穴にハマったアリスたち

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映画「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」

2009年12月20日 | アニメ・日曜朝 感想その他
一言で言うと「上手い」。もしくは「凄い」。
シリーズ全体を通じて、よく構成を思いついたなぁと感嘆が先に立ちました。
いつも「仮面ライダー」映画は腐れ縁の友人と見に行って、終わった後は一杯やりながら突っ込みを入れるのが慣習になってるのですが、どうにも上手く言葉が出なかったくらい。

■映画「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」

ディケイドさん:
 「俺は戦うことでしか世界と向き合えなかった」

シリーズ同士の対立、あるいは原典と二次創作の対立。
それを仮面ライダー同士の戦いに喩えてきた(と思っている)「ディケイド」ですが、「対立することでしか向き合えない」という発想は目からうろこでした。
確かに、部外者でしかない私たちは、番組の感想だとか二次創作だとかでしか「世界」と向き合えない。
結局どんなに立派な感想を書こうが、面白い二次創作を作ろうが、所詮は偽物であってこの文脈で言う「対立」でしかない。
で、それが「悪」かというと、まぁ「悪」なのだけど(著作権だとか他番組への批判だとかを含むので)、これらが無いと番組は停滞してしまう。

オリジナルキバさん:
 「ディケイドと戦うことで、物語が再び動き出した」

もしも「ディケイド」が存在しなければ、「キバ」は今年初めの時点で終わってます。続きはない。
そもそも「キバ」がどんな話だったか、覚えてますか?
あれはまだ今年のことなのに、既に記憶の彼方ですよ。

「ディケイド」のテレビ版は半端な終わり方をした(個人的にはそう思いませんが)際の批判として、「子供はすぐ忘れるから3ヶ月後の映画ではダレる」というのを見かけました。
これはそのまんま「ディケイド」のテーマになっていた。
最終回を迎えてしまったら、もうそこで終わりで、1年もしない内に忘れられてしまう。
そうやって埋もれてきた過去の仮面ライダーたち。
でも今なら、過去の全ライダーを懐かしく思い出せるし、もうそうそう忘れはしない。「ディケイド」のおかげで。

そうやって物語が活性化し、オリジナルもパラレルも復活したけれど、「ディケイド」は消えたまま。

オリジナルキバさん:
 「ディケイドに物語はありません」
鳴滝さん:
 「ディケイドに、物語など必要ない!」

「ディケイド」なんて、あるいは二次創作なんて、本編を活性化させるために存在するだけであって、それ以上の何かは不要。むしろ害でしかない。
そんな鳴滝さんやオリジナルキバさんの言葉は、実際正しいことは正しいんだと思う。
所詮は、二次は二次だ。一応、感想ブログなんてやってる身としては、自戒の念を込めてそう思う。私らのやってることは、他人のふんどし借りてる劣等行為だ。

でも、それでもやっぱり二次創作であっても、それを通じた思い出や楽しさがあることは事実なわけで。
「ディケイド」の半年間の放送は、確かに私たちの記憶にも残ってる。
復活したディケイド兄が、記憶の断片をくぐりながら歩いてくるところは、不覚にも涙腺が緩みました。
あの「記憶」は全部偽物だし、正史の「仮面ライダー」にはカウントされない。場合によっては、「余計なことしやがって」と批判の対象にすらなりえる。
そんな紛い物であっても、「ディケイド」の記憶であることは確かで、それを見ていた自分たちの体験も本物です。「ディケイド」の物語は、ここにあった。

その後に続く「ビギンズナイト」のアンサーも素晴らしかった。
偽物は、偽物だ。Wさんはきっぱりそう断言し、偽おやっさんを否定することを選択する。
でも同時に、パラレルおやっさんの言葉には素直に涙を流してる。
安っぽい「ダミー」は否定する。「ダミー」を使って自分の利益を得ようとするのものも認めない。
けれど、芯の通った「パラレル」は認めるということなのかな。


いかにもそれっぽい「真相」として「ディケイドの正体は大ショッカーの作った生物兵器だったんだ(超生命体にひっかけて)」とか「各種ライダーに変身できるのは、対ライダーの研究成果だ」とか「パラレルワールドはディケイドに対抗するために作られた戦闘用フィールドだ(もしくは大ショッカーのシミュレータ)」とか、まぁそんなのは幾らでも思いつきます。
問題は、とてもつまんないってことだけで。これでは10周年記念企画、更には00年代最後を飾る企画としてあまりにしょぼい。
今回のこの展開には批判的意見も多いでしょうが、私は大絶賛したい。

今回の映画のキャッチコピーに「本当の終わり」と冠されてた「ディケイド」さんですが、これはこれで一つの「ビギンズナイト」と捉えることも出来ると思いました。
ここから幾らでも話を続けられる。というか、話を続けられるということそれ自体がテーマみたいなものじゃなかろうか。
これからまた10年後に「ディケイド2」をやらないかなぁ。
ディケイド兄が劇中で倒した仮面ライダーの中に、さりげなく「未来の」仮面ライダーであるスカルが混ざってたところに時間や番組を越えた部分を感じました。
伏線だとかそんなんじゃなくて、「ディケイド」は(ひいては「仮面ライダー」シリーズやそれを取り巻く環境は)、ここで終わりじゃない、的な感じで。


(左画像)
東映ヒーローMAXスペシャル W×DECADE (タツミムック 東映ヒーローMAX SPECIAL)

(右画像)
ネット版 仮面ライダーディケイド オールライダー超(スーパー)スピンオフ [DVD]


「マーメイドメロディーぴちぴちピッチ」という番組があります。2005年に最終回を迎えました。
「ふたりはプリキュアSplashStar」という番組があります。2007年に最終回を迎えました。
けれどこの両番組は、今でも出演者たちの自主ライブによって、リアルタイムで物語が進行中です。
もちろん自主ライブなので非公式。堂々と「ぴっち」や「プリキュア」の名は使えないし、使おうともしていない。
そして先日、主催:テレビ朝日という舞台で、「正史」の関係者たちも見に来ている中、ライブを行いました。

この一連の活動は、「ディケイド」のテーマともとても近しいと感じます。
番組が終わったからって、そこで本当に終わってしまうわけじゃない。
「完結」や「正史」、あるいは「リメイクは侮辱だ」「伏線は全て回収されなければいけない」「金を払わないと提供されないのはおかしい」等々、凝り固まった考え方は、もう時代遅れなのだと思う。


その他の感想を列挙。

1.
行った先の映画館では、子供よりも大人の方が多かったです。
また小さな女の子と親御さんだけ、という組み合わせもちらほら見かけました。
もう「小さな男の子向け」という括りは無意味なんだろうと実感した。

2.
パンフレットより。
電波人間タックル役の広瀬さんの「34年ぶりにタックルが蘇る」、
ユウスケ役の村井さんの「クウガはオダギリさんからお借りしたキャラクターだから自分の仮面ライダーとは堂々と言えない。だからアルティメットが出た時にとても嬉しかった」、
プロデューサさん対談の「追体験」、等々。
物凄く共感できる。

3.
「ストロンガー」を見たことが無いので、実際に当時のファンがどう捕えたのかは分かりませんが、「タックルが蜂女に一矢報いる」というのは結構なカタルシスだった。
「ディケイド」がなければ、タックルさんは無惨に戦死したまんま。
それをちゃんと続きを描けたのは「ディケイド」があったから。テーマに沿った、良いゲストを選んだなぁ…。

4.
冒頭のスカイライダー戦からカブト戦までの流れが熱かった。
ディケイド兄さん、容赦も躊躇もなさすぎる。
数を頼みに襲いかかればブレイドさんのように逆利用され、単体で挑むと各個撃破される。これは、勝てん。

5.
サイドバッシャー!!
「ライダー大戦?Jが最強だろw」的な浅い意見を、逆に嘲笑うかの如く。
我らのカイザの必殺兵器が火を噴いた。格好良すぎる。

6.
一方で、いきなりカード化してるたっくんに泣いた。た、たっくん…。
彼の腕振りファイティングポーズがまた見たかった。
(なお個人的には今回戦ってたライダーはオリジナルライダーだと思ってる。でないとストーリー的にもテーマ的にも話が繋がらないのでは)

7.
一旦、中途半端なところで終わった劇場版。
あの瞬間、批判的に見ていた人たちは「やっぱり今回もぐだぐだなまま、途中で投げ出したw」と鬼の首をとったように思ったんでしょう。
その反応すらも逆手に取った演出が、物凄く痛快でした。これは上手い。

8.
ダミーを追いかけたWさんたち、気が付いたら風都から離れて荒野へ。
そこに悠然と浮かんでる謎の巨大飛行物体。な、なんだあれは!?
しょぼい怪人を追いかけてたはずなのに、いきなりとんでもねぇクライマックスに放り込まれたWさんたちに涙が止まらない。

9.
オロナミンCはどこに…。

劇場版「仮面ライダー」の真の主役、オロナミンCさんの姿を発見できませんでした。
私が見落としてただけなのか。
若菜姫の飲んでたドリンクが密かにオロナミンCだったとかなら拍手喝さいなのですが、何か普通のドリンクっぽいし。

「オロナミンCが出ない仮面ライダー」、ある意味これが一番「ディケイドは偽物である」ことを象徴してる気がしてきた。そういうことにしよう。
コメント (8)
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