ロスチャイルド財閥ー250 ナショナルトラストに寄贈されたワデスドン館https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f4f1cf76bd65396fb3f15019ed5e4ad
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スエズ運河は今日も東西の航路を結んで、私たちに計り知れない恩恵をもたらしています。
ロスチャイルド家は建設そのものには直接関係しなかったものの、イギリスの国運のかかった重大な局面で、この運河に関わることになりました。
フェルディナン・ド・レセップス(1805~1894)は東西世界の統合を願って、スエズ運河の掘削を企てましたが、戦略的に重要な位置にある運河は、災いをも引き寄せる宿命にありました。
フランスの外交官として運河が争いの種になりかねないことを予感したレセップスは建設する前から当時の大国の承諾と協力は欠かせないと考えて、フランスだけでなく、イギリスやドイツ、ロシア、さらにはアメリカなど各国に事業計画をして回りました。
このとき、イギリスは大失敗をやらかします。 レセップスの計画を夢想てきなものとしてあいてにしなかったのです。
内心は運河などができたら一帯のパワーバランスが崩れてやっかいなことになりので、密かに失敗に終わることを期待していましたが、運河は1859年4月に着工して、資金不足に苦しみながらも1869年11月に完成しました。
イギリスの船舶が運河の人質に
できてしまえば、ヨーロッパとアジアを結ぶスエズ運河は、世界の海運の流れをがらりと変える画期的なものでした。
なにしろロンドンからインドのボンベイまで、喜望峰回りでは1万80海里ですが、スエズ運河経由なら6300海里で42%もの短縮になります。
マルセイユからボンベイまで喜望峰回りの1万400海里に対して、スエズ運河は半分以下の4600海里で56%も距離が短くなるので、もはやインドやアジア諸国に行くのにアフリカの喜望峰を回ろうとする船はありません。
各国で運河を通れる船舶の建造ラッシュが続きました。 そのころヨーロッパからアジアに向かう船は、インドなどの植民地に向かうユニオンジャック旗を掲げたイギリス船が多く、開通当初、運河の利用船舶はイギリス船籍が四分の三を占めました。
結局、イギリスはフランスが主導権を握るスエズ運河の人質になってしまったのです。イギリスがレセップスに声をかけられながらスエズ運河に出資しなかったことは、もう一つの理由がありました。
それは地質調査を行った技師団長で、著名な鉄道技師であるロバート・スチーブンソンが強硬に反対したことです。
調査団は、地中海と紅海の水位には最大32フィート(9.75メートル)もの潮位差があるとしたナポレオン時代の計測は誤りであることを再確認し、運河の掘削は可能であるとしながらも、「コストを考えると運河は非現実的であり、鉄道のほうがスピード、確実性、経済生、あらゆる面から望ましい」と主張しました。
ともあれ大航海時代以来の陣取り合戦は、19世紀後半に入っていよいよ鮮烈になっており、政府の半dンの誤りは国運を傾けかけない重大な失態であると非難されました。
実際、フランス国内の主張の中にはこの際、イギリスをスエズ以東から締め出してしまえという刺激的なものまでありました。
実際、このような事は企業でのよくある事で、技術者が言って言うと言っても、誰が言っているかが重要でその道のプロフェッショナルではなく、上役にゴマスリしてくる社員だったりすることが多くあります。 上役も自分にすり寄ってきて、よく報告してくる部下の方が可愛いのです。
サラリーマン社会で出世しなくても悩むことはありません。 結局は組織ニーズ(課長職がふん詰まってしまっている場合、いつが来ても課長になれませんし、課長のポストが空いていれば実績がなくても簡単にになれたりする場合があります)と古今東西、上司のただの好き嫌いです。 またできる部下の場合、上司が恐れて昇進を邪魔する場合もあります。
政府系、特に日本の場合は酷く、科学技術長官(Top)が、技術開発を行ったこともない、それも文系の田中真紀子、山東昭子、高市早苗などです。 部下に聞けばいいのではというのは暴言です。 専門家として部下の言う事が正しいのかどうか判断するために組織のトップにいるわけですから、部下の言いなりに進めるというならもはや存在する意味はありません。 サイバーセキュリティが重要? 少学生やアホでも言えます。 大事なのは中身が分かっているかどうかです。 何度も言いますが、だから日本は1980年代の第一AIブームに乗り込れ、IT産業で大敗を期してしまっているのです。AIが世界でブームになっていることすら、このお馬鹿たちは、大臣ですが知らなかったのです。
話をスエズ運河に戻します。 このため、イギリスは密かにスエズ運河会社の株式の取得の木かをうかがい、ロスチャイルド家の密使を送ってレセップスに打診して断られています。
しかし、失地回復のチャンスは案外早く訪れました。 それは保守党のベンジャミン・ディズレリー(1804~1841)が首相だった1875年のことです。
運河建設に多大な出資をしたエジプトのイスマイル・パシャが財政に破綻をきたし、保有するスエズ運河会社(社長・レセップス)の株の売り込み先を探している情報が入ったのです。
スエズ運河建設の費用は、当初、2億フランが見込まれました。 しかしレセップスが会社を設立して公募した2億フラン、40万株(額面500フラン)には、28万6000株しか申し込みがなく、また予定したイギリス、オーストリア、ロシア、アメリカが購入を断ったために不足分はエジプトが引き受けることになったのです。
しかも完成までの実際の費用は計画の倍以上、4億2500万フランかかって、その追加分もエジプトが出さざるを得ませんでした。
株式の発行はロスチャイルド家の得意とするところで、レセップスは一度頼みに行っています。しかし手数料5%と聞いて、レセップスはそんなに払わなければならないのなら自分でやってしまおうと決意したのだと回想しています。
それがよかったのかどうか。 というのは素人の悲しさで、資金が集まらずに大変な苦労をしただけでなく、株も原価を割り込み、ついにはエジプトのパシャの株売却を通じて、ロスチャイルド家の資金の出動を仰ぐ事になるからであります。
そのころのエジプトはオスマン・トルコの属領で、総督のイスマイル・パシャがほぼ全権を握っており、運河だけでなく、道路、鉄道建設から教育までエジプトの近代化のために大々的な事業を行っていました。
収入源はエジプト特産の超繊維の綿花の輸出です。 折から綿花はアメリカの南北戦争(1861-1865)のために価格が跳ね上がり、国庫収入が4倍にもなってエジプトを潤していましたが、戦争などいつまでも続くものではありません。
運河の建設中からたちまち収入が不足して、ヨーロッパ各地の銀行から融資をしてもらうことになったのです。 融資に応じたのはオッペンハイムとかアングロ・エジプシャンなどの銀行で、これらの銀行は困窮する、エジプトの足元を見て、年利12.36%から26.9%もの暴利を吹っ掛けました。
エジプトは利息を払うために借金しなければならないという借金地獄にはまって破産寸前の事態に落ち込み、1875年にはスエズ運河株さえも売却しなければならなくなったのです。
(参考資料)
・ロスチャイルド財閥ー235 エルサレムの安息日と祭り
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/528565a342f25f42fc42a5017f1ce301
・ロスチャイルド財閥-236 極貧からのスタート
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/24dd0ae4d6ccbccfb22a00f28872aeff
・ロスチャイルド財閥-237 三男ネイサン イギリス・マンチェスターに派遣
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/2d137df07bb86c88075df556d2008689
・ロスチャイルド財閥ー238 ナポレオンのプロシア侵攻とヴィルヘルム9世の資産隠しhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e5393c3584a8087bb961bf112f990844
・ロスチャイルド財閥-239 ウェリントン将軍に軍資金を運ぶロスチャイルド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e5393c3584a8087bb961bf112f990844
・ロスチャイルド財閥-240 ワーテルローでの情報戦で財閥の基盤を築いたロスチャイルドhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7f2f01ab591c9d318a0f7bf1d9e37ff4
・ロスチャイルド財閥-241 ウィーン会議 王政復古
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/a4ec2db957152b354e33c530468ea6f0
・ロスチャイルド財閥-242 アーヘン列国会議とRothschildの逆襲https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b04a5ee54512cecd6fb4451d87d51bf
・ロスチャイルド財閥ー243 放たれた五本の矢
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3031557341f3c3a374dadfbb3e6ff2eb
・ロスチャイルド財閥ー244 ロスチャイルドの平和工作https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e076fb7fdf245ac7bf69826bc075e57b
・ロスチャイルド財閥ー245 産業革命と鉄道事業 そしてナポレオン三世https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/4a86405cc341370f0640381eb9e8fd83
・ロスチャイルド財閥ー246 ナポリ分家の消滅
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/87a2a9ba34b4aa291aac29bd2a7bcbd7
・ロスチャイルド財閥ー247 ドイツの台頭と19世紀後半の混乱するヨーロッパ
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/3947e90a2431d1d32d33e186b709d019
・ロスチャイルド財閥ー248 ユダヤ人迫害の負の歴史、英金融街成立の影にhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/73062f0ecc8f5312f2b1ade1742f29ba
・ロスチャイルド財閥ー249 19世紀後半のロスチャイルド一族https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af4fda1973cee3f44349b3747d1e8d42
・ロスチャイルド財閥ー250 ナショナルトラストに寄贈されたワデスドン館https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/8f4f1cf76bd65396fb3f15019ed5e4ad
・ロスチャイルド財閥ー251 スエズ運河買収
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b726ceadf7343713678a1c607267fc83
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