どうもこんばんは、そうだいです。
いやぁ、終わりました、終わってしまいました、10月のアトリエ公演が。今月の公演は、私にとって本当に重大なものとなりました。
どう重大なのかは昨日までさんざん言ってきたのでもう言わないのですが、そういった嵐のような日々がひとまずは終わりました。今はどことなくほっとしたような、心にぽっかり穴があいたような気持ちになっています。
ほんとに、今回ばかりはまわりの人たちにかなりのムリを通してしまいましたよ! 迷惑かけたね……
もちろん、昨日ですべてが終わったわけでもなんでもないのですが、正直なところ、まずはゆっくりと休みたい。
さて、ふと落ち着いてみると、何かを忘れているような……あれ、今回のブログのタイトルって、なんだっけ。
……え?「ざっくり世界史」?
あぁあぁあぁ!! しまった、完っ全に忘れてたよ! そうそう、ヨーロッパ帝国の歴史を追ってるシリーズがあったんだよね! 芝居の公演中にはこれをやろうっていう。
今月にかぎって、やれるわけがなかった……
毎日の更新もとどこおるような状況の中で、のんびりと歴史の世界にひたれるほど、私も超人ではなかったのです。平々ぼんぼ~ん。
つぅことでまぁ、まるまる1週間くらい遅れちゃったけど、久しぶりに始めてみっか、ヨーロッパの歴史へのタイムトリップ!
1ヶ月前にやった「ざっくり世界史」シリーズなんですが、これは、ヨーロッパにおける「帝国」の歴史を少しずつ時間の流れにそってひもといていき、最終的には、そうだいが愛してやまない「神聖ローマ帝国」がどうしてそんなに素晴らしいのかを説明してみるまでいってよう、という企画でした。
先月は6回までやりまして、時間でいうと紀元前16世紀から紀元前509年まで進めてきました。1000年分よ! 進めるよねぇ~。それでまだ「帝国」の「て」の字も出てきてないんだもの……道は遠いぜ。
たぶんに伝説的な要素も多かった古代のローマ王国だったのですが、今回あたりからボチボチ現実の歴史らしいにおいがしだしてくるんですね。
物語は、最初のローマ王国が崩壊した紀元前509年からふたたび始まります。
その年、戦争好きだったローマ王国7代国王タルクィニウス=スペルブス(傲慢王)とその息子の横暴に耐えられなくなったローマ国民は、遠征によりタルクィニウスが不在だったタイミングで蜂起し、そのまま彼をローマから追放してしまいます。
このクーデターの指揮をとったのは、それまでタルクィニウスの側近として長らくつき従ってきた貴族(パトリキ)のルキウス=ブルートゥスでした。
国王としての権力を拡大しようとしていたタルクィニウスは在位中に、ローマ国内にいる有力なパトリキの多くを殺害・処分していましたが、ルキウスの兄弟もその例外ではありませんでした。
しかし、ルキウスだけは、おろかなフリをしてタルクィニウスのお気に入りになって生き延びていたのです! 役者だぜルキウス。ちなみに、ルキウス=ブルートゥスの「ブルートゥス」はタルクィニウスにつけられた名前で、なんと「アホ」という意味なのだそうです。それがルキウスの活躍によって名誉ある名前となり、「ブルートゥス、お前もか」と言われる人物も登場してくるわけなんですが、それはまだまだ450年ほどあとのお話。はてしねぇ!
さて、そんな苦労人ルキウスなんですが、クーデターとその後の活躍は「アホ」とはほど遠いあざやかさでした。
まずは、強力な権力を持っていた「国王」という存在をすみやかに廃止し、それに代わる「執政官(しっせいかん コンスル)」による政治を開始したのです。
コンスルとは、現代の日本での国会にあたる「民会」の中で、選挙によって2人選ばれるローマの最高権力者です。あの塩野七生大先生の言葉を借りれば、「総理大臣兼防衛大臣兼統合参謀本部長」ということになります。ま、要するに政治と軍隊の両方を指揮できる、普通に言う「王様」や「将軍様」とおんなじ権力を持っているわけなんですね。
ただし重要なのは、「任期が1年」であることと「2人いること」。
実は、選挙で選ばれていたのはそれ以前の「ローマ国王」もそうだったのですが、いったん国王になるとその強大な権力は死ぬまでその1人だけのものでした。
その危険さをまさに身にしみて感じていたルキウスは、最高権力を時間持ち回りでさらに常に2人で分け合うという制度にしたのです。
またルキウスたちは、外国の侵攻や疫病の流行、はたまた内乱の発生などの非常事態に対応するために、執政官が指名できる臨時の「独裁官(ディクタトル)」という官職も設定しました。
これは文字通り、決断を迅速にするために1人ですべての権力を行使できるという執政官以上の役職なんですが、そのために任期は、さらに短い「就任から半年間」になっています。
そんなわけで、国王の追放後、ローマの初代執政官にはルキウスと、タルクィニウスの息子に妻を手込めにされてしまいクーデターに参加したコッラティヌスというパトリキが選出されることとなりました。(厳密に言うと当時は「プラエトル」という職名で「コンスル」ではなかったのですが、権力の内容はまったく同じです。)
これが! あの「ローマ帝国」のもととなった前段階の国家・ローマ共和国の誕生です。
世界史の教科書などでは「共和制ローマ」や「古代ローマ共和国」と表記されることが多いのですが(18世紀と19世紀それぞれに「ローマ共和国」という別の国家が生まれているため)、「共和制ローマ」ってもったいぶって言うのも、わざわざ「古代」をつけて古くさくするのもあんまり好きじゃないんで、この「ざっくり世界史」では、「ローマ共和国」で通させていただきます。ほんとにざっくり……
さてさて、こうやって成立したローマ共和国だったんですが、これで追放された戦争好きなタルクィニウス王が黙っているわけもなく、タルクィニウスと同種の民族であるローマ周辺のエトルリア人諸国家の動きも不穏だ(ローマ国民自体はラテン人)……
これから起きるであろう共和国の危機をどうやって打開していけばいいのか?
ローマ共和国、誕生した瞬間から、なかなかキビしい状況となっております……どうする、どうなる!?
いやぁ、終わりました、終わってしまいました、10月のアトリエ公演が。今月の公演は、私にとって本当に重大なものとなりました。
どう重大なのかは昨日までさんざん言ってきたのでもう言わないのですが、そういった嵐のような日々がひとまずは終わりました。今はどことなくほっとしたような、心にぽっかり穴があいたような気持ちになっています。
ほんとに、今回ばかりはまわりの人たちにかなりのムリを通してしまいましたよ! 迷惑かけたね……
もちろん、昨日ですべてが終わったわけでもなんでもないのですが、正直なところ、まずはゆっくりと休みたい。
さて、ふと落ち着いてみると、何かを忘れているような……あれ、今回のブログのタイトルって、なんだっけ。
……え?「ざっくり世界史」?
あぁあぁあぁ!! しまった、完っ全に忘れてたよ! そうそう、ヨーロッパ帝国の歴史を追ってるシリーズがあったんだよね! 芝居の公演中にはこれをやろうっていう。
今月にかぎって、やれるわけがなかった……
毎日の更新もとどこおるような状況の中で、のんびりと歴史の世界にひたれるほど、私も超人ではなかったのです。平々ぼんぼ~ん。
つぅことでまぁ、まるまる1週間くらい遅れちゃったけど、久しぶりに始めてみっか、ヨーロッパの歴史へのタイムトリップ!
1ヶ月前にやった「ざっくり世界史」シリーズなんですが、これは、ヨーロッパにおける「帝国」の歴史を少しずつ時間の流れにそってひもといていき、最終的には、そうだいが愛してやまない「神聖ローマ帝国」がどうしてそんなに素晴らしいのかを説明してみるまでいってよう、という企画でした。
先月は6回までやりまして、時間でいうと紀元前16世紀から紀元前509年まで進めてきました。1000年分よ! 進めるよねぇ~。それでまだ「帝国」の「て」の字も出てきてないんだもの……道は遠いぜ。
たぶんに伝説的な要素も多かった古代のローマ王国だったのですが、今回あたりからボチボチ現実の歴史らしいにおいがしだしてくるんですね。
物語は、最初のローマ王国が崩壊した紀元前509年からふたたび始まります。
その年、戦争好きだったローマ王国7代国王タルクィニウス=スペルブス(傲慢王)とその息子の横暴に耐えられなくなったローマ国民は、遠征によりタルクィニウスが不在だったタイミングで蜂起し、そのまま彼をローマから追放してしまいます。
このクーデターの指揮をとったのは、それまでタルクィニウスの側近として長らくつき従ってきた貴族(パトリキ)のルキウス=ブルートゥスでした。
国王としての権力を拡大しようとしていたタルクィニウスは在位中に、ローマ国内にいる有力なパトリキの多くを殺害・処分していましたが、ルキウスの兄弟もその例外ではありませんでした。
しかし、ルキウスだけは、おろかなフリをしてタルクィニウスのお気に入りになって生き延びていたのです! 役者だぜルキウス。ちなみに、ルキウス=ブルートゥスの「ブルートゥス」はタルクィニウスにつけられた名前で、なんと「アホ」という意味なのだそうです。それがルキウスの活躍によって名誉ある名前となり、「ブルートゥス、お前もか」と言われる人物も登場してくるわけなんですが、それはまだまだ450年ほどあとのお話。はてしねぇ!
さて、そんな苦労人ルキウスなんですが、クーデターとその後の活躍は「アホ」とはほど遠いあざやかさでした。
まずは、強力な権力を持っていた「国王」という存在をすみやかに廃止し、それに代わる「執政官(しっせいかん コンスル)」による政治を開始したのです。
コンスルとは、現代の日本での国会にあたる「民会」の中で、選挙によって2人選ばれるローマの最高権力者です。あの塩野七生大先生の言葉を借りれば、「総理大臣兼防衛大臣兼統合参謀本部長」ということになります。ま、要するに政治と軍隊の両方を指揮できる、普通に言う「王様」や「将軍様」とおんなじ権力を持っているわけなんですね。
ただし重要なのは、「任期が1年」であることと「2人いること」。
実は、選挙で選ばれていたのはそれ以前の「ローマ国王」もそうだったのですが、いったん国王になるとその強大な権力は死ぬまでその1人だけのものでした。
その危険さをまさに身にしみて感じていたルキウスは、最高権力を時間持ち回りでさらに常に2人で分け合うという制度にしたのです。
またルキウスたちは、外国の侵攻や疫病の流行、はたまた内乱の発生などの非常事態に対応するために、執政官が指名できる臨時の「独裁官(ディクタトル)」という官職も設定しました。
これは文字通り、決断を迅速にするために1人ですべての権力を行使できるという執政官以上の役職なんですが、そのために任期は、さらに短い「就任から半年間」になっています。
そんなわけで、国王の追放後、ローマの初代執政官にはルキウスと、タルクィニウスの息子に妻を手込めにされてしまいクーデターに参加したコッラティヌスというパトリキが選出されることとなりました。(厳密に言うと当時は「プラエトル」という職名で「コンスル」ではなかったのですが、権力の内容はまったく同じです。)
これが! あの「ローマ帝国」のもととなった前段階の国家・ローマ共和国の誕生です。
世界史の教科書などでは「共和制ローマ」や「古代ローマ共和国」と表記されることが多いのですが(18世紀と19世紀それぞれに「ローマ共和国」という別の国家が生まれているため)、「共和制ローマ」ってもったいぶって言うのも、わざわざ「古代」をつけて古くさくするのもあんまり好きじゃないんで、この「ざっくり世界史」では、「ローマ共和国」で通させていただきます。ほんとにざっくり……
さてさて、こうやって成立したローマ共和国だったんですが、これで追放された戦争好きなタルクィニウス王が黙っているわけもなく、タルクィニウスと同種の民族であるローマ周辺のエトルリア人諸国家の動きも不穏だ(ローマ国民自体はラテン人)……
これから起きるであろう共和国の危機をどうやって打開していけばいいのか?
ローマ共和国、誕生した瞬間から、なかなかキビしい状況となっております……どうする、どうなる!?
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