日記のようなもの

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格差社会について

2020-07-05 10:15:15 | 日記
    利便性の良いシステム、車社会がそうだが、一定確率で人が死ぬ。母数が大きいと、毎年人が死ぬ。日本では2019年で3215人が死んでいる。車を全廃すればこの死者は無くなるが、利便性は失われ社会が享受しているものも失われる。予め死者を見込めるシステムであるが許容される。
    格差社会でも、同じ構図がある。貧困率は、日本では2015年で15パーセント程度、これは月収が10万円程度の世帯だ。金持ちが金持ちである理由は、他人を使って働かせ、自分が払う以上の仕事をさせて其処に利益、旨味が生じる。労働者の仕事が、払う賃金以下であれば利益は生じない。本質的に搾取が利益の前提となる。
    格差がない社会が理想だが、人件費の抑制、利益の発生、これらを考えると、使用者の利益の源泉が搾取構造にある以上、人間の社会は本質的に格差社会が前提されているのだろう。楽して暮らすには他人に働いてもらう。古代ギリシャの奴隷制の時代から、今は経済的な奴隷、保護の必要がない首切り自由な非正規労働者、正規労働者とソフトな社畜制度へと変わっているが根は同じ。
   この社会で、搾取されながら働くことは、社会システム上、必要条件となる。自分が搾取する側に巧く回る事が出来ても、誰かが必ず搾取される。自分は、出来るだけ搾取率が低くなるように、立ち回って生きていくのが正解。
   自営業であっても、この問題は同じ、搾取構造で生み出される商品を買い営業し、生活する以上、この構造上に生きているのは同じだ。
    自分の労働が搾取されることを知りながら働いて、またその搾取の構造で生み出される商品、流行りの低価格高品質を謳う商品を買いに行く。
    この世界は、本質的に、格差社会であり搾取ありきであり、イデオロギーが違っても変わるところはない。イデオロギーが違えば、より残酷な支配者というだけ。
    搾取されるという意識がなければ気が付かず、スーパーで週末買い物をして、夜は焼き肉を食べ発泡酒でなくビールが飲めれば幸せなうちに暮らせるのだろうか。
   こんなことを、ずっと漠然と感じているのだが、何か解決があるわけではない。
   皮肉なこの世界を受容し諦念のもとに暮らしていくしかないのだろう。搾取する側に回る事が出来れば、肯定的な態度をこのシステムに取れるのだろうが。