晴明は陰陽師としての能力は完全に開花させているので、あくまで『エコⅠ』のほうが『陰陽師0』に近いと思います。
両者の相似点は多いのですが、やはり転校生の魔女・黒井ミサを「禍々しい存在」として好奇と忌避の目で取り囲むクラスメイトや教師たちの視線の中にまぎれ込む「同種の強敵」という人物配置が非常に今回の『陰陽師0』と非常によく似ていて、ネタバレになってしまうのですが、クライマックスで「最恐最凶のジョーカー」が召喚されて主人公が勝利するという流れもほぼ同じなのです。にしても、西洋の魔王ルシファにあたる存在が、あのお方とは……岡野玲子のマンガ版だとあんなにチャーミングなオヤジだったのに!!
きっと、「若手をシコシコ呪っとるヒマがあるんなら、真っ当に勉強して出世せんかい、おおたわけ者!!」という文字通りの大カミナリが落ちたんでしょうね。ほんと、本作の真犯人の呪力って、現実逃避以外の何者でもないですもんね。
ちなみに、さらに『エコⅠ』と『陰陽師0』とを比較していくと、「ワトスン役のはずだったこの人が、まさか!?」というどんでん返しがある点で実は『エコⅠ』のほうが面白かったりもするのですが、残念ながら本作はあくまでもシリーズもののエピソード0ですので、『エコⅠ』と同じことをやったら次に続かなくなってしまうので仕方ありませんね。でも、博雅役の染谷さんだったらウキウキ顔でラスボスになってくれそうなんだけどなぁ。『麒麟がくる』の織田信長モード召喚!!
ところで、『エコⅠ』は言うまでもなくピッチピチした娘さんがた(と美熟女教師)がひしめく、レスボス島のかほりむせ返る紫檀色の世界だったのですが、いっぽう今回の『陰陽師0』はといいますと、眉間にシワの寄ったいぶし銀のオッサンやおじいちゃんがひしめく、加齢臭のかほりむせ返る渋茶色の世界になってしまっております……小林薫さんでしょ、國村隼さんでしょ、安藤政信さんに北村一輝さんに、挙句の果てにゃ嶋田久作さんと来たもんだ! そんなん、山崎さんと染谷さんとリヒトくんと奈緒さんまとめてぶつけても一瞬で「じゅっ。」と蒸発しちゃいますよ。オヤジパワー全開ぃ!!
ところで、私は今作のキャスティングを観て、どうやら撮影に入るかなりギリギリの段階まで、佐藤嗣麻子監督は本作への賀茂保憲登場を選択肢に入れていたのではなかろうかと邪推しております。保憲が出る可能性はそうとう濃厚だったのではないかと。
それは、賀茂保憲という大役を任されても十二分にその責任を果たしうる実力を兼ね備えた俳優さんが、すでに本作の撮影のために白羽の矢を立てられていたのではないかと思うからです。ただ、結局は佐藤嗣麻子監督の苦渋の判断によって「賀茂保憲の登場」は幻となってしまったため、撮影スケジュールをすでに確保してしまっていたその俳優さんは仕方なく、いてもいなくてもいいような脇役を「友情出演」のような感じる形で、本作の片隅にちょちょっと出ることになったのではないのでしょうか。
そう、幻と消えた賀茂保憲2024エディション。それを演じる予定だったのは……吹越満さん、あなただ!!
私は夢想します。かつて大河ドラマで「鎌倉時代の宮将軍・宗尊親王」だとか「足利幕府最後の将軍・足利義昭」だとかいう、「平安貴族じゃないのに公家っぽい役」を嬉々として演じてこられた吹越さんが、満を持して晴明以上にデキる平安貴族・賀茂保憲として、平安京をカッポする、その雄姿を。
だって、あの天下の吹越さんですよ!? おかしいじゃないですかぁ、あんな中級貴族の家の下人みたいな役ぅ! それで後半の犯人捜しにも全然からんでこないんですよ!? 最初っからこの役でキャスティングされるワケないじゃないかよう!!
証拠なんかなんにもありませんけど、私は絶対に賀茂保憲役で吹越さんが呼ばれてたと確信してますよ。そして、今作『陰陽師0』が大ヒットとなったあかつきには、その続編『陰陽師0.5』(だって『1』もうあるし……)にて満を持して、吹越保憲が登場してくれると……私、信じてる!!
まぁその……『陰陽師0』の時には、平将門サマの怨霊調伏かなんかで関東かどっかに出張してたってことで、いいんじゃないの。
ただ、948年の時点では保憲さんは32歳なんでね、吹越さんだとちょっとトウがアレなんですが……ま、いっか。
余談ですが、保憲不在の本作で、保憲と同じ陰陽寮の暦博士として登場していた架空の貴族・葛木の役を嶋田さんが演じておられるのですが、その嶋田さんが「昭和フィクション世界最恐の魔人」として演じられた『帝都物語』シリーズの超悪役の名前も「加藤保憲」でしたねぇ。魔人加藤は陰陽師の末裔なので、その名の由来も当然、賀茂保憲からです。
いや、そりゃ演じていただけるんであれば賀茂保憲を嶋田さんが演じられるのが最高なんですが……さすがにそれは、ねぇ。血管ブチ切れて亡くなられてもこまっちゃいますし、枯れた老境の嶋田さんもステキですしね。陰陽五行、私にも教えてください先生♡
●ヒロイン徽子女王が博雅を許す経緯がいまひとつピンとこない
もう言いたい不満点はあらかた前段で言ってしまったのですが、結局、言い出す勇気の無かった博雅がおとがめ一切なしで徽子女王に許されるという流れは、いま一つピンとこないものがありました。「離れていても想いはひとつ」という結論も、なんか今回は気を紛らわすための言い訳にしかなっていないような気がして。
せめて、最後に博雅が村上帝にチクリと諫言するような勇気を見せてもいいかなと思ったのですが……その後の中年になった頃の博雅と徽子女王の関係も気になりますよね。
●平群貞文と惟宗是邦の扱いがかなり不憫でもったいない
この『陰陽師0』って、大筋は「橘泰家殺人事件の犯人を追え」という謎解きが主眼だと思うのですが、それがのちに「晴明の両親殺害の真犯人」という大ネタにつながっていくので、相対的に泰家殺しの容疑者になる人物たちのスケールが小さくなっちゃうんですよね。どうあがいたって晴明の親の仇の方が悪役として大物になってしまいますから。
なので、せっかく安藤さんや北村さんといった妖気&色気ムンムンの名優たちを起用しているのに、TV のサスペンス劇場によく出てくる「いかにも挙動の怪しい容疑者フラグ要員」にとどまってしまったような気がするのです。私も個人的には年齢も身上も安藤さんが演じる貞文に強いシンパシーを感じていたので、彼にはなんとかハッピーエンドを用意してほしかったのですが……ああ無情!
余談ですが、今作ではなんか晴明の育ての親である賀茂忠行もなんとなく真犯人っぽい怪しい雰囲気があってなぜなんだろうと不思議に思っていたのですが、忠行を演じた國村さんって、別の晴明作品で宿敵の蘆屋道満を演じてましたね! あ~、それでなんとなく信用が置けなかったのか。勝手に納得。
え~、ま、わたくしめの『陰陽師0』の感想は、ざっとこんな感じでございます。
佐藤嗣麻子監督のだんなさまの『ゴジラ -1.0』は、まさに前代未聞の『 -1.0』という感じで、先達の『ゴジラ(1954)』に全くとらわれない自由な解釈が世界に受け入れられる成功要因となったのでしょうが、それよりも一歩前に進んで若き日の大陰陽師・晴明の姿を描いた本作は、まさに『0』にふさわしい、シリーズの原点としての役割を充分にになった端整な作品になっていたと思います。
う~ん、佐藤嗣麻子監督の『陰陽師』シリーズ、この一作で終わってしまうのは、いかにももったいないですよ。
先ほど指摘した賀茂保憲もそうですが、『0』で語られなかった重要要素としては、「狐の子と呼ばれる晴明の出生の秘密」もありますし、晴明の宿敵といわれる蘆屋道満との邂逅もあります。あと2~3作は作ってもらいたいですね! あっ、そういえば人間の姿をした式神も出てこなかったですね。引き出しはまだまだありますね~。
次に出てくるのは『陰陽師0.5』かな?『0.75』かな? それとも『0.01』かな!? ♪きざんできざんで陰陽師レッツゴー☆
ゴールデンウィーク、もう終わっちゃいますね。基本的に全国ではもう夏かってくらいの好天が多かったみたいですが、楽しくお過ごしになれましたでしょうか。でも、連休の最終日は疲労感や明日へのヒーコラ準備やらばっかりが残っちゃっていけませんやね。また今年もあっという間だったぁ……
私もおかげさまでカレンダー通りの連休をいただきまして、5月3日には人生で2度目となる川中島合戦(ただし於:山形県米沢市松川河川敷)に参陣してまいりました。米沢市が市長以下、威信を賭けて盛り上げる「上杉まつり」最終日の最大イベントですね。
私は2年前と今年に、上杉軍の雑兵の一般参加枠に応募して毎年3日に開催される上杉軍団行列(午前)と川中島合戦(午後)に参加できたのですが、いや~、今年も楽しかった……めっちゃくちゃ疲れて、めっちゃくちゃ日焼けしますけどね!
実は、個人的に「今年も楽しかった」どころか「今年が最高に楽しかった!!」と、いち雑兵役として参加した身としては思わず昇天してしまいそうな超貴重な体験ができましたので、正直、来年以降にまた雑兵として参加するかどうかは微妙な気持ちです。もう、今年以上の奇跡には巡り合えないんじゃなかろうかと……
時間に余裕さえあったのならば、上杉まつり関連の体験記のみで記事を挙げたい気もするのですが、明日からまた普通の日々が始まりますし、だいたい本記事も完成させていないことですし、我が身をもって経験したかけがえのない「十数秒間」は、ひそかに胸の中におさめておきたいと思います。ま、職場では多分さんっざんに言いふらすだろうけどね!
具体的にどういった体験をしたのかは言いませんし、地元のケーブルテレビ局による生中継番組をはじめとする公式各局のニュース映像のどこにも、今年の川中島合戦のクライマックスで起きたその瞬間をカメラに収めたものはないのですが、実は某超有名動画配信サイトにアマチュアの方が撮影してアップした合戦の録画映像に、なんとそれが遠目ながらばっちり激写されております。末代までの恥……
ともかく、私が申しあげたいのはこれだけです。「角田信玄サマ、誠にありがとうございました!!」 やっぱり漢だったねェ。
さぁ! そんでこんで今回は戦国時代じゃなくてもっと昔の平安時代、延び延びになっていた映画『陰陽師0』を観た感想の本文でございます。映画に関する情報は、こちらの前回記事でどうぞ。
さっさか本題に入りたいのですが、私はこの『陰陽師0』を大変おもしろく観まして、いかにも自作に確固たる美学を貫き通す名匠・佐藤嗣麻子監督らしく、様々な観点からみても完成度の高いエンタメ作品であると感じました。
さすがに佐藤監督のダンナ様の『ゴジラ -1.0』ほどの規模で制作されたとは思えないのですが、だからこそ、限られた条件の中で手堅く破綻の無い物語を構築する佐藤監督の本領が発揮されているとも言えると思います。ハデな大作ではないんだけど、綺麗な名品って感じでしょうか。
曲がりなりにも、本作はあの野村萬斎の『陰陽師』シリーズ2作の続編(前日譚)ですからね。いくら佐藤監督でも大丈夫かな……という心配は若干あったのですが、萬斎晴明の呪縛に引っぱられることなく、立派に独り立ちした作品になっているところにも好感が持てました。まぁ、『陰陽師Ⅱ』(2003年)からおよそ20年も経ってますからね……でも、いまだに安倍晴明と言えば萬斎さんか羽生結弦くんですよね。初代はゴローさんなのに!
私が『陰陽師0』のここがいいと思っている点は、ざっくり言うと4つありますので、それぞれについてぱぱっと触れていきましょう。
1、役者陣のキャスティングと各演技が非常によろしい
日本を代表する実在のオカルトヒーローといえばこのお人!という感じで、2000年代の夢枕獏原作の連作幻想時代小説『陰陽師』シリーズの映画化から始まった大ブームから2020年代現在に至るまで、他の追随を許さない第一人者として不動の地位を得ている安倍晴明なのですが、そのミステリアスなキャラクターも影響してか、実写作品に出てもその史実上の年齢に、演じている役者さんが必ずしも忠実にキャスティングされているわけではない状況が、なかば慣習化していました。簡単にいえば、たいていの作品の時代設定ではすでに老齢であるはずの晴明を、30代前後のかっこいい俳優さんが演じることが多いんですね。
この齟齬は、藤原道長やら紫式部やらといった日本史の有名人が活躍する時代よりも晴明が前の世代の人だったという点と、実際に晴明が30代だった時の彼の事績がほとんど残っていないという2つの原因によるもので、晴明がいること自体は無理がないんだけど若くはない……というジレンマが生じているのでした。ま、気持ちよくガン無視してる映像作品ばっかですけどね! 最たるものは窪塚晴明の『源氏物語 千年の謎』(2011年)になりますでしょうか。85歳の最晩年の晴明を当時32歳の窪塚さんが演じてるよ~!!
その点、まさに晴明伝説の始まり「0」を語る本作は、「とにかく若き日の晴明をちゃんと描こう」という、過去作品のどれよりも晴明に誠実に寄り添ったスタンスに立っており、数え年28の晴明を、ほぼ同年齢の山崎くんが演じているところにも、真面目なキャスティングの姿勢が見えます。
この史実の人物の年齢をしっかり反映させたキャスティングは、晴明以外の実在した人物たちの配役にも徹底されており、ワトスン役の源博雅や村上天皇も、ほぼ同年齢の俳優さんが演じています。実はこれ、単なる佐藤監督のこだわりとかいう問題ではなく、本作オリジナルの架空の人物である貞文(40代)も陰陽頭の藤原義輔(70代)も、作中でそれぞれの年齢を明言したうえで同じ年代の俳優さんが演じているし、しかもそれが彼らの行動の動機になっているので、本作では「年齢」というテーマがかなり重視されているがゆえのキャスティングであるようです。
え? 史実の徽子女王は当時20歳? で、演じていた奈緒さんは……いいじゃないか! かわいかったんだから!! 女性に対して失礼だねチミ!!
いや、実は本作キャスティングでの例外ともいえる徽子女王と奈緒さんとの年齢の差、私としましては勝手に「我が意を得たり!」と感じてしまう点なのでありまして、つねづね我が『長岡京エイリアン』でも、こういう歴史ドラマのお話をするたんびにバカの一つ覚えのように連呼しているのですが、私は「歴史上の人物は10歳ほど年上の現代人が演じる方が良い」という実感を持っているのです。理由は、江戸時代以前と現代とで日本人の平均寿命がだいぶ違っているし、生活上の精神的な成熟も現代の方がかなりのんびり屋さんになっていると思うからです。最近やっと日本の成人年齢が下がって18歳になりましたが、昔の成人にあたる元服 or 裳着(もぎ)は年齢が統一されてはいないものの早ければ11~12歳くらいなんですからね! やっぱり同じ歳でもつらがまえが違ってくると思うんだよなぁ。
だって、今の20歳前後の女優さんで、奈緒さんくらいに徽子女王を演じられる実力のある人、いますかね? それは難しいと思う。
なので、年齢を史実に合わせているのはけっこうなのですが、奈緒さん以外の上記の俳優さんがたは役に対しておおむね若いと思います。晴明と博雅に関しては「もうだいぶいい歳なのにゴロゴロしてる」というヤバさが足りないような気がしますし、貞文と義輔についても「今やらなきゃ死んじゃうよう!!」という焦りが足りないと思うんですよね。なんだかんだ言って安藤政信さんも小林薫さんも若いしカッコいいからなぁ!
また、本作である種の悪役ともいえる珍しい立場にいた村上天皇も、もうちょっと権力に倦んだだるさも持つ帝王でいて欲しかったのですが、ピッチピチのリヒトくんだと女好きっぽい悪さが少ないような気がするんですよね。徽子女王が嫌悪する生ぐささが今一つないというか。
ただ、奈緒さんも他の方々も、演技の面ではもう文句のつけようのない方ばかりだったと思います! 染谷将太さんの博雅は、かつて伊藤英明さんが自然体で演じていた「愛すべき能天気さ」を計算されつくしたプランでみごとに体現していましたし、キャラクターが強すぎるがために演者の個性が出しにくい晴明という難役を、主演の山崎くんも悠々と演じきってくれたと思います。基本的には鉄面皮でクールな人物なのですが、後半にいくにつれて徐々に感情を開いてエピローグではおなじみの晴明&博雅タッグができあがるという丁寧な演技は非常に高度だったと思います。
あれですね、山崎くんはひたすら非現実的な美青年のようでいて、左まゆ毛がマンガみたいに半円カーブを描いているギャップがあるのがチャーミングですね! 冷徹そうでいて実はかわいくもあるという……ずるい!
2、陰陽師という職掌に関する解釈のバランス感覚がよろしい
本作で重要なのは、「安倍晴明=陰陽師」という構図ではなく、晴明はあくまでも異端な存在であって、陰陽師という職業自体は非常にお堅い宮仕え(文字通り!)の国家公務員であるという点を、冒頭からバッチリ提示していることです。
萬斎晴明の前作を観てもわかるように、陰陽寮という官庁に務めているモブの陰陽師もいるにはいるんだけど、晴明ほどの一流の陰陽師は昼は寝床でグーグーグー、夜に本領を発揮するか式神にお酌をさせて縁側で酒を吞んでいるものですというイメージを押していたのが過去作品の定型だったのではないかと思います。まぁ、誰も見ていない所で書物を読みふけって勉強したり反閇ステップを踏んで都の地霊を抑えたりはしているのでしょうが、そういう地味な部分は意図的に省略している演出が多かったんですよね。
余談ですが、前回にも資料であげた過去の晴明関連映像作品のうち、ほんとのほんとに史実の晴明や陰陽師のお仕事をエンタメ要素ほぼゼロのガチンコで描写した作品は、NHK BSプレミアムの科学番組で特別編として再現されたドラマ『いにしえの天文学者 安倍晴明』(2020年11月)一作のみです。キャーゴローさん!!
これはすごいですよ~。実は呪術者でも予言者でもなく「天体観測士で気象予報士」だったという陰陽師と、彼らの地位向上に生涯をささげた晴明の真実をちゃんとまとめていてすばらしいです。お堅いNHK さまの本領発揮。検索すればまだ、どうにかして動画が観られるはず!
蛇足ですが、『陰陽師0』のテーマソングをかのバンドが手がけているのは、たぶん「天体観測」つながりなんじゃないっすかね……♪視えないものを視ようとしてェ~ 渾天儀(こんてんぎ)ィをのぞきこんだァ~ら凶兆星がみえちゃった☆
実はこれ、その展開がとっくに終わっちゃったから今さらではあるのですが、現在絶賛放送中の2024年度大河ドラマ『光る君へ』でも劇的に描かれた花山天皇強制丸ボウズクーデター「寛和の変」を非常に分かりやすく晴明の視点から説明してくれているガイド篇なんですよね。大人気の藤原道兼さんは出てこないけど……晴明を精神的支柱にして政権掌握の賭けに出る右大臣兼家と、なんだかんだ言っても強固な権勢をよりどころとしたい下級貴族(当時)晴明とのダークな共依存関係がよくわかります。もはや松本清張の世界!
それに対して本作『陰陽師0』はと言いますと、晴明がまだ正規採用の陰陽師にもなっていない学生時代というオリジナリティを最大限に利用して、律令制国家の中での必要不可欠な特殊技能を持った職掌集団としての陰陽寮のシステムをまず描き、それに対して非凡の「呪力=人心掌握術」をすでに会得しているがゆえに、「人をだまくらかす仕事なんてやりたくねぇ~。」と、はたから見れば怠惰にしか見えない生活を送るヤング晴明の鬱屈を浮き彫りにしているのです。天才であるがゆえに、努力したところで先が知れている「ギリ平安貴族になれない底辺官僚」としての陰陽師業界に、入る前からすでに嫌気がさしてしまっているんですね。これは、真面目に陰陽五行説や太陰暦の研究をしている陰陽博士の皆さんからは嫌われるわ……比叡山か高野山いけ!!
3、舞台となる平安時代初期の建築物や衣装に関するデザインの冒険がよろしい
こういうあらすじだけを見ると、なんだか本作は晴明の頭を抑えつける要素しか周囲になくて非常に重だるい雰囲気のような感じがするのですが、そこらへんを陰陽寮の内装や徽子女王、村上帝あたりの皇族達の邸宅のデザインで非常にファンタジックかつ美麗にディティールアップしているのが本作の実に巧妙でしたたかなところだと思います。やっぱりキャリアの初期から国籍を超えた活躍をしている佐藤嗣麻子監督ならではのセンスと言いますか、私達がなんとなくひな祭りの雛人形や十二単みたいなイメージしか持っていない平安時代の貴族階級の風俗に対して、本作は「それよりちょっと昔」の10世紀前半の物語になるので、かなり自由に大陸文化を取り入れた美術になっているんですよね。そこらへんが、古いのに新鮮で綺麗なんだよなぁ。
陰陽寮がなんとなくハリー・ポッターシリーズっぽいのはご愛敬ですが、徽子女王が十二単とは程遠い艶っぽくもある「うすぎぬ」主体の装束だったり、「掃除する女房のことも考えろ!」と思わざるを得ない散らかしっぷりで部屋中に花をちりばめていたりする「映画スクリーンの幅を考えた広い空間美術」になっているのは、もう観ているだけで幸せでしたね。なるほど、髪が異様に長いお姫様はああやって寝るんだ……寝相よすぎ!!
4、シリーズものの「0」としての分のわきまえ方がちゃんとしていて素晴らしい
本作は、制作スタッフがまるまる総とっかえなので佐藤嗣麻子監督がどこまで意識しているのかはわからないのですが、いちおう萬斎晴明の『陰陽師』2部作のシリーズ作品であるはずです。
それでなのかどうか、本作は作品のスケールが萬斎晴明以上に大きくならないようにきれいにまとまっています。「平安のシャーロック=ホームズ」としての晴明のキャラクターが完成し、名ワトスン役としての博雅との信頼関係もスタート、華と闇の村上朝もいよいよこれから始まるぞという期待感に包まれて物語は終幕するわけです。決して、萬斎晴明のように清涼殿付近で建物や石畳がぶっ壊れるテロ行為が行われたり、コントみたいな肉じゅばんを着た祟り神が日本列島の崩壊を狙うような、現実世界に侵食する異常事態は発生しないわけなのですね。
それでも、本作も立派なエンタメ作品である以上、お客さんがガッカリしないようなアクションや CGスペクタクルは必要なわけなのですが、そこで佐藤嗣麻子監督が採ったのが、
「作中の破壊描写はすべて呪(しゅ)です。実際の建物や動物(かえるちゃん)に危害は加えられていません。」
という妙手なわけなのでした。うまいね~。
これによって、徽子女王や彼女の琴にまとわりつく黄金の龍の怪異や、晴明の術によってはじけ飛ぶかえるちゃんといった不思議現象がすべからく観る者、体験する者の主観による「真実」であって客観的な「事実」ではないことを、わかりやすい種明かしも含めて丁寧に説明しており、後半における羽生結弦くんチックな晴明独特の無重力なアクションも、原生林のような鬱蒼とした森のビジュアルで展開される敵の張った「八門遁甲の陣」も、すべては現実にあらわれるものではなく、術にかかった人たちの心の中で構築されるイマジネーションの共有世界なのだというルールが徹底されているのです。つまり、わんさと押し寄せる下っぱ戦闘員(同期の学生諸君)を踏み台にして陰陽寮狭しとピョンピョン飛び跳ねている時点で、晴明は自分自身が敵の術者のつくった「夢の中」にいる状況を冷徹に看破しているのです。「夢なんだからコレやっても文句はねぇだろ!」みたいな開き直り無敵キラキラスターマリオの境地にいるのですから、もはや手のつけようがありません。さすがは晴明!
なるほど、集合的無意識の世界なのね~。昔っから『宇宙刑事ギャバン』の「マクー空間」に代表される「特撮もののクライマックスでヒーローと敵が必ず行くよくわかんない場所(たいてい採石場)」って一体なんなんだろうって思ってたんだけど、正義の味方と悪者が仲良くグースカ眠っていっしょに見ている夢の世界なのかも知れませんね。なかよし!!
「葉っぱでつぶれるかえるちゃん」や「無からネズミを生む術」、「八門遁甲の陣」など、多くの有名な呪術エピソードを、心理トリックを利用した催眠マジックとして見事に再解釈した本作なのですが、私は特に「蟲毒の術」を人間社会に応用した理論がリアルで怖いなと感じました。
なるほど、今までさんざんフィクション世界で使われてきて非現実的、非科学的なまじないの代表みたいなイメージをかぶっていた蟲毒も、こういう解釈で見ると、21世紀現代のブラック企業の中で誰かが仕掛けていても全く無理のない呪いなのですね。自由で実力主義な競争社会のようでいて、実は……というイヤ~な恐怖ですね。
……とまぁこんな感じで、本作『陰陽師0』はいろいろと設定や美術世界がかなり用意周到に計算された非常にウェルメイドな作品で、見た目こそハデではあったものの、いかにも大作映画らしい粗もほうぼうに見られた萬斎晴明2部作とは似ても似つかない「年の離れた兄貴2人を反面教師にして理知的に育った末っ子長女」みたいな秀作になっています。要するにあれです、『陰陽師0』はキュアフィナーレなんです! 髪の毛にこんぺいとうがくっついてるのにクールにすましてるんです! 本当なんです信じてください!!
なので、ともかく面白かったよ~、観た方がいいよ!でおしまいにしても全然かまわないのですが、そこはそれ、ここは我が『長岡京エイリアン』の領域展開結界ですので、いつもの流れにのっとりまして、「ここ、もうちょっとこうして欲しかったな~」みたいな点をつぶやいてみたいと思います。いや、不満なんて一つくらいしかないんですけどね。
そこはどうなのよ!? と感じた点
●賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子にあたる賀茂保憲が陰陽寮のどこにもいない
はいこれ! これは、これだけはいただけませんな!! 佐藤嗣麻子監督の作品であるからこそ、このポイントからは逃げないで真正面から取り組んでいただきたかった。
賀茂保憲! 賀茂保憲ですよ!! このお人が、本作の舞台となった時期に陰陽寮にいないはずがないんですよ。
晴明の師匠・賀茂忠行の嫡男で晴明の兄弟子という、おいしいにも程のあるポジションにある彼はれっきとした歴史上の実在人物(917~77年)で、生没年のわからない忠行が何歳の時にもうけた子なのかは不明なのですが、晴明の4歳年上になる陰陽師の先輩であり、『陰陽師0』の物語時期(天暦二年=西暦948年)では数え年32歳のはずです。
このお方が本作に全く出てこないのが不思議……ではあるのですが、よくよく見てみると逆に「出てこないのも無理ないか」と感じてしまうのが、陰陽師業界では異常ともいえる保憲の出世スピードの速さで、948年の時点で彼は陰陽寮の暦博士と陰陽博士を兼任しており当時の宮廷の暦(今でいうカレンダーだが生活・政治上の重要度が段違いに高い)の制定の責任者を担当。官位にいたっては作中の陰陽頭・藤原義輔とおんなじ「従五位下」に叙せられているのです。映画の作中で村上帝をはじめとする皇族や大臣たち上級貴族「公卿(くぎょう)」と同列にいられずに、宮廷庭の玉砂利にじかに座っていた哀愁漂う背中が印象的な義輔でしたが、同じ時期の保憲は同じ官位でも宮廷にのぼることが許される「殿上人(てんじょうびと)」クラスにいたらしいので(のぼれない従五位下は「諸大夫」と呼ばれる)、ともすれば陰陽寮の上司であるはずの陰陽頭でさえも頭の上がらない出世を保憲はとげていたということになります。え? お父さんの忠行? 当然のごとく、保憲はこの時点で父・忠行の官位(正六位上)を軽く超えています。嗚呼、オヤジの威厳よ、いずこ……
そんな実在したスーパーマン賀茂保憲が当ったり前のように陰陽寮のトップたる陰陽頭に就任するのは、『陰陽師0』の時代の約10年後となる天徳元(957年)年のことなのですが、それにしたって41歳なので、史実では陰陽頭どころか陰陽博士にすらならず、51歳の時に天文博士に就任したのがキャリアのピークという晴明に比べても、「陰陽師ものの主人公にするんならフツー保憲さんじゃないの?」と頭をひねってしまう出世の差が開いてしまっているのです。
ただし、ここで晴明さんの名誉のために断っておきますと、当時の平安朝における「キャリア(肩書き)」と「官位」とは全く別のものでして、確かに肩書きの上では保憲と晴明との差は歴然としているものの、実際の貴族社会における待遇や権威・権力を左右するのは官位の方であり、その点では保憲が「従四位上」で晴明が「従四位下」ということで肉薄、しかも保憲の従四位上は晩年近くの功労昇進なので、無冠であっても晴明のステータスと知名度、信頼度は保憲と双璧をなすものであったはずです。でも晴明が保憲にずっと頭が上がらなかったのは事実のようで、『光る君へ』のように晴明が宮廷社会の闇の相談役として活躍するのはすべて、保憲の没後(970年代後半以降)の話となります。兄弟子は強し!
さぁ、こんな晴明以上に常識はずれな活躍をしていた保憲を、この『陰陽師0』に出すのは果たしてどうなのよ!?と脚本を担当した佐藤嗣麻子監督が大いに頭を悩ませたことは想像に難くありません。ましてや、あの加門七海先生が監修を務めているのですから、まかり間違っても「出すの忘れちゃった☆」といううっかりミスはありえないでしょう。
948年時点での賀茂保憲が陰陽寮で博士としてバリバリ働いていたことは歴史的事実なので、そんな彼ががっつり陰陽寮を舞台とした『陰陽師0』に出てこないわけがないのです。私、最後の最後までいつ出てくるのかと思ってワクワクしてたんだけど、ついに出てこなくってズッコケちゃいましたよ! そんな馬鹿な!! そんなもん、『ドラゴンボールZ 』にベジータが出てこないようなもんよ!? 無印じゃなくてZ によ!?
もったいないにも程のあるカットなのですが……佐藤嗣麻子監督の立場になってみると、本作は明らかに「ガチガチの身分制社会の中で思うようにならず年齢ばかり重ねていき、鬱積してゆく生者たちの怨念」という、21世紀現代日本でも世の中の至る所に観られる大問題をテーマにすえています。そうである以上、その強固なはずの身分制社会をひょひょいのひょいっと乗り越えちゃっている保憲アニィを「ハーイみんなぁ☆」みたいな感じで作中に登場させるわけにはいかなかったのでしょう。そんな保憲が出てきちゃったら、義輔も忠行も是邦も貞文も、どんな顔して迎えたらよいのやら……陰陽師ものフィクションとしてはかなり異例なことに、この『陰陽師0』って、「死んだ怨霊がつけ入るスキ間がないくらいに生者のルサンチマンが粉塵爆発寸前レベルで充満している世界」なんですよね。ホラーじゃなくて純然たるミステリ世界。ほんと、いまの日本に瓜二つ……
でもさぁ、存在まるごと消すっていうのは、どうなのかね。まぁ、確か萬斎晴明にも保憲は出てこなかったかと思うのでギリギリOK かとは思うのですが、夢枕獏の原作小説でもちゃんと出てくるし岡野玲子のマンガ版でもいい味を出していたので、そんな好キャラ保憲を出さないっていうのは……守りに入ってるというか、創作の姿勢としてカッコよくはありませんよね。物語の面白さよりも結構の美しさを取ったということか。う~ん。
映画館で観ている最中から思っていたのですが、本作って、人知を超えた非凡な才能を持つヒーローの孤独と目覚めを描くという点で、同じ佐藤嗣麻子監督の『エコエコアザラク WIZARD OF DARKNESS』(1995年 以下『エコⅠ』と呼びます)を彷彿とさせる「主人公 VS アウェーな環境」の物語だと感じていました。ややこしいことを言いますが、この『エコⅠ』の前日譚にあたる『エコエコアザラクⅡ』もあるのですが、『陰陽師0』での晴明は陰陽師としての能力は完全に開花させているので、あくまで『エコⅠ』のほうが『陰陽師0』に近いと思います。
両者の相似点は多いのですが、やはり転校生の魔女・黒井ミサを「禍々しい存在」として好奇と忌避の目で取り囲むクラスメイトや教師たちの視線の中にまぎれ込む「同種の強敵」という人物配置が非常に今回の『陰陽師0』と非常によく似ていて、ネタバレになってしまうのですが、クライマックスで「最恐最凶のジョーカー」が召喚されて主人公が勝利するという流れもほぼ同じなのです。にしても、西洋の魔王ルシファにあたる存在が、あのお方とは……岡野玲子のマンガ版だとあんなにチャーミングなオヤジだったのに!!
きっと、「若手をシコシコ呪っとるヒマがあるんなら、真っ当に勉強して出世せんかい、おおたわけ者!!」という文字通りの大カミナリが落ちたんでしょうね。ほんと、本作の真犯人の呪力って、現実逃避以外の何者でもないですもんね。
ちなみに、さらに『エコⅠ』と『陰陽師0』とを比較していくと、「ワトスン役のはずだったこの人が、まさか!?」というどんでん返しがある点で実は『エコⅠ』のほうが面白かったりもするのですが、残念ながら本作はあくまでもシリーズもののエピソード0ですので、『エコⅠ』と同じことをやったら次に続かなくなってしまうので仕方ありませんね。でも、博雅役の染谷さんだったらウキウキ顔でラスボスになってくれそうなんだけどなぁ。『麒麟がくる』の織田信長モード召喚!!
ところで、『エコⅠ』は言うまでもなくピッチピチした娘さんがた(と美熟女教師)がひしめく、レスボス島のかほりむせ返る紫檀色の世界だったのですが、いっぽう今回の『陰陽師0』はといいますと、眉間にシワの寄ったいぶし銀のオッサンやおじいちゃんがひしめく、加齢臭のかほりむせ返る渋茶色の世界になってしまっております……小林薫さんでしょ、國村隼さんでしょ、安藤政信さんに北村一輝さんに、挙句の果てにゃ嶋田久作さんと来たもんだ! そんなん、山崎さんと染谷さんとリヒトくんと奈緒さんまとめてぶつけても一瞬で「じゅっ。」と蒸発しちゃいますよ。オヤジパワー全開ぃ!!
ところで、私は今作のキャスティングを観て、どうやら撮影に入るかなりギリギリの段階まで、佐藤嗣麻子監督は本作への賀茂保憲登場を選択肢に入れていたのではなかろうかと邪推しております。保憲が出る可能性はそうとう濃厚だったのではないかと。
それは、賀茂保憲という大役を任されても十二分にその責任を果たしうる実力を兼ね備えた俳優さんが、すでに本作の撮影のために白羽の矢を立てられていたのではないかと思うからです。ただ、結局は佐藤嗣麻子監督の苦渋の判断によって「賀茂保憲の登場」は幻となってしまったため、撮影スケジュールをすでに確保してしまっていたその俳優さんは仕方なく、いてもいなくてもいいような脇役を「友情出演」のような感じる形で、本作の片隅にちょちょっと出ることになったのではないのでしょうか。
そう、幻と消えた賀茂保憲2024エディション。それを演じる予定だったのは……吹越満さん、あなただ!!
私は夢想します。かつて大河ドラマで「鎌倉時代の宮将軍・宗尊親王」だとか「足利幕府最後の将軍・足利義昭」だとかいう、「平安貴族じゃないのに公家っぽい役」を嬉々として演じてこられた吹越さんが、満を持して晴明以上にデキる平安貴族・賀茂保憲として、平安京をカッポする、その雄姿を。
だって、あの天下の吹越さんですよ!? おかしいじゃないですかぁ、あんな中級貴族の家の下人みたいな役ぅ! それで後半の犯人捜しにも全然からんでこないんですよ!? 最初っからこの役でキャスティングされるワケないじゃないかよう!!
証拠なんかなんにもありませんけど、私は絶対に賀茂保憲役で吹越さんが呼ばれてたと確信してますよ。そして、今作『陰陽師0』が大ヒットとなったあかつきには、その続編『陰陽師0.5』(だって『1』もうあるし……)にて満を持して、吹越保憲が登場してくれると……私、信じてる!!
まぁその……『陰陽師0』の時には、平将門サマの怨霊調伏かなんかで関東かどっかに出張してたってことで、いいんじゃないの。
ただ、948年の時点では保憲さんは32歳なんでね、吹越さんだとちょっとトウがアレなんですが……ま、いっか。
余談ですが、保憲不在の本作で、保憲と同じ陰陽寮の暦博士として登場していた架空の貴族・葛木の役を嶋田さんが演じておられるのですが、その嶋田さんが「昭和フィクション世界最恐の魔人」として演じられた『帝都物語』シリーズの超悪役の名前も「加藤保憲」でしたねぇ。魔人加藤は陰陽師の末裔なので、その名の由来も当然、賀茂保憲からです。
いや、そりゃ演じていただけるんであれば賀茂保憲を嶋田さんが演じられるのが最高なんですが……さすがにそれは、ねぇ。血管ブチ切れて亡くなられてもこまっちゃいますし、枯れた老境の嶋田さんもステキですしね。陰陽五行、私にも教えてください先生♡
●ヒロイン徽子女王が博雅を許す経緯がいまひとつピンとこない
もう言いたい不満点はあらかた前段で言ってしまったのですが、結局、言い出す勇気の無かった博雅がおとがめ一切なしで徽子女王に許されるという流れは、いま一つピンとこないものがありました。「離れていても想いはひとつ」という結論も、なんか今回は気を紛らわすための言い訳にしかなっていないような気がして。
せめて、最後に博雅が村上帝にチクリと諫言するような勇気を見せてもいいかなと思ったのですが……その後の中年になった頃の博雅と徽子女王の関係も気になりますよね。
●平群貞文と惟宗是邦の扱いがかなり不憫でもったいない
この『陰陽師0』って、大筋は「橘泰家殺人事件の犯人を追え」という謎解きが主眼だと思うのですが、それがのちに「晴明の両親殺害の真犯人」という大ネタにつながっていくので、相対的に泰家殺しの容疑者になる人物たちのスケールが小さくなっちゃうんですよね。どうあがいたって晴明の親の仇の方が悪役として大物になってしまいますから。
なので、せっかく安藤さんや北村さんといった妖気&色気ムンムンの名優たちを起用しているのに、TV のサスペンス劇場によく出てくる「いかにも挙動の怪しい容疑者フラグ要員」にとどまってしまったような気がするのです。私も個人的には年齢も身上も安藤さんが演じる貞文に強いシンパシーを感じていたので、彼にはなんとかハッピーエンドを用意してほしかったのですが……ああ無情!
余談ですが、今作ではなんか晴明の育ての親である賀茂忠行もなんとなく真犯人っぽい怪しい雰囲気があってなぜなんだろうと不思議に思っていたのですが、忠行を演じた國村さんって、別の晴明作品で宿敵の蘆屋道満を演じてましたね! あ~、それでなんとなく信用が置けなかったのか。勝手に納得。
え~、ま、わたくしめの『陰陽師0』の感想は、ざっとこんな感じでございます。
佐藤嗣麻子監督のだんなさまの『ゴジラ -1.0』は、まさに前代未聞の『 -1.0』という感じで、先達の『ゴジラ(1954)』に全くとらわれない自由な解釈が世界に受け入れられる成功要因となったのでしょうが、それよりも一歩前に進んで若き日の大陰陽師・晴明の姿を描いた本作は、まさに『0』にふさわしい、シリーズの原点としての役割を充分にになった端整な作品になっていたと思います。
う~ん、佐藤嗣麻子監督の『陰陽師』シリーズ、この一作で終わってしまうのは、いかにももったいないですよ。
先ほど指摘した賀茂保憲もそうですが、『0』で語られなかった重要要素としては、「狐の子と呼ばれる晴明の出生の秘密」もありますし、晴明の宿敵といわれる蘆屋道満との邂逅もあります。あと2~3作は作ってもらいたいですね! あっ、そういえば人間の姿をした式神も出てこなかったですね。引き出しはまだまだありますね~。
次に出てくるのは『陰陽師0.5』かな?『0.75』かな? それとも『0.01』かな!? ♪きざんできざんで陰陽師レッツゴー☆
連休中も連休明けもなにかと記事に注力できず、完成が遅れてしまいまことに申し訳ございません……必ずや、近日中にケリをつけます!!
映画もとっても楽しんでいただけたようでうれしいです。ほんと、陰陽道というか「呪い」というものの効果を「不思議!」ではぐらかさずに、エンタメに譲歩しながらもぎりぎりのところで真面目に考証した内容になっていたと思います。ハリポタの東洋版のようなお遊びを入れつつも、おっしゃる通り、晴明の口から出るのは心理学的に現代にも通用する理にかなったもので、あらためてこの安倍晴明をホームズ役に選んだ夢枕獏の慧眼を証明するものになっていたかと思います。
脇役、超豪華ですよね! それにしては各役のスケールが……という点については、記事の中で私も考えていきたいと思います。
特に、「友情出演」みたいな異様に小さな役で出られていた吹越さんの謎については、ちょっとした邪推もあるので、よければもう少々お待ちください。もったいないにも程がありますよね!
陰陽師0‼️いいですね~🌠
若き日の安倍晴明の事件解明手法は「真実ではなく事実だけを見る(真実は主観的事実、事実は客観的事実)」というもの。
客観的事実の積み上げから謎解きをするのは正しくシャーロック・ホームズの手法です。
さーらーにー、陰陽道の科学的解説が見事‼️
呪(しゅ)は催眠暗示、術は無意識世界の心象風景での出来事。無意識の底で皆は繋がっている。陰陽道の原理を心理学的に解明し、さらにはユングの提唱する集合的無意識の概念にまで観る者を誘います。
そして脇を固める俳優陣の見事さはどうよ‼️
主役2人の演技まで完全に喰っちゃってます(この2人も大根なワケじゃないけど脇が豪華過ぎますから仕方がない⤵️💦)。
吹越満なんかタダの門番ですよ。
まさに「豪華俳優陣の無駄遣い」ですわ(笑)。