先週分の感想を書きそこなってますが、ひとまず新しい方から。
■スマイルプリキュア! 第27話「夏のふしぎ!?おばあちゃんのたからもの」
夏休みも終盤。
星空さんらはお祖母さんのお家に遊びに行きました。
たまには仕事を忘れてのんびりしよう。
具体的に何かがあるというわけではないが、それでも不思議と楽しいのがお祖母ちゃん家。
川遊びをしたり花火をしたり。
河童や天狗のお話等々を聞きながら、夜もふけていく。
星空さん的にはお祖母さんと一緒に住みたいそうですが、お祖母さん本人としては田舎に残りたいそうで。
曰く、ここには大切な宝物があるから。
具体的にそれが何かとは話されなかったものの、言葉にされなくても分かる何かが、確かにあった。
そこに悪いオオカミさんがいつものようにやってきてみた…けれど。
星空お祖母さんからはバッドエナジーを回収できず、頼みの新式アカンベェもよく分からない何かに阻まれ霧散。
そんな夏の日のお話でした。
いわば私たちに共通する原風景のような素敵な回でした。
…とそれっぽいことを書いて終わろうかとも思ったけど、多少気になった点を。
まず前提として、星空お祖母さんはおそらく60歳前後と思われます。
お祖母さんとお母さんが20代半ばで出産していれば、中学生の孫がいる年としては大体そんなもの。
(もちろん個別の事情でいくらでもブレる計算ですが)
また設定上は中学二年生の星空さんも、コア視聴者層および「原風景」としての演出を考えると、実際には10歳未満とも考えられます(あの夏の描写は「小学生の夏休み」を想起する)ので、お祖母さんの年齢はもっと若くても何ら不思議はない。
で、私自身は早30代なのですが、劇中に出てくる「お祖母さん」は、私らの年代からしたら「母」と同い年かむしろ若いくらいなんですよね。
うちの母も河童と共同戦線を張るような貫禄を得る年齢になったのか…。
そして最近の感覚でいえば、この年代はまだまだ若い。
何となく星空祖母は田舎でのんびり暮らしてるイメージが伝わってきますけど、翌朝スーツ着て会社いってパソコン叩いてても、取り立てて特殊とは思えません。
ネットや携帯は当たり前の必需品だし、いたって普通にAmazonさんを利用したり海外に遊びに行ったりする。
「コンピュータおばあちゃん」はとうの昔に現実になってた。
で、私自身、その現実に感覚がついていけてない。
今回のような話を見て「お祖母さんが引っ越さない理由」として、「会社の仕事があるから」といった可能性はやっぱりなかなか湧いてこない。
実際には、同僚には普通に孫がいる方たちもいるし、両親も隠居してるわけでもないのに。
この手の「原風景」と現実のこのギャップの原因は何なのかとか考えだすと、色々と湧いてきて楽しいです。
フィクションに出てくる、いわゆる「田舎のお祖母ちゃん」像は、現代では「曽祖母」にあたるのだと思う。
60歳のお祖母さんが80歳の母の介護に悩んでるとか、それほど珍しい話ではない。
従って、今回のような話だと世代設定に妙な違和感を覚えてしまう。(悪いという意味ではない)
逆に「両親」にあたる世代は、以前よりも若々しく描かれる傾向があるように思います。
「親」世代はより若く、「祖父母」世代はより老いた描写をされる…というのも、考え出すと地味に面白い。
一昔前に「三世代で暮らす人が減り、核家族ばかりになった」「それを受けてホームドラマの家族の描き方も変わった」みたいな話を聞いた時期もありましたが。
現代ではこれが進み、「田舎に住むお祖母ちゃん家」には祖父母だけでなく、曾祖父母もいる方が説得力があるのかもしれません。
プリキュアさんを見て、高齢社会の進行を実感するとは…。
最近のお子様の脳裏にある「原風景」は、私らのものとは相当に違うのだろうなぁ。
河童云々よりも、そういった部分に「現実には既に存在していないおとぎ話」性を感じた今回でした。
嫌いな話ではないのだけど、なんとなく落ち着かない気分になった回でした。
上に書いたようなことを考えた他、多分、祖父母を無敵超人と思っていられる年齢を過ぎてしまったからなのかなと。
子供を無垢な天使としてのみ描くとアンバランスに感じるのと同様に、祖父母を艱難辛苦を超越した存在にしてしまうと、人間性が消えるような気がする。
子供の方は(極めて良い子として描かれていても)泣いたり我儘を言ったりもするけれど、祖父母の場合、概ね一面的。
私らと同年代の制作スタッフさん達は、世代的に祖父母(子からすれば曾祖父母)と別れを経験し始める頃なので、デリケートな扱いになりやすいのかもしれない。
…ということを瞬間的に思ったけど、お祖母さんは涼しい顔をして内心では焦っていたんじゃないかと思ったら、ちょっと楽しくなってきた。
よく考えてみれば、孫たちが対等につきあっている相手に怯えたり怯んだりするとか、意地が許すまい。
一度奥に引っ込んだ際に、密かに頭を抱えて気持ちを落ち着けたりしてたとしたら、とても尊敬できる。
河童や天狗も、彼らは彼らなりにパニックだったかもしれませんし。
おい、あんたのとこの孫、噂の決戦兵器になってるみたいだがどうなってんだ?とか。
もう一つ思ったこと。
「女の子の変身・魔法」は「男の子の変身・魔法」よりも、本来なら成長によって獲得する力を特殊パワーで早取りする意味合いが強い。
いわば途中の階段をすっ飛ばして大人になる面がある。
その意味合いでいえば、成長の先にある「お祖母ちゃん」が最強に位置づけられるのも必然なのかなと。
逆にお祖母ちゃんの側からすれば、「私も若いころはアレをやった」(昔はプリキュアだった、という意味ではなく)とほのぼの思えるのかも。
…何か、「お祖母ちゃん視点の変身モノ」とか、すごい面白そうだ。
帰省した孫が良く分からん魔法少女になってたが、良く分からんまま適応してくの。
■スマイルプリキュア! 第27話「夏のふしぎ!?おばあちゃんのたからもの」
夏休みも終盤。
星空さんらはお祖母さんのお家に遊びに行きました。
たまには仕事を忘れてのんびりしよう。
具体的に何かがあるというわけではないが、それでも不思議と楽しいのがお祖母ちゃん家。
川遊びをしたり花火をしたり。
河童や天狗のお話等々を聞きながら、夜もふけていく。
星空さん的にはお祖母さんと一緒に住みたいそうですが、お祖母さん本人としては田舎に残りたいそうで。
曰く、ここには大切な宝物があるから。
具体的にそれが何かとは話されなかったものの、言葉にされなくても分かる何かが、確かにあった。
そこに悪いオオカミさんがいつものようにやってきてみた…けれど。
星空お祖母さんからはバッドエナジーを回収できず、頼みの新式アカンベェもよく分からない何かに阻まれ霧散。
そんな夏の日のお話でした。
いわば私たちに共通する原風景のような素敵な回でした。
…とそれっぽいことを書いて終わろうかとも思ったけど、多少気になった点を。
まず前提として、星空お祖母さんはおそらく60歳前後と思われます。
お祖母さんとお母さんが20代半ばで出産していれば、中学生の孫がいる年としては大体そんなもの。
(もちろん個別の事情でいくらでもブレる計算ですが)
また設定上は中学二年生の星空さんも、コア視聴者層および「原風景」としての演出を考えると、実際には10歳未満とも考えられます(あの夏の描写は「小学生の夏休み」を想起する)ので、お祖母さんの年齢はもっと若くても何ら不思議はない。
で、私自身は早30代なのですが、劇中に出てくる「お祖母さん」は、私らの年代からしたら「母」と同い年かむしろ若いくらいなんですよね。
うちの母も河童と共同戦線を張るような貫禄を得る年齢になったのか…。
そして最近の感覚でいえば、この年代はまだまだ若い。
何となく星空祖母は田舎でのんびり暮らしてるイメージが伝わってきますけど、翌朝スーツ着て会社いってパソコン叩いてても、取り立てて特殊とは思えません。
ネットや携帯は当たり前の必需品だし、いたって普通にAmazonさんを利用したり海外に遊びに行ったりする。
「コンピュータおばあちゃん」はとうの昔に現実になってた。
で、私自身、その現実に感覚がついていけてない。
今回のような話を見て「お祖母さんが引っ越さない理由」として、「会社の仕事があるから」といった可能性はやっぱりなかなか湧いてこない。
実際には、同僚には普通に孫がいる方たちもいるし、両親も隠居してるわけでもないのに。
この手の「原風景」と現実のこのギャップの原因は何なのかとか考えだすと、色々と湧いてきて楽しいです。
フィクションに出てくる、いわゆる「田舎のお祖母ちゃん」像は、現代では「曽祖母」にあたるのだと思う。
60歳のお祖母さんが80歳の母の介護に悩んでるとか、それほど珍しい話ではない。
従って、今回のような話だと世代設定に妙な違和感を覚えてしまう。(悪いという意味ではない)
逆に「両親」にあたる世代は、以前よりも若々しく描かれる傾向があるように思います。
「親」世代はより若く、「祖父母」世代はより老いた描写をされる…というのも、考え出すと地味に面白い。
一昔前に「三世代で暮らす人が減り、核家族ばかりになった」「それを受けてホームドラマの家族の描き方も変わった」みたいな話を聞いた時期もありましたが。
現代ではこれが進み、「田舎に住むお祖母ちゃん家」には祖父母だけでなく、曾祖父母もいる方が説得力があるのかもしれません。
プリキュアさんを見て、高齢社会の進行を実感するとは…。
最近のお子様の脳裏にある「原風景」は、私らのものとは相当に違うのだろうなぁ。
河童云々よりも、そういった部分に「現実には既に存在していないおとぎ話」性を感じた今回でした。
![]() | (左画像) スマイルプリキュア! おはなしブック! まるごとスマイル! (講談社 Mook) (右画像) データカードダス プリキュア オールスターズ おしゃれコーデバインダー スマイル02 | ![]() |
嫌いな話ではないのだけど、なんとなく落ち着かない気分になった回でした。
上に書いたようなことを考えた他、多分、祖父母を無敵超人と思っていられる年齢を過ぎてしまったからなのかなと。
子供を無垢な天使としてのみ描くとアンバランスに感じるのと同様に、祖父母を艱難辛苦を超越した存在にしてしまうと、人間性が消えるような気がする。
子供の方は(極めて良い子として描かれていても)泣いたり我儘を言ったりもするけれど、祖父母の場合、概ね一面的。
私らと同年代の制作スタッフさん達は、世代的に祖父母(子からすれば曾祖父母)と別れを経験し始める頃なので、デリケートな扱いになりやすいのかもしれない。
…ということを瞬間的に思ったけど、お祖母さんは涼しい顔をして内心では焦っていたんじゃないかと思ったら、ちょっと楽しくなってきた。
よく考えてみれば、孫たちが対等につきあっている相手に怯えたり怯んだりするとか、意地が許すまい。
一度奥に引っ込んだ際に、密かに頭を抱えて気持ちを落ち着けたりしてたとしたら、とても尊敬できる。
河童や天狗も、彼らは彼らなりにパニックだったかもしれませんし。
おい、あんたのとこの孫、噂の決戦兵器になってるみたいだがどうなってんだ?とか。
もう一つ思ったこと。
「女の子の変身・魔法」は「男の子の変身・魔法」よりも、本来なら成長によって獲得する力を特殊パワーで早取りする意味合いが強い。
いわば途中の階段をすっ飛ばして大人になる面がある。
その意味合いでいえば、成長の先にある「お祖母ちゃん」が最強に位置づけられるのも必然なのかなと。
逆にお祖母ちゃんの側からすれば、「私も若いころはアレをやった」(昔はプリキュアだった、という意味ではなく)とほのぼの思えるのかも。
…何か、「お祖母ちゃん視点の変身モノ」とか、すごい面白そうだ。
帰省した孫が良く分からん魔法少女になってたが、良く分からんまま適応してくの。