どもどもこんばんは! そうだいでございます~。
ゴールデンウィークも終わってしばらく経ちましたが、みなさま、五月病にもならず元気にお過ごしですか? こちら山形はなんだか、梅雨を通り越したような暑い日もあったりして、いい意味でも悪い意味でも5月っぽくないので、ぼちぼちつつがなく生きております。
最近はもう、NHK 大河ドラマの『光る君へ』くらいしかテレビの楽しみがなくて……あっ、先日ついに『鬼滅の刃 柱稽古編』が始まりましたね! でも、新聞のラテ欄の表記が小さすぎて完っ全に見逃してしまった……ま、劇場で第1話は観たから、いっか。
『柱稽古編』はもう、ご周知のとおりのインターリュード部分ですのでこのシーズン自体の面白さはそれほど楽しみにもしていないのですが、いよいよ最後までちゃんとアニメ化されるんだろうなぁ、という感じになってきましたね。関俊彦さんや石田彰さんの演技が今から楽しみで仕方ありません。だいたい、メインのキャラクターは全員声つきになりましたかね? 人間時代のあかざのお師匠さんくらいかな? 未キャスティングの気になるキャラは。誰になるのかな~。藤原さん……
いろいろ、無限城での決戦はそのままテレビ放送することができるとは思えない凄惨な描写が連続するので、たぶん TVシリーズとしてアニメ化されるのは『柱稽古編』が最期になるんでしょうかね。出演陣の皆さん、不祥事も起こさずに、お元気でオリジナルキャストのまんまでゴールインしてくださいね~! 私は特に千葉繁サマ!! 応援しております。
さて、今回も今回とて、ぶつっぶつっと続けている、「ヒッチコック監督作品を可能な限り総ざらえ企画」でございます。
今回お題にする作品はですねぇ、なんかなつかしいというか、ここまでズンズン、サイレントからハリウッド的エンタメ映画へとめきめき進化する流れが加速していた当時のヒッチコック監督のキャリアの中で、「あれっ?」という感じで先祖返りしちゃったかのような古さのある作品であります。
かと言って、面白さも昔レベルに戻っちゃうってことには決してなんないのが、さすがのヒッチコック監督なんですよねぇ。なので、ヒッチコック監督の「黒歴史」には全然ならない安心のクオリティが保障されております。
でも、なんで思い出したようにこんな、当時からしてもクラシックな手法の多い作品を作ったんですかね。なにか、サイレント時代にやり残していた遺恨でもあったのかしら?
映画『サボタージュ』(1936年12月 76分 イギリス)
『サボタージュ(Sabotage)』はイギリスのサスペンス映画。ジョゼフ=コンラッド(1857~1924年)の小説『密偵』(1907年発表)を映画化した作品で、日本劇場未公開。1996年に『シークレット・エージェント』(主演・ボブ=ホスキンス)としてリメイクされた。
ヒッチコック監督は、当初ヴァーロック役にピーター=ローレを想定していたが、前作の『間諜最後の日』(1936年)でローレに対して不満が残ったことから、オスカー=ホモルカを起用することにしたという。 テッド=スペンサー役は『三十九夜』(1935年)で主演したロバート=ドーナットに決まっていたものの、持病の喘息が悪化したために撮影前に降板し、代わりに当時スターだったジョン=ローダーが起用されたが、ヒッチコック監督はローダーの演技に対して、幅もなければ厚みもないとして大いに失望したという。
劇中で上映されているアニメーション映画は、ウォルト=ディズニーの短編アニメ映画『誰がコック・ロビンを殺したの?』(1935年)である。
イギリスの雑誌『タイムアウト』が150人以上の俳優、監督、脚本家、プロデューサー、評論家や映画界関係者に対して行ったアンケート企画「イギリス映画ベスト100」で、第44位に選ばれている。 ヒッチコックの娘で女優のパトリシア=ヒッチコック(1928~2021年)は自著で、父親の作品の中で『めまい』(1958年)や『サイコ』(1960年)と並んで最も暗い映画のひとつであると評している。
ヒッチコック監督は本編開始約9分後、停電が修復した時に電灯を見上げる通行人として出演している。
あらすじ
ロンドンで映画館を営むヴァーロックは、破壊活動をする裏の顔を持っていた。隣の八百屋の店員になりすました刑事スペンサーが彼を監視する中で次の指令を受けたヴァーロックは、警察の目をごまかすために、妻の幼い弟スティーヴィーに爆弾を持って行かせる。
おもなキャスティング
ヴァーロック夫人 …… シルヴィア=シドニー(26歳)
テッド=スペンサー …… ジョン=ローダー(38歳)
カール=ヴァーロック …… オスカー=ホモルカ(38歳)
スティーヴィー …… デズモンド=テスター(17歳)
ルネ …… ジョイス=バーバー(35歳)
タルボット警視 …… マシュー=ボルトン(43歳)
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(37歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(37歳)、イアン=ヘイ(?歳)、ヘレン=シンプソン(?歳)、アルマ=レヴィル(37歳)
製作 …… マイケル=バルコン(40歳)
音楽 …… ルイス=レヴィ(42歳)
撮影 …… バーナード=ノウルズ(36歳)
編集 …… チャールズ=フレンド(27歳)
製作・配給 ゴーモン・ブリティッシュ映画社
第二次世界大戦直前の1936年の映画と言うことで、現代のように2時間を優に超えるボリュームのある映画などほとんど無い時代ではあったのですが、それでも今作の「76分」という本編時間はいかにも軽量級というか、ここから面白くなるのかな~と思ったらあっという間に終わっちゃった、という印象の短編映画のような作品です。
この作品付近のヒッチコック作品はだいたい80分台が通常のペースといった感じで、本作までに私が鑑賞することのできた諸作の中で最も短かったのは『第十七番』(第15作 1932年)の「65分」で、最も長かったのは『殺人!』(第12作 1930年)の「104分」だったかと思います。『殺人!』も確かに長かったけど、それでも2時間ないんだもんねぇ。いい時代だわ。
作品内のシーンごとについての詳しい感想は、例によって末尾につけた視聴メモを読んでいただければありがたいのですが、全体的な印象を述べていきますと、本作はヒッチコック監督が培ってきた「セリフに頼らない」映像演出テクニックを総まくりした卒論的な作品、といえる感じがします。本格的にサイレント映画が過去のものとなりつつあった時代にヒッチコック監督が形にした「決別の一作」というべきなのでしょうか。その後周知のとおり、ヒッチコック監督はサイレントどころか、白黒映画ともイギリス映画界ともお別れをして新時代へ突入していくわけなのですが。
でも、確かに本作はヒロインに降りかかる不幸も相当なものだし、なんだか釈然としない棚ぼた的な結末もヒロインの精神的な救済にはなりえていないような暗~い色調の作品なのですが、それはあくまでも物語の中だけのお話でありまして、映像演出だけを観てみますと、懐古的な後ろ向き感はまるでなく、相変わらずの「そうきましたか~!」なアイデアのつるべ打ちで退屈しない面白さを感じさせる作品なんですよね。さすがに21世紀の現代にも通用するとまでは言えないかも知れませんが、セリフ無しで登場人物の感情、特に疑惑や焦燥を的確に暗示させるカット割りやズーム技術の使用は、基本的な映像演出の教科書ともいえる密度があると思います。勉強になるわ~。
不可抗力で犯罪に手を染めてしまうヒロインとか、そのヒロインが意外な運命のいたずらでおとがめなしになってしまうラストは、ヒッチコック監督自身の過去作『恐喝(ゆすり)』(第10作 1929年)とまるで同じ構図で、ひょっとしたらセルフリメイクなのではないかとさえ勘ぐってしまうのですが、その犯行の瞬間の演出にしても旧作とは比較にならない程スマートでわかりやすく、最終的にヒロインの犯行の証拠が爆弾によって消滅してしまうピタゴラスイッチ的なプロセスも、「鳥かご」という小道具を軸にした伏線を事前に張り巡らせていて格段の進歩を感じさせるものがあります。といっても、ヒッチコック監督の小道具やマクガフィンの活用技術はさらに進歩していくんですけどね!
それにしても、鳥かごを返してもらいに行くだけなのに、万が一の時のために自決用の爆薬を隠し持っていくペットショップの店主も用心深すぎと言いますか、覚悟の決まり方が男前すぎますよね……イギリスというよりは大日本帝国の戦争末期の発想よ、それ。
こんな感じで、本作は決してヒッチコック監督のキャリアの中で目立つとは言えない不思議な位置にある作品となるのですが、それは割とあっさりしたボリュームと結末という作りもさることながら、何と言っても「主人公」「ヒロイン」「悪役(?)」の3役が3役ともパッとしないという、作品の看板であるべき俳優キャスティングの面にも大きな原因があるような気がします。はっきり言っちゃってすんません!
皆さん、悪くはないんですよ!? 悪くはないんですけどね……ここまでの諸作で自己中すぎる主人公(『三十九夜』)とか自我のはっきりしたヒロイン(『三十九夜』と『間諜最後の日』のマデリーン=キャロル)とか、なんてったってあのピーター=ローレとか見てきちゃったじゃん!? そんなおもしろ過ぎる面々と比べちゃうと、地味なんですよね~、暗いんですよね~、まじめなんですよね~!
主人公のテッド刑事を演じるジョン=ローダーは、決定的に演技がヘタであるということもないのですが、いかんせんヴァーロック家とのつながりが希薄で言動もいかにも刑事といった感じで生真面目。それなのに、ヴァーロック夫人を助けるためにいきなり「ヨーロッパにトんじゃおう!」と唐突に言い出したりして、妙に感情移入しにくいキャラになってしまっております。細かいところだけど、夫人の故郷であるアメリカでなくヨーロッパに逃亡しようと提案するあたりに、大事なところで夫人に寄り添えていない決定的なダメさがあるような気がする。そういうとこ、女性はちゃんと見てるんじゃないかな~!?
一方、本作の実質的な主人公であるヒロインのヴァーロック夫人を演じるシルヴィア=シドニーも、確かに不安や疑念を抱く表情は迫真そのものなのですが、アメリカ人という設定がまるで活きていないとしか言えない、一挙手一投足がネガティヴで暗い悲劇のヒロインを見事に演じきっています……誉め言葉にならないよ! まぁ、日本の関西人だって全員がお笑い好きというわけでもないだろうし、ね。
にしても、そんなにブロンドじゃないとテンション下がるんですか、監督!?と言いたくなるほどに、夫人の出てくる画面には華が出てきませんね。シルヴィアさんにしても、いい迷惑ですよ……だいたい、ファーストネームくらい付けてあげてくださいよう!!
そして、序盤の裏表のある謎の紳士から一転、自分の義理の弟を死なせてしまったのはアイツのせいコイツのせいと、自分の責任を棚に上げまくるクズに堕してしまうヴァーロックを演じるホモルカさんも、基本的に表情がどのシーンでも一緒なので破壊工作に失敗しようが身内が死のうが大きな変化がなく、何だか面白みのない人物になってしまっているような気がします。所属している組織の幹部にあおられて人生が狂っていく小市民というあたりの悲哀が感じられないんですよね。う~ん。
上のWikipedia の記述によりますと、なんだかこのヴァーロックの役は企画当初ピーター=ローレが演じる予定だったのをヒッチコック監督の側から不満があって取り下げたとされているのですが、これ、ローレさんからしても願い下げという役柄なんじゃないでしょうか。ヒッチコック監督とローレさんが組む最初の作品がこれだったらまだわかるのですが、『暗殺者の家』と『間諜最後の日』の次にこの役となると、どう見てもスケールダウンとしか言いようがないですよね。俳優としてローレさんがヴァーロックを演じるメリットは無いような気がします。観客としても観たくないでしょ、こんなせせっこましくて辛気くさい役柄のローレさん!
総じて本作は、定型的な個性のキャラが雑然と並ぶ地味なキャラ設定となっているのですが、ここまで華が無いと、ヒッチコック監督は逆にそれを狙っていたのではないかと勘繰ってしまいます。つまりこの『サボタージュ』は、リアルにどこにでもいそうな市民たちの間に起きた悲劇的な家庭崩壊劇を描きたかったのではなかろうかと。昨今の映画界でも東西を問わず、大監督と言われる人って大作ばっかじゃなくて、たま~に明らかに予算のかかっていない規模とキャスティングで、ちゃちゃっと地味めな人間ドラマを作ることってあるじゃないですか。ヒッチコック監督にとっての『サボタージュ』も、多分にそんな要素があったんじゃないのでしょうか。やっつけ仕事じゃないことは確かですよ。
なので、本作はヒッチコック監督というお人の華やかなキャリアをたどる上では、ちょっと「必見!」とは言い難い異色作ではあるのですが、あくまでもパワーダウンではなく、ギアチェンジするためにちょっと息を整えた、みたいな味わい深いポジションの作品となっております。それでもこれだけ面白くなっちゃうので、その実力たるやものすごいものがあるわけでして、長編映画らしからぬあっさり味は、のちのちの『ヒッチコック劇場』に象徴される、映画すら超えて30~60分のテレビドラマが娯楽の中心となっていく来たるべき未来を予見するものであったのではないか……とまで言うのは、言い過ぎっすかね。
ともかく、観て損する作品ではないと思います。76分という短さなのでお手軽だし!
最後にちょっとだけ。本作の中で私がいちばんドキッとしたのは、スティーヴィーの爆死後に、精神的に相当まいったヴァーロック夫人が見るスティーヴィーの幻覚の描写がけっこう怖いところだったんですよね。なんの飾りっ気もなく、夫人が見た群衆の中に一瞬だけ笑顔の弟が見えたり、同じような背格好の少年が弟に見えるというだけの演出なのですが、ヒッチコック監督流のテンポの速さでほんとにパッと見えるそっけなさが逆に怖くて……これも、のちの『サイコ』や『鳥』につながる、感情をいっさい差しはさまない冷たさをたたえた恐怖演出だと思います。中途半端な怪談映画よりもよっぽど怖いよ~!
≪毎度おなじみ視聴メモで~っす≫
・本作はまず、タイトルの「 sabotage」の意味を説く辞典の項目から映像が始まる。「サボタージュ:大衆や企業に不安や警告を与える意志を持って建物や機械を破壊する行為。」という物騒な文章が映るのだが、現代日本で使われる「サボる」とはけっこうニュアンスが異なるのが興味深い。今の日本だともっぱら無断で休む行為を指すだけで意志なんかあっても無くてもどうでもよくて、サボタージュよりはボイコットに近いですよね。
・そういったお堅い辞書のページをバックにオープニングタイトルとクレジットが流れるという出だしが、斬新とは言わないまでも、後年の『めまい』や『サイコ』などでさまざまなインパクト大のオープニングを世に出すヒッチコック監督の片鱗が垣間見えるようで面白い。
・オープニングクレジットで「アニメ:ウォルト=ディズニー」という名前が出てくるのがものすごいのだが、使われ方は実に効果的ではあるものの、過去作品の流用である。
・開始から約3分、ヒロインのヴァーロック夫人が出てくるまでほぼセリフが無い時間が続くのが、なんだかサイレント映画時代の諸作を思い出させるようでなつかしい。ヒッチコック監督お手のものの導入ですな。ただこれ、メインのヴァーロックを演じる俳優さんが英語圏出身の人じゃないからという、現場から生まれた苦肉の策だったのかも?
・工場で破壊された機械から出てくる砂と帰宅したヴァーロックが手を洗った時に洗面台に残る砂の対比とか、工場の刑事が「犯人はどこだ?」と言った次の瞬間に工場から出ていくヴァーロックの顔が映るカット割りなど、一言も言っていないのにヴァーロックが破壊行為の犯人だと観客にわかりやすく提示される演出がともかくスマート。ノーストレス!
・別にオールナイト上映をしているという深夜でもない時間帯に、映画の経営を若妻におっかぶせてグースカ寝たり外出したりしている支配人というのは、果たしていかがなものなんであろうか。しかも、停電で上映が止まったので金返せと詰め寄るお客さんのクレーム対応も人任せにするとは……せめて自室にこもって働いてるフリしろ!
・「ロンドン全体の停電は映画館の不手際で起こったわけではない不可抗力なのだからチケット代は払わない」という考えは、それで観客が納得するのかどうかは別としていちおう理屈が通ってはいるのだが、それを映画館の人間でなくとなりの八百屋の雇われ店員が語っているという状況が全く意味不明である。いや、なんでお前が……?
・余談だが私も、映画館で上映中に警報ベルが誤作動で鳴ってしまい映画が中断され、30分ほどロビーで待たされてから上映が再開されたという出来事を体験したのだが、その時は観客全員に1回分の無料鑑賞券を配布するという対応だったと記憶している。返金とはいかないまでも、そんな感じなんじゃないかなぁ。ともかく「さぁ、とっととけぇれ!」の一点張りの八百屋のテッドはいきすぎであり、そこらへんのカッチカチの大衆あしらいからしても、うすうすテッドの正体が知れようというものである。親方ユニオンジャックぅ~!
・物語の筋に直接からんでこないのが非常にもったいないのだが、ヴァーロック家と映画館が壁一枚でつながっていて、家族や家に用事のある人間が上映中の劇場の奥通路を通り抜けて出入りするという位置関係がなんだかおもしろい。映画が身近にある生活はうらやましいのだが、小窓を開けたら映画の音響が丸聞こえって、遮光は大丈夫なのか!?
・工場の破壊行為というとんでもない犯罪をしでかしているヴァーロックが、その一方で経営者としては異常に腰が低く「私は大衆に怒りをぶつけられるのが嫌なんだよ。」とうそぶいている二面性がいい感じである。もうちょっと軽い印象の人がヴァーロックを演じていたらもっと良かったんだろうけどなぁ~、チャールズ=チャップリンとか植木等みたいな。
・ヴァーロックが余裕しゃくしゃくで「ずっと家にいたよ~。」と語るのはいいのだが、外から戻るところをテッドにがっつり見られているのがあまりにもダメダメすぎ……おまけにゃテッドの同僚のホリン刑事にも余裕で尾行されてるしさぁ! この映画、たぶん早めに終わるぞ。
・イギリスの生活風俗の様子がわかって非常に興味深いのだが、向こうの八百屋さんは仕事着が白衣にネクタイという、お医者さんか薬剤師みたいな恰好なんですね。生鮮食品だもんね、なるほど。
・ヴァーロックが水族館で接触する謎の紳士の言葉の裏に潜む「無差別殺人テロもできない奴に金は払わん。」という圧力が、物腰が柔らかなだけに逆に恐ろしい。娯楽映画の悪漢という定型にとらわれないこの役の正体不明感が、作中には全く登場しない秘密組織の恐怖を体現してくれているのである。いいね~!
・全体的に地味な印象の本作なのだが、それだけに、爆弾テロの指令を受けたヴァーロックが水族館の水槽に崩壊するロンドンの幻を見て戦慄するという効果演出が妙に浮いていて記憶に残る。ヴァーロック、メンタルもろいな!
・何かと一本気で面白みに欠ける人物のように見えるテッドなのだが、ヴァーロック夫人が夫を愛していることを知って心を痛めたり、夫人姉弟と昼食を摂った事実を上司に報告できなかったりする面があったりと、夫人に対する感情が公私のはざまで揺れているさまが丁寧に描写されていて、それなりにキャラクターの温かみはある。『下宿人』(1926年)の操り人形のような登場人物群から10年、だいぶ進化したんだなぁ。
・ヴァーロックが訪問するイズリントンの鳥専門店ペットショップのシーンで、モンティ・パイソンの『死んだオウム』コントをすぐさま連想することができたら、君も立派な大英帝国臣民だ!?
・尾行されてるのも気づかないくせに制服警官を見たとたんにビビりまくるヴァーロックと、「来たら爆弾で歓迎するだけです。」と泰然自若な表情のペットショップ店主との態度の差が面白い。覚悟の度合いが違いますね。にしてもヴァーロック……ここまで小心者で犯罪者になる素養の無い人物も珍しいのではないだろうか。いや、これピーター=ローレがやらなくて正解でしたね。
・ヴァーロックが土曜日の爆弾テロ決行のために自宅に招いた怪しげな連中の中に一人、どっか別の映画で見た記憶のある顔の人がいて、誰かな誰かなと思ってたら、思い出した、キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(1964年)でソ連大使の役をやってたピーター=ブルって人だ! え、本作の時は24歳!? 20代にはとても見えない貫禄!
・テッドが刑事であると判明したとたんに空気が重たくなるヴァーロック家なのだが、本作のヒロインであるヴァーロック夫人を演じるシルヴィア=シドニーは金髪でもないしさほど若くもないしとびっきりの美人でもないしで印象が薄いのだが、親密だったはずの夫が何か重大な隠しごとをしていると気づいた時に浮かべる不安と疑念に満ちた表情が非常にうまい。この演技力を買っての器用だったんだろうなぁ。そうですねぇ、日本でいうと麻生祐未さん的な、ニッチな感情の表現に長けた種類の方でしょうか。いいよな~♡
・正面にテッド、裏口にホリン刑事が張っているという状況に進退窮まったヴァーロックは、爆弾をスティーヴィーに託して運ばせるという悪魔の選択をしてしまう……もう嫌な予感しかしない展開なのだが、のんびりしたスティーヴィーの態度にいきなりキレるヴァーロックのテンパり具合が見ていて哀しくなってくる。もうダメだこいつ!
・本編とは関係ないが、ヴァーロックがカモフラージュのために爆弾入りの包みと一緒に持たせたフィルム缶の映画のタイトルが『絞殺魔』なのが、ヒッチコック監督晩年の大傑作『フレンジー』(1972年)を予兆させているようで感慨深いものがある。あれ、ヒッチコック監督のなんと33年ぶりのロンドン復帰作だもんねぇ。『フレンジー』の感想をこのブログでつづるのは、さて一体いつのことになるのかナ~!?
・スリラー映画演出の定石として、「時間制限のある用事がある人物に襲いくるクソどうでもいい足止め障害の数々」というものがあるのだが、本作でもご多分に漏れず、時限爆弾を抱えたスティーヴィーが街中のチューブ歯磨きと整髪料の行商のモニターにされてしまう。あるあるだけど、ハラハラしますね~、意地悪な演出ですねぇ~!!
・他にも時間的なサスペンス感覚をあおる演出として、テンポアップしたBGM はもちろんのこと、せわしなく動く歯車のシルエットや異常な速さで進む時計の針といった古典的なイメージ映像がつるべ打ちにインサートされる。21世紀の現代から見れば使い古されたベタな演出なんだけど、ここから爆発までの数分間は、何度観てもドキドキしてしまう。ルイス=レヴィの音楽がめちゃくちゃいい仕事してるよ~!
・本作のひとつの山場は間違いなく、中盤の時限爆弾が爆発する瞬間なのだが、ここまでで本編が55分も経過していて、あと残り20分もない時点であるという事実に驚いてしまう。どうやってシメるの?これ……
・スティーヴィーの爆死という結果を招き、最悪の関係となるヴァーロック夫妻。原因は100% 自分なのに、「おれが死ぬよりはマシだ」とか「いっぱい泣いて忘れろ」とか「すべては水族館のあいつかテッドが悪い」とか、考えうる限りの言ってはいけない地雷を踏みまくるヴァーロックなのであつた……そりゃ、その日のうちにぶっ殺されるわ。
・あまりにも理不尽な夫の態度に心の中がぐちゃぐちゃになるヴァーロック夫人であったが、たまたまその時に映画館でかかっていたディズニーアニメの『だぁ~れぇが殺したくっくろぉびん』を観てしまったがために、思いが固まってしまう……なるほど、それは他のディズニーアニメではいけませんわな。ふつうに殺人を描く犯罪映画とかでなく、子ども客が笑って観ているアニメ映画というチョイスがむしろ残酷で冴えまくっている。
・スティーヴィーのいない食卓で会話の途切れたヴァーロック夫妻の息詰まる攻防、セリフいっさい無しで約2分! 非常に挑戦的な演出……のようだが、セリフに頼らないサイレント出身のヒッチコック監督にとってはむしろ実家のような得意分野だろうし、同じような状況にヒロインがおちいる展開は『ゆすり』(1929年)ですでに描かれている。でも、そんな咄嗟の一撃で大の男が即死するかな……凶器もあんなんだし。
・ヴァーロックの死後の流れは、はっきり言って『ゆすり』とほぼいっしょなので新味のあるものは特にない。彼氏が刑事っていうのまでおんなじなんだもんなぁ。
・ヴァーロックの死の真相をうやむやにするという、ヒロインにとっての「救世主」の役割を担うのが例のペットショップの店主なのだが、店主がヴァーロック家に鳥かごを取り返しに行くのを見て張り込んでいた刑事がすわ逮捕!と色めき立つのは、少々大げさすぎる気がする。その時点で店主がバスの爆破テロに関わったという証拠はなんにもないわけですよね。「とりあえず映画も大詰めなので盛り上げてみました。」という意図しか見えないのは私だけだろうか……これがヒッチコック流!
ゴールデンウィークも終わってしばらく経ちましたが、みなさま、五月病にもならず元気にお過ごしですか? こちら山形はなんだか、梅雨を通り越したような暑い日もあったりして、いい意味でも悪い意味でも5月っぽくないので、ぼちぼちつつがなく生きております。
最近はもう、NHK 大河ドラマの『光る君へ』くらいしかテレビの楽しみがなくて……あっ、先日ついに『鬼滅の刃 柱稽古編』が始まりましたね! でも、新聞のラテ欄の表記が小さすぎて完っ全に見逃してしまった……ま、劇場で第1話は観たから、いっか。
『柱稽古編』はもう、ご周知のとおりのインターリュード部分ですのでこのシーズン自体の面白さはそれほど楽しみにもしていないのですが、いよいよ最後までちゃんとアニメ化されるんだろうなぁ、という感じになってきましたね。関俊彦さんや石田彰さんの演技が今から楽しみで仕方ありません。だいたい、メインのキャラクターは全員声つきになりましたかね? 人間時代のあかざのお師匠さんくらいかな? 未キャスティングの気になるキャラは。誰になるのかな~。藤原さん……
いろいろ、無限城での決戦はそのままテレビ放送することができるとは思えない凄惨な描写が連続するので、たぶん TVシリーズとしてアニメ化されるのは『柱稽古編』が最期になるんでしょうかね。出演陣の皆さん、不祥事も起こさずに、お元気でオリジナルキャストのまんまでゴールインしてくださいね~! 私は特に千葉繁サマ!! 応援しております。
さて、今回も今回とて、ぶつっぶつっと続けている、「ヒッチコック監督作品を可能な限り総ざらえ企画」でございます。
今回お題にする作品はですねぇ、なんかなつかしいというか、ここまでズンズン、サイレントからハリウッド的エンタメ映画へとめきめき進化する流れが加速していた当時のヒッチコック監督のキャリアの中で、「あれっ?」という感じで先祖返りしちゃったかのような古さのある作品であります。
かと言って、面白さも昔レベルに戻っちゃうってことには決してなんないのが、さすがのヒッチコック監督なんですよねぇ。なので、ヒッチコック監督の「黒歴史」には全然ならない安心のクオリティが保障されております。
でも、なんで思い出したようにこんな、当時からしてもクラシックな手法の多い作品を作ったんですかね。なにか、サイレント時代にやり残していた遺恨でもあったのかしら?
映画『サボタージュ』(1936年12月 76分 イギリス)
『サボタージュ(Sabotage)』はイギリスのサスペンス映画。ジョゼフ=コンラッド(1857~1924年)の小説『密偵』(1907年発表)を映画化した作品で、日本劇場未公開。1996年に『シークレット・エージェント』(主演・ボブ=ホスキンス)としてリメイクされた。
ヒッチコック監督は、当初ヴァーロック役にピーター=ローレを想定していたが、前作の『間諜最後の日』(1936年)でローレに対して不満が残ったことから、オスカー=ホモルカを起用することにしたという。 テッド=スペンサー役は『三十九夜』(1935年)で主演したロバート=ドーナットに決まっていたものの、持病の喘息が悪化したために撮影前に降板し、代わりに当時スターだったジョン=ローダーが起用されたが、ヒッチコック監督はローダーの演技に対して、幅もなければ厚みもないとして大いに失望したという。
劇中で上映されているアニメーション映画は、ウォルト=ディズニーの短編アニメ映画『誰がコック・ロビンを殺したの?』(1935年)である。
イギリスの雑誌『タイムアウト』が150人以上の俳優、監督、脚本家、プロデューサー、評論家や映画界関係者に対して行ったアンケート企画「イギリス映画ベスト100」で、第44位に選ばれている。 ヒッチコックの娘で女優のパトリシア=ヒッチコック(1928~2021年)は自著で、父親の作品の中で『めまい』(1958年)や『サイコ』(1960年)と並んで最も暗い映画のひとつであると評している。
ヒッチコック監督は本編開始約9分後、停電が修復した時に電灯を見上げる通行人として出演している。
あらすじ
ロンドンで映画館を営むヴァーロックは、破壊活動をする裏の顔を持っていた。隣の八百屋の店員になりすました刑事スペンサーが彼を監視する中で次の指令を受けたヴァーロックは、警察の目をごまかすために、妻の幼い弟スティーヴィーに爆弾を持って行かせる。
おもなキャスティング
ヴァーロック夫人 …… シルヴィア=シドニー(26歳)
テッド=スペンサー …… ジョン=ローダー(38歳)
カール=ヴァーロック …… オスカー=ホモルカ(38歳)
スティーヴィー …… デズモンド=テスター(17歳)
ルネ …… ジョイス=バーバー(35歳)
タルボット警視 …… マシュー=ボルトン(43歳)
おもなスタッフ
監督 …… アルフレッド=ヒッチコック(37歳)
脚本 …… チャールズ=ベネット(37歳)、イアン=ヘイ(?歳)、ヘレン=シンプソン(?歳)、アルマ=レヴィル(37歳)
製作 …… マイケル=バルコン(40歳)
音楽 …… ルイス=レヴィ(42歳)
撮影 …… バーナード=ノウルズ(36歳)
編集 …… チャールズ=フレンド(27歳)
製作・配給 ゴーモン・ブリティッシュ映画社
第二次世界大戦直前の1936年の映画と言うことで、現代のように2時間を優に超えるボリュームのある映画などほとんど無い時代ではあったのですが、それでも今作の「76分」という本編時間はいかにも軽量級というか、ここから面白くなるのかな~と思ったらあっという間に終わっちゃった、という印象の短編映画のような作品です。
この作品付近のヒッチコック作品はだいたい80分台が通常のペースといった感じで、本作までに私が鑑賞することのできた諸作の中で最も短かったのは『第十七番』(第15作 1932年)の「65分」で、最も長かったのは『殺人!』(第12作 1930年)の「104分」だったかと思います。『殺人!』も確かに長かったけど、それでも2時間ないんだもんねぇ。いい時代だわ。
作品内のシーンごとについての詳しい感想は、例によって末尾につけた視聴メモを読んでいただければありがたいのですが、全体的な印象を述べていきますと、本作はヒッチコック監督が培ってきた「セリフに頼らない」映像演出テクニックを総まくりした卒論的な作品、といえる感じがします。本格的にサイレント映画が過去のものとなりつつあった時代にヒッチコック監督が形にした「決別の一作」というべきなのでしょうか。その後周知のとおり、ヒッチコック監督はサイレントどころか、白黒映画ともイギリス映画界ともお別れをして新時代へ突入していくわけなのですが。
でも、確かに本作はヒロインに降りかかる不幸も相当なものだし、なんだか釈然としない棚ぼた的な結末もヒロインの精神的な救済にはなりえていないような暗~い色調の作品なのですが、それはあくまでも物語の中だけのお話でありまして、映像演出だけを観てみますと、懐古的な後ろ向き感はまるでなく、相変わらずの「そうきましたか~!」なアイデアのつるべ打ちで退屈しない面白さを感じさせる作品なんですよね。さすがに21世紀の現代にも通用するとまでは言えないかも知れませんが、セリフ無しで登場人物の感情、特に疑惑や焦燥を的確に暗示させるカット割りやズーム技術の使用は、基本的な映像演出の教科書ともいえる密度があると思います。勉強になるわ~。
不可抗力で犯罪に手を染めてしまうヒロインとか、そのヒロインが意外な運命のいたずらでおとがめなしになってしまうラストは、ヒッチコック監督自身の過去作『恐喝(ゆすり)』(第10作 1929年)とまるで同じ構図で、ひょっとしたらセルフリメイクなのではないかとさえ勘ぐってしまうのですが、その犯行の瞬間の演出にしても旧作とは比較にならない程スマートでわかりやすく、最終的にヒロインの犯行の証拠が爆弾によって消滅してしまうピタゴラスイッチ的なプロセスも、「鳥かご」という小道具を軸にした伏線を事前に張り巡らせていて格段の進歩を感じさせるものがあります。といっても、ヒッチコック監督の小道具やマクガフィンの活用技術はさらに進歩していくんですけどね!
それにしても、鳥かごを返してもらいに行くだけなのに、万が一の時のために自決用の爆薬を隠し持っていくペットショップの店主も用心深すぎと言いますか、覚悟の決まり方が男前すぎますよね……イギリスというよりは大日本帝国の戦争末期の発想よ、それ。
こんな感じで、本作は決してヒッチコック監督のキャリアの中で目立つとは言えない不思議な位置にある作品となるのですが、それは割とあっさりしたボリュームと結末という作りもさることながら、何と言っても「主人公」「ヒロイン」「悪役(?)」の3役が3役ともパッとしないという、作品の看板であるべき俳優キャスティングの面にも大きな原因があるような気がします。はっきり言っちゃってすんません!
皆さん、悪くはないんですよ!? 悪くはないんですけどね……ここまでの諸作で自己中すぎる主人公(『三十九夜』)とか自我のはっきりしたヒロイン(『三十九夜』と『間諜最後の日』のマデリーン=キャロル)とか、なんてったってあのピーター=ローレとか見てきちゃったじゃん!? そんなおもしろ過ぎる面々と比べちゃうと、地味なんですよね~、暗いんですよね~、まじめなんですよね~!
主人公のテッド刑事を演じるジョン=ローダーは、決定的に演技がヘタであるということもないのですが、いかんせんヴァーロック家とのつながりが希薄で言動もいかにも刑事といった感じで生真面目。それなのに、ヴァーロック夫人を助けるためにいきなり「ヨーロッパにトんじゃおう!」と唐突に言い出したりして、妙に感情移入しにくいキャラになってしまっております。細かいところだけど、夫人の故郷であるアメリカでなくヨーロッパに逃亡しようと提案するあたりに、大事なところで夫人に寄り添えていない決定的なダメさがあるような気がする。そういうとこ、女性はちゃんと見てるんじゃないかな~!?
一方、本作の実質的な主人公であるヒロインのヴァーロック夫人を演じるシルヴィア=シドニーも、確かに不安や疑念を抱く表情は迫真そのものなのですが、アメリカ人という設定がまるで活きていないとしか言えない、一挙手一投足がネガティヴで暗い悲劇のヒロインを見事に演じきっています……誉め言葉にならないよ! まぁ、日本の関西人だって全員がお笑い好きというわけでもないだろうし、ね。
にしても、そんなにブロンドじゃないとテンション下がるんですか、監督!?と言いたくなるほどに、夫人の出てくる画面には華が出てきませんね。シルヴィアさんにしても、いい迷惑ですよ……だいたい、ファーストネームくらい付けてあげてくださいよう!!
そして、序盤の裏表のある謎の紳士から一転、自分の義理の弟を死なせてしまったのはアイツのせいコイツのせいと、自分の責任を棚に上げまくるクズに堕してしまうヴァーロックを演じるホモルカさんも、基本的に表情がどのシーンでも一緒なので破壊工作に失敗しようが身内が死のうが大きな変化がなく、何だか面白みのない人物になってしまっているような気がします。所属している組織の幹部にあおられて人生が狂っていく小市民というあたりの悲哀が感じられないんですよね。う~ん。
上のWikipedia の記述によりますと、なんだかこのヴァーロックの役は企画当初ピーター=ローレが演じる予定だったのをヒッチコック監督の側から不満があって取り下げたとされているのですが、これ、ローレさんからしても願い下げという役柄なんじゃないでしょうか。ヒッチコック監督とローレさんが組む最初の作品がこれだったらまだわかるのですが、『暗殺者の家』と『間諜最後の日』の次にこの役となると、どう見てもスケールダウンとしか言いようがないですよね。俳優としてローレさんがヴァーロックを演じるメリットは無いような気がします。観客としても観たくないでしょ、こんなせせっこましくて辛気くさい役柄のローレさん!
総じて本作は、定型的な個性のキャラが雑然と並ぶ地味なキャラ設定となっているのですが、ここまで華が無いと、ヒッチコック監督は逆にそれを狙っていたのではないかと勘繰ってしまいます。つまりこの『サボタージュ』は、リアルにどこにでもいそうな市民たちの間に起きた悲劇的な家庭崩壊劇を描きたかったのではなかろうかと。昨今の映画界でも東西を問わず、大監督と言われる人って大作ばっかじゃなくて、たま~に明らかに予算のかかっていない規模とキャスティングで、ちゃちゃっと地味めな人間ドラマを作ることってあるじゃないですか。ヒッチコック監督にとっての『サボタージュ』も、多分にそんな要素があったんじゃないのでしょうか。やっつけ仕事じゃないことは確かですよ。
なので、本作はヒッチコック監督というお人の華やかなキャリアをたどる上では、ちょっと「必見!」とは言い難い異色作ではあるのですが、あくまでもパワーダウンではなく、ギアチェンジするためにちょっと息を整えた、みたいな味わい深いポジションの作品となっております。それでもこれだけ面白くなっちゃうので、その実力たるやものすごいものがあるわけでして、長編映画らしからぬあっさり味は、のちのちの『ヒッチコック劇場』に象徴される、映画すら超えて30~60分のテレビドラマが娯楽の中心となっていく来たるべき未来を予見するものであったのではないか……とまで言うのは、言い過ぎっすかね。
ともかく、観て損する作品ではないと思います。76分という短さなのでお手軽だし!
最後にちょっとだけ。本作の中で私がいちばんドキッとしたのは、スティーヴィーの爆死後に、精神的に相当まいったヴァーロック夫人が見るスティーヴィーの幻覚の描写がけっこう怖いところだったんですよね。なんの飾りっ気もなく、夫人が見た群衆の中に一瞬だけ笑顔の弟が見えたり、同じような背格好の少年が弟に見えるというだけの演出なのですが、ヒッチコック監督流のテンポの速さでほんとにパッと見えるそっけなさが逆に怖くて……これも、のちの『サイコ』や『鳥』につながる、感情をいっさい差しはさまない冷たさをたたえた恐怖演出だと思います。中途半端な怪談映画よりもよっぽど怖いよ~!
≪毎度おなじみ視聴メモで~っす≫
・本作はまず、タイトルの「 sabotage」の意味を説く辞典の項目から映像が始まる。「サボタージュ:大衆や企業に不安や警告を与える意志を持って建物や機械を破壊する行為。」という物騒な文章が映るのだが、現代日本で使われる「サボる」とはけっこうニュアンスが異なるのが興味深い。今の日本だともっぱら無断で休む行為を指すだけで意志なんかあっても無くてもどうでもよくて、サボタージュよりはボイコットに近いですよね。
・そういったお堅い辞書のページをバックにオープニングタイトルとクレジットが流れるという出だしが、斬新とは言わないまでも、後年の『めまい』や『サイコ』などでさまざまなインパクト大のオープニングを世に出すヒッチコック監督の片鱗が垣間見えるようで面白い。
・オープニングクレジットで「アニメ:ウォルト=ディズニー」という名前が出てくるのがものすごいのだが、使われ方は実に効果的ではあるものの、過去作品の流用である。
・開始から約3分、ヒロインのヴァーロック夫人が出てくるまでほぼセリフが無い時間が続くのが、なんだかサイレント映画時代の諸作を思い出させるようでなつかしい。ヒッチコック監督お手のものの導入ですな。ただこれ、メインのヴァーロックを演じる俳優さんが英語圏出身の人じゃないからという、現場から生まれた苦肉の策だったのかも?
・工場で破壊された機械から出てくる砂と帰宅したヴァーロックが手を洗った時に洗面台に残る砂の対比とか、工場の刑事が「犯人はどこだ?」と言った次の瞬間に工場から出ていくヴァーロックの顔が映るカット割りなど、一言も言っていないのにヴァーロックが破壊行為の犯人だと観客にわかりやすく提示される演出がともかくスマート。ノーストレス!
・別にオールナイト上映をしているという深夜でもない時間帯に、映画の経営を若妻におっかぶせてグースカ寝たり外出したりしている支配人というのは、果たしていかがなものなんであろうか。しかも、停電で上映が止まったので金返せと詰め寄るお客さんのクレーム対応も人任せにするとは……せめて自室にこもって働いてるフリしろ!
・「ロンドン全体の停電は映画館の不手際で起こったわけではない不可抗力なのだからチケット代は払わない」という考えは、それで観客が納得するのかどうかは別としていちおう理屈が通ってはいるのだが、それを映画館の人間でなくとなりの八百屋の雇われ店員が語っているという状況が全く意味不明である。いや、なんでお前が……?
・余談だが私も、映画館で上映中に警報ベルが誤作動で鳴ってしまい映画が中断され、30分ほどロビーで待たされてから上映が再開されたという出来事を体験したのだが、その時は観客全員に1回分の無料鑑賞券を配布するという対応だったと記憶している。返金とはいかないまでも、そんな感じなんじゃないかなぁ。ともかく「さぁ、とっととけぇれ!」の一点張りの八百屋のテッドはいきすぎであり、そこらへんのカッチカチの大衆あしらいからしても、うすうすテッドの正体が知れようというものである。親方ユニオンジャックぅ~!
・物語の筋に直接からんでこないのが非常にもったいないのだが、ヴァーロック家と映画館が壁一枚でつながっていて、家族や家に用事のある人間が上映中の劇場の奥通路を通り抜けて出入りするという位置関係がなんだかおもしろい。映画が身近にある生活はうらやましいのだが、小窓を開けたら映画の音響が丸聞こえって、遮光は大丈夫なのか!?
・工場の破壊行為というとんでもない犯罪をしでかしているヴァーロックが、その一方で経営者としては異常に腰が低く「私は大衆に怒りをぶつけられるのが嫌なんだよ。」とうそぶいている二面性がいい感じである。もうちょっと軽い印象の人がヴァーロックを演じていたらもっと良かったんだろうけどなぁ~、チャールズ=チャップリンとか植木等みたいな。
・ヴァーロックが余裕しゃくしゃくで「ずっと家にいたよ~。」と語るのはいいのだが、外から戻るところをテッドにがっつり見られているのがあまりにもダメダメすぎ……おまけにゃテッドの同僚のホリン刑事にも余裕で尾行されてるしさぁ! この映画、たぶん早めに終わるぞ。
・イギリスの生活風俗の様子がわかって非常に興味深いのだが、向こうの八百屋さんは仕事着が白衣にネクタイという、お医者さんか薬剤師みたいな恰好なんですね。生鮮食品だもんね、なるほど。
・ヴァーロックが水族館で接触する謎の紳士の言葉の裏に潜む「無差別殺人テロもできない奴に金は払わん。」という圧力が、物腰が柔らかなだけに逆に恐ろしい。娯楽映画の悪漢という定型にとらわれないこの役の正体不明感が、作中には全く登場しない秘密組織の恐怖を体現してくれているのである。いいね~!
・全体的に地味な印象の本作なのだが、それだけに、爆弾テロの指令を受けたヴァーロックが水族館の水槽に崩壊するロンドンの幻を見て戦慄するという効果演出が妙に浮いていて記憶に残る。ヴァーロック、メンタルもろいな!
・何かと一本気で面白みに欠ける人物のように見えるテッドなのだが、ヴァーロック夫人が夫を愛していることを知って心を痛めたり、夫人姉弟と昼食を摂った事実を上司に報告できなかったりする面があったりと、夫人に対する感情が公私のはざまで揺れているさまが丁寧に描写されていて、それなりにキャラクターの温かみはある。『下宿人』(1926年)の操り人形のような登場人物群から10年、だいぶ進化したんだなぁ。
・ヴァーロックが訪問するイズリントンの鳥専門店ペットショップのシーンで、モンティ・パイソンの『死んだオウム』コントをすぐさま連想することができたら、君も立派な大英帝国臣民だ!?
・尾行されてるのも気づかないくせに制服警官を見たとたんにビビりまくるヴァーロックと、「来たら爆弾で歓迎するだけです。」と泰然自若な表情のペットショップ店主との態度の差が面白い。覚悟の度合いが違いますね。にしてもヴァーロック……ここまで小心者で犯罪者になる素養の無い人物も珍しいのではないだろうか。いや、これピーター=ローレがやらなくて正解でしたね。
・ヴァーロックが土曜日の爆弾テロ決行のために自宅に招いた怪しげな連中の中に一人、どっか別の映画で見た記憶のある顔の人がいて、誰かな誰かなと思ってたら、思い出した、キューブリック監督の『博士の異常な愛情』(1964年)でソ連大使の役をやってたピーター=ブルって人だ! え、本作の時は24歳!? 20代にはとても見えない貫禄!
・テッドが刑事であると判明したとたんに空気が重たくなるヴァーロック家なのだが、本作のヒロインであるヴァーロック夫人を演じるシルヴィア=シドニーは金髪でもないしさほど若くもないしとびっきりの美人でもないしで印象が薄いのだが、親密だったはずの夫が何か重大な隠しごとをしていると気づいた時に浮かべる不安と疑念に満ちた表情が非常にうまい。この演技力を買っての器用だったんだろうなぁ。そうですねぇ、日本でいうと麻生祐未さん的な、ニッチな感情の表現に長けた種類の方でしょうか。いいよな~♡
・正面にテッド、裏口にホリン刑事が張っているという状況に進退窮まったヴァーロックは、爆弾をスティーヴィーに託して運ばせるという悪魔の選択をしてしまう……もう嫌な予感しかしない展開なのだが、のんびりしたスティーヴィーの態度にいきなりキレるヴァーロックのテンパり具合が見ていて哀しくなってくる。もうダメだこいつ!
・本編とは関係ないが、ヴァーロックがカモフラージュのために爆弾入りの包みと一緒に持たせたフィルム缶の映画のタイトルが『絞殺魔』なのが、ヒッチコック監督晩年の大傑作『フレンジー』(1972年)を予兆させているようで感慨深いものがある。あれ、ヒッチコック監督のなんと33年ぶりのロンドン復帰作だもんねぇ。『フレンジー』の感想をこのブログでつづるのは、さて一体いつのことになるのかナ~!?
・スリラー映画演出の定石として、「時間制限のある用事がある人物に襲いくるクソどうでもいい足止め障害の数々」というものがあるのだが、本作でもご多分に漏れず、時限爆弾を抱えたスティーヴィーが街中のチューブ歯磨きと整髪料の行商のモニターにされてしまう。あるあるだけど、ハラハラしますね~、意地悪な演出ですねぇ~!!
・他にも時間的なサスペンス感覚をあおる演出として、テンポアップしたBGM はもちろんのこと、せわしなく動く歯車のシルエットや異常な速さで進む時計の針といった古典的なイメージ映像がつるべ打ちにインサートされる。21世紀の現代から見れば使い古されたベタな演出なんだけど、ここから爆発までの数分間は、何度観てもドキドキしてしまう。ルイス=レヴィの音楽がめちゃくちゃいい仕事してるよ~!
・本作のひとつの山場は間違いなく、中盤の時限爆弾が爆発する瞬間なのだが、ここまでで本編が55分も経過していて、あと残り20分もない時点であるという事実に驚いてしまう。どうやってシメるの?これ……
・スティーヴィーの爆死という結果を招き、最悪の関係となるヴァーロック夫妻。原因は100% 自分なのに、「おれが死ぬよりはマシだ」とか「いっぱい泣いて忘れろ」とか「すべては水族館のあいつかテッドが悪い」とか、考えうる限りの言ってはいけない地雷を踏みまくるヴァーロックなのであつた……そりゃ、その日のうちにぶっ殺されるわ。
・あまりにも理不尽な夫の態度に心の中がぐちゃぐちゃになるヴァーロック夫人であったが、たまたまその時に映画館でかかっていたディズニーアニメの『だぁ~れぇが殺したくっくろぉびん』を観てしまったがために、思いが固まってしまう……なるほど、それは他のディズニーアニメではいけませんわな。ふつうに殺人を描く犯罪映画とかでなく、子ども客が笑って観ているアニメ映画というチョイスがむしろ残酷で冴えまくっている。
・スティーヴィーのいない食卓で会話の途切れたヴァーロック夫妻の息詰まる攻防、セリフいっさい無しで約2分! 非常に挑戦的な演出……のようだが、セリフに頼らないサイレント出身のヒッチコック監督にとってはむしろ実家のような得意分野だろうし、同じような状況にヒロインがおちいる展開は『ゆすり』(1929年)ですでに描かれている。でも、そんな咄嗟の一撃で大の男が即死するかな……凶器もあんなんだし。
・ヴァーロックの死後の流れは、はっきり言って『ゆすり』とほぼいっしょなので新味のあるものは特にない。彼氏が刑事っていうのまでおんなじなんだもんなぁ。
・ヴァーロックの死の真相をうやむやにするという、ヒロインにとっての「救世主」の役割を担うのが例のペットショップの店主なのだが、店主がヴァーロック家に鳥かごを取り返しに行くのを見て張り込んでいた刑事がすわ逮捕!と色めき立つのは、少々大げさすぎる気がする。その時点で店主がバスの爆破テロに関わったという証拠はなんにもないわけですよね。「とりあえず映画も大詰めなので盛り上げてみました。」という意図しか見えないのは私だけだろうか……これがヒッチコック流!
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