【政界地獄耳】憲法記念日に「政治的中立」というまやかし
★またこの話題の時期になった。憲法記念日や終戦記念日などに向け、講演会や展示会などが開催される際、会場の提供や講師の人選をする市などの行政機関が「政治的中立」を求めることで、市民主催の会合であっても自治体のゆがんだ判断で会場使用などが排除される動きだ。この動きは2014年ぐらいから突然、公然と始まった記憶がある。政治の中立を自治体が保つために、いや実際は事なかれ主義で論争に巻き込まれたくないからか、今まで行われてきた講演会、展示などの施設の貸し出しの拒否、自治体としての後援などの関与の中止などが始まった。
★憲法記念日に憲法の議論をする、終戦記念日に戦争を2度と起こさないための集いが政治的中立を保てぬと決める自治体の判断自体が極めて政治的に偏っているのではないか。民主主義では異なる立場の議論を見せ、多様化する社会の中で他方を受け入れる努力や相手を知ることも必要だろうが、それ自体を認めないのならば自治体の越権に他ならない。
★戦争を反対することまで政治的中立でないから問題だという理屈も問題だが、過去には図書館で漫画「はだしのゲン」の閲覧をさせないようにする動きもあった。憲法に関しては「護憲」「改憲」それぞれ政治的主張がある。市民がそれを判断するためのセミナーやシンポジウムに参加して最新の議論を学ぼうとすることが政治的中立を侵すのだろうか。議論を封じ込めるさまはそのまま現代にも受け継がれていて、例えば五輪開催ありきの議論しか、組織委員会や政府からは出てこない。これこそ極めて偏った中立性のない議論だし、コロナ禍対策に逆行する。誰かが決めたことを絶対とする自治体の不見識はこの1、2年、コロナ禍によって議論の余地なく中止になっているだろうが、それはコロナ禍後の理屈にはならない。(K)※敬称略
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