★岸田内閣の支持率低下の元凶のひとつに官邸と自民党国対との風通しの悪さが指摘される。7日に各党代表質問が終わったその晩、自民党国対委員長・高木毅ら国対幹部は首相・岸田文雄と焼き肉店でテーブルを囲んだ。官邸サイドのテコ入れといえる。9日に首相は記者団から官邸と自民党国対の連携不足を指摘された。国会開会までの国対の動きの鈍さは異例ともいえ、野党国対も「こんな不体裁は初めて」という。
★先月29日、国会開会直前の与野党国対委員長会談でけんか上手の立憲民主党国対委員長・安住淳が「3日に国会がスタートするにもかかわらずもう残り5日。この時点での国対委員長会談で、中身について何ら説明もなく、ただよろしくっていうのは極めて遺憾だと。つまり、まだ提出する予定法案の説明も全くない。お互い準備をしないとならない。政府だけ準備をして、質疑するこちら側は準備をしないでお前ら質問しろっていう態度ですから」と詰め寄った。高木は「調整に手間取った」と陳謝した。提案型野党などと物分かりのいい国対で安全運転に徹した前国対委員長・馬淵澄夫を相手にしていた高木は議運・国対族のベテランだが、立憲国対をなめていたか。当然、幹事長・茂木敏充も知らんふりで突き放した。
★本来なら今日11日から予算委員会がスタートするがG20(主要20カ国・地域)財務相・中央銀行総裁会議が12、13日に米国のワシントンで開かれるため財務相・鈴木俊一と日銀総裁が出席。予算委員会は来週まで開かれない。そのための副大臣制度だが、そもそも国対が緊密に官邸と調整すればこんな間抜けな日程は生まれない。旧統一教会問題では立憲民主党幹事長・岡田克也も経済再生相・山際大志郎の更迭と衆院議長・細田博之の記者会見を再三要求している。提案型から攻撃型に転じた立憲は予算委員会が始まる前からエンジン全開。自民党は応戦のみだ。(K)※敬称略
塚田穂高氏が語る 政治と宗教の関わり方「大票田は誤解。政策の浸透は甘く見てはいけない」
塚田穂高さん(上越教育大大学院准教授)
安倍元首相が凶弾に倒れて3カ月。反対の声が高まれど「国葬」は強行された。しかし、今もって旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党の癒着の全容は解明されない。ようやく召集された臨時国会で野党は追及を強めているが、反社会的集団との関係整理で終わらせてしまったら徒死になってしまう。宗教と政治の距離、関わり方もハッキリさせたい。どうあるべきなのか。宗教社会学の専門家に聞いた。
◇ ◇ ◇
──「国葬」をどう見ましたか。
統一教会問題は別に検証されるべきですが、実施そのものに疑問を感じました。歴代首相にランク付けをすることにもなりかねない国家儀礼が今の時代に必要だったのか。明確な弔意の強制こそありませんでしたが、それでも国家儀礼の強圧性を軽く見てはいけない。賛否が割れる中での「やる/やらない」は表裏ではない。バランスが取れていないんです。「国葬」でなければ押し付けにはなりませんし、「税金の使われ方」という議論にもならなかった。
■国葬であらわ「ナショナリズムの宗教性」
──葬儀そのものが宗教性を帯びていることから、国葬は憲法20条(信教の自由と政教分離原則)に違反しているとの指摘もあります。
国家儀礼は宗教性を内包しています。「ナショナリズムの宗教性」といっていい。無宗教形式とはいっても、葬儀から宗教性を消し去ることはできない。実際、式壇に遺影が飾られ、遺骨は象徴的に置かれ、黙祷や献花が行われました。国家神道的な音楽が流され、皇室の威光も示された。まさに時代錯誤で、国民の統合、あるいは一体感の演出が印象づけられた。
──自民党の二階元幹事長が「必ず良かったと思うはずだ。日本人ならね」と発言しましたが、「日本人」のひとくくりも気になりました。
立憲民主党の玄葉元外相が「日本人の一般的な死生観などに鑑み、粛々と出席して追悼する」と言ったのも衝撃的でした。出席を否定はしませんが、発言の裏を返せば、反対したり、欠席する人は「日本人の死生観」を持っていないということになる。「文化宗教」とも言われるのですが、「日本人らしさ」を迫る場と化した国葬に空恐ろしさを感じました。「国のために」「日本人なら」と言われたら、公人の靖国参拝も改憲も批判できないのではないでしょうか。
■自民党「結果公表」はブラックリスト
──半世紀を超える自民党と旧統一教会の関わりについてはどうですか。
宗教と政治の問題ではありますが、そこから入ると混乱する。本質は極めて問題のある集団と付き合い続け、その活動を守ってきたこと。ゆがんだ関係が最大のポイントです。自民党の「自己点検の集約」の結果公表は、項目と名前の羅列で、単なる「ブラックリスト」。
どういう経緯で不適切な関わりを持ったのか、なぜ継続するに至ったのか、教団はどうやって近づいてきたのか、どんな政策実現を求められたのか。そういった質的な面がサッパリ分からない。しかも漏れがある。岸田首相が「関係を断つ」と決別宣言したのは評価できますが、内容が伴っていない。安倍元首相や細田衆院議長のケースを含め、関わりの検証を徹底させ、一刻も早く次のフェーズである被害回復に本腰を入れてほしいです。
──宗教と政治の関係に対する理解に濃淡があります。
宗教団体の政治活動は原則的に自由です。政教分離原則に違反しているとの見方は誤解です。高校の政治経済の授業などでも習うことですが、憲法20条、89条は国及びその機関、自治体などが特定の宗教に肩入れすることを禁じている。その意味では、宗教法人靖国神社などへの首相や閣僚の参拝や公金支出などが本丸です。内閣法制局の見解も、宗教団体が特定の政党を支持すること、政治団体や政党を立ち上げて選挙に出ることを排除していません。
新宗教が欲するステータスと成果
──市民感情として、政治に積極的な宗教団体に嫌悪感を抱くのはなぜなのでしょうか。
関わりが不透明だと感じられるからでしょう。実態が分からない巨大な宗教団体が政治に関わり、選挙で結果を出している。戦後日本社会では、創価学会・公明党の存在が大きい。
──確かに「F(フレンド)作戦」は強烈です。
創価学会の歴史を振り返ると、戦中の弾圧によって初代会長が獄死し、散り散りになったものの、戦後に活動を再開。2代会長の戸田城聖の号令で1951年から「折伏大行進」を展開し、教勢を急拡大して高度成長期に大教団化しました。52年に東京都から宗教法人として認証され、54年には文化部を設置して政治進出の準備を加速。55年の地方選で53人、56年の参院選で3人を当選させ、実績を重ねていった。
64年に公明党を結成。当初は出ないとしていた衆院選にも候補を立て、67年に25人を当選させ、野党第3党に躍り出た。80年代には衆参両院で90議席に迫る勢いでした。当時の運動の勢い、布教の激しさ、排他性も含め、「脅威」を肌で感じた人が少なくなかったでしょう。そうした記憶が社会に受け継がれてきた。学問的には近代化以降に世に出た民衆・大衆メインの宗教を新宗教に分類するのですが、新宗教の組織力を存分に生かした創価学会の活動、とりわけ政治活動が「宗教=票田」というイメージを増幅させ、定着させたと言えます。
──なぜ少なくない新宗教が政治に近づこうとするのですか。
大なり小なりはありますが、共通するのは教義を広めたい、教えに立脚して理想世界を実現したいというモチベーションです。並行して、社会的に認められた証しとしてのステータスを求める。目に見える成果を欲する。信徒獲得や施設拡充といった教勢拡大もそうですが、一環として政治家との付き合いや選挙活動が使われてきた。宗教に限らず、社会運動というものは何かしらの結果を出し続けなければ継続できません。戸田城聖は選挙について「信心をしめるために使える」と言っていました。統一教会の場合は組織防衛の目的も重なり、与党の国会議員を手なずけ、権力に食い込み、政治力を手にしようとした。その点が特徴的と言えます。
──旧統一教会問題が再浮上する以前は、神社本庁を母体とする政治団体の神道政治連盟(神政連)や、かつて活発な政治活動を行った生長の家の流れをくむ右派団体の日本会議がこの国の政治を牛耳っていると大騒ぎになりました。
創価学会・公明党の組織票が600万~700万票ほどだから、神社界が関わる日本会議はさらに大きな票田であろうとの見方に基づいたものでしょう。それも誤解です。文化庁の宗教年鑑(令和3年版)は神社本庁の信者数を約7917万人としていますが、これには初詣の参詣客なども含まれる。巨大な団体が票田となって自民党を支えているという構図は、イメージに引っ張られているのでしょう。政策の浸透についても甘く見てはいけない。政策を練り、対外的に発信しつつ、政治家にもつぎ込んでいる。活発な署名や集会活動などで盛り上げようとしている。改憲、靖国参拝、皇室崇敬、教育改革、国防強化、家庭重視などが代表的な主張です。
──ジェンダー平等や選択的夫婦別姓に反対している点は、旧統一教会と共通します。
その点では共闘仲間。地方で広がる家庭教育支援条例制定の動きも注視が必要です。あるべき家族像や子ども像の押し付けになりかねない内容で、統一教会のほか、日本会議などの右派が運動を展開し、法制化も働きかけている。地方で浸透させ、中央へ攻めていく手法です。同性パートナーシップや性的マイノリティーへの理解促進を阻もうという動きもそうです。
──臨時国会にどんな議論を期待しますか。
統一教会問題に超党派で一丸となって取り組んでほしい。自民党と公明党の動きが非常に重要で、国民もそこを見ています。具体的には、宗教法人解散命令(法人格取り消し)の請求まで踏み込むかが焦点のひとつになる。文化庁や自民党は「難しい」としていますが、議論もなく結論ありきはあり得ない。過去に解散命令が出たオウム真理教と明覚寺のケースから析出された独自基準で防衛線を張っているに過ぎない。政府・自民党の腹ひとつですし、判断を下すのは裁判所です。同時に、被害救済や回復のための枠組みづくり、苦しむ宗教2世らに対する支援や相談体制の拡充などにもあたってほしい。政治の本気度が問われます。
(聞き手=坂本千晶/日刊ゲンダイ)
▽塚田穂高(つかだ・ほたか)1980年、長野市生まれ。東京学芸大教育学部を卒業後、東大大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程を修了。博士(文学)。新宗教運動、政教問題、カルト問題、宗教教育などの研究に取り組む。著書「宗教と政治の転轍点」、共編著「宗教と社会のフロンティア」などがある。安倍元首相銃撃事件発生後、編著「徹底検証 日本の右傾化」が一時、入手困難になり、増刷された。