被爆体験者訴訟の長崎地裁判決は、「被爆者」の認定で原告を分断した。先に、より緩やかに認定した広島高裁判決との違いも際立つ。国は、裁判によらずとも、速やかに被害者救済に動いてほしい。
爆心地から半径12キロ圏内で長崎原爆に遭ったが、国の援護区域外だったため「被爆者」の認定を受けられなかった「被爆体験者」の44人が、長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟で、同地裁は15人を被爆者と認定、手帳交付を命じたが、残り29人の訴えは退けた。
判決は、12キロ圏内でも、旧長崎市より東側の、当時三つの村だった区域では放射性物質を含む「黒い雨」が降った事実が認められるとし、この区域内にいた15人はいずれも、2022年に運用が始まった被爆者認定の新基準が定める11疾病のどれかを発症したと認定した。広島の「黒い雨訴訟」を機にできた基準だが、判決は「(広島で認められた地域と)同一条件、同一事情下にあるのは明らか」と踏み込み、救済の理由とした。
一方、旧3村以外にいた29人については訴えを認めず、同じ原告で明暗が分かれた。原告側が重要な被爆の根拠としていた米国調査団の報告書を「測定手法の精度が低かった」とし「放射性降下物の証拠は存在しない」と断じた。
広島高裁では21年、国が定めた援護区域外の原告84人全員が被爆者に認定された経緯がある(国は上告を断念)。放射能被害が生じると「否定できない事情」に置かれていたことを立証できれば十分とした同判決に対し、長崎地裁判決が、原告側に、放射能の影響について「高度の蓋然性(がいぜんせい)」を伴う証明を求めた点は、明確な「後退」と言わざるを得ない。
米軍の原爆投下により、今なお深刻な後遺症に苦しむ人が数多くいる惨状に広島、長崎の違いはない。今回の原告団長、岩永千代子さん(88)も、9歳で閃光(せんこう)と爆風を浴び、歯茎からの出血や顔の腫れ、甲状腺の異常などに苦しめられてきたが、旧3村の外で原爆に遭ったため、今回、被爆者と認定されなかった。
原爆投下から79年。この8月、長崎で被爆体験者に会った際、岸田文雄首相は、具体的な救済解決への調整を厚生労働相に指示したはずだ。被害者たちは高齢化している。ただちに救済に動かねばならない。
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