「カイロ平和サミット」で発言する上川陽子外相(10月21日、カイロ)=外務省提供
イスラエルとイスラム組織ハマスの衝突が激しさを増し、米欧や日本は事態の早期収束を呼びかける。上川陽子外相は3日、イスラエルとパレスチナ自治政府を訪問し、双方に人道目的の一時的な戦闘休止を訴えた。中東問題で複雑な歴史を抱える米欧とは異なる立場で臨む。
上川氏は3日、イスラエルのテルアビブでコーヘン外相と会談した。同日にパレスチナ自治政府のマリキ外相とも会った。
日本がイスラエルとパレスチナ双方に配慮した「バランス外交」をめざすのは米欧と異なる歴史的な背景がある。
イスラエルがある地中海東岸は領土を巡る長い争いの歴史がある。第1次世界大戦前までオスマン帝国が支配し、多くのパレスチナ人(アラブ人)が住んでいた。大戦後に同地域を委任統治したのが英国だった。
英国は欧州で迫害され、パレスチナに建国をめざしていたユダヤ人の動きを利用した。
大戦中の1917年、バルフォア英外相がユダヤ系銀行家ロスチャイルド卿への書簡でユダヤ人の民族的郷土樹立を支持した。英国は並行して中東の領土をフランス、ロシアと分け合うと確認し、アラブ人にも独立を約束した。
英国の振る舞いは「三枚舌外交」と批判され、いまの混乱につながる。1930年代にはナチス・ドイツによる迫害でユダヤ人の移住が進み、アラブ人との対立が深まった。
第2次世界大戦後の47年、国連でパレスチナをユダヤとアラブに分割する決議が採択された。アラブ側はこれを拒否したが、イスラエルが48年に建国を宣言。この後、4度にわたってパレスチナとの間で中東戦争が起こった。
イスラエルは占領地域を徐々に拡大し、パレスチナ側は多くの難民が生じた。
問題の解決に向けて93年、ノルウェーが仲介して「オスロ合意」を結んだ。ヨルダン川西岸とガザにパレスチナ暫定自治政府を樹立し、両者の共存をうたった。
歴史的な和平合意だったが、その後は解決に至っていない。ヨルダン川西岸へのイスラエル人の入植が続く一方、ハマスは2007年にガザを制圧。イスラエルは壁やフェンスで囲ってガザを封鎖し、たびたび大規模な攻撃をしかけた。
イスラエルが建てた分離壁と監視塔の前を歩くパレスチナの親子(ヨルダン川西岸ベツレヘム)
中東情勢に関与してきた米国の戦略にもほころびが目立つ。米国はイスラエルの同盟国で建国以来、一貫して支援してきた。冷戦以降、旧ソ連やイランが中東で影響力を行使するのを防ぐ狙いがあった。
湾岸戦争やイラク戦争を経験し、中東地域は反米感情が根強く残る。米国内でユダヤ系が人口に占める割合は2%程度だが、政財界で発言力は大きくその声は無視できない。24年に大統領選を控える今はなおさらだ。
米欧とは対照的に、日本は中東で全方位の外交戦略をとってきた。
日本は原油輸入の9割を中東地域に依存する。イスラエルと将来のパレスチナ国家が共存する「2国家解決」を支持する立場だ。米国と敵対し、ハマスを支援するイランとも友好関係にある。
日本は10月7日のハマスによる大規模攻撃を非難したものの、当初は「テロ」との表現を避けた。一方で27日の国連総会の緊急特別会合で採択された「人道的休戦」を求める決議案を巡り、日本は棄権した。
岸田文雄首相は国会答弁で「ハマスのテロ攻撃への強い非難がないなど、内容面でバランスを欠いている」と説明した。双方への配慮は日本の主張が見えにくくなるジレンマを抱える。
主要7カ国(G7)の外相は11月7、8両日に都内で会合を開く。ハマスがガザ地区で攻撃を仕掛けてからおよそ1カ月。双方の死者数は当局の発表で1万人を超え、中東地域でイスラエルへの批判が強まる。
その矛先はイスラエルを支持してきた米国や欧州にも向きつつある。G7議長国の日本はG7の結束を訴える。
日経記事 2023.11.03より引用