《前回までのあらすじ》
実質、月のはじめ一発目の話題に15年ちかく前のマンガを選ぶってのは、どうなんだ!? しかも今日、「文化の日」なんだぜ……
ま、いっか!? これが『長岡京エイリアン』の文化なんですなぁ~。
1993年。『学校の怪談』によって幕の上がった平成妖怪ブームにのっかる形で『週刊少年ジャンプ』での連載が開始された、至高の妖怪ホラーアクションエロギャグマンガ『地獄先生ぬ~べ~』(原作・真倉翔 作画・岡野剛)!!
最初はブームにのっかった色モノかと軽い扱いを受けた本作だったのですが、真倉先生によるテーマのしっかり込められた密度の濃い一話完結ストーリーと、岡野先生によるギャグもエロもこなす自由闊達な筆さばきとの両輪が稼働するにいたって、単なる一時的な盛り上がりにとどまらない独自の世界を展開させる大ヒット作となっていきました。
『地獄先生ぬ~べ~』が「学園ホラー」や「妖怪アクション」といったせまい枠にとらわれない広がりを見せていたことは、足かけ6年、276話も続いた膨大なエピソードそれぞれに登場した「怪奇事件の原因・犯人」を見てみれば一目瞭然です。
連載当初は「無念の死を遂げた人の怨霊」といった説明不要の定番ネタや、ブームにのっとった「トイレの花子さん」「テケテケ」「動く人体模型」「合わせ鏡の謎」などの現役の人気キャラ・テーマが中心だったのですが、物語全体の準レギュラーとして、主人公のぬ~べ~先生に恋をする雪女「ゆきめ」や、ふだんは長髪の美形青年医師でありながらその正体は強大な妖力を持った齢400の化け狐であるぬ~べ~のライバル「玉藻(たまも)」、妖怪クダギツネを使役できる霊能女子中学生「葉月いずな」、ぬ~べ~を恩人としたってつきまとう美女人魚の「速魚(はやめ)」といった怪しすぎる面々が出そろってきたあたりから「妖怪色」が強くなってきます。それに従ってゲストキャラクターも、「河童」「座敷わらし(これも準レギュラー)」「あかなめ」「ろくろ首」「かまいたち」といった、江戸時代の妖怪画やあの『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの日本古来の妖怪がひんぱんに顔を出すようになってきました。
ここまでの「学校の怪談ネタ」や「有名妖怪ネタ」は、長期連載になればそりゃ出てくるだろうと想像がつくのですが、そこからさらにひとまわりもふたまわりもネタが拡大していったのが『ぬ~べ~』の素晴らしいところ!
まずは、「はたもんば」「餓鬼魂」「飛頭蛮(抜け首)」「七人みさき」といった非『ゲゲゲ』系の妖怪たちにもスポットライトが当てられるようになり、北海道のアイヌに伝わる精霊「パウチ」や「キムナヌ」もまさかの『ジャンプ』からの全国デビューというシンデレラストーリーを歩んでいます。そういえば、『地獄先生ぬ~べ~』には「沖縄の妖怪」は出ていなかったような……物語の舞台となる「童守町(どうもりちょう)」が東日本だからか?
そして、テーマはついに国境を越え、「人狼(狼男)」「地獄の番犬ケルベロス」「毒草マンドラゴラ」「巨人ゴーレム」「人造人間ホムンクルス」などの西洋妖怪もなぜか童守町に出張営業。
あと、妖怪妖怪とさんざんっぱら言っておきながら、実は私そうだいが『ぬ~べ~』テーマのくくりの中でいちばん好きなのは、「超常現象もの」なんですよ!
「ドッペルゲンガー現象」「宇宙人・UFO」「ダウジング」「ヒエロニムス・マシン」……こういった『ジャンプ』よりも『マガジン』のほうが似合うような「な、なんだってー!?」なエピソードもチラチラさし込まれていたんですよねぇ。油断のスキもあったもんじゃありません。そういえば、発生する怪奇現象をいちいち科学的に説明しようとする「大月先生」ってキャラもいましたねぇ。大槻じゃないのね。
子どもが口々にうわさする怖い妖怪の正体が「本物の猟奇殺人犯」だったという、ありきたりなオチのようでいてよく考えてみたらいちばんゾ~ッとするお話もありましたね。僕らのぬ~べ~先生でも生身の人間の心の闇までは取り払えないという、いつもの笑って読めるエピソードとはまるで違ったリアルな味わいがありました。こういうのもたまにあるから『地獄先生ぬ~べ~』はニクいんだよなぁ~!
こんな感じで毎回毎回とめどもなくテーマが各方面に飛び火していくと、ひとつのマンガとしてのまとまりがなくなってしまう恐れが出てくるのですが、そこはそれ、すべてを『地獄先生ぬ~べ~』というタイトルでガッチリと包容する真倉・岡野タッグの強固な作品設定があるからこその拡大なわけなんですね。
『地獄先生ぬ~べ~』の主人公は言うまでもなくぬ~べ~先生なのですが、各エピソードでトラブルに巻き込まれる「実質的な主人公」はぬ~べ~が担当する童守小学校5年3組の生徒の誰かであることがほとんどで、ぬ~べ~自身の立ち位置はむしろ、事件を解決する存在として最後に活躍するミステリー小説の「名探偵」に近く、きざな言い方をすれば「デウス・エクス・マキナ」、「黄門さまの印籠」であるわけなんです。もちろん、「絶鬼編」のようにぬ~べ~が正真正銘の主人公となっているエピソードもあります。
つまり、『地獄先生ぬ~べ~』という長期連載は、「やんちゃ」「まじめ」「いたずら好き」「ひっこみ思案」「おバカ」「巨乳」「メガネ」などという、読者にとっても親しみのわくそれぞれの持ち味をそなえた10人くらいいるレギュラーキャラが、毎週毎週の持ち回りで主人公をつとめるというシステムによってその人気を保っていたのです。
これ、口で言うと楽そうに聞こえるかもしれませんが、言いかえれば「主人公を10人ぶん設定する」ってことなんですからね……原作者にとっても作画者にとってもかなりの産みの苦しみがあったかと思います。
作品設定と言えば、『地獄先生ぬ~べ~』はほぼ全話、「童守町内で事件が起こる」というルールで統一されています。
これも、『Dr.スランプ』の「ペンギン村」や『うる星やつら』の「友引町」を例に挙げるまでもなく、作品の枠組みを強固なものにする重要なファクターですよねぇ。
「童守町」という存在が実在しているかのように確立しているからこそ、ぬ~べ~の赴任によって『地獄先生ぬ~べ~』は始まり、ぬ~べ~の転任によって『地獄先生ぬ~べ~』は涙、涙の完結を迎えるのです。
これ、いいですよねぇ! 誰かが死ぬわけでもなく、誰かが世界一や宇宙一になるわけでもない。ただ自分たちの町からある人が去っていくことのみによって、あんなに波瀾万丈だった、とぎれることの無いようにさえ感じられた楽しい時代はふいに終わりを告げていくのです。
とは言うものの、連載当初はどこにでもある小・中規模のパッとしない町だった「童守町」も、テーマが広がるにつれて、絵的に華やかな情景だったり妖怪の出現に必要な地形だったりをいちいち町内でみつくろっていかなければならなくなってしまったため、最終的には、
渋谷そっくりの大規模な繁華街、海に面した港湾、田園地帯、山地、マンション地域、住宅街、遊園地、ランドマークタワー(童守タワー)などを持つ「市」レベルの自治体
ということになってしまいました。うん、町じゃないですね。
また、連載中に語られたさまざまな条件から、童守町は「東京都」「神奈川県」「千葉県北西部」「静岡県東部(伊豆地方)」のどこかにあることが推測されるのですが、それ以上は「都内」と語られたり「県の」と語られたりと描写がまちまちになっているため、最終的にどこかの実在地域にしぼることは不可能のようです。
ちなみに、その4都県の中で「海」と「山地」のどっちもそなえた「町」はどこにも存在していないようです。だろうね~。
さて、いい加減にそろそろ本題に入るといたしましょう。
そんな一大パノラマ『地獄先生ぬ~べ~』に我らがぬらりひょん先生がゲスト出演したのは、1995年2月に連載された第69話『ペテン師妖怪!?ぬらりひょん』の巻でのことでした。
この回で妖怪ぬらりひょんの怪異に巻き込まれる実質的な主人公は、ぬ~べ~の教え子の細川美樹。小5でありながらそうとう成熟したバディを有した娘さんで、その己の肉体(特にバスト)に対する自信は、少なくともこの「ぬらりひょん事件」のわずか翌々週に利根川から遊びにやってきた「巨乳妖怪・祢々子河童(作中では弥々子)」に出くわすまでは揺るぎないものとなっていました。
ただ、そこまでオトナな外見をしていながら中身は典型的なおっちょこちょい。自信家なところがわざわいしてトラブルメーカーになることのしょっちゅうだった美樹は、ここでもぬらりひょん先生に振り回されることとなります。
このエピソードに登場したぬらりひょんは、「他人の家に勝手に入りこみ まるでその家の主であるかのようにふるまう」「あつかましく偉そうな妖怪」という性質をフルに発揮し、たまたま家族の誰もいなかった美樹の家に上がり込んでTV を観たり本を読んだり風呂に入ったり出前の特上寿司を食べたり美樹パパ秘蔵のブランデーをあけたりと傍若無人のかぎりを尽くします。まさしく「傍らに人、無きがごとし」。
『地獄先生ぬ~べ~』でのぬらりひょんは、異様に後頭部が大きく顔は凶悪そのもの、服装は旅の僧のような地味な黒の袈裟姿で杖をついたかなり小柄な老人という風貌になっています。特に『画図百鬼夜行』の「にやけぬうりひょん」やアニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』の「凶悪ぬらりひょん」に似せている印象はないのですが、その鋭い目つきと濃い眉毛がオリジナルな迫力を持っていますね。
そんな彼を、放課後に帰宅した美樹が目撃して驚き激怒するわけなのですが、美樹はタイミング良くかかってきた父親からの電話を受けて、ぬらりひょんを「遊びに来たパパの得意先の大会社の社長」だと思いっきり勘違いしてしまい、すみやかに口紅をつけてネグリジェを裸身にまとい、小学生としてはアウトなレベルのサービスで懇切丁寧に接待します。無論、その真意が見返りの「おこづかい」「高価なプレゼント」であるということは言うまでもありません。世も末だよ……
これに気をよくしたぬらりひょんは、美樹の狙いどおりに「何か買ってやろう。」と言って繁華街にくり出すのですが、ここからが妖怪ぬらりひょんとしての本領発揮となります。
なんとぬらりひょんは、行く店行く店で「主であるかのようにふるまう能力」をフル活用。「わしは誰じゃ?」と呼びかけることによって発動する呪力は効果てきめん、自分のことを高級ブティックに行ったらそこのオーナー、おもちゃ屋に行ったらおもちゃ会社の重役、遊園地に行ったら遊園地の大株主であると働く人たちに思いこませ、容赦ないタダ買いタダ乗りタダ食いの連続を美樹とともに繰り広げました。
しかし、どうやらこのぬらりひょんの能力は、ぬらりひょんが店から去った瞬間に失効するようで、結局は童守町中の経営者たちに追いかけられ「ペテン師」「詐欺師」呼ばわりされることとなってしまうぬらりひょんと美樹。
怒りに燃える大人たちに対して、ぬらりひょんは「わしは誰じゃーっ!!」と絶叫し、周囲の人や物を吹き飛ばし破壊する強大な妖力をむき出しにして襲いかかります。
ここでついに、ぬ~べ~先生がぬらりひょん退治に乗り出すわけなのですが、ぬ~べ~は即座に妖怪ぬらりひょんの「真の姿」を見抜き、彼の「わしは誰じゃ。」という問いかけに対して、
「あんたは神だ。」
とこたえ、それに満足したぬらりひょんは姿を消し去ってゆくのでした。
ぬ~べ~が見いだした妖怪ぬらりひょんの正体とは、かつて日本のどの家どの店にもあった、神棚に供物をそなえてその家や店を守ってくれる神様をお迎えするという「客人神(まろうどがみ)信仰」が現代になるにつれて忘れ去られてしまい、行くあてを失った神様が人々にうとまれてしまったなれの果ての姿だったのです。もともとは人々に福をもたらす存在だったのだと説明するぬ~べ~はぬらりひょんの退治をとりやめ、神を敬う心を忘れていたと思い知らされた童守町の経営者たちは「バチが当たったんだ。」と思うことにして、食べ物は仕方ないが美樹のもらったプレゼントは全部返してもらうということで一件落着となったのでした。
オチとしては、今回の事件で神をも手玉に取ることができると実証された自分の色香にますます自信を持つようになった美樹の笑顔でチャンチャン、ということになっています。平和だなぁ~オイ!!
とまぁこういった流れでして、『地獄先生ぬ~べ~』での妖怪ぬらりひょんは、「いつの間にかいる」属性を思う存分に活かしまくったキャラクターとなっています。
その点、「ゲゲゲの鬼太郎サーガ」に登場する妖怪総大将ぬらりひょんよりもよっぽど妖怪らしい個性を発揮しているわけなのですが、「ぬらりひょん=忘れられた神」という構図は『地獄先生ぬ~べ~』だけでのオリジナル解釈であり、もともと「いつの間にかいる」属性自体が戦後・昭和の第1次妖怪ブームに創作された物である可能性が高いということは以前にも触れました。でも、さすがは真倉先生! そんなはずなのに説得力があるんだよなぁ~。
ちなみに、この『ペテン師妖怪!?ぬらりひょん』の巻では、冒頭に江戸時代の『聖城怪談録』という怪談集にあるという記事が引用されて、あたかも「いつの間にかいる」属性のぬらりひょんが江戸時代から存在していたかのような前フリがなされているのですが、これは真倉先生一流の「いつの間にかいる」属性を強調するためのウソウソ情報で、そんな記録はもとよりありません。ただし、江戸時代の加賀国大聖寺藩内(現在の石川県加賀市)に伝わる怪談を集めて編纂した『聖城怪談録』自体はちゃんと実在しているので注意。真倉先生は、その中に収録されていた「いつの間にか家の中に現れる坊さんの幽霊」というエピソードを妖怪ぬらりひょんのものに置き換えていたのです! よい子はうのみにしちゃダメだゾ。
数ある『地獄先生ぬ~べ~』エピソードの中でも、珍しくぬ~べ~に退治されずに円満に退場していったぬらりひょん先生ですが、そのため、それ以降のエピソードに再登場することはありませんでした。厳密に言えば、ぬ~べ~に味方する側の1人として同年10月の第97話『最強の敵!?』に1コマだけチラッと出演しているものの、ファンサービスのようなモブ扱いになっています。
ところで、大ヒットマンガの常道として『地獄先生ぬ~べ~』は1996年4月~97年6月にアニメ化もされており(テレビ朝日毎週土曜夜19時30分~20時 全49話)、さらには3作の劇場版と3作のOVAも制作される人気タイトルとなっています(すべての主演・置鮎龍太郎)。
ただし、残念ながら我らがぬらりひょん先生のエピソードはアニメ化されることはありませんでした。これには「話がシンプルなのでアニメ向けにふくらませられない」「テーマに信仰が関わってくるため子供向けのアニメとしてはやや難解」「美樹の接待ぶりがシャレにならない」などと色々な理由が考えられるのですが、アニメ化されなかったことを根拠にこのエピソードが「おもしろくない」「地味」とみなされる筋合いはないと思いますよ、うん。
こげな感じで、巨乳のかわいこちゃんにはセクシーな歓待を受けるわ、主人公には「神だ。」とヨイショされるわ。ちょっと遊びに来た割りには過剰すぎるお土産をもらって満足顔で童守町をあとにしたぬらりひょん先生だったわけなのですが、その直後、彼はついに「ぬらりひょんサーガ史上最大の難局」とも言える長い闘いに身を投じることとなります。
そう。「東映アニメフェア」ではオリジナル劇場版が『地獄先生ぬ~べ~』と同時に上映されていた、「平成妖怪ブーム」の真打ち!!
にっくき「ゲゲゲの鬼太郎」との、平成に入ってからは初となる直接対決は目前に迫っていたのでありましたァ~ん。
以下、次回!
《余談ながら》
今でもさまざまな形で容易に入手することができる『地獄先生ぬ~べ~』なのですが、久しぶりに読んでみたい、またはこれから初めて読むという方には、私そうだいは文庫版コミックス(全20巻)をお手にとることをおすすめします。
理由はなんと言っても、連載当初からおよそ10年という歳月が経過した時点での真倉・岡野両先生によるメイキング対談と新作書き下ろしが楽しめるから!!
この特典がついたことにより、文庫版『ぬ~べ~』は単なる再版作品ではなくなってしまいました。完全な新作! だって、ほんとにタッグを組んで6年間連載していたお2人の裏話なんですから。リアル『バクマン』なんですよ!?
「ぬらりひょん関連」に限定したトークでは、製作当初はぬらりひょんの造型に『画図百鬼夜行』の「ぬうりひょん」っぽさを要求した真倉先生と、アニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』の「悪役ぬらりひょん」っぽさを主張した岡野先生との間でもめたという重要なお話がありました。最終的には岡野案での発表となったわけですが、妖怪ぬらりひょんという存在の曖昧さを端的にしめす逸話だと思います。
プロのこぼれ話はやっぱりおもしろいねぇ~。
実質、月のはじめ一発目の話題に15年ちかく前のマンガを選ぶってのは、どうなんだ!? しかも今日、「文化の日」なんだぜ……
ま、いっか!? これが『長岡京エイリアン』の文化なんですなぁ~。
1993年。『学校の怪談』によって幕の上がった平成妖怪ブームにのっかる形で『週刊少年ジャンプ』での連載が開始された、至高の妖怪ホラーアクションエロギャグマンガ『地獄先生ぬ~べ~』(原作・真倉翔 作画・岡野剛)!!
最初はブームにのっかった色モノかと軽い扱いを受けた本作だったのですが、真倉先生によるテーマのしっかり込められた密度の濃い一話完結ストーリーと、岡野先生によるギャグもエロもこなす自由闊達な筆さばきとの両輪が稼働するにいたって、単なる一時的な盛り上がりにとどまらない独自の世界を展開させる大ヒット作となっていきました。
『地獄先生ぬ~べ~』が「学園ホラー」や「妖怪アクション」といったせまい枠にとらわれない広がりを見せていたことは、足かけ6年、276話も続いた膨大なエピソードそれぞれに登場した「怪奇事件の原因・犯人」を見てみれば一目瞭然です。
連載当初は「無念の死を遂げた人の怨霊」といった説明不要の定番ネタや、ブームにのっとった「トイレの花子さん」「テケテケ」「動く人体模型」「合わせ鏡の謎」などの現役の人気キャラ・テーマが中心だったのですが、物語全体の準レギュラーとして、主人公のぬ~べ~先生に恋をする雪女「ゆきめ」や、ふだんは長髪の美形青年医師でありながらその正体は強大な妖力を持った齢400の化け狐であるぬ~べ~のライバル「玉藻(たまも)」、妖怪クダギツネを使役できる霊能女子中学生「葉月いずな」、ぬ~べ~を恩人としたってつきまとう美女人魚の「速魚(はやめ)」といった怪しすぎる面々が出そろってきたあたりから「妖怪色」が強くなってきます。それに従ってゲストキャラクターも、「河童」「座敷わらし(これも準レギュラー)」「あかなめ」「ろくろ首」「かまいたち」といった、江戸時代の妖怪画やあの『ゲゲゲの鬼太郎』でおなじみの日本古来の妖怪がひんぱんに顔を出すようになってきました。
ここまでの「学校の怪談ネタ」や「有名妖怪ネタ」は、長期連載になればそりゃ出てくるだろうと想像がつくのですが、そこからさらにひとまわりもふたまわりもネタが拡大していったのが『ぬ~べ~』の素晴らしいところ!
まずは、「はたもんば」「餓鬼魂」「飛頭蛮(抜け首)」「七人みさき」といった非『ゲゲゲ』系の妖怪たちにもスポットライトが当てられるようになり、北海道のアイヌに伝わる精霊「パウチ」や「キムナヌ」もまさかの『ジャンプ』からの全国デビューというシンデレラストーリーを歩んでいます。そういえば、『地獄先生ぬ~べ~』には「沖縄の妖怪」は出ていなかったような……物語の舞台となる「童守町(どうもりちょう)」が東日本だからか?
そして、テーマはついに国境を越え、「人狼(狼男)」「地獄の番犬ケルベロス」「毒草マンドラゴラ」「巨人ゴーレム」「人造人間ホムンクルス」などの西洋妖怪もなぜか童守町に出張営業。
あと、妖怪妖怪とさんざんっぱら言っておきながら、実は私そうだいが『ぬ~べ~』テーマのくくりの中でいちばん好きなのは、「超常現象もの」なんですよ!
「ドッペルゲンガー現象」「宇宙人・UFO」「ダウジング」「ヒエロニムス・マシン」……こういった『ジャンプ』よりも『マガジン』のほうが似合うような「な、なんだってー!?」なエピソードもチラチラさし込まれていたんですよねぇ。油断のスキもあったもんじゃありません。そういえば、発生する怪奇現象をいちいち科学的に説明しようとする「大月先生」ってキャラもいましたねぇ。大槻じゃないのね。
子どもが口々にうわさする怖い妖怪の正体が「本物の猟奇殺人犯」だったという、ありきたりなオチのようでいてよく考えてみたらいちばんゾ~ッとするお話もありましたね。僕らのぬ~べ~先生でも生身の人間の心の闇までは取り払えないという、いつもの笑って読めるエピソードとはまるで違ったリアルな味わいがありました。こういうのもたまにあるから『地獄先生ぬ~べ~』はニクいんだよなぁ~!
こんな感じで毎回毎回とめどもなくテーマが各方面に飛び火していくと、ひとつのマンガとしてのまとまりがなくなってしまう恐れが出てくるのですが、そこはそれ、すべてを『地獄先生ぬ~べ~』というタイトルでガッチリと包容する真倉・岡野タッグの強固な作品設定があるからこその拡大なわけなんですね。
『地獄先生ぬ~べ~』の主人公は言うまでもなくぬ~べ~先生なのですが、各エピソードでトラブルに巻き込まれる「実質的な主人公」はぬ~べ~が担当する童守小学校5年3組の生徒の誰かであることがほとんどで、ぬ~べ~自身の立ち位置はむしろ、事件を解決する存在として最後に活躍するミステリー小説の「名探偵」に近く、きざな言い方をすれば「デウス・エクス・マキナ」、「黄門さまの印籠」であるわけなんです。もちろん、「絶鬼編」のようにぬ~べ~が正真正銘の主人公となっているエピソードもあります。
つまり、『地獄先生ぬ~べ~』という長期連載は、「やんちゃ」「まじめ」「いたずら好き」「ひっこみ思案」「おバカ」「巨乳」「メガネ」などという、読者にとっても親しみのわくそれぞれの持ち味をそなえた10人くらいいるレギュラーキャラが、毎週毎週の持ち回りで主人公をつとめるというシステムによってその人気を保っていたのです。
これ、口で言うと楽そうに聞こえるかもしれませんが、言いかえれば「主人公を10人ぶん設定する」ってことなんですからね……原作者にとっても作画者にとってもかなりの産みの苦しみがあったかと思います。
作品設定と言えば、『地獄先生ぬ~べ~』はほぼ全話、「童守町内で事件が起こる」というルールで統一されています。
これも、『Dr.スランプ』の「ペンギン村」や『うる星やつら』の「友引町」を例に挙げるまでもなく、作品の枠組みを強固なものにする重要なファクターですよねぇ。
「童守町」という存在が実在しているかのように確立しているからこそ、ぬ~べ~の赴任によって『地獄先生ぬ~べ~』は始まり、ぬ~べ~の転任によって『地獄先生ぬ~べ~』は涙、涙の完結を迎えるのです。
これ、いいですよねぇ! 誰かが死ぬわけでもなく、誰かが世界一や宇宙一になるわけでもない。ただ自分たちの町からある人が去っていくことのみによって、あんなに波瀾万丈だった、とぎれることの無いようにさえ感じられた楽しい時代はふいに終わりを告げていくのです。
とは言うものの、連載当初はどこにでもある小・中規模のパッとしない町だった「童守町」も、テーマが広がるにつれて、絵的に華やかな情景だったり妖怪の出現に必要な地形だったりをいちいち町内でみつくろっていかなければならなくなってしまったため、最終的には、
渋谷そっくりの大規模な繁華街、海に面した港湾、田園地帯、山地、マンション地域、住宅街、遊園地、ランドマークタワー(童守タワー)などを持つ「市」レベルの自治体
ということになってしまいました。うん、町じゃないですね。
また、連載中に語られたさまざまな条件から、童守町は「東京都」「神奈川県」「千葉県北西部」「静岡県東部(伊豆地方)」のどこかにあることが推測されるのですが、それ以上は「都内」と語られたり「県の」と語られたりと描写がまちまちになっているため、最終的にどこかの実在地域にしぼることは不可能のようです。
ちなみに、その4都県の中で「海」と「山地」のどっちもそなえた「町」はどこにも存在していないようです。だろうね~。
さて、いい加減にそろそろ本題に入るといたしましょう。
そんな一大パノラマ『地獄先生ぬ~べ~』に我らがぬらりひょん先生がゲスト出演したのは、1995年2月に連載された第69話『ペテン師妖怪!?ぬらりひょん』の巻でのことでした。
この回で妖怪ぬらりひょんの怪異に巻き込まれる実質的な主人公は、ぬ~べ~の教え子の細川美樹。小5でありながらそうとう成熟したバディを有した娘さんで、その己の肉体(特にバスト)に対する自信は、少なくともこの「ぬらりひょん事件」のわずか翌々週に利根川から遊びにやってきた「巨乳妖怪・祢々子河童(作中では弥々子)」に出くわすまでは揺るぎないものとなっていました。
ただ、そこまでオトナな外見をしていながら中身は典型的なおっちょこちょい。自信家なところがわざわいしてトラブルメーカーになることのしょっちゅうだった美樹は、ここでもぬらりひょん先生に振り回されることとなります。
このエピソードに登場したぬらりひょんは、「他人の家に勝手に入りこみ まるでその家の主であるかのようにふるまう」「あつかましく偉そうな妖怪」という性質をフルに発揮し、たまたま家族の誰もいなかった美樹の家に上がり込んでTV を観たり本を読んだり風呂に入ったり出前の特上寿司を食べたり美樹パパ秘蔵のブランデーをあけたりと傍若無人のかぎりを尽くします。まさしく「傍らに人、無きがごとし」。
『地獄先生ぬ~べ~』でのぬらりひょんは、異様に後頭部が大きく顔は凶悪そのもの、服装は旅の僧のような地味な黒の袈裟姿で杖をついたかなり小柄な老人という風貌になっています。特に『画図百鬼夜行』の「にやけぬうりひょん」やアニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』の「凶悪ぬらりひょん」に似せている印象はないのですが、その鋭い目つきと濃い眉毛がオリジナルな迫力を持っていますね。
そんな彼を、放課後に帰宅した美樹が目撃して驚き激怒するわけなのですが、美樹はタイミング良くかかってきた父親からの電話を受けて、ぬらりひょんを「遊びに来たパパの得意先の大会社の社長」だと思いっきり勘違いしてしまい、すみやかに口紅をつけてネグリジェを裸身にまとい、小学生としてはアウトなレベルのサービスで懇切丁寧に接待します。無論、その真意が見返りの「おこづかい」「高価なプレゼント」であるということは言うまでもありません。世も末だよ……
これに気をよくしたぬらりひょんは、美樹の狙いどおりに「何か買ってやろう。」と言って繁華街にくり出すのですが、ここからが妖怪ぬらりひょんとしての本領発揮となります。
なんとぬらりひょんは、行く店行く店で「主であるかのようにふるまう能力」をフル活用。「わしは誰じゃ?」と呼びかけることによって発動する呪力は効果てきめん、自分のことを高級ブティックに行ったらそこのオーナー、おもちゃ屋に行ったらおもちゃ会社の重役、遊園地に行ったら遊園地の大株主であると働く人たちに思いこませ、容赦ないタダ買いタダ乗りタダ食いの連続を美樹とともに繰り広げました。
しかし、どうやらこのぬらりひょんの能力は、ぬらりひょんが店から去った瞬間に失効するようで、結局は童守町中の経営者たちに追いかけられ「ペテン師」「詐欺師」呼ばわりされることとなってしまうぬらりひょんと美樹。
怒りに燃える大人たちに対して、ぬらりひょんは「わしは誰じゃーっ!!」と絶叫し、周囲の人や物を吹き飛ばし破壊する強大な妖力をむき出しにして襲いかかります。
ここでついに、ぬ~べ~先生がぬらりひょん退治に乗り出すわけなのですが、ぬ~べ~は即座に妖怪ぬらりひょんの「真の姿」を見抜き、彼の「わしは誰じゃ。」という問いかけに対して、
「あんたは神だ。」
とこたえ、それに満足したぬらりひょんは姿を消し去ってゆくのでした。
ぬ~べ~が見いだした妖怪ぬらりひょんの正体とは、かつて日本のどの家どの店にもあった、神棚に供物をそなえてその家や店を守ってくれる神様をお迎えするという「客人神(まろうどがみ)信仰」が現代になるにつれて忘れ去られてしまい、行くあてを失った神様が人々にうとまれてしまったなれの果ての姿だったのです。もともとは人々に福をもたらす存在だったのだと説明するぬ~べ~はぬらりひょんの退治をとりやめ、神を敬う心を忘れていたと思い知らされた童守町の経営者たちは「バチが当たったんだ。」と思うことにして、食べ物は仕方ないが美樹のもらったプレゼントは全部返してもらうということで一件落着となったのでした。
オチとしては、今回の事件で神をも手玉に取ることができると実証された自分の色香にますます自信を持つようになった美樹の笑顔でチャンチャン、ということになっています。平和だなぁ~オイ!!
とまぁこういった流れでして、『地獄先生ぬ~べ~』での妖怪ぬらりひょんは、「いつの間にかいる」属性を思う存分に活かしまくったキャラクターとなっています。
その点、「ゲゲゲの鬼太郎サーガ」に登場する妖怪総大将ぬらりひょんよりもよっぽど妖怪らしい個性を発揮しているわけなのですが、「ぬらりひょん=忘れられた神」という構図は『地獄先生ぬ~べ~』だけでのオリジナル解釈であり、もともと「いつの間にかいる」属性自体が戦後・昭和の第1次妖怪ブームに創作された物である可能性が高いということは以前にも触れました。でも、さすがは真倉先生! そんなはずなのに説得力があるんだよなぁ~。
ちなみに、この『ペテン師妖怪!?ぬらりひょん』の巻では、冒頭に江戸時代の『聖城怪談録』という怪談集にあるという記事が引用されて、あたかも「いつの間にかいる」属性のぬらりひょんが江戸時代から存在していたかのような前フリがなされているのですが、これは真倉先生一流の「いつの間にかいる」属性を強調するためのウソウソ情報で、そんな記録はもとよりありません。ただし、江戸時代の加賀国大聖寺藩内(現在の石川県加賀市)に伝わる怪談を集めて編纂した『聖城怪談録』自体はちゃんと実在しているので注意。真倉先生は、その中に収録されていた「いつの間にか家の中に現れる坊さんの幽霊」というエピソードを妖怪ぬらりひょんのものに置き換えていたのです! よい子はうのみにしちゃダメだゾ。
数ある『地獄先生ぬ~べ~』エピソードの中でも、珍しくぬ~べ~に退治されずに円満に退場していったぬらりひょん先生ですが、そのため、それ以降のエピソードに再登場することはありませんでした。厳密に言えば、ぬ~べ~に味方する側の1人として同年10月の第97話『最強の敵!?』に1コマだけチラッと出演しているものの、ファンサービスのようなモブ扱いになっています。
ところで、大ヒットマンガの常道として『地獄先生ぬ~べ~』は1996年4月~97年6月にアニメ化もされており(テレビ朝日毎週土曜夜19時30分~20時 全49話)、さらには3作の劇場版と3作のOVAも制作される人気タイトルとなっています(すべての主演・置鮎龍太郎)。
ただし、残念ながら我らがぬらりひょん先生のエピソードはアニメ化されることはありませんでした。これには「話がシンプルなのでアニメ向けにふくらませられない」「テーマに信仰が関わってくるため子供向けのアニメとしてはやや難解」「美樹の接待ぶりがシャレにならない」などと色々な理由が考えられるのですが、アニメ化されなかったことを根拠にこのエピソードが「おもしろくない」「地味」とみなされる筋合いはないと思いますよ、うん。
こげな感じで、巨乳のかわいこちゃんにはセクシーな歓待を受けるわ、主人公には「神だ。」とヨイショされるわ。ちょっと遊びに来た割りには過剰すぎるお土産をもらって満足顔で童守町をあとにしたぬらりひょん先生だったわけなのですが、その直後、彼はついに「ぬらりひょんサーガ史上最大の難局」とも言える長い闘いに身を投じることとなります。
そう。「東映アニメフェア」ではオリジナル劇場版が『地獄先生ぬ~べ~』と同時に上映されていた、「平成妖怪ブーム」の真打ち!!
にっくき「ゲゲゲの鬼太郎」との、平成に入ってからは初となる直接対決は目前に迫っていたのでありましたァ~ん。
以下、次回!
《余談ながら》
今でもさまざまな形で容易に入手することができる『地獄先生ぬ~べ~』なのですが、久しぶりに読んでみたい、またはこれから初めて読むという方には、私そうだいは文庫版コミックス(全20巻)をお手にとることをおすすめします。
理由はなんと言っても、連載当初からおよそ10年という歳月が経過した時点での真倉・岡野両先生によるメイキング対談と新作書き下ろしが楽しめるから!!
この特典がついたことにより、文庫版『ぬ~べ~』は単なる再版作品ではなくなってしまいました。完全な新作! だって、ほんとにタッグを組んで6年間連載していたお2人の裏話なんですから。リアル『バクマン』なんですよ!?
「ぬらりひょん関連」に限定したトークでは、製作当初はぬらりひょんの造型に『画図百鬼夜行』の「ぬうりひょん」っぽさを要求した真倉先生と、アニメ第3期『ゲゲゲの鬼太郎』の「悪役ぬらりひょん」っぽさを主張した岡野先生との間でもめたという重要なお話がありました。最終的には岡野案での発表となったわけですが、妖怪ぬらりひょんという存在の曖昧さを端的にしめす逸話だと思います。
プロのこぼれ話はやっぱりおもしろいねぇ~。
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