色々と評判の「風立ちぬ」を見てきました。
■映画:風立ちぬ
面白い映画だと思った。
でもその理由がよく分からなくて、観に行った友人共々しばらく頭をひねりました。
特段に派手なシーンがあるのでも、何かどんでん返し的なものがあるのでもないのに。
多分一番大きいのは、非常に良いテンポなのかなと。
下手な演出だと、お涙ちょうだい的に長々描写してしまうところを(例えば妻の置手紙を朗読させるとか)さくさく進めてくれる。
そういえば「ラピュタ」もやたらに軽快に進むんですよね。
パズーもシータもムスカも、軽いノリで何度も死にかけてるのに、さらりと進む。
過剰に演出しないので、それがかえって登場人物たちの気持ちを伝えてくる。
主役が庵野さんなのも、確かにむしろ良かったと感じた。
これで「戦争の悲惨さに苦悩する」とか「妻を失って号泣する」とかをご丁寧にやられたら、くどすぎて急激につまらなくなったと思う。
アニメーションというより、絵本のような感じでしょうか。(絵が動かないといった意味ではなく、淡々と述べるという意味で)
戦争は良くないとか、飛行機が純粋に好きなのに時代が悪かったとか、そんな面倒くさいだけの予定調和的な説教もなし。
結核の妻との悲恋だとか、くどくどとした恋愛物語とかでもなし。
ただただ「飛行機が好き」という思いと、夢を形にしようとする情熱が淡々と伝わってくる。
撃墜される飛行機の描写や結核の様子も、戦争の悲劇さや病気の悲しさというよりも、夢の儚さといった印象を感じます。
撃墜されると分かってる飛行機を作るのは、不治の病の妻との生活に日々全力で挑むのと同じ。
破綻すると分かっていても(むしろ破綻すると分かっているからこそ)、大事な夢がある。
おそらくキャラクターを描きたかったのでも、ストーリーを魅せたかったのでもなく、脆くも強い情熱そのものを描きたかったのだろうと思う。
もっとスマートに考察なり感想なり書きたいところだけど、言葉にするのがとても難しい。
確かに人によって評価が分かれるのも分かる。
私的には、ジブリ映画の上位に入る良映画だと思いました。
以下から本文よりも長い蛇足。
【その1】
「風立ちぬ」さんといえば、喫煙シーンで話題になってます。
初めに私の立ち位置をはっきりさせておくと、現実世界の喫煙には大反対。
理由は発がん性だとか匂いだとかではなく、喉の痛みやくしゃみ、咳に襲われるから。
吸ってる本人に害があるのは構わないのですが(不健康な趣味なんて他にもいくらでもある)、煙草の特徴的なところは、望まぬ他者にも被害を与えること。(※1)
しばしば引き合いに出される酒でいえば、「一気飲みを強制する」等にあたります。(※2)
故に反対。
※1 なお誤解をされないように書いておくと、「望んで吸う」場合には苦痛ではない。
例えば喫煙する友人と飲みに行く等はOK。
要は「望まないのに吸わされる」のが嫌なのであって、分かってて吸う分には気にしない。
酒を自由意思で飲む分には気にしないけど、強要されたら断固反対するのと一緒。
※2 「他者への被害=酔っぱらって暴れる」とは異なる。
これに相当するのは「ニコチンの禁断症状でイライラして当たり散らす」等。
【その2】
で、「風立ちぬ」さん。
一番話題になってると思われる「結核の妻の横で、煙草を吸う」シーン。
簡単に書くと、以下のような感じ。
夜遅くまで設計作業をしている夫。
結核で寝込んでいる妻は、布団の中から夫の手をずっと握りしめている。
夫は愛する妻のため、片手で設計を続けていたが、ふと言う。
夫:「煙草を吸ってきてもいいかな(手を離してもいいかな)」
妻:「だめ。ここで吸って」
夫:「でもお前…」
妻:「いいから」
夫:「そうか」(そして一服)
これに対し、「結核患者の横で吸うとは何を考えてるんだ」という反対意見が出てる。
更にそれに対し、表現の自由や時代性の観点からの再反対意見も出てる。
【その3】
私の感想としては、「場面の表現としては理解できる」「が、人物の表現としては疑問符」を持った。
結核の妻は、病院で治療を受けた方がいいと理解しつつも、夫の傍に居たくてあえて無理をしています。
これを踏まえれば、(直接の描写はされていませんが)受動喫煙で呼吸が苦しくても、それでも夫の傍にいたいし、それが幸せ。
妻の愛情が強調されており、表現として理解できるし納得できる。良い場面だとも思う。
ただ夫の人物描写としては理解に苦しむ。
史実がどうだったのかは知りませんが、少なくとも劇中では、「ちょっと世俗からはズレているが、飛行機が大好きな、誠実で進歩的な男性」として描かれています。
その彼が、何で最愛の妻の横で煙草を吸うのだろう?
例えば、
妻:「そういえば最近煙草を吸わないのね」
夫:「だってお前…」
妻:「私のことなら気にしないで。煙草を吸ってるあなたを見るの、好き」
夫:「そうか」
こういう流れなら、まだ分かる。
ですが、夫自らが吸いたいと言い出している。
しかも設計の仕事を中断する前提で。
もともと、妻と居る時間を犠牲にしてでも、飛行機の設計を行っている人物です。
それなのに、設計よりも喫煙を優先するとなると、優先順位が喫煙>飛行機>妻となってしまう。
「飛行機>妻」に関しては、それが彼の魅力であるし、一概に順位を比較できるものではないですが、煙草に関しては不可思議です。
要は「単にニコチン中毒だろう」という描写が、キャラクター性と合致していない。
逆に「僕は煙草なんて興味ない」と一心不乱に設計してる方が、(史実はともかく)キャラクターとしては納得できます。
故に、同じように問題視されている「学生が教室で煙草を吸っている」シーンは、「級友が煙草を吸ってる横で飛行機に夢中」という表現として理解できる。
盛んに「煙草を貸してくれ」と言ってくる友人が、設計に関しても『拝借』が多いのも、マイナス描写と受け取れる。
しかし「病床の妻の横で禁断症状にかられて煙草」は、どうにも理解できない。
【その3に追記】
コメントで「気分転換も大事。吸わずにイライラするよりも、吸ってスッキリする方が設計もはかどるから、二郎の価値観はブレてない」といただきました。ありがとうございます。反応を貰えるのは、やっぱり嬉しい。
確かにリフレッシュは大事です。
しかし煙草で無視できないのは、ニコチンによる禁断症状の影響が大きい点です。
「吸わないとイライラする」こと自体が、ただの気分転換ではなく中毒症状なことを物語っています。
多少なりと似たような状況であるアルコール中毒に置き換えてみましょう。
夫:「酒が切れて手の震えが止まらない。ちょっと一杯飲んでくるよ」
妻:「だめよ。ここにいて」
夫:「でもお前」
妻:「気にしないで。私も一杯もらおうかしら。一度、飲んでみたかったのよ」
夫:「そうか」
病人に酒を飲ますなと批判はありそうですが、余命いくばくもないことを自覚してのことなら、表現としてはありだと思う。
アル中というとアレに思われるかもしれませんが、昔堅気で酒だけが楽しみの爺さんが、寝込んでいる婆さんの横で、久々の、そして人生最後の工作の腕をふるう…て感じのシーンなら、結構美しいんじゃないでしょうか。
ですが、本作の二郎さんのイメージには合わないんですよね。
進歩的で実直なはずなのに、煙草に振り回される…?
当時の喫煙率を考えればリアルなのでしょうけれど、その結果キャラクターがブレては本末転倒に思えます。
気分転換と言う事なら、ふたりの共通の思い出である紙飛行機を作って飛ばすとかでも良かったのではないでしょうか。
煙をたなびかせるのではなく、紙飛行機がくるくると部屋を舞う感じ。
楽しかった避暑地での思い出や、夢を目指して最後の日々を邁進する様子も重ねられます。
思い出も夢も、全て「飛行機」がキーワードなんだから。
もちろん、プロ中のプロである宮崎監督の演出に大それたことは言えませんが、素人なりに疑問に思ったのです。
【その4】
といったわけで、主人公のキャラ付けがブレてるんじゃないかと感じた。
「キャラを描きたかったのではないのだろう」と上述しましたが、尚の事矛盾を感じます。
何でそこで、わざわざ引っかかりを覚えるような嗜好設定をしたのだろう?
「当時としては当たり前の光景だった」という意見もありますが、私的にはほとんど意味のない指摘だと思う。
平安時代設定のドラマで美人が出てきたときに、わざわざ時代に忠実に下膨れやおはぐろを用意するか?というと、違うと思う。(※3)
仮に忠実に時代を反映したところで、結局見るのは現代の我々なので、「美人と認識できない奇妙な光景」になってしまう。
史実に忠実な歴史教材のようなものを作ることが目的ではないのですから、時代性はさして関係ないはず。
※3 煙草の「当人たちは意識していなかったが、実は中毒の影響でやっている」要素を加味すると、
纏足(美意識以外に女性支配が絡んでる)を例にする方が適切かもしれない。
ただ「表現として禁止せよ」とまで行くと疑問。
喫煙を美化している(からあえて採用したように、私には見える)表現は、個人的には不快ですが、まぁスピード違反した車のせいで家族を失った人が、カーチェイスシーンに嫌悪感を持つようなもの。
不快に思う気持ちを止める理由はないけれど、禁止とまでいくと行きすぎかなと思う。
強いて言うなら、監督本人も言われているように「大人向け」とのことなので、年齢制限くらいでしょうか。
まぁそういったモヤモヤはあったものの、それでも「面白い」と思えたのだから、凄い映画なのだろうと思う。
■映画:風立ちぬ
面白い映画だと思った。
でもその理由がよく分からなくて、観に行った友人共々しばらく頭をひねりました。
特段に派手なシーンがあるのでも、何かどんでん返し的なものがあるのでもないのに。
多分一番大きいのは、非常に良いテンポなのかなと。
下手な演出だと、お涙ちょうだい的に長々描写してしまうところを(例えば妻の置手紙を朗読させるとか)さくさく進めてくれる。
そういえば「ラピュタ」もやたらに軽快に進むんですよね。
パズーもシータもムスカも、軽いノリで何度も死にかけてるのに、さらりと進む。
過剰に演出しないので、それがかえって登場人物たちの気持ちを伝えてくる。
主役が庵野さんなのも、確かにむしろ良かったと感じた。
これで「戦争の悲惨さに苦悩する」とか「妻を失って号泣する」とかをご丁寧にやられたら、くどすぎて急激につまらなくなったと思う。
アニメーションというより、絵本のような感じでしょうか。(絵が動かないといった意味ではなく、淡々と述べるという意味で)
戦争は良くないとか、飛行機が純粋に好きなのに時代が悪かったとか、そんな面倒くさいだけの予定調和的な説教もなし。
結核の妻との悲恋だとか、くどくどとした恋愛物語とかでもなし。
ただただ「飛行機が好き」という思いと、夢を形にしようとする情熱が淡々と伝わってくる。
撃墜される飛行機の描写や結核の様子も、戦争の悲劇さや病気の悲しさというよりも、夢の儚さといった印象を感じます。
撃墜されると分かってる飛行機を作るのは、不治の病の妻との生活に日々全力で挑むのと同じ。
破綻すると分かっていても(むしろ破綻すると分かっているからこそ)、大事な夢がある。
おそらくキャラクターを描きたかったのでも、ストーリーを魅せたかったのでもなく、脆くも強い情熱そのものを描きたかったのだろうと思う。
もっとスマートに考察なり感想なり書きたいところだけど、言葉にするのがとても難しい。
確かに人によって評価が分かれるのも分かる。
私的には、ジブリ映画の上位に入る良映画だと思いました。
(左画像) 風立ちぬ スタジオジブリ絵コンテ全集19 (右画像) 風立ちぬ サウンドトラック |
以下から本文よりも長い蛇足。
【その1】
「風立ちぬ」さんといえば、喫煙シーンで話題になってます。
初めに私の立ち位置をはっきりさせておくと、現実世界の喫煙には大反対。
理由は発がん性だとか匂いだとかではなく、喉の痛みやくしゃみ、咳に襲われるから。
吸ってる本人に害があるのは構わないのですが(不健康な趣味なんて他にもいくらでもある)、煙草の特徴的なところは、望まぬ他者にも被害を与えること。(※1)
しばしば引き合いに出される酒でいえば、「一気飲みを強制する」等にあたります。(※2)
故に反対。
※1 なお誤解をされないように書いておくと、「望んで吸う」場合には苦痛ではない。
例えば喫煙する友人と飲みに行く等はOK。
要は「望まないのに吸わされる」のが嫌なのであって、分かってて吸う分には気にしない。
酒を自由意思で飲む分には気にしないけど、強要されたら断固反対するのと一緒。
※2 「他者への被害=酔っぱらって暴れる」とは異なる。
これに相当するのは「ニコチンの禁断症状でイライラして当たり散らす」等。
【その2】
で、「風立ちぬ」さん。
一番話題になってると思われる「結核の妻の横で、煙草を吸う」シーン。
簡単に書くと、以下のような感じ。
夜遅くまで設計作業をしている夫。
結核で寝込んでいる妻は、布団の中から夫の手をずっと握りしめている。
夫は愛する妻のため、片手で設計を続けていたが、ふと言う。
夫:「煙草を吸ってきてもいいかな(手を離してもいいかな)」
妻:「だめ。ここで吸って」
夫:「でもお前…」
妻:「いいから」
夫:「そうか」(そして一服)
これに対し、「結核患者の横で吸うとは何を考えてるんだ」という反対意見が出てる。
更にそれに対し、表現の自由や時代性の観点からの再反対意見も出てる。
【その3】
私の感想としては、「場面の表現としては理解できる」「が、人物の表現としては疑問符」を持った。
結核の妻は、病院で治療を受けた方がいいと理解しつつも、夫の傍に居たくてあえて無理をしています。
これを踏まえれば、(直接の描写はされていませんが)受動喫煙で呼吸が苦しくても、それでも夫の傍にいたいし、それが幸せ。
妻の愛情が強調されており、表現として理解できるし納得できる。良い場面だとも思う。
ただ夫の人物描写としては理解に苦しむ。
史実がどうだったのかは知りませんが、少なくとも劇中では、「ちょっと世俗からはズレているが、飛行機が大好きな、誠実で進歩的な男性」として描かれています。
その彼が、何で最愛の妻の横で煙草を吸うのだろう?
例えば、
妻:「そういえば最近煙草を吸わないのね」
夫:「だってお前…」
妻:「私のことなら気にしないで。煙草を吸ってるあなたを見るの、好き」
夫:「そうか」
こういう流れなら、まだ分かる。
ですが、夫自らが吸いたいと言い出している。
しかも設計の仕事を中断する前提で。
もともと、妻と居る時間を犠牲にしてでも、飛行機の設計を行っている人物です。
それなのに、設計よりも喫煙を優先するとなると、優先順位が喫煙>飛行機>妻となってしまう。
「飛行機>妻」に関しては、それが彼の魅力であるし、一概に順位を比較できるものではないですが、煙草に関しては不可思議です。
要は「単にニコチン中毒だろう」という描写が、キャラクター性と合致していない。
逆に「僕は煙草なんて興味ない」と一心不乱に設計してる方が、(史実はともかく)キャラクターとしては納得できます。
故に、同じように問題視されている「学生が教室で煙草を吸っている」シーンは、「級友が煙草を吸ってる横で飛行機に夢中」という表現として理解できる。
盛んに「煙草を貸してくれ」と言ってくる友人が、設計に関しても『拝借』が多いのも、マイナス描写と受け取れる。
しかし「病床の妻の横で禁断症状にかられて煙草」は、どうにも理解できない。
【その3に追記】
コメントで「気分転換も大事。吸わずにイライラするよりも、吸ってスッキリする方が設計もはかどるから、二郎の価値観はブレてない」といただきました。ありがとうございます。反応を貰えるのは、やっぱり嬉しい。
確かにリフレッシュは大事です。
しかし煙草で無視できないのは、ニコチンによる禁断症状の影響が大きい点です。
「吸わないとイライラする」こと自体が、ただの気分転換ではなく中毒症状なことを物語っています。
多少なりと似たような状況であるアルコール中毒に置き換えてみましょう。
夫:「酒が切れて手の震えが止まらない。ちょっと一杯飲んでくるよ」
妻:「だめよ。ここにいて」
夫:「でもお前」
妻:「気にしないで。私も一杯もらおうかしら。一度、飲んでみたかったのよ」
夫:「そうか」
病人に酒を飲ますなと批判はありそうですが、余命いくばくもないことを自覚してのことなら、表現としてはありだと思う。
アル中というとアレに思われるかもしれませんが、昔堅気で酒だけが楽しみの爺さんが、寝込んでいる婆さんの横で、久々の、そして人生最後の工作の腕をふるう…て感じのシーンなら、結構美しいんじゃないでしょうか。
ですが、本作の二郎さんのイメージには合わないんですよね。
進歩的で実直なはずなのに、煙草に振り回される…?
当時の喫煙率を考えればリアルなのでしょうけれど、その結果キャラクターがブレては本末転倒に思えます。
気分転換と言う事なら、ふたりの共通の思い出である紙飛行機を作って飛ばすとかでも良かったのではないでしょうか。
煙をたなびかせるのではなく、紙飛行機がくるくると部屋を舞う感じ。
楽しかった避暑地での思い出や、夢を目指して最後の日々を邁進する様子も重ねられます。
思い出も夢も、全て「飛行機」がキーワードなんだから。
もちろん、プロ中のプロである宮崎監督の演出に大それたことは言えませんが、素人なりに疑問に思ったのです。
【その4】
といったわけで、主人公のキャラ付けがブレてるんじゃないかと感じた。
「キャラを描きたかったのではないのだろう」と上述しましたが、尚の事矛盾を感じます。
何でそこで、わざわざ引っかかりを覚えるような嗜好設定をしたのだろう?
「当時としては当たり前の光景だった」という意見もありますが、私的にはほとんど意味のない指摘だと思う。
平安時代設定のドラマで美人が出てきたときに、わざわざ時代に忠実に下膨れやおはぐろを用意するか?というと、違うと思う。(※3)
仮に忠実に時代を反映したところで、結局見るのは現代の我々なので、「美人と認識できない奇妙な光景」になってしまう。
史実に忠実な歴史教材のようなものを作ることが目的ではないのですから、時代性はさして関係ないはず。
※3 煙草の「当人たちは意識していなかったが、実は中毒の影響でやっている」要素を加味すると、
纏足(美意識以外に女性支配が絡んでる)を例にする方が適切かもしれない。
ただ「表現として禁止せよ」とまで行くと疑問。
喫煙を美化している(からあえて採用したように、私には見える)表現は、個人的には不快ですが、まぁスピード違反した車のせいで家族を失った人が、カーチェイスシーンに嫌悪感を持つようなもの。
不快に思う気持ちを止める理由はないけれど、禁止とまでいくと行きすぎかなと思う。
強いて言うなら、監督本人も言われているように「大人向け」とのことなので、年齢制限くらいでしょうか。
まぁそういったモヤモヤはあったものの、それでも「面白い」と思えたのだから、凄い映画なのだろうと思う。