子がある映画を見に行った。高校生向けの映画なのだが、上映中に話をするようなマナーの悪い客がいた、ということが発端の話。
子 まあ民度が低いそういう人たちは、仲間で何かを持っているから、自分たちと違う人を蔑んでいるし、そうじゃない人たちは民度の低い人を、そういう言葉で蔑んでいるし、お互いに違うから何を言っても分からない。
父 そうだよね。仲間とか友情とか、少年ジャンプみたいなのを持っているんだろうね。そういうものが本当にあるかは分からないけど。
子 友達とかはあるんじゃない。
父 あるかないかは、話のレベルで違うけど、友情というものがあるとしても、その人達の間に本当にあるかは分からないし、友情というものが、あるということも分からない。
子 父さんがないと思っているだけじゃない。
父 ないとは言ってないよ。あると言えるかどうかが分からないと言っているんだよ。あると思っていても実際にはないものというのがあるんじゃないかな。友情というのは例として挙げただけで、勝利とか名誉とか、ありそうだけど本当にあるのかな。そこに懐疑的なだけだよ。
例えば、目の前にコップがあるけど、間違えたグラスだった。グラスがあると思っているのはグラスという概念を持ってるからグラスがあるだけで、食器があると言えば、グラスはそのうちの一つだから、グラスがあるんじゃないくて食器があるということになる。
あるか、ないかは考えてる人の側にあるんじゃないか。そういう意味では、友情があるかないかは、分からないなと思っている。
子 ユニコーンはあるか、ないかどっちだった。
子 いやないだろ。
父 ユニコーンは実在しないけど、ユニコーンという概念がないとユニコーンという言葉が使えないだろ。そういう意味ではユニコーンという言葉が示す概念はある。ユニコーンだとないと思っているだろうけど、赤はあるかな、ないかな、実数はあるけど虚数はない。数もあるのかな。赤なら、赤い物に共通する性質とか何かがあるんじゃないかな。赤い物の集合が赤という考えもあるけど、ではどうやって赤い物を集めればいいんだろう。
何かが、あると言うと、全てがあるとしか言えないのかもしれない。グラスと食器のように、抽象のレベルをあげていくとテーブルの上のもの、家財道具、ここにあるもの、となっていく、最後には全てのものがあるとしか言えなくなってくる。
子 友情がないなら哲学はないね。
父 哲学は空想だから、実在はしないね。