長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

嗚呼、哀しき女と男(ついでに金田一耕助)のすれちがい ~『女怪』2022エディション~

2022年03月06日 14時30分07秒 | ミステリーまわり
 ヘヘヘイど~もこんにちは! そうだいでございます~。
 山形、雪降ってるよ~! しかもドカ雪……もう、いつまで降るんだよ!! 明日の出勤、気が重い……でも、今度こそ最後の雪になるのかな。まさか、桃の節句の後に雪かきすることになろうとはね! やっぱり、雪国なんだよなぁ。

 いや~、映画『THE BATMAN 』、楽しみだなぁオイ! 他のヒーローと徒党を組まない、ゴッサムシティのご当地ヴィジランテの復活だい!! 噂に聞く新生リドラーの鬼畜っぷりにも大いに期待ですね。『GOTHAM 』でのペンギン&リドラーのコンビもステキでしたが、新解釈の2人がどう描かれるのか。ワクワクが止まりませんな! 『ダークナイト・ライゼズ』ではちょっぴり消化不良気味な扱いだったキャットウーマンも、今回はどんな活躍を見せてくれるかな?
 ヒーローと言えば、実は本日から始まる、日本の『暴太郎戦隊 ドンブラザーズ』も、非常に楽しみなんですよ。録画した奴を夜に観る予定なのでまだチェックできてないのですが、単純に戦隊のビジュアルがハチャメチャですよね。まるでゴレンジャイのようなカオス感、すばらしい! 仮面ライダーのほうは、毎週観るとまではいかないものの一応気にしてはいるのですが、スーパー戦隊ものを初回からちゃんと観るのは、もしかしたら『電撃戦隊チェンジマン』(1985~86年放送)以来37年ぶりになるかもしんないね! 頑張ってほしいなぁ。


 さてさてそんな感じの、今回の記事と全く関係の無い世間話はここまでにしておきまして、さっさか本題に入ってまいりましょうかね。
 え~、前回から続いております、池松金田一シリーズ第3弾についてのあれこれ、第2回でございます!


ドラマ『女怪』(2022年2月26日放送 NHK BS プレミアム『シリーズ・横溝正史短編集Ⅲ 金田一耕助、戸惑う』 30分)
 33代目・金田一耕助 …… 池松 壮亮(31歳)

 『女怪(じょかい)』は、横溝正史の短編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一作。月刊『オール讀物』昭和二十五(1950)年9月号に掲載された。
 1992年7月(主演・古谷一行)と1996年4月(主演・片岡鶴太郎)に TVドラマ化されている。
 本作には、金田一耕助が愛した2人の女性のうちの1人である持田虹子が登場する。もう1人の『獄門島』(1946年10月発生の事件)に登場する女性・鬼頭早苗に対する愛情が、どちらかというと淡い気持ちであったのに対し、虹子に対する気持ちは深刻に思いつめたもので、本作の悲劇的な結末を迎えた後、金田一は傷心旅行先から本作の執筆者である「先生」に宛てて、「ぼくは決して、自殺などしないから」と手紙を送っている。
 2022年のドラマ版では、本作は昭和二十五(1950)年9月に発生した事件、先生の住所は「東京都世田谷区病院坂四丁目五番地」に設定されている(金田一が先生に送った絵葉書の消印と宛書から)。

あらすじ
 昭和二十三(1948)年の夏に、『夜歩く』と『八つ墓村』という2つの大事件を解決し、『八つ墓村』事件で充分な報酬を得た金田一耕助は、9月の初め、先生と伊豆の鄙びた温泉場Nの宿屋に逗留する。近所には狸穴(まみあな)の行者・跡部通泰の修行場があり、その修行場は元は持田電機社長・持田恭平の別荘であった。持田恭平は、金田一が恋愛感情を寄せる銀座裏の「虹子の店」のマダムである持田虹子の死んだ夫で、死因は脳溢血であった。
 金田一たちはそこで最近、墓場荒らしが何度も発生していると聞き、狸穴の行者の修行場を見物がてら墓場に赴くと、跡部通泰が蜜柑箱くらいの木の箱を隠すように抱えて立ち去るところに遭遇する。墓場を見ると持田恭平の墓が荒らされ、頭蓋骨がなくなっていた。
 それからほどなく帰京した2人だが、10月の中頃、先生に再会した金田一はひどく憔悴していた。どうやら虹子は狸穴の行者・跡部通泰に恐喝されているようであった。金田一は虹子が夫を殺し、それをネタに跡部に脅されているのではないかと考えていた。一方、虹子には貿易商の賀川春樹が恋人として現われたが、金田一の虹子への思いは変わらず、彼女の幸福を願い、跡部の脅迫のネタと彼の過去の秘密を何としてもつかみたいと思いつめていた。
 それからしばらく経ったある日、跡部通泰が脳溢血で急死する。さらにそれからひと月あまりが過ぎたある日、先生の元に北海道から金田一の手紙が届く。そこには一連の事件の真相と、その顛末が記されていた。

主なキャスティング
持田 虹子 …… 芋生 悠(24歳)
賀川 春樹 …… 安藤 政信(46歳)
おすわ   …… 神野 三鈴(56歳)
持田 恭平 …… 小浦 一優(芋洗坂係長 54歳)
先生    …… 清水 ミチコ(62歳)

主なスタッフ
演出 …… 佐藤 佐吉(57歳)

主な使用楽曲
オープニングの Tik Tok風ダンス 『Talking Box 』(2021年 WurtS )
金田一耕助と先生の逗留    『カナリア諸島にて』(1981年 大瀧詠一)
金田一耕助の恋        『何にも言えないの』(1968年 ヒデとロザンナ)
狸穴の行者の修行場      『KUMI Jefferson 』(1991年 平沢進)
持田虹子と狸穴の行者の密会  『NIGHTMARE 』(1991年 平沢進)
持田恭平の凋落        『リンゴの唄』(1945年 並木路子)
金田一耕助の激情       『恋するリボルバー』(2020年 伊藤蘭)
賀川春樹との遭遇       『恋のバカンス』(1963年 ザ・ピーナッツ)
持田虹子の手紙        『空洞空洞』(2017年 amazarashi )
事件の行方          『ウナ・セラ・ディ東京』(1964年 ザ・ピーナッツ)
エンドロール         『帰れない二人』(1973年 井上陽水)


 はいっ、というわけで、横溝正史先生による原作小説の中では、今回映像化された3作の中で2番目に発生した事件ということになる『女怪』の登場でございます。
 とはいえ、視聴なされた方ならご存知のように、この『女怪』は今回の3作一挙放送の堂々たるトリを務めていまして、過去の金田一もの映像化作品の歴史を振り返ってみましても、3作の中で唯一、映像化の前例のある作品となっております。さすがに映画にはなっていないのですが、なんとすでに2回もドラマ化されているんですよね! つまり、知名度で頭一つ抜きんでている作品なんですな。まぁ、今回の第3シーズンの目玉と言って差し支えないでしょう。

 ここでちっと、2022エディションの感想に入る前に「過去2度のドラマ化」について触れてみたいのですが、最初はご存知、「演じた回数史上最多」のミスター金田一こと、古谷一行バージョンによる2時間ドラマ版『女怪』( TBS制作)です。きたきたきた~!
 古谷版『女怪』は1992年7月の放送だったのですが、この「1992年」は悠久の古谷金田一史においてもひとつのピークを迎えたスペシャルイヤーでありまして、だいたいスペシャルドラマ期の古谷金田一シリーズは年に2回くらいのペースで放送されていたのですが、この1992年は4月に『悪魔が来りて笛を吹く』、12月には『病院坂の首縊りの家』が放送されていたので、なんと「年に3本もの古谷金田一の新作がおがめる」という、令和の横溝ファンからしたら失禁しかねない活況にあったのです。
 わたくしごとで恐縮なのですが、1980年代生まれの私は、確か1989年放送の『薔薇王』あたりが記憶の中での「最初の金田一映像体験」で、この古谷版『女怪』もベータビデオ(古!)で録画して観ているはずなのですが、なんせ古谷さんと丘みつ子さんの40代の恋 in 古都ということで、山形の中学生男子にはレベルが高すぎたため、はっきり言ってあんまりよく覚えていません。原作よりかは増えてるけど、殺人シーンもきわめて地味だし……

 でも、ありがたいことに古谷金田一シリーズは連続ドラマ期もスペシャルドラマ期も全作ソフト商品化されているため、92年版はいつでもチェックすることができるのです。いい時代になったもんだ!
 あらためて観直してみますと、古谷版『女怪』は短編小説を93分のスペシャルドラマサイズに膨らませなければならないということで、ざっくり言うと以下のようなアレンジが加えられていました(脚本・中村努)。

変更1 事件の舞台が伊豆~東京から京都になっている(虹子の店と跡部通泰の祈祷所は京都市中心部、おすわの家や跡部の修業場は京都市右京区周山村)。
変更2 原作に登場していたおすわの役割が大幅に増えて虹子や恭平と縁の深い人物となり、原作にいなかった虹子の弟・谷村貞夫や跡部の修業場の管理人・寺坂が事件の重要人物として登場する。
変更3 金田一の逗留に付き合うのは等々力警部(所属は大阪府警)で、虹子は偶然10年ぶりに再会した金田一の学生時代の恋人となっている。
変更4 恭平殺害の動機が、犯人の過去とからめて大幅に補強されている(恭平が犯人の両親を自殺に追い込んでいる)。
変更5 金田一は今回の事件の捜査を自分からではなく、おすわからの失踪した貞夫の捜索依頼と、おすわと親交のある等々力警部の後押しから始めている。
変更6 金田一は跡部の正体を調査報告書の形でなく、直接犯人に語る形で伝えている。
変更7 跡部の正体の解釈が、原作小説と違う。

 ざっくりといっても、こんなにアレンジを重ねてるわけなんですよね~。短編をふくらますのって大変なんだなぁ。
 2000年代の古谷金田一シリーズ末期を観てもお分かりのように、『犬神家の一族』やら『八つ墓村』やらといった長編小説を刈り込んで2時間サイズに仕上げるのと違って、短編小説を原作にない要素を注入することによってふくらませる手段というのは、ともすれば原作にあった主眼や魅力を薄れさせてしまいかねないリスクがあのですが、この古谷版『女怪』は、とにかく「犯人の動機の説得力を強化する」ことと、「京都を舞台にして物語の画的な美しさを強化する」ことにしっかり照準を当てているので、観ていて特に気になる矛盾もなく、非常に観やすい佳作に仕上がっています。まぁ、全体的に犯人がバレバレ、しかも犯人に同情的でウェットな内容になっているのでミステリー本来の犯人当ての面白さは皆無なんですけれども、それはあんた、原作からして題名が「女怪」なんだもんねぇ……
 あ、矛盾と言えばひとつだけあった。古谷版『女怪』は昭和二十七(1952)年の夏に発生した事件という設定なのですが(賀川春樹の戸籍謄本の記述から)、虹子のバーで流れていた江利チエミの『テネシー・ワルツ』を聴いて、虹子は金田一と10年前に交際していた学生時代によく聴いていたと懐かしみます。でも、江利チエミ版の『テネシー・ワルツ』は昭和二十七(1952)年1月にリリースされた楽曲であるので、学生時代に聴いてるわけがないんですよね。でも、多少矛盾してでも『テネシー・ワルツ』を楽曲に利用したい気持ちは、よ~くわかる!! 2人の切ない関係を彩る超名曲です。それにしても、古谷さんと丘さん(当時どちらも40代)が「10年前に学生だった」という設定も、たいがいですよね。映画版『女王蜂』の仲代達矢さんにはかなわねぇけどさぁ。
 こんな調子で話してると、記事のメインが古谷版『女怪』になってしまうのでいい加減にしますが、この古谷版『女怪』最大のアレンジは、「金田一が一方的に虹子を好きになっているわけではない」というところ。ここに尽きますよね。あくまでもここでの虹子は金田一の「昔の恋人」であって、それなりに愛情も復活しますが金田一は非常に大人な醒めた対応に徹しており、それがクライマックスでの「犯人を直接断罪する金田一」という、ちょっと厳しすぎるんじゃないかとも見える姿となるのです。
 「人を愛する人間・金田一耕助」という、原作小説最大のオリジナルポイントをあっさりと捨ててしまった感もある古谷版『女怪』なのですが、これはやっぱり、当時48歳の古谷さんが演じるには、原作版の金田一はあまりにも若すぎるという判断が働いたのではないでしょうか。はっきり言って「見苦しい」、「見ていてツラい」という域にまでいってますもんね、原作の金田一は。でも、原作小説の金田一耕助も『女怪』事件の時は35歳くらいじゃなかったっけ? けっこう、笑えない良い歳なんですが……

 1992年の古谷版についてはここまでにしておきまして、あと1996年4月に放送された片岡鶴太郎版の『女怪』(フジテレビ制作)にも触れておきましょう。
 この、片岡鶴太郎の金田一シリーズというのもまた、私にとっては思い入れの強いバージョンでねぇ! なんでこのシリーズって、いまだにソフト商品化されてないんだろう!? 出たら絶対に全作買うんだけどなぁ。いったい誰がリリースに難色を示してんの!? 鶴ちゃんか? マキセか!?
 鶴太郎金田一シリーズは、先行して放送中だった TBSの古谷金田一シリーズに比べれば、原作改変が多いのはどっこいどっこいにしても、キャスティングがだいぶ若々しい印象もあって(牧瀬里穂さんとか高橋由美子さんとか)、当時ガキンチョだった私にとっては古谷版よりもよっぽどとっつきやすかったんですね。記憶する限り、「生まれて初めて最後までちゃんと観た金田一映像作品」は、この鶴太郎バージョンの『獄門島』(1990年)だったなぁ。鶴ちゃん&フランキー堺の「鎌倉幕府滅亡コンビ」、最高!!

 そして、鶴太郎金田一シリーズとしては第7作に当たる『女怪』もまた、同じ1996年の10月に『悪魔が来りて笛を吹く』が放送されているため、「年に2本も鶴太郎金田一の新作がおがめる」という、シリーズの絶頂期を彩る作品になっていたのです(鶴太郎金田一シリーズは年1放送のペースだった)。金田一シリーズの頂点に常に『女怪』あり!!
 んで、こっちも2時間ドラマサイズに内容が膨らんでいるわけなんですが、鶴太郎版『女怪』は古谷版とはまた違ったアプローチからの変更がなされていて、こちらはなんと、横溝正史先生の別の金田一もの短編『霧の中の女』(1957年発表)の内容をドッキングさせることでボリュームアップを果たしているのです。
 これはこれで、面白そう! でも、ソフト商品化されてないし、内容ぜんぜん覚えてないんだよなぁ……残念ながら、こちらに関する考察は現在不可能であります! でもいつかちゃんと観てみたいなぁ。
 ちなみに、こちらで金田一のパートナーとなっている、原作の「先生」ポジションの推理小説作家「硯川酒肴」を演じたのは、再び登板のフランキー堺さま! なおさら観たいよ~!!


 はぁ、はぁ……なんか、2022年エディションの内容に入る前にこんなに字数くっちゃってるんですけど……これだけ映像化金田一作品の歴史は奥が深いということで、何卒御容赦を!
 もういい、いこういこう、今回の池松金田一バージョンの感想!!

あの~、面白かったです! 面白かったんだけど、非常にせつない作品でしたね。

 せつない&痛々しい! シーンによっては、「もう見てらんない……」という醜態までさらしていたのではないでしょうか、今回の金田一耕助は。でも、これはそのまんま、古谷版のように原作最大のポイントから逃げずに、「ちゃんと」原作を映像化した証拠なんですよね。

 まず何がせつないって、のっけから金田一と虹子が Tik Tokみたいなダンスを踊ってるのがもう、せつなすぎます。
 あのダンスは、振付のクオリティがどうこういう問題ではなく、とにかく踊っている人たちが「楽しくなる」ことに主眼がおかれていると思います。それなのに、すぐ隣で踊っているはずの相手と目を合わせることはほぼなく、2人とも正面向きのカメラ目線で意図的に視線を外しているので、おそらくは録画した動画をチェックするまで、相手と息が合っているのかどうかさえわからない状態で踊り続けているのです。それ、楽しいか……?
 また、Tik Tokというツール自体、その場のノリを重視する「遊び」なのであって、できあがった動画自体の質などは問題にならないでしょう。作品の完成が最終目的ではなくて、記録する行為が楽しいことがいちばん大事なのです。
 つまり金田一と虹子の関係が、明確な終着点のないその場しのぎの「刹那的なすれちがい」であることを象徴するのが、この Tik Tokダンスであるわけなのです。どんなに近くにいるようでも、この2人は根本的にわかりあえない。金田一は心底楽しくて笑っていても、虹子は自分がキレイに映ることにこだわって笑顔を作っているだけなのかもしれない……振付の最後のコマネチポーズを決めた時の2人の顔を見てください! 金田一はひたすらバカみたいでしょう? 虹子はいちばんいい顔をしているでしょう? これが男女の違いなのです。今回の佐藤佐吉演出は、ひたすらに鋭利で残酷だ!! まさしくこれ、「切れたナイフ」の如し……ヤバいよヤバいよ~!!

 ところが、実は佐藤演出以上に金田一耕助にキビしいのが原作・横溝正史先生の筆なのでありまして、この『女怪』という物語の中の金田一耕助の役割って、完全に「虹子と賀川春樹」とか「虹子と狸穴の行者」とかいう、とっくにできあがっちゃってる関係の、「feat.」どころかスタジオコーラスの端っこにすら入れてもらえない蚊帳の外でしかないんですよね。当然そこは名探偵なので、作中の事件を解決に導くことはできるのですが、ハッピーエンドにはならないし(関係者全員が……)、金田一は一途に恋をした虹子を救うことさえできないのです。しかも、金田一が虹子を救えなかったのは、金田一側でなんとかできる次元の問題ではなく、そもそも虹子の方がまるっきり金田一をアウト・オブ・眼中といいますか、賀川春樹と比較するという発想さえ生まれないほど「意識していなかったから」だったからという、この単純明快な理由の残酷さよ! 要するに、「お店によく来る、ちょっと変わったお客さんくらいにしか思ってませんでした。」ってこと!?
 こんなんだったら、「なんでほんとのこと言ったのよ! もう大キライ!! 一生許さないから!!」とか激怒して殴りかかってくるくらいの感情をぶつけてくれた方が、金田一にとってはまだマシだったでしょう。

 極論すると、約束した時間に来てくれなかった段階で、賀川を失った虹子はすでに生きる意欲を失っていたのです。さらに言えば、金田一の調査報告を読んで、虹子は安心すらできたのかも知れません。おそらく、賀川が自分を捨てて新しい彼女とどこかで楽しくのうのうと生きているルートこそ、虹子が女として最も許容できない最悪のシナリオだったのではないでしょうか。そのくらいのプライドはあったでしょうし、それを知ってか知らずか、私立探偵としてきわめて愚直に真実を伝えてしまった金田一の選択が、虹子に引導を渡す決定打になってしまったわけなのです。つまり、今回の事件の結末は、金田一が試合に勝って勝負に負けたといいますか、「犯人の逃げ勝ち」と言えるものだったのではないでしょうか。いずれにせよ、金田一に犯人を救うことは全くできなかったのです。つらいな……

 ですので、今回の2022エディションにおける、虹子の手紙を読んだ金田一の「完全な妄想」として描かれていたクライマックスの「解決編」は、どこからどう見ても金田一のひとりよがりな主観がだいぶ混入した、実にスウィーティな PV風の仕上がりになっており、あたかも虹子が「金田一さんが助けてくれれば、あるいは、わたしも……」みたいな湿っぽい匂わせ空気を作ってはいましたが、実際の虹子さんの意向を反映させたものではまっっっったくないことを断言しておきたいと思います。目を醒ませ、耕さん!!

 巷説、この『女怪』と比較されることの非常に多い、江戸川乱歩の大傑作『陰獣』(1928年発表)と比較してみれば分かりやすいのですが、主人公がいちおうの探偵役になる(ご存知明智小五郎は登場しない)『陰獣』では、他ならぬその主人公がヒロインと恋愛関係におちいるため、そのヒロインに迫りくる異様な怪人「大江春泥」との間に完全な三角関係ができあがり、主人公も読者もかなり濃厚な妖しいロマンの世界にいざなわれることになります。こりゃもう、大乱歩の領域展開といいますか、大得意のホームタウンですよね。
 それに対して、『女怪』は物語の語り手である先生はおろか、探偵役の金田一さえもが三角関係に入れてさえもらえない外野席しか用意されていないため、最初っから「アホくさ……」とドン引きしている先生と、勝手に「大好き!」とか「彼氏いるのかな!?」とか大興奮している金田一の対比と、その挙句に虹子に意識さえしてもらえていなかったという当たり前の事実に落胆しまくる金田一のスレてなさといいますか、天然っぷりが、もはや笑ってさしあげるしかないおかしみに満ちているのです。
 要するにこれ、「横溝が大乱歩に挑戦した!!」とかいう大上段に構えた正攻法の推理小説ではなくて、完全なパロディなんじゃない? そう読むと、淡々とした手紙調で語られる後半の語り口も、先生の非常にドライな距離感の象徴でしかないし、金田一の本作随一の名言である、

「先生御心配なさらないで下さい。ぼくは決して、自殺などしないから。」

 という妄言に対しても原作の先生は、2022エディションでの清水ミチコ先生のように、真に受けて慌てて金田一を探し回ったり、優しく抱きしめたりなどは絶対にしなかったでしょう。

「アホか。北海道でもどこでも放浪して頭冷やしてきさらせ、この中学二十三年生!!」

 っていうツッコミでおしまいだろ、こんなの。
 はからずもここで再び、ロマンあふれる乱歩ワールドと、本質は超ドライな横溝ワールドとの差が明瞭に見えてくると感じました。横溝先生の原作をウエットに映像化するのは、あくまでも映像作品の作り手の方々の作品解釈でしかないと思うんですよね。原作はひたすら理系だよな~。

 ここまでつづってきて感じたのですが、そんな原作『女怪』をここまで金田一主観でしっとりと描いた今回の佐藤演出の解釈は、果たして「ほぼ原作に忠実」と言えるのかどうか? 少なくとも、同じ佐藤演出の前作『華やかな野獣』のような仰々しいにぎやかし的なおもしろ要素はかなり鳴りを潜めていて、ひたすら(金田一にとって)悲劇的な事件の結末へと向かっていく「正統派」な作りになっていたと思います。原作は、その金田一のピュアさと存在価値の相対的なちっぽけさが笑うしかない「喜劇」だと思うんですけどね。山口百恵さんとか宝塚歌劇団とかネタ要素の高い懐メロをふんだんに使っていた前回に対しても、今回は曲数自体少なくなっていたし、はっきり言ってジャストフィット過ぎて印象に残らないあっさり感はありましたよね。良くも悪くもおさまりがいい、というか。
 ふざけてる演出なんか、最初の伊豆旅行でネコの真似をしてた金田一&先生と、暗黒面のフォースの使い手だった狸穴の行者くらいなもんじゃないの? 狸穴の行者、実力ありすぎでしょ。極東の小国で祈禱師やってる場合じゃないよ!!

 そうそう、狸穴の行者の「正体」のくだりって、完全に某・世界一有名な名探偵のある大傑作の真相とおんなじですよね。これはあまりにも有名だし、トリックのネタとかでなくあくまでも動機の話なのでパクリとは言えないでしょうけど、そこら辺を虹子に告白するタイミングを絶望的に誤ってしまったという男女のすれ違いの哀しさも、まるで笑えない人生の喜劇ですよね。ほんとうにかわいそうなのは金田一じゃないんだよなぁ、このお話は。グラナダホームズ版のドラマも、去ってゆく男女の後ろ姿が非常に味わい深いエンディングでしたね。


 そんなこんなで、「えっ、なんでそんなにウエッティに描いたの!?」と驚きもしましたが、『女怪』2022エディション、面白かったと思います! 個人的には『華やかな野獣』くらいに振り切った作品のほうが好きなんですけどね。
 あれか、池松さんはそういう意味で「生身の」金田一耕助を演じたかったのか。恋に有頂天になり、そこから一転、絶望して悲しみに暮れる人間・金田一耕助。
 まるで、彼氏(もしくは彼女)なんかいるわけもないと一方的に思い込み、オフィシャルグッズを買い込んでいちばんのおめかしをして、高いチケット代を払っていそいそとライブ会場へと向かうアイドルファンの如し!! それである日突然にネットニュースで熱愛お泊り報道が暴露されちゃうんだもん、真面目な信者にとっちゃあ、たまったもんじゃねぇよなぁ。

 金田一耕助……まさにいちずな東北人の宿命を背負った、哀しき漢よ!!

 ……生粋の関西人の先生からしたら、最高のネタ素材よね。嗚呼、ここにも笑うしかない東西すれ違いの人生交差点が!!

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2 コメント

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Unknown (あいあい。)
2022-07-15 00:22:33
お久しぶりです。


もう随分経つので細かいところは記憶が曖昧ですが、清水ミチコさんの横溝先生にはビックリしました。
ところどころで池松金田一とキャパキャパしていて、あーこの先耕さん(一方的に?🥲)とんでもないことになるけど大丈夫かぁ?と思ったら、案の定(苦笑)耕さん空回りの大失恋💔
乱歩先生の陰獣との差は、やはりそうだいさんのおっしゃるようにヒロインの、主人公に対する気持ちの温度差が(というかそもそも質が?)全然違ってますよね。
乱歩先生の方が熱々でしたよね。

横溝先生は元々薬剤師免許持ちの理系で時にユーモア有りのカラッとした文体ドライな感じですよね。作風に何時も感じていました。
映像化されると時には?過剰にヒューマン金田一になり過ぎて、原作読むと結構キツい言葉使いもするし、なんと言いますか泥くさい一面も有るヒューマンな金田一?
やはり日本人気質的に?メロ(泣き)が入った方が好まれやすいんでしょうか?

今回の清水横溝先生は、そこを突いた演出だったのかな?とも思いました。
実際の横溝先生なら耕さんの事温かく見守りながらも、金田一の自立性?を静かに見守っている雰囲気です。

虹子役の女優さん、色っぽかったけど少し若過ぎるかな?と。もっとしっとりしていても良かったかなと思いました。
まー、各自の原作の中のイメージがあって色んな想像は出来ますね。

今年は先生の生誕120周年で、復刻版が沢山出ていて嬉しい限りですっ♪
昨日「夜の黒豹」読了しました😃  この作品も映像化してくれないかなぁ?(色々無理そう?😄)
今日から「幽霊座」に取りかかりました~♪ 凄く雰囲気が好みな感じです!

今年も猛暑が続いておりますので、どうぞ体調崩さないように気をつけてお過ごしくださいね😊
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「金田一耕助 in 東京」を、ぜひ!! (そうだい)
2022-07-17 08:46:30
 あいあい。さま、大変お久しぶりでございます!! 今年も暑い夏がやって来た……かと思ったら、案外雨勝ちで今のところは過ごしやすいです、山形は。そちらもそれほど厳しい気候でなければ幸いです。

 『女怪』はやっぱり、『陰獣』に理系仕込みのドライなツッコミを入れたパロディ小説と見た方が面白いと思うんですよね。その点、この池松版は金田一の主観に近づきすぎてそういったユーモアが消えてしまっていたのが少し残念でした。清水ミチコさんが横溝先生を演じていたのはよかったのですが、池松さんとの楽しそうな温泉旅行くらいしか見どころが無かったのが、いかにももったいない。
 メイン女優さんも、演技がウェットに過ぎたようなきらいがあって、ねぇ。『華やかな野獣』のキャラクターをそのまんま持ってくればよかったのに、なんて。

 角川文庫さま、えらい!! 金田一ものは全て復刊されましたね! 採算、大丈夫なのでしょうか!? 『死仮面』が、横溝先生の原稿がまだ全部そろっていない不完全バージョンのままの復刊なのが惜しいのですが、無理は言えませんね。

 この調子で由利りん、ノンシリーズ、子ども向けものも復刊してほしいのですが、さすがにそれは難しいかな!?
 でも、あの吉川麟太郎シリーズが復活すれば夢ではないかも!?

 お孫さんなんかどうでもいいから、東京でドロッドロの猟奇事件に辟易するじっちゃんと、やたらと謎の美少年に翻弄される由利先生をもっと復活させてくださ~い!!
返信する

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