平成18年11月30日奥飛騨温泉口駅着19:46の列車の運行をもちまして、神岡鉄道は廃線となりました。http://www.hidawing.net/kamitetsu/
ウィキペディアフリー百科事典より・・・
神岡線は、旧国鉄時代から旅行者や飛騨市から富山県への通勤・通学者の重要な交通手段だったが、バスや自家用車に押されて利用者が減少し、2004年度には1日の平均利用者数が100人を下回っていた。
神岡鉱山からの硫酸輸送は、トラック輸送への切り替えにより2004年10月に終了し、当鉄道の貨物営業は同年12月31日限りで休止となった。鉄道部門の収入の7割以上を占め、神岡鉄道の経営を支えてきた貨物輸送がなくなったことから経営への影響が懸念されていたが、翌2005年6月29日の取締役会で神岡線を2006年末限りで廃止する方針が決まり、2005年8月2日の臨時株主総会を経て、同年11月国土交通省に鉄道事業廃止届が提出された。これにより2006年12月1日での神岡線廃止が公的にも承認されたことになる。この間、いくつか飛騨市に経営移譲を申し入れる動きがあり、東京の旅行会社「トラベルプランニングオフィス」の代表である中尾一樹は神岡鉄道の経営権承継を求めて、大株主の三井金属鉱業を相手取り株主代表訴訟を提起し係争中であったが、結局裁判を取り下げた。
しかし2006年9月、岐阜県飛騨市長が定例市議会で、神岡鉄道廃止後に鉄路を不定期の観光鉄道として存続させる道を模索する意向を表明し、今後の動向が注目されている。同年11月29日には、三井金属鉱業との間で存続に向けて10数億円の寄付(再開後の経営に失敗した場合に必要となる線路撤去費などへの備え)と軌道の無償譲渡を受けることで大筋合意し、12月の市議会での承認を待る予定である。承認を得た後、遅くとも1年半で新会社を設立し、設立してから5年後の黒字を目指すとしている。
ウィキペディアフリー百科事典より・・・
神岡線は、旧国鉄時代から旅行者や飛騨市から富山県への通勤・通学者の重要な交通手段だったが、バスや自家用車に押されて利用者が減少し、2004年度には1日の平均利用者数が100人を下回っていた。
神岡鉱山からの硫酸輸送は、トラック輸送への切り替えにより2004年10月に終了し、当鉄道の貨物営業は同年12月31日限りで休止となった。鉄道部門の収入の7割以上を占め、神岡鉄道の経営を支えてきた貨物輸送がなくなったことから経営への影響が懸念されていたが、翌2005年6月29日の取締役会で神岡線を2006年末限りで廃止する方針が決まり、2005年8月2日の臨時株主総会を経て、同年11月国土交通省に鉄道事業廃止届が提出された。これにより2006年12月1日での神岡線廃止が公的にも承認されたことになる。この間、いくつか飛騨市に経営移譲を申し入れる動きがあり、東京の旅行会社「トラベルプランニングオフィス」の代表である中尾一樹は神岡鉄道の経営権承継を求めて、大株主の三井金属鉱業を相手取り株主代表訴訟を提起し係争中であったが、結局裁判を取り下げた。
しかし2006年9月、岐阜県飛騨市長が定例市議会で、神岡鉄道廃止後に鉄路を不定期の観光鉄道として存続させる道を模索する意向を表明し、今後の動向が注目されている。同年11月29日には、三井金属鉱業との間で存続に向けて10数億円の寄付(再開後の経営に失敗した場合に必要となる線路撤去費などへの備え)と軌道の無償譲渡を受けることで大筋合意し、12月の市議会での承認を待る予定である。承認を得た後、遅くとも1年半で新会社を設立し、設立してから5年後の黒字を目指すとしている。