「イスラーム文明と国家の形成」 小杉 泰著、京都大学学術出版会 2011年。
著者は京都大学大学院教授。イスラム勃興期であるアッバース朝時代を中心として、イスラーム国家の形成と文化の発展をたどる本です。私は唯我独尊のイスラームは嫌いなので、どうしても裏読みをしてしまいます。昔は知らず、今やイスラームに学ぶものはないかも。しかしイスラームの方では、何としても自分たちの文明が優れていたと言いたいようです。
第7章 「アラビア語の成長と諸科学の形成」 ではグーテンベルクの活版印刷術 (1445まで) について、ジョナサン・ブルームを引いてこう書いています。「15世紀の印刷革命は、イスラーム世界から 11-12世紀に紙が伝播したからこそ起きたのである」 (255p)。
こんな考え方ができるとは実に驚きです。紙はもともと中国で発明されたのは彼らも知っている。中国も紙を多用したが、漢字は10万字以上もあるといわれ、木版でしか対応できなかったのです。しかしアラビア文字は28文字、文章上変形して使われるものも含めても 70-80字程度。アッバース朝で出版文化が大いに発展し紙を多用したというならば、なぜ自分たちで活版印刷術を発明できなかったのでしょうか。それなのに、その基本技術を生み出したわけでもなく、自分たちが単に 「紙」 を紹介したお蔭だなどというのはこじつけにすぎません。負け惜しみもいいところではないでしょうか。
また、コペルニクスの「地動説の再発見」(1543) についてはこうです。モンゴルのフラグ・ハーンがペルシアやイラクを征服したとき、トゥースィーがフラグに勧めて1259年に世界最大のマラーガ天文台を建設し、諸学の中心となった。ジョージ・サリバの研究によるとコペルニクスがトゥースィーらの書を見たのは確実だから、コペルニクスは 「最後のマラーガ天文学者」、だというのです (439p)。しかしなぜコペルニクスの 「再発見」 と言われるかというと、紀元前3世紀ギリシアのアリスタルコスが明確に地動説を唱えており、1800年後にそれを科学的に捉えなおす学説を提出したからです。ギリシアをはじめ各地の文明を取り入れたイスラムの科学者も当然アリスタルコスのことは知っていたはずで、「地動説」 を観測で確認していたなら、栄誉はその人に与えられるでしょう。しかしそのような業績は発表されませんでした。マラーガ天文台の完成はコペルニクスに先立つことほぼ 284年です。イスラームには十分な時間があったが、地動説を再発見することはできなかった。ポーランドのキリスト教司祭コペルニクスは我々の弟子だ、などというのは、手柄の横取りというものです。
それに、コペルニクスの説は発表当時は話題にもならず、数十年後にケプラーやガリレオ・ガリレイが地動説の根拠や証拠を発表して、100年ほどかかって定着したと言われます。コペルニクスの発表当時はスレイマン大帝による第一次ウィーン包囲 (1529) の直後でオスマントルコ帝国の絶頂期に当たるはず。イスラームの科学者はそのころどんな貢献をしたのでしょう?
おそらくイスラームの天文学の関心は、お祈りのためのメッカの方角の測定方法や、お祈りの時間の決定方法、また純粋太陰暦で季節と月が一致しないイスラーム暦 (ヒジュラ暦) と、実際の季節との調整 (農耕や税収の期間にかかわる) にあったのではないでしょうか。ウマル=ハイヤームが作った太陽暦・ジャラーリー暦 (1079 制定) は後のグレゴリオ暦より正確だと言われますが、月を重視し太陰暦の好きなイスラームでは結局実用されませんでした。地球が動こうが太陽が動こうが、あまり関心がなかったということかもしれません。
イスラームは 9-12世紀頃は世界最高水準の科学と文化を誇っていました。それがなぜ西洋に追い抜かれ、もはや追いつくこともできないほどに離されてしまったのか。日本や中国やインドにさえ抜き去られ、追いつけないのはなぜなのか。
オイルショックであぶく銭を手にし、イスラムの復権などと言っていますが、いつまで続くでしょうか。迷った時は基本に帰れ、と言いますが、イスラームの基本はクルアーンです。クルアーンは絶対で最終の啓示です。だから現実社会では、クルアーンに書かれていない個別の問題ごとにウラマー個人が解釈や類推で対応するしかない、ということになります。それで、対立しないですむでしょうか。クルアーンにいくら、ムスリム同士は対立してはならないと書かれていても、人間のことですから、意見・見解が相違するのは当然です。そしてすぐに武器を取る。なにしろムハンマドの没後、身内同士で血で血を洗った争いの伝統があるのですから、基本に帰ったら殺し合いになりかねない。今日実際に原理主義者たちが各地で武装闘争を行っています。
基本に返るなら、ムスリムは争わない、人類は平等、女性も対等であること、という基本をクルアーンに基づいてムスリムみんなが確認しあうことです。そして、人は神の 「奴隷」 ではない、ということを理解することです。それができなければ、イスラームは立ち直ることはできないでしょう。
(わが家で 2019年2月10日)
著者は京都大学大学院教授。イスラム勃興期であるアッバース朝時代を中心として、イスラーム国家の形成と文化の発展をたどる本です。私は唯我独尊のイスラームは嫌いなので、どうしても裏読みをしてしまいます。昔は知らず、今やイスラームに学ぶものはないかも。しかしイスラームの方では、何としても自分たちの文明が優れていたと言いたいようです。
第7章 「アラビア語の成長と諸科学の形成」 ではグーテンベルクの活版印刷術 (1445まで) について、ジョナサン・ブルームを引いてこう書いています。「15世紀の印刷革命は、イスラーム世界から 11-12世紀に紙が伝播したからこそ起きたのである」 (255p)。
こんな考え方ができるとは実に驚きです。紙はもともと中国で発明されたのは彼らも知っている。中国も紙を多用したが、漢字は10万字以上もあるといわれ、木版でしか対応できなかったのです。しかしアラビア文字は28文字、文章上変形して使われるものも含めても 70-80字程度。アッバース朝で出版文化が大いに発展し紙を多用したというならば、なぜ自分たちで活版印刷術を発明できなかったのでしょうか。それなのに、その基本技術を生み出したわけでもなく、自分たちが単に 「紙」 を紹介したお蔭だなどというのはこじつけにすぎません。負け惜しみもいいところではないでしょうか。
また、コペルニクスの「地動説の再発見」(1543) についてはこうです。モンゴルのフラグ・ハーンがペルシアやイラクを征服したとき、トゥースィーがフラグに勧めて1259年に世界最大のマラーガ天文台を建設し、諸学の中心となった。ジョージ・サリバの研究によるとコペルニクスがトゥースィーらの書を見たのは確実だから、コペルニクスは 「最後のマラーガ天文学者」、だというのです (439p)。しかしなぜコペルニクスの 「再発見」 と言われるかというと、紀元前3世紀ギリシアのアリスタルコスが明確に地動説を唱えており、1800年後にそれを科学的に捉えなおす学説を提出したからです。ギリシアをはじめ各地の文明を取り入れたイスラムの科学者も当然アリスタルコスのことは知っていたはずで、「地動説」 を観測で確認していたなら、栄誉はその人に与えられるでしょう。しかしそのような業績は発表されませんでした。マラーガ天文台の完成はコペルニクスに先立つことほぼ 284年です。イスラームには十分な時間があったが、地動説を再発見することはできなかった。ポーランドのキリスト教司祭コペルニクスは我々の弟子だ、などというのは、手柄の横取りというものです。
それに、コペルニクスの説は発表当時は話題にもならず、数十年後にケプラーやガリレオ・ガリレイが地動説の根拠や証拠を発表して、100年ほどかかって定着したと言われます。コペルニクスの発表当時はスレイマン大帝による第一次ウィーン包囲 (1529) の直後でオスマントルコ帝国の絶頂期に当たるはず。イスラームの科学者はそのころどんな貢献をしたのでしょう?
おそらくイスラームの天文学の関心は、お祈りのためのメッカの方角の測定方法や、お祈りの時間の決定方法、また純粋太陰暦で季節と月が一致しないイスラーム暦 (ヒジュラ暦) と、実際の季節との調整 (農耕や税収の期間にかかわる) にあったのではないでしょうか。ウマル=ハイヤームが作った太陽暦・ジャラーリー暦 (1079 制定) は後のグレゴリオ暦より正確だと言われますが、月を重視し太陰暦の好きなイスラームでは結局実用されませんでした。地球が動こうが太陽が動こうが、あまり関心がなかったということかもしれません。
イスラームは 9-12世紀頃は世界最高水準の科学と文化を誇っていました。それがなぜ西洋に追い抜かれ、もはや追いつくこともできないほどに離されてしまったのか。日本や中国やインドにさえ抜き去られ、追いつけないのはなぜなのか。
オイルショックであぶく銭を手にし、イスラムの復権などと言っていますが、いつまで続くでしょうか。迷った時は基本に帰れ、と言いますが、イスラームの基本はクルアーンです。クルアーンは絶対で最終の啓示です。だから現実社会では、クルアーンに書かれていない個別の問題ごとにウラマー個人が解釈や類推で対応するしかない、ということになります。それで、対立しないですむでしょうか。クルアーンにいくら、ムスリム同士は対立してはならないと書かれていても、人間のことですから、意見・見解が相違するのは当然です。そしてすぐに武器を取る。なにしろムハンマドの没後、身内同士で血で血を洗った争いの伝統があるのですから、基本に帰ったら殺し合いになりかねない。今日実際に原理主義者たちが各地で武装闘争を行っています。
基本に返るなら、ムスリムは争わない、人類は平等、女性も対等であること、という基本をクルアーンに基づいてムスリムみんなが確認しあうことです。そして、人は神の 「奴隷」 ではない、ということを理解することです。それができなければ、イスラームは立ち直ることはできないでしょう。
(わが家で 2019年2月10日)