もう少しでエチカが読み終わるところ。スピノザは、人に対して、人間性に対して信頼があったのだろうと思う。多くの悪いことがあることは、スピノザも前提にしている。ただ、人間の知性が完全なら悪をなさないというような信念のようなものがある。ここで、人間の知性は完全も不完全もないと思う。神の知性が完全という設定だが、そのような知性は、デイビッドソンがいう偉大な一つの真実、コナン君がいう真実は一つみたいな、真理対応理論が前提になっているように思う。真理とは、事実と言葉が一致することのような、人間の真理は相対的で、どちらの面から見るかで変わるような、それは科学の観察についても起こると思う。
完全に善意で行う行為が悪をなすことはある。私自身がそういう行為、完全な善意とは言わないが、悪意がない行為で結果として悪をなしてしまったことがある。そのことについて、責任はとりようがない。そういう種類のことがあるが、スピノザが信じるような人間性があったとしても、やはりどこかに矛盾は生じるだろう。
スピノザが言いたいことは、特に人間についてはよく分からない。むしろ、形而上学の方が理解しやすいし、そのとおりだと思う。