穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

しゅごキャラ! 第2話「こころのたまご!」

2007年10月13日 | しゅごキャラ!
夢原さん:
 「大きくなったら、何になりたい?」
日奈森さん:
 「いや大きくなるのなんて待ってられないしそれどころじゃないし。夢見るのはベッドの中だけにしてよね、おばさん」
夢原さん:
 「!!」

そう、変わらないといけないのは今なんです。
溺れてる最中に「大きくなったら水泳選手になろう!」なんて思っても手遅れなんです。
そもそも「夢に向かって努力できる」ということ自体、ハードルはかなり高い。
やればできる子、は、いつまでたってもやることができない子。
スタートラインに立つためには、まず変わらないといけないのです。

・しゅごキャラ! 第2話「こころのたまご!」

今、そこにある危機と戦う女子小学生様、日奈森さん。
目下の問題は、学園のアイドルに公衆の面前で告ってフられたことです。
これは軽く終わってる。日奈森さんの人生設計、崩壊寸前。

でも悩んでも後悔しても解決しません。
最早お馴染みの大体吐きそうな顔をしながら、鬱々と教室へ。
死地に赴く彼女にエールを送ろう。

級友の皆様:
 「あんな風に告白できるなんてさすがー♪」
 「クールなキャラかと思ってたけど、あんな日奈森さんもアリだね」

馬鹿な。
さすがはクール&スパイシー。人望が驚異的です。
でも、全てを好意的に解釈するクラスメイトのおかげでますます外キャラが大変なことに。

体育のお時間:
 「誰か逆上がりのお手本を見せてくれ」
善意の第三者:
 「日奈森さんは?」「日奈森さんなんでも得意そうだし!」
日奈森さん:
 「!?」

鉄棒、超苦手なのに!

 

ひいぃぃぃっっっ。
が、ご主人の危機を察したしゅごキャラさまが勝手に能力発揮。
キャラを崩壊させながら無事に危機を乗り切りました。というか無理やり乗り切らせられました。
これはツンヘタレの彼女が必死に生き残る物語。

日奈森さん:
 「人のキャラ勝手に変えて掻き回して迷惑!!」

 

女子小学生様によるトイレでの守護霊虐待。
凄惨な光景を目の当たりにし、第2のたまごは逃走してしまいました。
それを探すため、お偉いさんから誘われてたお茶会をキャンセルする羽目に。

日奈森さん:
 「もうやだ。しゅごキャラなんていいこと何もないし」

便利な能力を手に入れた!とは微塵も思わない、ネガティブハートの日奈森さん。
彼女の人生哲学は、「迷ったら逃げろ」。
便利な道具を手に入れたら、即座に投げ捨てて見なかったことにするのが処世術。

でもすぐに次の危機に遭遇。
今度は美術です。絵なんて超苦手なのに。
てか得意分野あるのかこのクール&スパイシー。

???:
 「だったら変えれば?うまく描けない子はなんでも描ける子にキャラチェンジ!」

 

必殺のキャラチェンジ。第2の変身能力起動です。
こうしてどんどん外キャラが強固に結成されていくのだな。
日奈森さん、どんどんドつぼにハマっていく。

運動能力強化の第1のたまごに、芸術能力付与の第2のたまご。
彼女らが言うにはそれは全て「日奈森さんの『なりたい自分』の可能性」。
日奈森さんは空想具現化能力を手に入れた。

 

でも逆に信じないと消えてしまいます。
しゅごキャラに殺意を抱いていた彼女ですが、存在が自分に依っていると聞いてさすがに態度を軟化。
しゅごキャラなんて迷惑なだけだけど…ちょっとだけ信じてあげないことも…ない。ちょっ、ちょっとだけだから!

さて放課後。
念願かなってお茶会に出席してみたところ、学園のガーディアンの皆様がぞろり。
しかもみんなしゅごキャラつき。

 「こどもは皆、心にたまごを持っている」
 「中からもう一人の自分が出てくることがある」「それが『しゅごキャラ』」
 「普段はこどもたちの心の中で眠っている」
 「でも時々たまごの持ち主が心に悩みを抱えてたまごに『×』をつけてしまうことがある」
 「そうなると心のたまごは『×たま』に変化してしまう」
 「そんなとき、君の『キャラなり』が役に立つはず」

王子様:
 「ガーディアンになってもらえないかな」

 

ガーディアンの皆様は日奈森さんのツンヘタレも調査済み。
学園の憧れの皆様。自分と同じしゅごキャラ持ち。
しかも本当の自分を分かった上で好意を持ってくれてる素敵な人たちです。
当然、日奈森さんの回答は…

日奈森さん:
 「 い や っ 」

 

日奈森さん:
 「ロイヤルケープ着るのが嫌だから」

最低の理由で断る日奈森さん。
憧れの王子様の色仕掛けすらスルーです。日奈森さんの自棄能力は桁が違う。
まず、無理な理由を考えるのが彼女の性質。ガーディアンなんて無理ムリ無理ムリ。
え?変身して戦えって?しかもテーマは「夢」や「なりたい自分」?
それ同業他番組と酷くかぶるじゃない。勝てるわけないって。何度負けたと思ってるの。無理ムリ無理ムリ。

逃げ出した彼女は先ほど説明を受けた「×たま」誕生の瞬間に立会ってしまいました。

 

男の子:
 「無理ムリ無理ムリ無理ムリ無理ムリ無理ムリ無理ムリ…」

自己否定を続けるその子の姿に、自分自身が重なります。
そんな、何もしないで諦めるなんて…!
うぅ、私は、私は…。

日奈森さん:
 「自分で自分を信じてあげなきゃ夢なんて消えちゃうんだよ!」

だから信じて自分自身を。信じてタカラトミーさま。
絶対に玩具は売れる。信じなきゃやっと確保したこの枠も消えちゃう。
だから無理って言うな!プリキュアなんて怖くないって、月島先輩が証明してみせたじゃない!覚悟決めろ、行くぞ、私!

日奈森さん:
 「私の心、アンロック!!」

 

アミュレットハート起動。
最大の敵は羞恥心です。新しい自分を受け入れよう。でないと変身が解けてしまう。
信じて!信じろ!私は売れる!第1話も好評だった!迸れ、私のアミュレットハート!!

 

アミュ姉さん:
 「ネガティブハートにロックオン!オープンハート!」

 

一番ハートをオープンしなければいけないのは日奈森さん自身だと思うのですが、とりあえず「×たま」は処理完了。
もう初めてしまった以上は後に退けない。日奈森さんは戻れない道に踏み出した。

 

けれどガーディアンに目撃されたと知った途端、即座に逃亡。
全力で現実逃避を続ける言動不一致の彼女の明日はどこだ。
来週は早々に第3の自分が発現です。


(左画像)
ED:ホントのじぶん(限定盤) OP:こころのたまご/Buono!

(右画像)
しゅごキャラ! 1 (1) PEACH-PIT


1話の間に異様に詰め込むアニメだ。凄い。

「たまご」の設定は「セーラームーン」第5期にちょっと似てると思った。
誰もが「本当の自分」であるスターシード(たまご)を持っている。
その中でも特殊なセーラークリスタル(しゅごキャラ)を持つものが、スターシード(たまご)を狙う相手および汚染されたスターシード(たまご)と戦う…と。
しかし「セラムン」と違い、せっかくの能力に対してネガティブ反応が第一に立つあたりが、時代の流れなんだろうか。

それと「セーラームーン」や「レイアース」、「カードキャプターさくら」に「プリキュア」「どれみ」等々を知ってる身としては、「『なかよし』や『朝のアニメ』だから子供向け」という巷の反応に物凄い違和感。時代の流れを感じます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だから私は日本文化好きが大嫌い

2007年10月13日 | 王様の耳はロバの耳
■gooブログ トラックバック練習テーマ
【あなたの趣味について教えてください(10月12日)】

個人的にタイムリーだったので、間借りしてるgooブログの共通お題に答えてみる。
先日、リアル知人とした会話。
その人は「日本人の矜持」なる本を読んでいたく感銘を受けたらしく、下記のようなことを宣まっていました。

 「この本の中で、海外の人に夏目漱石の『こゝろ』と『坊ちゃん』の相違点と主題について聞かれたが答えることができず、日本人として恥ずかしかった、という話がでてくる」
 「国際化と言われるが、日本人はまず自分の国の文化について知るべきだ」
 「例えば小学校でも、海外のことよりももっと日本文化や歴史に重点を置かないといけない」

ありきたりな話の展開ですが、私はこの意見には大反対。

よく聞く「海外の人に日本のことを聞かれて答えられなかった」。
これは当たり前のことであって、恥に思うようなことではないです。
上の例だと、わざわざ夏目漱石をピンポイントで指定して質問してくるような人は、そもそもそのことについて熟知してる人なわけで、「同じ日本人である」という程度の知識範疇を超えてるんですよ。

例えば私は百年戦争が好きで現地に行ったこともありますが、現地の学生さん(今まさに歴史の勉強をしている人)ですら、ジャンヌとオルレアンの関係レベルことすら知らなかったりしました。
趣味や研究テーマで興味を持ってる人と、一般の人ではそれくらいの差は当たり前につく。
そしてそれは、恥ずかしいことでもなんでもないのです。
上記の漱石の例にしても、じゃあこの質問をした米国人は、「ところで漱石と同年代の作家にオルコットやモンゴメリがいますが、両者の作風の根本的な違いとそれがどう世間に受け入れられたかを、彼女たちの人生を踏まえた上で答えてください」と聞き返されて即答できるのかと。

ここは恥じる場面ではなく、「海外の人にも興味を沸かせ、日本人の私よりも詳しく知ってもらえるなんて漱石って凄いなぁ」と誇りに思う場面だと私は思う。
(唯一恥に思うとしたら、その質問をされて黙り込んでしまうことか。でもそれはコミュニケーション力の問題であって、日本人の誇り云々の話ではない)

また、「学校ではもっと日本文化に重点をすえて教えるべき」。これにも大反対。

特に義務教育に置いては「広く浅く」教えるべきだと思っています。
その中から自分が興味を持った分野について、将来伸ばしていけばそれで良し。
まずはその、「お試し」レベルの話を「常識」として伝えることが大事。

高校のセンター試験の話になりますが、私が受験したときは「欧米尊重をやめて日本やアジアを重視しよう」というのが流行ってたもので、世界史の問題が酷い有様になってました。
正確な分類は別として、印象としては問題の5割が現代史、3割が中国史、2割が東南アジア史。
ヨーロッパ史はゼロ。代わりに琉球王国の問題が2問出てた。

私立の試験ならまだしも、センター試験でこういうことをやられたのがショックで、試験の最中に悔しくて悲しくて泣きながら問題を解きました。
点数自体は普通に9割以上とりましたが、不愉快な気持ちしか残らなかった。
「汚らわしい」という感覚を実体験として持ったのは、これが初めてだった気がする。

学問や教育として行う以上、そこに余計な思想を組み込むべきじゃない。
どうしても誇りだのなんだのを伝えたいなら、それは道徳の時間にやるべきであって、歴史教育や言語、理数系の時間に意識してはいけない。
少なくとも、琉球王国の歴史をヨーロッパ史よりはるかに重視するような歴史教育(しかもテーマは「世界史」)は歪すぎるし、そんなことでは誇りなんて育ちはしないと思う。
そんな教育は、日本人が発見した公式だから、という理由で他の基本原則を差し置いて授業するのと同じレベルです。

そもそも「日本のことを知らないと日本に誇りを持てない」という発想自体が腐ってる。
理由がなければ持てない誇りなんて、所詮飾りですよ。
○○が素晴らしいから誇りを持つ、とか発想が後ろ向き過ぎる。
例えば親が子を愛するときに、成績優秀だからとか(モデル並みに)美しいだとか、そんな理由が必要なのか。
根拠はない、でも私は日本が好きだ。そう思えない時点で矜持も糞もないと思った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする