長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『蛍』

2015年08月11日 21時51分10秒 | すきなひとたち
 はいどうもこんばんは! そうだいでございます~。
 さてさて、今年の夏も半ばに入りまして、待ち遠しいお盆休みが始まろうとしております。
 あの……山形もあっちぃよ! 日中の暑さ自体は千葉とそんなに変わんないよ!!
 でも、やっぱり朝夕ちゃんと涼しくなってくれることと、台風がなかなかやって来ないことというアドバンテージはでかいですね。山形市は堂々たる盆地なので湿気はちゃんとあるのですが、千葉市みたいな潮くさい日もないしね。あ~やっぱ実家はいいわぁ。

 そういえば、山形市じゃないんだけど、私の勤務先の近くの山では毎年夏に「ほたる祭り」っていうのをやってるんですって。7月だから今年はもう終わっちゃってるんですけど、生の蛍鑑賞を楽しめるっていうのも、千葉の一人暮らし時代にはなかなかできないことでしたねぇ。いつか行ってみたいね!

 ということで今回は、鬼束ちひろさんの数ある名曲の中でも、私そうだいが文句なしのナンバーワンで大好きなこの曲についてでございます! 相変わらず導入がぎこちない!!


鬼束ちひろ『蛍』(2008年8月6日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 11分31秒

 『蛍(ほたる)』は、鬼束ちひろ(当時27歳)の14thシングル。本作で初めて、坂本昌之(当時43歳)を音楽プロデュースに迎えて制作された。
 オリコンウィークリーチャート最高11位を記録した。

 本作リリース後の9月26日、2002年以来およそ6年ぶりの全国コンサートツアーとして予定されていた『 CHIHIRO ONITSUKA CONCERT TOUR 2008 VEGAS CODE 』全5公演が、極度の疲労による体調不良のため中止となったことが所属事務所から発表され、これによって鬼束は、翌2009年5月20日の15thシングル『 X/ラストメロディー』のリリースまで、約8ヶ月間の休養期間に入ることとなる。


収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 坂本 昌之

1、『蛍』 5分59秒
 ピアノとストリングスを基調としたバラード。リリース直前の同年7月のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは復帰前後の2007年3月に書き上げられ、レコーディングは翌2008年1月に行われた。「美」を念頭に置いて歌詞を書き上げるために、本人曰く「あえて小説を書くようにして書いた。」という。
 そのため、8月公開の映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』(監督・神山征二郎)への主題歌としてのタイアップは楽曲が制作された後に決定したが、鬼束自身は「この曲は映画の主題歌になるんじゃないかなと思っていた。」と語っている。

2、『 HIDE AND SCREAM 』 5分32秒
 アコースティックギターを基調とした楽曲。楽曲そのものは2008年2月に書き上げたもので、本作のカップリングのために制作された。リリース当時のインタビュー記事によれば、作品の構想は前年の2007年頃からあり、NHK の子ども向け音楽番組『みんなのうた』で使用されるような楽曲を意識して作ったという。


 いや~、ついにここまで来ましたか。14thシングル!

 私ね、ほんっとに大好きなんですよ、この『蛍』が。次に好きなのは『 Sign』となります。
 個人的な話をしますと、このシングルは私が記憶する限り、最後に CDショップの店頭で買った CDシングルとなります。あとはもう、もっぱらネットでポチーで。
 懐かしいですね……この2008年あたりまでは、ヒマさえあったら自転車で JR千葉駅周辺のお店に通ってたんですよ。ヨドバシカメラの上とか。
 それで、ある日ふと見たら新譜の棚にひっそりとこのシングルが置いてあったので、「あっ、久しぶりに見たな鬼束さん。」と思ってなにげなく買ったんですよね。
 当時の鬼束さんに関する記憶をたどってみますと、昨年にどどっと出た感じの小林武史プロデュースによる2シングルと1アルバムだったのですが、個人的にアルバム『 LAS VEGAS』が「う~ん……まだ様子見か。」という印象だったので、ほんとにさほどの期待感もなく買っただけのことだったのです。バイトの給料が入りたてとかで財布のひもがゆるんでたのかな?

 それがあーた、家に帰って聴いてみたら、とんでもねぇ大傑作、大名曲だと感動してしまいまして。いやほんとにビックリしたんですよ。ベテラン歌手の域に入った鬼束さんの新境地、もうばっちりできてるじゃんと!

 何がすごいって、作品の質と言いますか、聴いてイメージする映像の解像度が、過去作品とは別次元になってるんですよね。油絵と4K デジタル映像くらい違う!

 いや、別に油絵的なイメージ世界が劣っていると言うつもりはないのです。抽象的な世界の良さもあると思いますし、特にキャリア初期の鬼束さんにいたってはその曖昧模糊とした世界が持ち味と言いますか、楽曲同士で生じる感情の矛盾さえも「それが人間でしょ!」と許容するところを出発点としていたと思うのです。
 ただ、私が2007年の活動再開後の鬼束さんについて感じていたのは、当時「自分の主観ではなく客観的に作詞していくことにした。」と表明していたかと思うのですが、その手法にのっとった作品はそれほど目立たず、結局はそれまでの作詞法と変わらないぼんやりした世界観の作品が多いなという不満だったのです。小林武史プロデュースという新体制にありながらも、なんか新しい地平を本格的には実感できないと思っていたんですね。
 これに関しては、どうやら鬼束さんがそうとう昔に制作していた楽曲も織り交ぜてリリースしていたから、という事情もあったようなのですが、そういったまだらな印象も、直近のアルバム『 LAS VEGAS』には色濃く影を落としていた気がします。

 ところが、それからおよそ1年も経とうかという頃になってポツンと世に出たこの『蛍』こそが、鬼束さんが言っていた客観的な、物語としての確固たるディティールを持った世界を本当に体現した作品だったのです! 有言実行、鬼束さんの新時代はここに完成した!!
 でも、そこに小林武史さんはいないという、このすれ違いね……やっぱ九州人と山形県民は合わねぇんだがず!?

 小林さんはどうしていたのかと言いますと、2008年頃はおそらく自身のミュージシャン、作曲家としての活動に力を入れていたようなので(映画や TV向け音楽のベストアルバム発売や環境保護などを目指す団体「 ap bank」としての活動など)、仲たがいとかそういうことではなく単純に他アーティストをプロデュースするヒマが無くなったということのようです。自由人ね……

 そうなのです。この『蛍』以降、鬼束さんの楽曲のプロデュースを務めるのは、ご自身キーボーディストとしても大活躍なさっている坂本昌之さんに代わります。しれっと坂本プロデュース時代に入っちゃってたよ!

 でも、この「しれっと」感こそが坂本プロデュースの真の魔力なのでありまして、坂本昌之さんは数多くの錚々たるアーティスト達の楽曲の編曲を手がけており、平原綾香さんの『 Jupiter』(2004年 共同プロデュース)や徳永英明のカバーアルバム『 VOCALIST』シリーズ(2005~15年)のほぼ全曲の編曲を務めるなど、幅広い才能の傍らに「しれっと」寄り添うことを得意とするプロの現場肌ミュージシャンなのです。この名参謀感……黒田官兵衛孝高かな? あ、あと『おジャ魔女カーニバル!!』の編曲も手がけておられるそうです。守備範囲広いな~!!

 それで、話を『蛍』に戻すのですが、この作品の楽曲世界をイメージする時の、映像としての解像度、ドラマ性の高さはかなり用意周到で、聴けば聴くほど「見事なりィ!」とうなってしまうものがあるんです。

 『蛍』の歌詞の特筆すべき点は、タイトルにも出てくる「蛍」というモノが、「あたし」と「あなた」の間にはっきり存在していて、あたしが自分の想いを仮託し、濃厚にあなたの記憶を思い起こさせるキーアイテムとして機能しているということです。つまり、あたしとあなたという2つの関係か、あたしだけしかはっきりしていなかったような鬼束ワールドにあって、ここまで第3の存在がばっちりクローズアップされている作品は、かなり珍しいのではないでしょうか。
 そしてもっと重要なのは、蛍に仮託しなければいけない状況にあたしが陥っており、それでもなお蛍に想いを訴え続けることでしか、あなたとのつながりを確かめることができないという、あたしとあなたとの「絶対的な距離」を、この蛍が明確に証明する存在になっているということなのです。これは、物語をドラマティックにする「逆境」の存在を、直接言わないのにはっきり感じさせるかなり高等なテクニック!

 これまでも、多分なんかの事情であたしとあなたとの間に物理的もしくは精神的に大きな隔たりがあって、その溝を謳っている設定の鬼束さんの作品は、それこそ『月光』の頃から山のようにあったと思います。
 しかしそこは「なんか事情があるんです。」というふわっとした前提扱いであえてはっきりとは語られず、またそこに聴く人がそれぞれの実生活での隔絶の事情を当てはめて感情移入するという楽しみ方があったわけなのですが、それがゆえに楽曲全体のイメージがかなりボヤっとしたものになるという弱点も鬼束ワールドにはあったかと思うのです。また、実生活でそんなに隔絶なんて感じないナというリア充な階級の方々にはぜんぜんピンとこないという諸刃の剣でもあったでしょう。

 しかし! 今回の『蛍』では、日本人だったらたいていの人は簡単にイメージすることのできる「蛍」という映像がサビのたびに強調され、そのはかない光を見つめるあたしという姿も、ありありと想像することができるのではないでしょうか。そしてこの蛍をサポートするかのように、歌詞の中では「一縷の雨」、「指を絡める」、「汗ばむ熱」、「涙で霞む夜空」、「ガラス越しでもかまわない」などと、ちょっと今までの作品には見られなかったような、具体的で生々しい描写がちりばめられているのです。いろいろとドギツい表現もざらに流れているこの平成の御世では、そんなもん大したことはないと言われるかもしれませんが、これらの言葉を、あの宮崎県木フェニックスのように真っ直ぐで芯が太く、宮崎名産マンゴーのように情熱的な鬼束ちひろの歌声が語っているのかと思うと、ドキッとしちゃいますよ! そこはパッションフルーツじゃないんか……

 情景をはっきりイメージできる過去の鬼束作品というと、ほぼ唯一の例外として『いい日旅立ち・西へ』が挙げられるのですが、これはもう言うまでもなく作詞者と作曲者が鬼束さんじゃなかった(ちんぺい)から当然のことです。なので、この『蛍』における文学的な詞世界は、まさにエッセイが短歌になった、くらいの大変革&深化なのではないでしょうか。どうした鬼束さん!? 女流文学者ちひろ!?

 あたしが仮託する存在という点で鬼束さんの諸作をもうちょっと振り返ってみますと、たとえば『 Sign』における「星くず」なんかは仮託するものとして機能しているように聴こえるのですが、よくよく聴いてみるとあたしが君の部屋の窓を叩くための、ほぼ手そのものみたいな「手段」になっちゃってるので、仮託とは言えないような気がします。今回の蛍とは、ちょっと切実度が違うんですよね。まだまだお子ちゃま!

 ただ、こうやって鬼束さんの諸作の中での「キーアイテム」をざっと見ていきますと、『月光』とか『流星群』とかって、タイトルにはでかでかと出ているのに歌詞の中では一っ言も触れられないんですよね! つまり、具体的にイメージできる単語なのに、肝心の作品の中ではいっさい使用しないのです。この修行僧ばりに厳しすぎる「自分縛り」な作詞法も魅力的ではあるのですが、ついにここにきて鬼束さんは自らに課した禁をやぶり、「タイトルどストレート、内容どストレートじゃい!!」という、2013年夏の甲子園準優勝の宮崎県代表・私立延岡学園高校も整列して脱帽する正面突破攻勢に出たのです。かなり分厚いもやが消えたかと思ったら、全軍「車懸かりの陣」で攻めてきやがった(異説あり)!! 越後の龍かな?

 いや~、ほんとに腰を抜かしました。なんだこのフォームチェンジはと。
 いえいえ、スタイルを変えること自体は、鬼束さんもキャリアが長くなりましたし一度や二度のことではなかったのですが、ここまでバチコーン!とハマった変更は無かったのではないでしょうか。
 聴くものの心に同化することで感動を呼び起こしていた鬼束ワールドが、ここにきてついに、「いつどこで誰が聴いても心を揺り動かされる」絶対的な力を手にしたのではないか。相対的から絶対的への変化。正直言って、どっちが勝っているとかいう優劣の問題ではなく、初期の鬼束作品だって永遠の生命を得ている名作はたんとあるのですが、ただひとつ言えることは、この『蛍』こそが、鬼束さんが名実ともに初めて世に出した「歌謡曲」だったのではないか、ということなのです。それまでの作品はほぼ全て「 Jポップ」か「節をつけた一人がたり」の範疇ですよね。もちろん、それでも良いものは良いのですが。

 ここで「歌謡曲」と言ってしまうとガクンとスケールダウンしてしまうような心配もあるのですが、老若男女、鬼束さんより年上の世代も、デビュー時の鬼束さんを知らない新世代も、全員が聴いて心を動かす歌。それこそが歌謡曲だと思うのです。哀しい出来事があって気持ちが落ち込んでいても、陽気に居酒屋やカラオケボックスではしゃいでいても、いつ聴いてもじんわりと心にしみてくる歌謡曲。この域に、『蛍』は絶対に到達しているのです。
 その証拠と言っては何なのですが、この『蛍』が神山征二郎というそうとうにシブい映画監督の作品の主題歌に抜擢されたというのも、決して事務所的なタイアップというだけでは済まされない必然だったのではないでしょうか。しかも純然たる反戦映画ですよね。最高じゃないですか!

 とにもかくにも、この『蛍』は、それ以前の鬼束作品とは一線も二線も画するとてつもない名曲だと思います。その良さはもう、私が何万字使って述べ立てるよりも、ちゃっちゃと聴いていただくことが一番に決まっているのですが、それでもここまでだ~らだらとしゃべらせていただきました。この曲、ボリュームが約6分ということで鬼束さんの作品の中でもけっこう長い方なのですが、その長さを微塵も感じさせない構成もものすごいですよね。聴いていると、もしくは唄っていると、あっという間に終わりますよね。まさに「一瞬が永遠」で、「全ての時が一瞬」……魔力です。

 この曲を制作した時の鬼束さんのお喉のコンディションも最高だったのではないでしょうか。この『蛍』が録音されたのは2008年1月だったとのことなのですが、この後は4、7、8月と単独コンサートやライブステージを順調にこなしており、主題歌となった映画の公開に合わせて8月にこの『蛍』をリリースしています。このシングルがもっと早く、4月のコンサートの勢いに乗る形でリリースされていれば話題性も抜群だったのに……とも考えてしまうのですが、映画の公開が夏って決まってただろうし、だいいち春に「蛍」を売るわけにもいかないもんねぇ。つくづく、シングルリリースの翌月に全国ツアーをキャンセルする事態になってしまった悲運が悔やまれます。タイミングぅ~!!

 たぶん、「もうちょっと反響があってもいいんじゃないか」という印象を当時の鬼束さんも抱いたんじゃないかと思うのですが、これがベテラン歌手のつらいところなのか、作品の良さだけじゃなくて、それをひっさげたツアーとか媒体露出もセットでこなせないと、いろいろ大変なんですねぇ、芸能界って。
 ともあれ、坂本昌之プロデュースという新体制はしれっとながらも産声をあげました! ここから鬼束さんは一体どのような路を進んでゆくのでありましょうか!?
 我が『長岡京エイリアン』における鬼束さん作品の振り返り企画といたしましては、ついに最終コーナーを回ったかという局面に入りました。入ってしまいました……自分で勝手に設定しておいてなんなのですが、寂しくつらい気にもなってしまいます。でも最後の作品まで愛をこめて、はりきってまいりましょう!!


 ……え? カップリングの『 HIDE AND SCREAM 』? あぁ、う~ん……

 完全なる「鬼束さん節」ですよね。『蛍』であそこまで変わったからと言って、全部まるっとチェンジしたってわけでもないという、この「ふりだしにもどる」みたいな脱力感というか、連環の理というか……実家に帰ってきた感!? 
 タイトルからして「かくれんぼ」を意味する英語「 hide and seek」のもじりのようなのですが、「 seek(探す)」の代わりに「 SCREAM(叫ぶ)」があるということは、「君」という相手がどこにいるのか見当もつかず、探すきっかけさえつかめずに泣き叫ぶだけという「僕」の心情を象徴している言葉のようです。サビの部分で執拗に繰り返される「知ってるつもりだよ」という言葉も、僕が確信を持って君のことを知っているよと断言できない不安をあらわしていますよね。
 そして、ここでも鬼束さん流、昔ながらの「タイトルと内容が直結しない」法の典型となるのですが、「 SCREAM」と言いつつも、曲自体は表面上きわめて穏やかでゆったりとした、それこそ NHKの『みんなのうた』で流れていてもおかしくない子守歌のような体裁を取っているのです。
 ここもまた、鬼束さんのすごいとこなんですよね! 静かに唄えば唄うほど逆に怖くなると言いますか、内に秘めた叫び出したくなるような不安と狂気を感じさせるというね。もうなんか、聴いてるだけで、それを唄う鬼束さんのかんばせにべったりと貼りついた作り笑いが見えるようではありませんか。怖いな~、ヤだな~!!

 歌詞を読めば僕と君はすぐ近くにいるようでもあるのですが、心はかなり離れた距離にある、もしくは離れそうになっていることを不安に思っている心理を、まさに鬼束さんの独擅場といった感じで謳いあげているコワい一曲だと思います。この2人の関係は、果たして恋人同士なのでしょうか。幼なじみのようでもあるし、はたまた親子なのか。異性か? それとも同性か。
 この曲、決して『蛍』といい位置関係にあるとは言えない水と油みたいな異質の作品だとは思うのですが、これもまた隠しようのない鬼束ワールドのひとつということで、ね。

 しっかしまぁ、日によって視界が澄み切ったり五里霧中になったりと、鬼束ワールドの天候は情緒不安定どころじゃありませんな!

 やはり、この世界をケルティックサウンドで飾ろうとした羽毛田さんの直感は、正しかった、とでも、言うのだろうか……キャ~!!
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嗚呼、下総は遠くなりにけり!

2015年08月08日 23時41分44秒 | 日記
 どうもこんばんは~。そうだいでございます。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!
 いや~、夏休みですね。お盆も近いですね! 私は今年は、お盆もあんまり関係なく仕事があるんですが、まぁ夏は夏ですよ。暑いねぇ~、毎日、毎日!

 今日はわたくし、貴重な休日ということで、歯医者さんに行ったついでにお楽しみの温泉めぐりに行ってまいりました。今回も相変わらず山形市内で、南の青田(あおだ)という地区にある「臥龍温泉」という日帰り温泉だったのですが……まぁ~レトロな温泉だったなぁ! 内湯がひとつだけの完全なる銭湯仕様で、外観もものすごい味わいがありました。周囲の風景も昭和というかなんというか、今でも、トタン張りのああいうおうちって、家屋として機能してるんだな、といった感じのお宅が建ちならんでいて……温泉と続いてるっぽい4階建てのマンションも、長年の雨風で外壁と温泉の看板がものすごい色あせっぷりになってるし! なんともいえない空気がただよっておりました。ぬるぬるしてかなり身体に良さそうなお湯でしたね。
 しかしびっくりするのが、お盆前のこの段階で、体感する暑さがすでにいくらかやわらいできてるような気がするってことなのよね! 「山形の夏は短いぞ~。」とはよく聞かされますが、ホントにもうひとがんばりって感じなのかもしれません。いや、今週も日中に外で仕事をしてかんなりヒドい目に遭いましたけどね。まだ腕がヒリヒリする……

 山形に棲んでるっていうことで、夏はそうとう助かってるなぁ~。去年までの千葉での夏は、朝も夜も関係なく暑かったもんなぁ。ひとり暮らしのアパートも扇風機しかなかったし、あれはキツかったなぁ……などと思い起こしていたら、親しいお方から、その千葉に強くリンクした暑中お見舞いの品をいただきました。


ジョージア缶コーヒー マックスコーヒー 250ml 缶×30本ケース


 おわー!! あまい! あますぎるやつが来た!!
 まさしく、千葉といえばマックスコーヒー……ひと口飲めば、17年前の大学のサークル部屋で最初にその味に触れて、「なな、なんだず、これ!? ふつうのジョージア・オリジナルんねのが!?」と絶句したあの頃に、瞬時にタイムスリップしてしまいます。ほんとに甘いのよ、これ……成分表示のところ、「コーヒー」も「砂糖」もさしおいて「加糖練乳」が先陣きっちゃってるんだもんね。無論のこと、数あまたあるコーヒー飲料の中でも、この甘さはトップクラスだそうです。
 これ、ロゴの下にちゃんと「練乳入り」って銘打たれてるんですけど、どっちかっていうと「コーヒー入り」にしたほうが実態に即してるんじゃないかと思うんですけどね。コーヒー入り練乳飲料。

 もっとも、私が大学生だった時代は「マックスコーヒーといえば千葉県オンリー」という感じだったのですが、もともとマッコー(愛称だそうです)は1975年の販売開始から千葉の他に茨城県と埼玉県でも売っていたらしく、1978年からはそれに栃木県も加わっていました。そして、2006年からはついに東京でも販売されるようになり、2007年に北海道ときて、2008年からは(正式展開は2009年から)いよいよ全国展開されるようになったのだそうです。もう、マッコーは千葉だけのものじゃなくなったのか……そういえば、おっきなスーパーに行ったら、山形でも売ってるんだよなぁ。ちゃんと500ml ペットボトルのやつまで。500ml……もう飲めないかなぁ。

 でも、やっぱり私の中では、いつまで経ってもマックスコーヒーは千葉名産ですよ。だいたい、あれを飲みたくなるかならないか、飲めるか飲めないかで、自分の「疲労度」のバロメーターになってたもんね。「あぁ、こんなに糖分を渇望するほど疲れてるんだなぁ、今。」みたいな。

 そのへんの千葉での青春をヴィヴィッドに思い出させてくれる、非常に的確なプレゼントをいただきました。どうもありがとうございます!! まぁ、30本あるから……家族で飲んで3ヶ月でなくすくらいのペースでいきましょうかね。薬用養命酒クラスの扱いで、ちびちびいただきます。

 それにしても、山形に戻ってきて早くも半年になりましたが、TV とかで千葉県の話題にふれるたんびに重ね重ね痛感するのが、「15年以上暮らしていたのに、おれはなんて千葉のことを知らないんだ!!」ってことですよね、ほんと。
 それはもう、だいたい千葉県のどこかが TVで扱われるとしたら、必ずお魚がらみで房総半島になるからなんですよ。要するに、昔の国名で言うところの「上総国(かずさのくに 現在の千葉県中部)」と「安房国(あわのくに 現在の千葉県南部)」ですよね。でもさぁ、この2ヶ国、まぁ~よっぽどの用事でもない限り、行くことがなかったんだよなぁ~! 私はもう、もっぱら千葉市以北の「下総国(しもふさのくに 現在の千葉県北部)」か武蔵国でしか生息してなかったです、ハイ。

 だから今日のタイトルになっちゃうわけなんですけれども、ホントに心の底からつくづく、「私は下総国の住人だったんだなぁ~。」と思っちゃうわけなんです、千葉県人じゃなくて。別にわざと、しゃれけつかして(山形方言)古い言い方をしてるわけじゃなくて、私の生活圏がまるで千葉県全域をカバーできてなかったということなんです。

 でもそんなこと言い出したら、今年からの山形県生活だって、ちゃんと死ぬまでの間に「おらぁ山形県人だず!」と公言できるようになるかどうか……山形県も広いぞ~。
 少なくとも18歳までの私は、完全なる「山形市西部の民」でした。今年になって、車を持ったり仕事を持ったりしたことによって、やっとこさ市内のあちこちとか隣接市にも足を伸ばすようになったわけですが、山だけじゃなくて日本海側にも詳しくなれるようになるかねぇ。海水浴とかで行けるようになったらたいしたもんですよ!

 あっ、そういえば、今月は初めて片道100km の遠乗りに出かける予定があったんだった! その海側に行くつもりなんですよ、庄内町。子どもの頃には行ったこともあるんでしょうが、記憶があるうちに行くのは、今回が初めて!
 残念ながらのんきな海水浴とかじゃなくて、8月22日にそこのホールで上演される知人の舞踏公演を観に行く用事なんですけどね、楽しみなんだよなぁ~、これ。たぶん、お互いに大学生だった時期以来だから、10年以上ぶりに会うことになるし。
 にしても、このわたくしが果たして、往復200km、しかも帰りは夜道という行程を難なく走りおおせられるのであろうか……ホントにこれだけが心配なんですが、道は大きなラインだけなので迷うことはないだろうし、車に乗る以上は、いつかはそのくらいできるようにならんといかんから、ねぇ。気楽にがんばるぞーいっと!


 あと、千葉といえば話題は重なるものでして、今日マックスコーヒーをいただいたかと思ったら、家で昔の CDを整理していたところ、千葉時代の個人的にはそうとう懐かしいものを発掘してしまいました。

『アンニュイに生きたい サウンドトラック』
1、フランク=エミリオ        『 En El Volga 』(1964年)
2、カンディード           『 candido's guajira 』(1971年)
3、アート・アンサンブル・オブ・シカゴ『 folkus 』(1978年)
4、菊地雅晃アート・カルテット    『 Flare Of The Sun 』(1998年)
5、菊地雅晃アート・カルテット    『 Lisa 』(1998年)
6、Tsuki No Wa            『 Going Home 』(2001年)
7、ザ・ビーチ・ボーイズ       『 Unreleased Backgrounds 』(1990年)
8、塚本 真一            『 When The Mornin' Comes Part2』(1998年)
9、小野誠彦アンサンブル       『 picnic 』(2000年)
10、ガビー=パヒヌイ         『 waialae 』(1973年)
11、ジャンヌ・エトワール       『バイエル91番』(1968年)
12、渡辺貞夫& Brazilian Friends   『 mostra morena 』(1968年)
13、稲毛海岸にて録音         『2001年6月17日』


 いや、これ、売り物の CDじゃなくて、『アンニュイに生きたい』っていうタイトルの大学生演劇で使われた楽曲をまとめて、記念に公演の関係者だけに配られた CD-Rなんですけれども。

 なつかしいっていうか……あんまりおぼえてない曲ばっかりだなぁ。でも、何曲かは「たぶん、ああいう感じのシーンで流れてたかな。」といったボンヤリにも程のある耳ざわりは残っています。

 これ、私が大学4年のときの2001年6月に、役者として参加した公演だったんですが、その後8月からご縁が始まることになった劇団とは全く関係のない、「なんとな~く、演劇で生きていきたいかも。」といったゆるさの人々がからみあった集まりでしたね。他のサークル活動もそうなのかも知れませんが、当時、私のいた大学の演劇サークルもだいたい4年生になったら定期公演には参加しなくなるものだったので、同期どうしで卒業記念公演をやるとか、その後もお芝居をやりたいという人たちが、サークルに関係なくぱらぱらと集まってやる、という流れがあったものでした。

 それで、この集まりは劇団というほど強いくくりではなかったのですが、オリジナルで脚本を書いていた方が中心になって年1回ほどのペースで4作くらい上演していて、私は役者として、そのうちの第2回(2000年)と、この第3回『アンニュイに生きたい』に参加していた、というわけです。
 ちなみにこの集まりには、私と同じ時期に芸術家の吉村熊象さんも参加していて(同じサークルの同期でした)、特にこの『アンニュイに生きたい』では、さびれたサバの加工工場のセットを作りたいということで、いっしょに大学のグラウンド脇で建材の柱を焚き火でいぶして守衛さんに怒られた、といういい思い出があります。いや、広い野っぱらだから火事にはならないと思ったもんで……

 どんな話だったかなぁ……確か、良くも悪くもない業績のサバ加工工場の社長が、サバ缶で世界を革新しようとする、とかいうやつだったような。

 台本も引越しの中でどっかにいっちゃったし、はっきりしたことはいっさい記憶にないんですが、私、その公演の小道具も担当してたもんで、6月の時期にアパートに100尾くらい本物のサバを買い入れて、少しでも腐敗が遅れるように内蔵をズルズル取り出して、代わりに新聞紙を詰め込んで小道具にしていた記憶だけは、あのにおいと一緒に今でも鮮烈に残っています。新世紀のしょっぱなだっていうのに、ひでぇ夏だったぜ……

 ただこの公演って、内容の記憶がうすい割に、なぜかミョ~に私は「悔い」だけが残っておりまして、特にこれこれこのシーンで何かをトチるとかいう明確は失敗はなかったのですが、いや、そういう失敗がなく大過なく終わってしまったという時点でな~んかダメだったという感触は今でもあるんですよね。台本もよく読まないくせに、自分勝手なおもしろがりかたしか追ってなかった、という感じ。
 「あの頃に戻ってやり直したい。」なんていう虫のよいことは思いませんが、せめて、あの頃の私を思いっきりひっぱたいて「ちゃんとよく周りを観ながらふざけろ!!」と喝を入れるくらいのことをしていたら、その後の生き方もちったぁマシになっていたのかも、という思いははっきり今でも持っている公演です。
 これはもう、その後の本格的な劇団活動の中で経験したどの公演よりも強く持っています。ドしろうとなりにも、志は絶対に高く持っていなければ、何をやってもちっともおもしろかないだろうと。

 この公演は、4月の曇天にみんなで幕張に集まって、チラシ用の写真撮影をした日から作品作りが始まったのですが、結局、3ヶ月時間をかけたけどあんまりうまくいかなかったなぁ、みたいな感触だけ残って、私は次の日々に移りました。でも、その20代はじめの3ヶ月の損失感は、そのあと演劇をやっていくにあたって、もっと重大に、アホはアホなりに深刻に受けとめるべきだったんじゃないかと思うんだなぁ。でも、わかんなかったのよねぇ。アホだから。


 そういう、記憶はないのに思い入れだけはある公演のサウンドトラックなわけなんですが、この公演は確か、現在デザイナーとして活躍されている中原寛法(ひろのり)さんが音響を担当されていて、たぶん中原さんが脚本の方と打ち合わせて選曲されたんでしょうが、なんだか「はいはい学生学生。」とかたづけていられないものを感じたので、なんの意味もなく、その内容を備忘としてここにとどめておくこととしました。ジャズって私、今でもぜんぜんわかんないんだよなぁ~。
 中原さんは大学の演劇サークルにはいっさい関係のない場所にいらっしゃった先輩だったのですが、たぶん、私が学生時代に交流した方々の中でもトップクラスに感度のよろしいお方だったと思います。野坂昭如の『マリリン・モンロー・ノ・リターン』(1971年)の存在を私が知ったのも、中原さんのおかげでした。ご本人はいたって温厚な紳士然とした先輩だったのですが、話をしたり自分の演技を見られるたびに、私のどこを見通されているのかわかったもんじゃない、という緊張を勝手に持ってしまう特別なお方でしたね。

 この公演にかかわった人たちの中で、2015年現在も演劇を続けている人はだぁれもいないんだな、ということに思いを馳せながら、あの頃のことを思い出そうとしてボーっとする。そういう貴重な作用をもたらしてくれる1枚なのでした。

 ラストトラックの、約10分間の稲毛海岸の波音の録音だけはこの公演のためのオリジナルなわけですが、たぶん、海のさざ波は14年たった今でもまるで変わってないんだろうなぁ。変わるは人の世ばかりなりけり。
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『 LAS VEGAS』

2015年08月06日 20時38分15秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『 LAS VEGAS』(2007年10月31日リリース UNIVERSAL SIGMA)

時間 50分50秒+17分(初回限定盤付属DVD)

 『LAS VEGAS』(ラスベガス)は、鬼束ちひろ(当時27歳)の4thオリジナルアルバム。
 小林武史プロデュース第3弾。作品のキャッチコピーは「すべての光と影のために」。2007年8月に小林のオフィシャルホームページで本アルバムの発売が告知された。オリジナルアルバムとしては、2002年12月にリリースされた3rdアルバム『 Sugar High』以来、実に約4年10ヶ月ぶりのリリースとなる。
 タイトルは、『 Sugar High』の制作時にはすでに次作アルバムのタイトルとして決めていたという。アルバム全体を通して「旅」をイメージして制作されており(ちなみに鬼束本人は旅は嫌いであるという)、カントリー、バラード、ロック、ポップス、賛美歌など、過去作品には見られなかった規模で楽曲ジャンルのバラエティに富んだ内容となっている。鬼束は本アルバム制作段階の2007年5月のインタビューで、「赤い歌だったり青い歌だったり黄色い歌だったり、いろんなサウンドがあって、それぞれが立っているアルバムになりそう」と語っている。収録曲順は主に小林が決定したという。作詞に関して鬼束は、小林プロデュース第1弾となった収録曲『 everyhome』(12thシングル 2007年5月リリース)を契機に書き方が変わっていったと話している。
 初回限定盤は DVD付で、12thシングル『 everyhome』と13th『僕等 バラ色の日々』のプロモーションビデオに加え、この DVD収録が初出となる『 everyhome』プロモーションビデオの別バージョンも収録している。
 なお、11thシングル『育つ雑草』(2004年10月リリース)、12thシングル『 everyhome』のカップリング曲『秘密』、13thシングル『僕等 バラ色の日々』のカップリング曲『 NOW』は本アルバムには収録されていない。
 オリコンウィークリーチャートで最高6位を記録した。台湾では11月14日に発売され、週間チャートで1位を記録した。

収録曲
全作詞・作曲 …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史(当時48歳)

1、『 Sweet Rosemary』 3分53秒
 カントリーミュージックを基調とした楽曲。映画『ギルバート・グレイプ』(1993年 主演・レオナルド=ディカプリオ)をモチーフとして書いた曲であり、鬼束本人曰く「このアルバムの中心になると考える曲」。また、普遍的な歌詞を書いていきたいという願望に近づけた曲であり、小林武史がこの曲を1曲目に決定した時、鬼束は納得できたという。

2、『 bad trip』 4分22秒
 映画『スパン』(2002年 アメリカ)を見て書かれたというバラード。本人曰く「(映画の音楽を担当した)スマッシング・パンプキンズのビリー=コーガンだったらこういう曲を書くだろう」というイメージで書かれた。全編英語詞。

3、『蝋の翼』 5分26秒
 ギリシア神話の登場人物イカロスをモチーフにして作られた曲。ポップス要素を押し出したバンドサウンドになっている。編曲が加わる前の段階から明るいイメージだったという。

4、『僕等 バラ色の日々』
 13thシングル。

5、『 amphibious』 4分45秒
 本人曰く「小林武史の編曲が衝撃的だった」というロックナンバー。タイトルの意味は一般的には「二重人格」であるが、鬼束は「両性具有」の意味をもって書いたという。

6、『 MAGICAL WORLD アルバムバージョン』 4分50秒
 ボーカル・ピアノ・チェロの構成だったシングルバージョンに、ストリングスとパーカッションが加わっている。

7、『 A Horse and A Queen』 5分21秒
 2002年3~5月に行われたライブツアー『 CHIHIRO ONITSUKA LIVE VIBE 2002』で初披露され、そのまま長らく未発表となっていた曲。当時はピアノロックを基盤として構成されていたが、本作に収録されるにあたり、サックスを新たに加えている。

8、『 Rainman アルバムバージョン』 3分44秒
 鬼束自身のピアノ弾き語りだったシングルバージョンに対し、こちらはバンドサウンドで構成されている。また、文法に忠実にするため一部英語詞が加筆修正された。

9、『 Angelina』 5分54秒
 鬼束が20歳の時(2000~01年ごろ)に作った曲で、本アルバムの中で最も古い作品。タイトルはアメリカの女優アンジェリーナ=ジョリーから付けられた。

10、『 BRIGHTEN US』 1分36秒
 賛美歌をイメージして衝動的に作ったという曲で、アカペラで歌唱されている。全編英語詞。この曲のみ日本語訳詞が付けられていない。

11、『 everyhome』
 12thシングル。

初回限定版付属DVD
1、『 everyhome』ミュージックビデオ( version1)
 映像ディレクターは牧鉄馬。ピアノ演奏で小林武史も出演している。
2、『 everyhome』ミュージックビデオ( version2)
 映像ディレクターは名取哲。主に歌唱する鬼束のアップカットで構成されている。
3、『僕等 バラ色の日々』ミュージックビデオ
 映像ディレクターは井上強。井上が鬼束のミュージックビデオのディレクターを務めるのは、2001年の4thシングル『眩暈』以来となる。


 ついにここまできてしまったか……と、個人的には非常に感慨深いものがある4th アルバムでございます。

 もともと、この零細ブログで、誰が期待するでもないのに鬼束ちひろさんの諸作に関するしろうと感想記(レビューだなんてとんでもねェ)をつづる契機となったのは、「昔あんなに好きで、今は全く関心が無くなった」彼女について、どうしてそんなに好きだったのか、その魅力の本質を自分なりに振り返ってみようという発心からでありました。当然、2015年現在も鬼束さんは歌手として健在ですので、そんな現在の彼女をくさすようなつもりは毛頭ありません。ただ、わたくし個人はそこから離れた、というだけでございます。

 デビュー当時からそんなに好きなんだったら、人間歳だってとるんだし多少の変化があっても鬼束さんを好きでい続けたらいいじゃないのと感じるむきもあるかと思うのですが、かつて我が『長岡京エイリアン』でもつづったように、私としては歌手としての鬼束さんの音楽性とか声質だとか、ましてや容姿がどう変わったからとかいう問題でなく、「プロフェッショナルとしてその発言はどうなんだ」という根本的な部分でどうにもこうにも承服しえない出来事があったので(2012年)、その時点以降の彼女の活動は「知ろうとしない」ことにしたわけです。気にはなるけど、し~らないっと!

 そんでもって、このブログ内での鬼束さんのデビュー時からの作品群を聴き直してみるというくわだては、2012年にリリースされた彼女の作品をもって終了するつもりですので、最初っから「終わりが決まっている」ものとなります。それ以降の作品は購入していませんし、視聴もしておりません。
 ほんと、自分でもどうしてこんなに「もう知らないから!」状態をこじらせ続けているのかと不思議でしょうがないのですが、それだけ好きだったってことなんでしょうかねぇ。

 とまぁ、そういう経緯から見てみますと、今回とりあげる4th アルバムはかなり重要な位置を占める作品となっていまして、そんなに鬼束さんが大好きだった私にとりまして、ホントのホントに初めて「嫌いな曲」に出会ってしまったのが、このアルバムなんですよね。まさに「終わりの始まり」。もちろん、それが好きという方もたぶんこの広い世界のどこかにはいらっしゃるのでしょうが、私はちょっと……
 その曲というのは5曲目の『 amphibious』なのですが、理由は言わずもがな、一回でも聴いていただければわかるのではないでしょうか。

 いや、英語に堪能な鬼束さんならば、その単語を連呼することがどんだけひどいことなのかをわからんでもないでしょうに……

 でも、そこを承知の上でバンバン叫んでいるのでしょうし、その勇気(……か?)をイイと言う人もいるのかも知れませんが、私は嫌だなぁ。
 また、小林さんのヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいな古臭いアレンジもあえてなのでしょうが、そこがまたひどいんだよなぁ。新しさなんかもちろんないし、もともと鬼束さんの歌声はどうにもぬぐいきれない「醒めた冷静さ」が本質にあると思うので、演奏をどうしようが突き抜ける瞬間的な爆発性がなかなか生まれないんですよね。太陽じゃなくて月、ラテンじゃなくて日本民謡、長嶋茂雄じゃなくて野村克也だと思うんです! なに、このたとえ。
 ライブ会場でノリで唄うのならば別によろしいかと思うのですが、なんてったってコンセプトアルバムの一曲なんですよ? 前後の曲とのバランスもへったくれもありゃしませんよ……本当に、この曲には衝撃的に拒否反応を感じたのでした。

 音楽アルバム、特にスタジオでじっくり録音したコンセプトアルバムでいちばん大事なのは、一曲一曲のクオリティもさることながら、続けて聴いた時に有機的につながって立ち上がってくる味わいだと思うんですよ。当然、鬼束さんに関しては過去のアルバム3作も、なんだったらベストアルバム2作にだってそういう「全曲集まった時の空気感のまとまり」を重視する姿勢はあったと思います。それは、鬼束さんや当時のプロデューサーのスタイルに確固としたものがあったからなのでしょう。

 ところが、それが悪いとは言わないのですが、今作における小林さんのプロデュース姿勢には、自由放任主義というか、鬼束さんのその時々に唄いたいものを唄わせて、自分も実験的にやりたいアレンジを加えてとりあえず並べるといった「ゆるさ」を感じてしまうのです。それはまぁ、鬼束さんがもはや新人ではないという互いの関係性もあるからのオトナな距離感なのでしょうが、それだけにガッチリとしたコンセプトのある作品を作ろうという意気込みが、この4th アルバムに絶妙に欠けている原因なのではないでしょうか。だからこそ、けっこう長い沈黙期間を経て新しい鬼束さんを聴きたいと渇望していた当時の私のような人間にとっては、フルアルバムが聴けること自体はうれしいけれども、な~んか新しくもなくアツくもない変な温度の作品に感じられたのではないでしょうか。

 いや~、やっぱりね、アルバム作品なもんですから、ドライブなんかで流し聴きするわけですよ。そういう時に、2~3時間くらい流しっぱなしにするじゃないですか。そしたら1枚1時間前後のアルバムなんて何回もループするでしょ? そういう時に、ある曲にくるたんびに内心で舌打ちをしてスキップボタンを押すのって、致命的なんですよね。ほんと、このアルバムに関してはしみじみ残念に思うのです。

 なにが残念って、このアルバム、名曲いっぱいあるんですよ! ま、確かに突き抜けた明るい曲が少ないというか、全体的に内省的なじめっとした曲が多いような気もするのですが、やっぱり怜悧に計算され尽くした鬼束さんの歌声というものは古今無双、稀代の美しさに満ちているのです。

 すでにシングル曲として世に出ている2曲がズンとアルバムの重要なところを押さえているのは当然なのですが、本アルバム初出の曲としては、やっぱりご本人も語っているようにど頭の『 Sweet Rosemary』の、そうとうに過酷な「人生のなにか」を乗り越えた人物にしかかもし出せない「軽さ」をたたえた味わいが最高ですよね。これはもう、当時の年齢の鬼束さんだからこそたどり着ける境地だと思います。これがひとつの楽曲になったという幸運と奇跡!

 「人生は長いのだろう」……いい言葉ですねぇ。今日明日どうなるもんでもねぇというあきらめと共に、肩の荷がふっと軽くなる名曲だと思います。まさにブルースだと思うなぁ。

 そんな悟りの境地に達したかと思ったら、すぐに次の曲『 bad trip』でダウナーな状態に落ちてしまうのも、鬼束さん伝統のジェットコースター情緒、いつものやつですね。ここでピアノに弦楽器という羽毛田時代まんまのアレンジがつきまとってしまうのは、ちと残念な気もするのですが、これはもはやプロデューサーが誰とかいう問題ではなく、鬼束さんにとってしっくりくるスタイルがこれだからなのでしょうね。『 MAGICAL WORLD』のアルバムバージョンも、「アレンジ変える意味、ある?」ってくらいに印象が変わりません。ちょっとやそっと楽器を増やしてにぎやかにしたって、鬼束さんの孤高の哀しみをたたえた歌声はまったくゆらぎもしないのです。

 ただ、本アルバムにおいて圧巻なのは、やっぱり7曲目『 A Horse and A Queen』から10曲目『 BRIGHTEN US』までの流れだと思います。
 鬼束さんの楽曲としてはハイテンポなリズムにサックスが加わってノリの良い『 A Horse and A Queen』のあと、いつも通りにその反動でず~んと沈んだバラードが始まるのかと思いきや、バンドアレンジとなって非常にポジティブな雰囲気となった『 Rainman アルバムバージョン』となります。この2曲のつながりは、小林プロデュース時代のはっきりしない色調の中でも、わりとくっきりと独自性が出た部分なのではないでしょうか。
 そして、その次はさすがに落ち着いたバラード『 Angelina』となるのですが、6分ちかいこの大曲は本アルバム収録曲の中でも特に制作時期が古い曲であるのにもかかわらず、「私はまだ死んではいない」という、当時の鬼束さんファンならば誰もが聴きたくて待ち焦がれていた彼女の肉声を伝える超重要な曲となっているのです。

 これ! こういう叫びを聴きたいんですよ!! ここまでずいぶんと待たせてくれましたねぇ。『 Angelina』は若き日の鬼束さんの鬱屈とした精神環境を赤裸々につづるもの……だったのかも知れませんが、それが奇しくも日本中で認められるプロの歌手となった20代半ばを過ぎた鬼束さんにとっても実にしっくりくる曲になっているのは、原点回帰というかなんというか、天才の「業」を感じさせるものがあると思います。
 また、この曲が本格的にメジャー作品に出演して現在の世界的な名声を得る直前のハリウッド女優アンジェリーナ=ジョリーをモデルにしているらしいというところも、不思議な縁を感じさせる話ですね。あの名曲『ダイニングチキン』も、アンジェリーナさんの出ていた『17歳のカルテ』つながりですよね。でも、タイトルの由来を知って「なんで『トゥームレイダー』のむちむちくちびる姐さんがモデルで、こんなに内省的なバラードが?」と疑問に感じる方も多かったのではないでしょうか。誰しも、人に歴史あり!

 死んではいない。この曲、語る内容はおそらく、あの問題作『育つ雑草』と全く同じかと思うのですが、変換の仕方がこんなにも変わる鬼束さんにとってのこの3年間とは、いかような過酷な風の吹きすさぶ季節だったのでありましょうか。どっちもとっても良い曲だと思います。室町幕府最後の将軍・足利義昭とか異次元人ヤプールのテーマソングにしても、ぴったり☆

 さらに、この『 Angelina』のあとにくる『 BRIGHTEN US』がすてきじゃないですか。重い曲の後に、ほんとに翼を得た(イカロスの蠟の翼なんかじゃなく、こっちは本物!)かのように軽やかに、高らかに唄う鬼束さんの楽しそうなこと! アカペラの小品なので他の曲とはちょっと毛色が違うのですが、それだけにアルバムのみごとなエピローグを飾る妙手だったと思います。

 それだけに、その後に『 everyhome』がのこのこと続いてしまうのが解せない……『 BRIGHTEN US』が最後でいいじゃないかよう! なぜ、その後にまたぞろ重い曲で締めてしまうのか!? でも、ハッピーエンドで終わらせないこういうとこが鬼束さんワールドなのか。


 そんなこんなで、この4th アルバム『 LAS VEGAS』は、かえすがえすも一曲だけパクチーみたいなクセありすぎの短絡的な駄作が入っているのが惜しいのですが、それ以外は当時の鬼束さんの健在っぷりを証明する作品となっております。さほど新時代の空気を感じさせる冒険がないのも物足りなさの一因ではあるのですが、良くも悪くも小林プロデュース時代を象徴する仕上がりとなっているのではないでしょうか。
 アルバムのタイトル『 LAS VEGAS』の由来ですが、ベガスのカジノルーレットのような大いなる賭けに出るアルバム……というわけではなく、地名のスペイン語での意味「肥沃な土地」を採用したものだと思います。アルバムのジャケット写真のイメージもそんな感じですよね。

 でも、ジャケット写真の土地って、ススキみたいな草が一面に生い茂る大地っていう見た目で、ちょっと肥沃には見えないんだよなぁ。そこらへんも鬼束さん一流の皮肉な表現なのかもしれませんが、そこは見渡す限りの田んぼの中で田植えか稲刈りをしている鬼束さんをジャケットにしていただきたかったですね。豊穣の女神・鬼束ちひろ!!

 豊穣の女神と言えば、日本神話において、原初に大地の恵みたる全ての食べ物を生んでいた神様は「ウケモチの神」という女神だったのですが、月の神である「ツクヨミの尊(みこと)」をもてなした時に、ご飯だの魚だのお肉だのといったごちそうの全メニューを自分の口からオボロロロと出して提供するところを見られて、「きったねぇ!!」と激高したツクヨミに斬られて死んでしまいます。
 そして、ツクヨミがウケモチを殺したことがきっかけで、姉のアマテラス(太陽の女神)がツクヨミと決別したためにこの世界には「月の守る夜」と「太陽の守る昼」ができ、ウケモチの遺体から生まれたさまざまな食べ物のたねをアマテラスの治める国の人々が持ち帰ったために、太陽の照らす国で農業や漁業、狩猟の文化が生まれたという起源神話があるのです。なるほどね~。

 つまり、他の女神を斬り殺すような荒ぶるツクヨミ(『月光』)の姿をした時代があった鬼束さんも、ついには全ての人々に豊かさをもたらす「ゆるし」のウケモチ時代に入るようになった、ということなのでしょうかそういうことにしといてくださいお願いします!!


 この後、鬼束さんはまたしても、翌2008年までしばし沈黙の時期に入るのですが、その後に出たのが、私にとって個人的に不動のベスト1となる、あの歴史的傑作シングルなんですよね。これだから鬼束さんはすごいんだ!!

 大地に根ざして生きる人々の哀しみとねがいを謡いあげる神の曲、ついに次回!!
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警部殿は、最期まで無茶であらせられたかったのだろうか……最敬礼!!

2015年08月03日 21時37分39秒 | すきなひとたち
俳優の加藤武さん、サウナで倒れ急死 86歳 前日まで元気だったのに……
 (スポニチアネックス 2015年8月2日付け記事より)

 劇団文学座の代表で、市川崑監督の映画「金田一耕助シリーズ」の警察官役など、名脇役として活躍した俳優の加藤武(かとう・たけし)さんが7月31日夜、東京都内の病院で死去した。86歳。死因は不明。東京都出身。葬儀・告別式は親族だけで行う予定。持病はなく、最近も多忙な日々を過ごしていたが、トレーニングに訪れたスポーツジムのサウナで倒れ、帰らぬ人となった。

 文学座によると、加藤さんは大きな病気をした経験がなく、最近も元気だった。時間があればスポーツジムに通い、エアロビクスなどで汗を流していた。31日はジムのサウナで汗を流していた際に倒れた。都内の病院に搬送され、死亡が確認された。詳しい死因は分からないという。
 亡くなる前日の30日には、東京・信濃町の文学座で、月次定例会に出席。普段と変わらぬ様子だったといい、関係者は「全くもって元気だった。」と驚きを隠さない。17日には俳句の会に出席、19日には朗読会を上演していた。
 9月26日から岐阜県可児市で主演舞台『すててこてこてこ』が上演される予定で、今月後半から始まる稽古に向けて準備していた矢先の訃報だった。

 加藤さんは、1929年5月24日、東京都・築地小田原町(現・中央区)生まれ。早稲田大学英文科卒業後、中学校教諭を経て、1952年に文学座に入団。こわもての風貌と愛きょうのある演技で、悪役や個性の強い役どころを務め、2007年に亡くなった北村和夫さんとともに、文学座の中核俳優として活躍した。
 市川崑監督の映画『犬神家の一族』(1976年)や『八つ墓村』(1996年)などの、横溝正史原作の「金田一耕助シリーズ」で演じた警察官役では、「よーし、分かった!」の決めゼリフで作品に欠かせない存在だった。その他、『隠し砦の三悪人』(1958年)などの黒澤明監督作品にもたびたび出演。『悪い奴ほどよく眠る』(1960年)では、同じシーンを30回以上撮り直し、強烈な照明の熱さに耐えかねて倒れそうになったことも。「三船敏郎さんがひゅっと差し出した水を飲んだら、はっと我に返り、それで OKが出た。」とスターから受けた恩を忘れず、半世紀以上たってもうれしそうにこのエピソードを語っていた。
 『仁義なき戦い』、『釣りバカ日誌』といった人気映画シリーズや、『風林火山』(2007年)などの NHK大河ドラマでも、印象的な脇役を演じた。今年2月、演劇界への長年の貢献が認められ、読売演劇大賞の芸術栄誉賞を受賞した。

 加藤さんは、演技以外の活動にも精力的だった。太鼓打ちの名手としても知られ、低音の声で朗読劇や海外ドラマ、アニメの吹き替えでも活躍。今年1月に都内で行った朗読独演会では、「舞台でも何でもやりたい。いつも意欲を持ってないと駄目。命ある限りやってやりたい。」と熱く語っていた。

 夫人を1995年に亡くしてからは一人暮らし。2人の娘がいる。
 東京都杉並区内にある加藤さんの自宅は、電気がついておらずひっそりとしていた。訃報を知り自宅前に来た女性は、「よくセリフの練習をされていて、声が外に漏れ聞こえていました。」と語り、別の女性は、「よく自転車で買い物に出掛けられてました。先月お見掛けした時はお元気そうだったのに……」と、突然の悲報に驚いていた。
 葬儀・告別式は親族のみで行う。文学座が、お別れの会か劇団葬を開くことを検討している。



 ……無茶をするのは、捜査だけにしてほしかった。

 2代目・橘警察署長(『犬神家の一族』)にして8代目・等々力大志警部にして、11代目・磯川常次郎警部たる加藤武さん、逝く……って、刑事役やりすぎだろ!! おまけに『天河伝説殺人事件』でもセルフパロディやっちゃってるし。

 しかし、悲しむべき訃報であることは当然なのですが、齢86にして、「事故死」なわけでしょ? これは、たぶん。
 すごいですよね……まだまだ現役で生きていく気マンマンだったんじゃないですか!! そのご高齢でまだ「寿命」じゃなかったって、あなた! 松永弾正久秀じゃないんですから……

 個人的には、作品がおもしろかったかどうかは別にしても、市川版『獄門島』(1977年)のころの絞り込まれたスタイルがいちばん好きだったなぁ。その後はじょじょ~に丸くなってきてましたからね。あのキャラクターは太ってると、どうもねぇ。胃薬のんで捜査してるくらいなんだから。
 でも、歳を重ねてつけ眉毛もカドも取れた、「片岡金田一シリーズ」の磯川警部役もステキだったなぁ。いや、俳優として活き活きとしてらっしゃったのは、むしろこっちのほうだったのかも知れませんよね。

 なんか、ただの訃報に終わらず、「えっ!?」と唖然としてしまうような、どことなく陽性な去り際になってしまっているのが、いかにも加藤武さんらしい、みたいな。

 まぁなんにしても、体調管理は大事ですよ、ホント! いや、ご本人は確信的に体調管理のつもりでやってらっしゃったんでしょうが、過度なトレーニングが逆にあだとなってしまった感は、どうにもいなめず。
 80代で一人暮らし……いまどき珍しくない話ではあるんだろうけど、天下の文学座の代表ですし。損失ははかり知れないやね。


 あ~、加藤さんの「ダメ刑事」パターンを一新してくれる新星が活躍する、ちゃんと横溝原作をもとにしている金田一耕助シリーズ、出てきてくんないかなぁ。
 でも、そもそも原作小説に出てくる刑事さんがたって、あれほどダメじゃないんですよね……やっぱり、演じる俳優の個性が直接の動力源になって生まれるオリジナルキャラクターって、単純なだけ強いよなぁ。しかもただ陰険なだけじゃなくて、実は節度のあるいい人だしね。ズルい!

 とにもかくにも、合掌。
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在りし日の名曲アルバム  鬼束ちひろ『僕等 バラ色の日々』

2015年08月01日 22時05分01秒 | すきなひとたち
鬼束ちひろ『僕等 バラ色の日々』(2007年9月19日リリース UNIVERSAL SIGMA )

時間 9分18秒

 『僕等 バラ色の日々(ぼくらバラいろのひび)』は、鬼束ちひろ(当時26歳)の13thシングル。
 4thアルバム『 LAS VEGAS 』(2007年10月リリース)に先駆けてリリースされた、小林武史のプロデュースによるシングルの第2弾。
 オリコンウィークリーチャートでは最高13位と、3rdシングル『 Cage 』(2000年11月リリース 最高15位)以来、6年10ヶ月振りにオリコントップ10位割れとなり、初動売上枚数も前作『 everyhome 』を下回った。

収録曲
作詞・作曲  …… 鬼束 ちひろ
プロデュース …… 小林 武史

1、『僕等 バラ色の日々』(5分07秒)
 ピアノとストリングスを基調としたロックバラードで、ピアノの重低音を重視したり打ち込みのドラムスを使用するなど、活動休止以前にはなされなかった方法が試みられている。リリース当時のインタビュー記事によれば、楽曲そのものは2004年6月の所属音楽事務所の移籍前に制作されたものであり、レコーディングは活動休止中の2005年に済ませたものであるという。
 タイトルの『バラ色の日々』とは、本人曰く「字面で見れば楽しいイメージであるも、(そのイメージを)繰り返し求めることに対する皮肉を込めている。」ということであり、楽曲の世界観を、「その何度も何度も繰り返す行為が表す人生観を絶望的にぼんやり見ている」、「絶望と手をつないで歩いている」と説明している。楽曲は、バラの花びらがくるくると旋回しているイメージで書き上げたという。ちなみに本人は、黒に近い真紅のバラが好きであるという。

2、『 NOW 』(4分11秒)
 2004年10月にリリースした11thシングル『育つ雑草』のカップリング曲『 Rainman 』以来の英語詞による楽曲。リリース当時のインタビュー記事によれば、『僕等 バラ色の日々』と同時期(2004年の移籍前)に制作されたもので、本人曰く「このメロディだったら英語。」という理由で英語詞で書き上げられた。
 復帰作『 everyhome 』や4thアルバム『 LAS VEGAS 』の収録曲『 Angelina 』と同様に、2007年2月の鬼束ちひろ復帰の発表と共に曲名のみが明らかにされていたもので、2007年の復帰後の楽曲の中では、最も早く存在が告知されていた曲のひとつだった。


 というわけで、2007年から始まった小林武史プロデュース体制によるシングルの第2弾でございます。
 この作品がリリースされた当時、CD屋さんでタイトルを見て「バラ色って……そんなハイテンションなタイトル、どうした鬼束さん!?」と色めき立って購入したのですが、家で聴いてみたら驚くほど通常運転な鬼束さん過ぎて拍子抜けしたという思い出があります。名曲ですけどね。

 このシングルの2作は、どちらも2004年にすでに制作されていたという話の作品なのですが……なぜ? この翌月に満を持してリリースされるファン超待望の4thオリジナルアルバム(3rdから4~5年ぶりですよ!)の先行シングルという重要な立ち位置なのに、なぜに最新作でなく古~いやつを押し出すのか? レコード会社の移籍前に制作されていたって、つまり、あの11thシングル『育つ雑草』よりも昔の作品ってこと!?

 当時のファンからしてみれば、レコード会社がどうこうという「すったもんだ期の鬼束さん」よりも、今現在小林プロデュース体制の中で彼女が創出した最新アップデート版の音楽世界に触れたいという気持ちが強いのではないかと思うのですが、そこをなぜあえて、羽毛田時代の影響色濃い2004年の2作で押し通って行こうとしたのでしょうか。

 実際に、タイトル曲の『僕等 バラ色の日々』の歌詞世界は、もう何度かこれまでにも聴いてきた「生きることの不自由さ、愚かさ」を訴えるもので、タイトルの陽気な印象とは全く逆にせつなく、悲壮感たっぷりに繰り返される出逢いと別れの悲しみを唄い上げるものとなっています。皮肉がきいてますねぇ!
 いつものように、「どうぞ手を離して」や「消えて行く まるでいなかったように」と言ったそばから「ああ僕等バラ色の日々」とつながり合う輪舞のような人間関係、「この闇は光だと言い聞かせた」、「君が泣くように笑うから」、「凍えては火傷しながらも」、「噓をつき過ぎて本当になったこの世界」などと、矛盾しまくる僕等や世界を、肯定するでもなく否定するでもなく受け入れていく諦念がつづられている作品なのですが、「楽園は遥か向こうで」に象徴されるように、かつて神の子だったはずの人間たちが、エデンの園を追放されてなぜこれほどまでに苦しみながら生きていかねばならないのかと問い続ける、鬼束さんの内面に渦巻く自問自答がありありと感じられます。
 そういえば、サビのとっかかりの「人は迷子に」と「人は飛べずに」の部分で、「に」のところだけ一瞬高くなるというか、まるで頭上の天使から耳を引っ張られたかのように「にぃい~!」と引きつってしまうところが、幸せにひたっているところで冷水をぶっかけられるごとき意地悪さに満ちていますよね。ここ、鬼束さんが自分で作っていながら、自分に思いもかけない負荷をかけているようで地味にすごい作曲センスだと思います。

 鬼束さんにはキリスト教的な考え方があるのでしょうが、私は生まれてこのかた100% 禅宗ストレートの人間なので、これを「鬼束式禅問答ソング」と表現してしまいますが、この「生きている限り永久に続く苦しみとよろこび」をテーマにしている曲をアルバムの先行シングルの A面に持ってくるあたり、荒涼とした灰色の大地に一輪の花を見いだす奇跡を信じ続けようとする人々へ勇気を与えるまなざしが生まれているような気がします。
 聴いた感じは、確かにさほど羽毛田時代の鬼束さんとは変わっていないような気がするのですが、歌を誰に対して唄っているのかという方向性の見方で言うのならば、鬼束さんは「過去の自分」に対して唄っていた時期から、明らかに「今なお苦しんでいる自分に似た人々」に対象をシフトしたような気がするんですね。
 これ、まさに菩薩なり! どっちかというとマリア観音か。いかにも、鬼束さんを信奉する人々は現代の隠れキリシタンと言えるかも。生きづら~!!

 もう一つ、この古めの時期に制作された作品を最新アルバムの先触れに抜擢した理由としては、逆にそういった曲でも、小林プロデュースでここまで新しくアップデートできるんだぞという、新体制としての自負と手ごたえがあったからなのではないでしょうか。
 確かに、よくよく聴いてみるとこの曲は後半でのドラムスによる盛り上がりが非常に印象的で、「あぁ、今はすっごく幸せだけど、きっとまたあの地獄に戻るんだろうなぁ神様よう!!」という哀しすぎる予感をビンビンに感じさせる無常観を引き立てていますね。ヤだな~ヤだな~!!
 ただ、ここで特筆すべきなのは、バンドもそうとう音を主張しているはずなのに、あくまでも楽曲の中心にいるのは鬼束さんの歌声である、というところだと思うんです。ここが小林体制のオリジナリティなのではないかと。
 つまり、羽毛田体制では、鬼束さんの歌声ありきではありつつも、ピアノや弦楽器、アイリッシュホイッスルといった伴奏の主張もなかなか強く、ともすれば鬼束さんの歌詞世界に合ってるのか?とも思えてしまう対等、ともすれば対立の力関係が見られたのですが、小林体制はよわい25も過ぎて十二分に成長した鬼束さんのプロとしての歌声を全面的にバックアップする関係を、今回の13thシングルで表明しているわけなんですね。
 2004年制作の作品ということもあってか、前作の12thシングル『 everyhome』で宣言していた「自分以外の人物や作品をモチーフにする」というスタイルが、その直後の今作で思いッきりなかったことにされているのが剛毅すぎるのですが、それもまぁいつも通り、人間の矛盾をありのままに謳い上げる鬼束さんの真骨頂といったところでしょう。朝令暮改を恥ずることなかれェエイ。

 その一方で、カップリング曲の『 NOW』に関してなのですが、これ、歌詞の内容でいくともっとロック調でハイテンションな盛り上げ曲になるのが常道なはずなのに、「今よ、今よ!」と言いながらも、どことなく後ろ髪引かれるというか、立ち上がる腰がめっちゃくちゃ重いことを表すかのようにねっとりしたバラードになっているのが特色だと思います。ここでも、「今だ」という決心と、それでも未練なく歩きだすことに踏み切れないでいる迷いとの両面を皮肉に浮き彫りにする姿勢が見てとれるんですね。
 最後の最後の「♪いっつ、なぁあ~ぅう……」という消え入るような絶唱を聴いて、この世界の主人公が本当に歩きだしている姿をイメージできる人はどのくらいいるのでしょうか。う~ん、いくのは明日かナ!? でもそれでいいじゃねぇかという、海よりも広いふところの深さよ。

 今回の13thシングルと前回の12thシングルは、確かに誰が見てもわかるような鬼束さんの新時代をあらわすものにはなっておらず、むしろ変わらず彼女の作品世界を貫いている「矛盾こそ自然、矛盾こそ人間。」という強固な人生観をさらに強化させるものになっていると思います。でも、10thシングル『私とワルツを』以来4年にも及ぶ漂泊の旅を続けてきた末に、つかの間かも知れないにせよ腰を落ち着ける安住の地をついに見いだした鬼束さん。

 さぁいよいよ、新たな地平に築き上げた4thアルバムが生まれる素地は整いました! 一体どんな世界が、そこには広がっているのかな!?
 そこは、まことの薔薇が咲き乱れる理想郷か、それとも~!?
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