《前回までのあらすじ》
「鬼太るゥオの看板番組で世話になるだけじゃあ埒があかん。ここはひとつ、1回ゲストでもいいからちょいちょい顔を出して知名度を確保していかねば!」
さすがは現代日本の情報化社会で力をつけていったぬらりひょん先生。1980年代のアニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』で堂々の大ボスデビューを果たしたとはいえ、そんな経歴など、放送が終了してしまえばあっという間に過去の栄光になってしまうという過酷な現実は、誰よりもリアルに把握していた。
そんな危機意識とともにのぞんだのが、1990年代前半における『忍者戦隊カクレンジャー』と『地獄先生ぬ~べ~』へのゲスト出演だったというわけなのだが、それぞれの作品で「妖怪忍者衆の頭領」やら「もと神」やら、つい2~300年前まで瀬戸内海でぷかぷかしていた下積み時代からは想像もつかないような過剰サービスを受け、ぬらりひょんはますますの自信をつけるにいたった。
「ほっほっほ。まさか、知らぬ間にこんなに祭りあげられておるとはのう……こんなんだったら朱の盤や蛇骨のオババも呼んでくればよかったわ。」
ところが、そんなホクホク顔のぬらりひょんに驚くべき、いやさ、いつか必ず届くと心のどこかでは確かに予感し続けていたビッグニュースが舞い込んできた!!
「むむっ。アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』製作開始とな……いよいよこの時がやってきたか。待っておれ鬼太るゥオ、貴様の引導は今度こそ、本物の妖怪総大将となったこのわしが渡してやるわ。」
風雲急を告げる『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ新シリーズ開幕の報。どうするどう出る、総大将~!?
まぁ、こんなわけでしてね。
1993年ごろから徐々に人気の上がってきた常光徹の児童書『学校の怪談』シリーズ、その年から連載が始まって翌94年からこれまた注目を集めるようになった妖怪マンガ『地獄先生ぬ~べ~』(『週刊少年ジャンプ』で99年まで)、そしてその94年に突如として出版され世間をにぎわすこととなった、謎の小説家・京極夏彦による『姑獲鳥(うぶめ)の夏』を第1作とする妖怪ミステリー「京極堂シリーズ」。
それらの林立によって巻き起こった「平成妖怪ブーム」は、さらに翌1995年に各映画会社が『学校の怪談』『トイレの花子さん』といった作品を続々公開することによってピークに達し、この流れはそのまんま1998年の『リング』に始まる「Jホラーブーム」や、『新 耳袋』を代表とする「実録怪談ブーム」へとシフトしていくこととなりました。かつての「学校の怪談」のうわさは、うわさする子ども達が大きくなった現在には「都市伝説」となっておるわけなんですなぁ~。学校と街中って、お話の背景が変わってるだけじゃん……
さてこんな中、まさに「平成妖怪ブーム」が次なる形態に分裂・変容していく過渡期となった1996~98年に放送されていたのがアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の新シリーズだったのであります。
アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』(1996年1月~98年3月 全114話)
これですねぇ~。やたらアクション色の強いギトギトした第3期と5期にはさまれて、ちょっと不遇な目立たない存在として扱われがちな第4期なのですが、なかなかどうして、バカにできないクオリティの高さがあります。
なんだか全体的にムラサキがかった配色にリニューアルされた猫娘のように、アニメ第4期はとにかく「色彩」に特徴がありまして、それまでのアニメ版では「灰色」で統一されていたねずみ男の衣服(ていうか布)の色が、原作に準拠した「黄土色」になったのも、この第4期がお初でした。
もともと原作での印象が激薄だった猫娘はさておきますが、アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』のコンセプトは「原典回帰」というものだったようです。
つまりバブル期1980年代のアニメ第3期が、やたら現代の子どもウケを狙った、そしてそれが見事に大成功した勧善懲悪バトルヒーローものだったがために、鬼太郎がやたら正義感が強く自分から事件解決に積極的に乗り出していく熱血少年だったり、ねずみ男がワルぶっていながらも実は涙もろい青くささのただよう好人物だったりして、とてもじゃないですが原作の水木しげるのテイストをアニメ化したとは言えない世界に走っていたことは厳然たる事実で、特にかつての原作マンガやアニメ第1~2期の良さを記憶している年齢層高めの人々には少なからぬ違和感を残すものとなっていました。
それに対する回答として、ちょうど日本も平成大不況におちいって全体的に「フハッ……」な感じになっていた1990年代中盤だからこそ、正義か悪か、白か黒か、勝利か敗北かばかりが現実の社会ではないというノ~ンビリした水木ワールドにまた立ち帰ってみようじゃないか、という理念を持ったシリーズこそが、次なるアニメ第4期だったというわけなのです。
そういった感じは第4期のオープニングとエンディングでも見事に体現されていて、憂歌団のシブすぎるアコースティックギターの調べにのって流れる『ゲゲゲの鬼太郎主題歌』と『カランコロンの歌』は、ちょっと小学生世代をねらったとは信じられない確信犯的な味わいがあります。ちょっと涙が出てきそうになる諦観がありますね。つい10年前に吉幾三が唄っていたシンセバリバリのヴァージョンとは180°真逆! いや、どっちもいいんですけど。
どこか冷めた印象のある第4期の鬼太郎を演じたのは松岡洋子(当時42歳)。
特に自分から怪奇事件の解決に乗り出すという積極性はあまりなく、事件の依頼者や目玉の親父にせっつかれてやっと動き出すといった感じは原作に実に忠実なキャラクターで、目を閉じて口を「3」の字にしながらあごに手をやり、わかったんだかわかってないんだか全然わからない発言をぶつぶつとつぶやく様子がピッタリの声でしたね。私そうだい個人としましては、歴代鬼太郎役者のみなさんの中でもいちばん原作にピッタリなのはこの松岡さんなんじゃないかなぁ、と確信しております。ちょっと低めの落ち着いた少年声がいいんだなぁ。あ、あと2位は、「ノイタミナ」の『墓場鬼太郎』(2008年)で「ニセ鬼太郎」のほうを演じた伊倉一恵さん(48歳)ですね。不良っぽい鬼太郎がいいの!
こういったちょっぴりオトナな鬼太郎や、原作どおりに外道でエネルギッシュなねずみ男(演・ぼくらの千葉繁アニキ!)、ユメコちゃんがいなくなったことによって自由度に磨きのかかった猫娘(演・西村ちなみ)といった新生鬼太郎ファミリーは、その絶妙なつかず離れずの距離感が実に90年代らしい空気をかもしだし、アニメ第4期は第3期の全115話にほぼならぶ「全114話、3年間の放送」という堂々たる記録を残す人気シリーズとなりました。
また、アニメ第4期は『ゲゲゲの鬼太郎』に強いリスペクトをささげる各界の才人がキャスト・スタッフ両面でゲスト参加を果たす機会も多く、第57話『吸血鬼エリート!』(1997年2月放送)で名キャラ・吸血鬼エリートを演じた俳優の佐野史郎(41歳)や、第89話『髪の毛地獄!ラクシャサ』(1997年10月放送)の脚本を担当した日本ホラー映画界の功労者・小中千昭などがまず挙げられます。猫娘にとってキャリア上でかなりの転機となる『ラクシャサ』の回を執筆したのは、やっぱりそれだけのお方だったんですねい。この回のすばらしさについては、我が『長岡京エイリアン』の過去の記事「ニャニャニャの猫娘ヒストリー」でさんざん扱っておりますので、ぜひともそちらをご覧になっていただきたいと思います。
あと、これはのちのちぬらりひょん先生のエピソードに直接かかわってくるので触れるだけにしておきますが、他ならぬ妖怪小説の強力ルーキー・京極夏彦おんみずからや、のちに日本アニメ界屈指の俊英として脚光を浴びることとなる演出家・細田守といった面々がその名を連ねていたことも、アニメ第4期ならではの魅力でした。
ところで、この第4期『ゲゲゲの鬼太郎』は、放送開始から1年が経過した1997年4月放送の第64話『激争!妖怪ラリー』から、アニメ製作にデジタル画像処理が導入されるようになり、東映では初のデジタルアニメ作品となっています。
今となってはもうデジタル処理が常識となったアニメ業界なんですが、導入された当初はビックラこいたなぁ。描線がミョ~にきれいになっていて、色も鮮明で。
これは私個人の中では、生まれて初めて「ウエハースチョコ」を食べた時の食感と、生まれて初めて「生茶」を飲んだ時の味わいとともに、
「世界3大・もうぜんぜん初めての時の衝撃が思い出せないビックリ」
のひとつに数えあげられています。思い出せねェ~!! けど、確かに当時はそうとう驚いてた。
こんなアニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』でしたが、そのスタイルは結果的に、「原作マンガの忠実なアニメ化」と「大ヒット作にするための味つけ」とのバランスに苦慮する日々を招くこととなってしまいました。
具体的に水木ワールドを再現するのならば、それはそのままキャラクターの深すぎる人生観と文明批判の連続、ナンセンスでシュールすぎる展開が毎週繰り広げられることになってしまい、とても3年間も続けられる安定した長寿シリーズになるような希望的観測はできません。そんなシリーズを毎週日曜日の朝9時から放送できるほど日本は成熟してないんだなぁ~、当時も今も。
かと言って、大ヒットした第3期のひそみにならって、子ども達にわかりやすく訴えるために絵的に起伏の多いアクションやショックシーンを増やしてしまえば第4期の存在意義がなくなってしまうし……
当然ながら、原作マンガやアニメ第1~2期を観て育った大人たちがいるように、すでに「鬼太郎といえば血わき肉おどるド派手なバトルでしょ!」という第3期チルドレンも確実に青年期に突入していたため(かく言う私そうだいもこの世代に当たります)、現役の子ども達の人気確保の他にそういった各世代の評価も自然と意識せざるをえない第4期製作スタッフの苦労たるや、尋常ならざるものがあったのではないかと思われます。
わかりやすい具体的な例がこのアニメ第4期のオリジナル劇場版の内容です。
第4期はそれまでの歴代シリーズの伝統にもれず、東映の季節恒例の子ども向けアニメ映画オムニバス企画「東映アニメフェア」(かつての「東映まんがまつり」にあたる)のために3作のオリジナル劇場版を製作しています。この3作とも、同時上映で『地獄先生ぬ~べ~』との無敵のそろい踏みを果たしていたりして。
そこでなんですが、たとえばバトルアクション路線にガッチリ舵を取っていたアニメ第3期が製作した劇場版4作は、すべて「チーム鬼太郎 VS 南方妖怪軍団」「VS 西洋妖怪軍団」「VS 中国妖怪軍団」「VS 妖怪皇帝ぬらりひょん軍団」という大人数スペクタクルで統一されていたわけだったのですが、問題のアニメ第4期の方はどうだったのかといいますと、
『大海獣』・『おばけナイター』・『まぼろしの汽車』(すべて原作版のタイトル)
の3作をブローアップしたものとなっています。
もちろん全て劇場版にふさわしい名作ぞろいなのですが、絵的に簡単に盛り上がる大人数 VS 大人数のバトルに頼らない第4期のスタイルがよくわかるセレクトですね。
そして!! 大事なのは、その劇場版のどれにも! 我らがぬらりひょん先生が出演していない、ということなんですわ。
そうなのです。原作マンガを第一の聖典とするのならば、そこにチョロッとしか顔を出していない(純然たる悪役としてはたったの一度だけ)ぬらりひょんが劇場版にしゃしゃり出る資格など、あるはずもないのです。
しかし……製作スタッフは苦悩しました。アニメ第3期によってボスキャライメージが確立してしまった現状を完全無視して「ただの爆弾好きなお爺ちゃん妖怪でござ~い。」と言ったところで、今さら視聴者が納得してくれるのかどうか……
多少は第3期を視野に入れた準レギュラーキャラにしてもいいんじゃないだろうか……猫娘も原作とは似ても似つかないデザインにしちゃったしな。
アニメ第4期における「ぬらりひょんのあつかい」がどれだけデリケートな大問題だったのかは、彼が満を持して第4期に初登場を果たした1発目のエピソードをちょっと見てみただけでも明らかでした。
そのエピソードとは、
第46話『妖怪大裁判 前編』(1996年11月放送)
……えっ、「第46話」?「11月」? もうスタートから1年近く経とうかとしてるんですけど……
その微妙な立ち位置ゆえに、登場にだいぶ遅れをとってしまったぬらりひょん先生でしたが、そこからの活躍のほどは、また次回のココロだ!
待たせたな、鬼太郎~! ……え? てっきりもう出てこないのかと思ってたって? わ、わしもそう思ってた……
「鬼太るゥオの看板番組で世話になるだけじゃあ埒があかん。ここはひとつ、1回ゲストでもいいからちょいちょい顔を出して知名度を確保していかねば!」
さすがは現代日本の情報化社会で力をつけていったぬらりひょん先生。1980年代のアニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』で堂々の大ボスデビューを果たしたとはいえ、そんな経歴など、放送が終了してしまえばあっという間に過去の栄光になってしまうという過酷な現実は、誰よりもリアルに把握していた。
そんな危機意識とともにのぞんだのが、1990年代前半における『忍者戦隊カクレンジャー』と『地獄先生ぬ~べ~』へのゲスト出演だったというわけなのだが、それぞれの作品で「妖怪忍者衆の頭領」やら「もと神」やら、つい2~300年前まで瀬戸内海でぷかぷかしていた下積み時代からは想像もつかないような過剰サービスを受け、ぬらりひょんはますますの自信をつけるにいたった。
「ほっほっほ。まさか、知らぬ間にこんなに祭りあげられておるとはのう……こんなんだったら朱の盤や蛇骨のオババも呼んでくればよかったわ。」
ところが、そんなホクホク顔のぬらりひょんに驚くべき、いやさ、いつか必ず届くと心のどこかでは確かに予感し続けていたビッグニュースが舞い込んできた!!
「むむっ。アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』製作開始とな……いよいよこの時がやってきたか。待っておれ鬼太るゥオ、貴様の引導は今度こそ、本物の妖怪総大将となったこのわしが渡してやるわ。」
風雲急を告げる『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ新シリーズ開幕の報。どうするどう出る、総大将~!?
まぁ、こんなわけでしてね。
1993年ごろから徐々に人気の上がってきた常光徹の児童書『学校の怪談』シリーズ、その年から連載が始まって翌94年からこれまた注目を集めるようになった妖怪マンガ『地獄先生ぬ~べ~』(『週刊少年ジャンプ』で99年まで)、そしてその94年に突如として出版され世間をにぎわすこととなった、謎の小説家・京極夏彦による『姑獲鳥(うぶめ)の夏』を第1作とする妖怪ミステリー「京極堂シリーズ」。
それらの林立によって巻き起こった「平成妖怪ブーム」は、さらに翌1995年に各映画会社が『学校の怪談』『トイレの花子さん』といった作品を続々公開することによってピークに達し、この流れはそのまんま1998年の『リング』に始まる「Jホラーブーム」や、『新 耳袋』を代表とする「実録怪談ブーム」へとシフトしていくこととなりました。かつての「学校の怪談」のうわさは、うわさする子ども達が大きくなった現在には「都市伝説」となっておるわけなんですなぁ~。学校と街中って、お話の背景が変わってるだけじゃん……
さてこんな中、まさに「平成妖怪ブーム」が次なる形態に分裂・変容していく過渡期となった1996~98年に放送されていたのがアニメ版『ゲゲゲの鬼太郎』の新シリーズだったのであります。
アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』(1996年1月~98年3月 全114話)
これですねぇ~。やたらアクション色の強いギトギトした第3期と5期にはさまれて、ちょっと不遇な目立たない存在として扱われがちな第4期なのですが、なかなかどうして、バカにできないクオリティの高さがあります。
なんだか全体的にムラサキがかった配色にリニューアルされた猫娘のように、アニメ第4期はとにかく「色彩」に特徴がありまして、それまでのアニメ版では「灰色」で統一されていたねずみ男の衣服(ていうか布)の色が、原作に準拠した「黄土色」になったのも、この第4期がお初でした。
もともと原作での印象が激薄だった猫娘はさておきますが、アニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』のコンセプトは「原典回帰」というものだったようです。
つまりバブル期1980年代のアニメ第3期が、やたら現代の子どもウケを狙った、そしてそれが見事に大成功した勧善懲悪バトルヒーローものだったがために、鬼太郎がやたら正義感が強く自分から事件解決に積極的に乗り出していく熱血少年だったり、ねずみ男がワルぶっていながらも実は涙もろい青くささのただよう好人物だったりして、とてもじゃないですが原作の水木しげるのテイストをアニメ化したとは言えない世界に走っていたことは厳然たる事実で、特にかつての原作マンガやアニメ第1~2期の良さを記憶している年齢層高めの人々には少なからぬ違和感を残すものとなっていました。
それに対する回答として、ちょうど日本も平成大不況におちいって全体的に「フハッ……」な感じになっていた1990年代中盤だからこそ、正義か悪か、白か黒か、勝利か敗北かばかりが現実の社会ではないというノ~ンビリした水木ワールドにまた立ち帰ってみようじゃないか、という理念を持ったシリーズこそが、次なるアニメ第4期だったというわけなのです。
そういった感じは第4期のオープニングとエンディングでも見事に体現されていて、憂歌団のシブすぎるアコースティックギターの調べにのって流れる『ゲゲゲの鬼太郎主題歌』と『カランコロンの歌』は、ちょっと小学生世代をねらったとは信じられない確信犯的な味わいがあります。ちょっと涙が出てきそうになる諦観がありますね。つい10年前に吉幾三が唄っていたシンセバリバリのヴァージョンとは180°真逆! いや、どっちもいいんですけど。
どこか冷めた印象のある第4期の鬼太郎を演じたのは松岡洋子(当時42歳)。
特に自分から怪奇事件の解決に乗り出すという積極性はあまりなく、事件の依頼者や目玉の親父にせっつかれてやっと動き出すといった感じは原作に実に忠実なキャラクターで、目を閉じて口を「3」の字にしながらあごに手をやり、わかったんだかわかってないんだか全然わからない発言をぶつぶつとつぶやく様子がピッタリの声でしたね。私そうだい個人としましては、歴代鬼太郎役者のみなさんの中でもいちばん原作にピッタリなのはこの松岡さんなんじゃないかなぁ、と確信しております。ちょっと低めの落ち着いた少年声がいいんだなぁ。あ、あと2位は、「ノイタミナ」の『墓場鬼太郎』(2008年)で「ニセ鬼太郎」のほうを演じた伊倉一恵さん(48歳)ですね。不良っぽい鬼太郎がいいの!
こういったちょっぴりオトナな鬼太郎や、原作どおりに外道でエネルギッシュなねずみ男(演・ぼくらの千葉繁アニキ!)、ユメコちゃんがいなくなったことによって自由度に磨きのかかった猫娘(演・西村ちなみ)といった新生鬼太郎ファミリーは、その絶妙なつかず離れずの距離感が実に90年代らしい空気をかもしだし、アニメ第4期は第3期の全115話にほぼならぶ「全114話、3年間の放送」という堂々たる記録を残す人気シリーズとなりました。
また、アニメ第4期は『ゲゲゲの鬼太郎』に強いリスペクトをささげる各界の才人がキャスト・スタッフ両面でゲスト参加を果たす機会も多く、第57話『吸血鬼エリート!』(1997年2月放送)で名キャラ・吸血鬼エリートを演じた俳優の佐野史郎(41歳)や、第89話『髪の毛地獄!ラクシャサ』(1997年10月放送)の脚本を担当した日本ホラー映画界の功労者・小中千昭などがまず挙げられます。猫娘にとってキャリア上でかなりの転機となる『ラクシャサ』の回を執筆したのは、やっぱりそれだけのお方だったんですねい。この回のすばらしさについては、我が『長岡京エイリアン』の過去の記事「ニャニャニャの猫娘ヒストリー」でさんざん扱っておりますので、ぜひともそちらをご覧になっていただきたいと思います。
あと、これはのちのちぬらりひょん先生のエピソードに直接かかわってくるので触れるだけにしておきますが、他ならぬ妖怪小説の強力ルーキー・京極夏彦おんみずからや、のちに日本アニメ界屈指の俊英として脚光を浴びることとなる演出家・細田守といった面々がその名を連ねていたことも、アニメ第4期ならではの魅力でした。
ところで、この第4期『ゲゲゲの鬼太郎』は、放送開始から1年が経過した1997年4月放送の第64話『激争!妖怪ラリー』から、アニメ製作にデジタル画像処理が導入されるようになり、東映では初のデジタルアニメ作品となっています。
今となってはもうデジタル処理が常識となったアニメ業界なんですが、導入された当初はビックラこいたなぁ。描線がミョ~にきれいになっていて、色も鮮明で。
これは私個人の中では、生まれて初めて「ウエハースチョコ」を食べた時の食感と、生まれて初めて「生茶」を飲んだ時の味わいとともに、
「世界3大・もうぜんぜん初めての時の衝撃が思い出せないビックリ」
のひとつに数えあげられています。思い出せねェ~!! けど、確かに当時はそうとう驚いてた。
こんなアニメ第4期『ゲゲゲの鬼太郎』でしたが、そのスタイルは結果的に、「原作マンガの忠実なアニメ化」と「大ヒット作にするための味つけ」とのバランスに苦慮する日々を招くこととなってしまいました。
具体的に水木ワールドを再現するのならば、それはそのままキャラクターの深すぎる人生観と文明批判の連続、ナンセンスでシュールすぎる展開が毎週繰り広げられることになってしまい、とても3年間も続けられる安定した長寿シリーズになるような希望的観測はできません。そんなシリーズを毎週日曜日の朝9時から放送できるほど日本は成熟してないんだなぁ~、当時も今も。
かと言って、大ヒットした第3期のひそみにならって、子ども達にわかりやすく訴えるために絵的に起伏の多いアクションやショックシーンを増やしてしまえば第4期の存在意義がなくなってしまうし……
当然ながら、原作マンガやアニメ第1~2期を観て育った大人たちがいるように、すでに「鬼太郎といえば血わき肉おどるド派手なバトルでしょ!」という第3期チルドレンも確実に青年期に突入していたため(かく言う私そうだいもこの世代に当たります)、現役の子ども達の人気確保の他にそういった各世代の評価も自然と意識せざるをえない第4期製作スタッフの苦労たるや、尋常ならざるものがあったのではないかと思われます。
わかりやすい具体的な例がこのアニメ第4期のオリジナル劇場版の内容です。
第4期はそれまでの歴代シリーズの伝統にもれず、東映の季節恒例の子ども向けアニメ映画オムニバス企画「東映アニメフェア」(かつての「東映まんがまつり」にあたる)のために3作のオリジナル劇場版を製作しています。この3作とも、同時上映で『地獄先生ぬ~べ~』との無敵のそろい踏みを果たしていたりして。
そこでなんですが、たとえばバトルアクション路線にガッチリ舵を取っていたアニメ第3期が製作した劇場版4作は、すべて「チーム鬼太郎 VS 南方妖怪軍団」「VS 西洋妖怪軍団」「VS 中国妖怪軍団」「VS 妖怪皇帝ぬらりひょん軍団」という大人数スペクタクルで統一されていたわけだったのですが、問題のアニメ第4期の方はどうだったのかといいますと、
『大海獣』・『おばけナイター』・『まぼろしの汽車』(すべて原作版のタイトル)
の3作をブローアップしたものとなっています。
もちろん全て劇場版にふさわしい名作ぞろいなのですが、絵的に簡単に盛り上がる大人数 VS 大人数のバトルに頼らない第4期のスタイルがよくわかるセレクトですね。
そして!! 大事なのは、その劇場版のどれにも! 我らがぬらりひょん先生が出演していない、ということなんですわ。
そうなのです。原作マンガを第一の聖典とするのならば、そこにチョロッとしか顔を出していない(純然たる悪役としてはたったの一度だけ)ぬらりひょんが劇場版にしゃしゃり出る資格など、あるはずもないのです。
しかし……製作スタッフは苦悩しました。アニメ第3期によってボスキャライメージが確立してしまった現状を完全無視して「ただの爆弾好きなお爺ちゃん妖怪でござ~い。」と言ったところで、今さら視聴者が納得してくれるのかどうか……
多少は第3期を視野に入れた準レギュラーキャラにしてもいいんじゃないだろうか……猫娘も原作とは似ても似つかないデザインにしちゃったしな。
アニメ第4期における「ぬらりひょんのあつかい」がどれだけデリケートな大問題だったのかは、彼が満を持して第4期に初登場を果たした1発目のエピソードをちょっと見てみただけでも明らかでした。
そのエピソードとは、
第46話『妖怪大裁判 前編』(1996年11月放送)
……えっ、「第46話」?「11月」? もうスタートから1年近く経とうかとしてるんですけど……
その微妙な立ち位置ゆえに、登場にだいぶ遅れをとってしまったぬらりひょん先生でしたが、そこからの活躍のほどは、また次回のココロだ!
待たせたな、鬼太郎~! ……え? てっきりもう出てこないのかと思ってたって? わ、わしもそう思ってた……
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