穴にハマったアリスたち

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感想:シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

2021年04月04日 | 映画・コンサート・展示会・テーマパーク
劇中設定や制作者インタビュー等は追えていないので、ただ見ただけの感想をそのまま書きます。パンフレットも買えてないので、表記や綴りが違ったら申し訳ない。

【それがない世界】

色々あって相応に成長したトウジたち。否が応でも自分を重ねます。
スクリーンの中のシンジくん達は以前と同じ姿のまま。だけど序からは14年、テレビ放送からは26年。大人になった私たちと、子供のままのシンジくん。
語られる言葉は身に染みます。ニアサーだの何だのとは桁が違うものの、まぁ私らも色々あった。14年前や26年前から変わらぬシンジくんを、当時と同じ目線では見られない。

想像存在のマイナス宇宙は、私らにとっての「エヴァンゲリオン」そのもの。
現実世界の我々から見た「エヴァンゲリオン」という作品世界。シンジくんのいる世界から見たマイナス宇宙。構造は同じ。

映画を見終わったあと、外にでて妙な現実感を味わいました。何と言うか全てがCGっぽく見える。「嘘臭い」のではなく「変にリアル」。
考えてみれば「現実みたいなCG」を見続けたら「CGみたいな現実」を感じる。劇中でくどいくらいに演出される「なんかリアルな看板や張り紙や音楽」は、現実世界には当たり前に溢れている。誰かが置いたからそこにある看板や文字。今までスルーしていたそれらが、映画中で散々見続けたせいか、妙にリアルに見えた。

この構造が、マイナス宇宙で「エヴァンゲリオン」をなくし、(劇中の)現実世界に戻ってきたシンジくんの状況に妙に合致してるように思う。
確かに時間を戻したりはしていない。が、なるほど確かに「エヴァのない世界」だ。シンジくんがマイナス宇宙で結末を見たように、私らは映画館で結末を見た。
この瞬間、「エヴァンゲリオンが完結した」のを強烈に実感しました。今までの「エヴァがある世界」ではない。もう、「エヴァはない」。

正直いって完結するとは思ってなかったのに、ストーリーのみならずコンテンツとしても終えるとは。
何かもうこうなると、フィギュアとかのグッズも霧消するように思う。それはもう過去だ。まぁそうは言いつつ色々と展開は続くだろうし、それはそれで良いのだけれど、「この映画以前」には戻れない。私たちは「エヴァのない世界」に進んでしまった。

【人生の振り返り】

私自身がリアルに子供を授かって日々思うことのひとつとして、「子を通じて人生を再体験」しているように思う。
「自分が果たせなかった夢を託す」とかそんなことではなく、自分が子供だったときの舞台裏を見ているような感じ。また、「改めて自分も義務教育の過程を繰り返してみよう」のような感覚。

ゲンドウがシンジくんを避けたのは、彼の感覚としては分からないでもない。彼にとっては孤独が幸せだったのだから、息子に孤独を与えるのは分かる。一方で自分にとって救いだったユイの代理たるレイをあてがったのも分かる。色々と矛盾やら描写の整合性はさておいて。

「ユイがシンジの中にいた」も、遺伝子的にはそりゃそうだとか、ストーリー的に何かが封印されてたとか、定番の「家族のぬくもり」的な何かとかはそれはそれとして、「ゲンドウの追体験」の観点から理解した。シンジくんはやがて、ゲンドウにとってのユイにあたる誰かと巡り会う。その人はユイとは全く違うタイプかもしれないし、シンジに自分を重ねるのでもない。でもシンジが体験するそれを通じ、自分の過去とも出会う。
子供がやってる教科書を見て「ああそういえばあったな」と思ったり、「また新しく勉強するか」と追体験する感覚です。

そしてこれも「エヴァ」の映画そのものにも言えるように思う。
新しい発見があって感動した云々というより、これまでの四半世紀を振り返って嚙み締めたかのような感想だった。

【蛇足】

うちのメインのひとつは「プリキュア」なので、ちょっとその観点でも書いてみる。

「プリキュア」シリーズは「所詮は架空の物語に過ぎず、現実の不幸には無力だ」に苦しんでいて、その突破口として「私たちもプリキュアだ」の解決に至っています。
例を挙げるなら「スマイルプリキュア」(の公式続編の小説版)はストレート。「この世界はメルヘンだ」と開き直り「君もプリキュアだったけど、それを忘れてしまっている。子供時代のあのキラキラした想いを思い出して」と励ましてくれる。15周年記念シリーズである「HUGっと!プリキュア」でも、私たちの記憶にある「プリキュア」シリーズの思い出(つまりはこの15年の私たちの人生)が、これからの苦難に立ち向かう支えとして描かれています。

この解法は「エヴァ」とは真逆だ。どちらが良い悪い、上等下等ではなく、アプローチが逆。「現実に帰ってこよう」と「現実はメルヘンだ」。それなのにどちらも現実に向き合うきっかけになるのは、不思議で面白いと思う。
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