この誇り高きワイン王国フランスでもボルドー産の赤ワインは一目置かれ、その赤の中で最も美味とされる第一級(Premier Cru, プレミエ・クリュ)の格付けのものは昔からラフィット、マルゴー、ラトウール、ブリオンの4つでした。
このうち、ラフィットがロスチャイルドの物です。 この誇り高きブランドに、1855年以来初めて行われた1973年の格付け改訂で、ムートンが加えられたときには、世界中のグルメが驚きの声を上げました。
つまり同家は世界一のワインと称される五つの第一級のうち二つも独占することになりました。 パリ・ロスチャイルド家がボルドー地方のジロンド川左岸メドックのポイヤックにあるラフィットのブドウ園を購入したのは188年のことです。
二代目ジェームズ(鉄道王)が死去する直前でした。135ヘクタール(うちブドウ園は74ヘクタール、現在は92ヘクタール)が売りに出され高額のため買い手がつかないでいるところを、二度目の競売で414万フランで購入したと伝えられています。
銀行家がワイン造りを始めることについては家族の間にも異論がありましたが、ラフィットは既にパリ万国博覧会が開かれた1855年の格付けで第一級ワインの名声を確立したブランドです。
購入価格は高いですが、良いワインが採れる当たり年の売り上げのせいぜい8倍程度にしかすぎません。 ロスチャイルド家としては、十分採算の取れる投資だと判断したのです。
それに何よりも隣接するムートンのブドウ園が、15年前の1853年にロンドン家が購入し、ロスチャイルド家のものとなっていました。
ロンドン家がフランス・ボルドーのブドウ園を購入したのは不思議な事ではありません。 当時のイギリス国民は、ボルドーワインを樽詰めで輸入して、大いにワインを飲んでいたので、むしろロンドンの方がワイン造りがビジネスになることを知っていました。
ワイン造りは、気候や収穫のタイミング、ブレンドの割合、熟成などによって年ごとに微妙に味が異なり、当たり外れのリスクもあってそれだけで虜になる面白さがあるようです。
何しろ、1985年のクリスティーズでの競売で、200年ものの古いラフィット(1787年)が一本10万5000ポンド(約1680万円)もの値をつける世界です。
しかしロスチャイルド家が以来、ウィン造りにのめり込んだのは、指折りの品質に名門ロスチャイルドというブランドの魅力が加味されて、ほかのワインを上回る高値で売れて収益を上げたからでした。
ラフィットには優雅で繊細な芳香があり、その完璧な調和を味わうことができるとされ、グルメには」たまらない魅力のようです。
ラフィットやムートンのコルク栓を抜いたときのブーケ(芳香)は素晴らしいものがあり、味わいも重厚で奥深さが感じられるその秘密は、なによりもその土壌にあるとされています。
ジロンド川の左岸、メドック地方のロスチャイルド家のブドウ園のある高台は、ところによっては厚さ3~4mもの砂利層、その下が通水性のある石灰質の混じった粘土層、大理石の地盤という構造です。
このため、ブドウは水を求めて根を深く伸ばします。それが乾燥にも大雨にも強い丈夫なブドウの木を育て、適度なミネラル分を含んだワインに最適なブドウの実をつけて、1000もあるボルドー地方の他のシャトーやカーブを寄せ付けないとされています。
パリ・ロスチャイルド家が第一級のラフィットを購入した時、隣のムートンを持つロンドン家は、1855年の格付けで二級とされていたためにいささあ自尊心を傷つけられました。
何事も超一流でなければ気がすまない一族にとっては、いささかどころではなかったようで、このライバル意識のために、創業者の教えでは何事につけ結束しなければならないロンドンとパリのロスチャイルド一族が、ワインを巡ってなりふり構わず激突しました。
フィリップ男爵の反撃
今も語り草になっているロンドン家とパリ家のワイン戦争の話は、第一次大戦後に始まります。
発端はロンドン家のフィリップ男爵(1902~1988)が1922年、父からブドウ園の経営を任され、ボルドーに居を移して良質のワイン造りに本格的に取り組み始めたことにあります。
男爵はまずそれまでの樽売りをやめてビン売りに切り替えて中間の仲買人のコストを減らすとともに、ムートン・ド・バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドのブランドで売り込みに本小潮入れました。
地元でのビン詰めにはそれなりの費用がかかりましたが、次第に売り上げを伸ばして、隣のパリ家をあわてさせるようになりました。
次いでフィリップ男爵は、ムートンの格上げ工作に乗り出します。
ラフィットと変わらない土壌と遜色ない品質から第一級ワインであることを確信し、ムートンを第二級とした1855年の格付けはいわれのない侮辱であるとの考える男爵は、自らプルミエ・クリュ(第一級ワイン)協会を設けました。
これはムートンのフィリップ男爵とラフィット、マルゴー、ラトウール、オー・ブリオンの経営者の五人による集まりで、この協会を通じて格付けを変えようとしましたが、壁は厚いものがありました。
フランスがヒトラーのドイツに占領された第二次大戦中は、ラフィットとムートンのブドウ園はヴィシー政権に差し押さえられました。
ドイツのゲーリング元帥が有名なワインを個人所有にしたがったため、ヴィシー政権がフランスの宝であるワインを守るために接収したともいわれています。
しかし、ドイツに追随するヴィシー政権がユダヤ政策でもナチス・ドイツにならってユダヤ人であるっロスチャイルド家を標的にしたのが真相といわれています。
日本でも、安倍政権下で日本を露骨に侵略してくる中国の習近平を国賓で招待し、安全保障上重要な土地まで中国に売り渡しました。
安倍首相に、総務大臣に高任命された市早苗はHuawei基地局を大量導入し、中国・習近平に尻尾を振りましたが、日本は戦争をしなくても事実上、中国侵侵略される一歩手前でだったのです。
ジャパンハンドラーズの米シンクタンクCSISが公然と安倍政権を非難して売れたおかげで、日本はぎりぎり難を逃れたのです。
公然と非難されたその直後、安倍元首相は健康を理由に電撃辞任し、菅政権の誕生となりました。安倍さん、入院もせずに元気でしたけどね。
リンカーン、ケネディ、安倍元首相暗殺の共通点 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/62b46eec87d1a18e8da9195e4d353d64
ロスチャイルド家のブドウ園とその施設は一時的にナチス・ドイツの駐屯地にもなりました。
戦争が終わるとフィリップ男爵はすぐボルドーに戻って荒れ果てたブドウ園の復旧に務めましたが、そこに妻エリザベスの姿はありませんでした。
エリザベスはユダヤ人ではありませんでしたが、ロスチャイルドという名前が故に強制収容所に連行されて殺害されていたのです。
救いは一人娘のフィリピーヌが無事だったことでした。 悲しみを乗り越えて、男爵は古臭いレベルを世界的な芸術家の絵に切り替えます。
ピカソ、ダリ、ミロ、シャガール、ヘンリー・ムーアらが描くカラフルで毎年変わるラベルをつけたムートンは、ワイン業界の常識を破りました。
ボトルを並べるだけで名画のコレクションになるという趣向が大きな反響を呼びました。 芸術家の絵のラベルは今もムートンのボトルを飾り続けています。
ワイン造りを再び軌道に乗せたフィリップ男爵は、地元の関係者ばかりでなく、パリの農業省にまで働きかけて再び格上げを狙いました。
これに対して、今度はパリ家の襟男爵が1952年、ムートンを排除した四者で第一級教会を開き対抗措置にでます。
第一級のワインが増えればその価格が下がるのは史上の原理だとして、既得権の防衛に動いたのですが、これをキッカケに一世紀以上にわたってくすぶっていたパリ家とロンドン家の対立が表面化しました。
パリ家の狭い料簡に怒ったフィリップ男爵は、ワィン関係者を後半に組織して古めかしい格付けを改訂しようと呼びかけ、ロスチャイルド家の対立はフランスのワイン界を二分する騒ぎに発展します。
ワイン王国フランスの事、いたるところで鮮烈な論議が行われました。 しかし個人の好みもからむ微妙な味わい,嗜好の問題です。 一世紀以上もたつ古い格付けの変更はなかなか実現しませんでした。
ブドウ園を隣り合わせに持つ、パリ家とロンドン両家の冷たい関係は20年も続きました。 そして1973年、ついに格付けの再検討(ボルドー・メドック地方)が行われ、ムートンは第一級に格上げされました。
他の多くのワインについても検討されたのに、変更されたのはムートンただ一つでした
ロスチャイルド家の政治力があったことは確かですが、半世紀にわたって土壌の改良と品質の向上に努めてきたフィリップ男爵のの努力は報われ、ロスチャイルド家はついに二つのプリミエ・クリュを手中にしたのです。
それでもラフィットは「プリミエ・デ・プルミエ」(第一級中の一級)というラベルにそのプライドを誇示して、なおもムートンを刺激しています。
ワインを巡る両家のライバル関係は依然として続き、超高級ワインが抜かれる食卓に話題を提供していますが、興味深いのは、ロスチャイルド家がこれをちゃっかりと商売にしていることです。
その一人はパリ家の一匹狼エドモン(1926~)で、メドック地方で二番目に広い1190ヘクタールのブドウ園(ブルジョア級)を買い求め、ワインのカタログ販売を行って利益を上げています。
フィリップ男爵は格付けをめぐる戦いの合間にムートンにワイン美術館を建てて観光の目玉に仕立てています。
また周辺のブドウ園を買い拡げてバロン・フィリップのワインと銘打ち売り出し、アメリカのカリフォルニアにも進出してムートンのノウハウを投入、1988年に亡くなるまで高級ワイン造りに情熱を傾けました。 その情熱は一人娘のフィリピーヌ
(1935~)に引き継がれています。
パリ家もまた、ボルドー地方にブドウ園を買い増して事業を拡大する一方、ポルトガル、さらにはチリでもワインビジネスに乗り出しています。
一族の企業家精神は泊るところを知らず、ロスチャイルド家はいまや金融王国だけでなくワイン王国をも目指しているように見えます。
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