台風の合間を縫って白浜に行ってきました。 行くときは時々雨に降られたのですが、翌日は快晴となり、とても気持ちのいい一日でしたので白浜からさらに遠出をすることにしました。 ホテルで聞くと国道42号線は大丈夫ということでしたので国道に沿って南下し、紀伊半島の最南端潮岬までドライブしました。
ホテルの人にはくれぐれも山道に入らないようにと注意されていたので、観光客もまばらで道はすいていて快適なドライブとなりました。 (でも今はどうでしょうか。 私たちが行ったのは台風12号の後、15号の前でした。)
そのため燃費も随分と上がり、19.7キロまで伸びました!! やったー でも、とうとう20キロにはならず… それがちょっと残念。 町中に入るとどうしても燃費は下がるので、今度の遠出までまたお預けです。
最初に橋杭岩まで一気にドライブ。 干潮だったので岩のところまで歩いて行けそうでした。 海水につかっている時よりも岩が大きく見えたため、何だか橋杭岩全体が大きくなったんじゃない と思ったり。
向こうに見えるのは大島。 名前の通り結構大きな島です。
この橋杭岩には面白い伝説があるようです。
向こうの大島までは今は橋が架かっていて、橋杭岩から車ですぐです。
はるか向こうに小さく見えているのが橋。 遠いようですが車だとすぐ。
大島はその昔150年くらい前トルコの船が台風で座礁し、島民が生存者を助けたことで有名(と言っても私も詳細は今回ここへきて初めて知りましたが)生存者は70名弱だったらしいですが、大変な暴風雨の中島民が協力して助けたらしく立派な記念館が建っていました。 その後その生存者たちは神戸の病院に搬送され、そこで手当てを受けた後、日本の軍艦2隻に乗って無事トルコへと帰って行ったとか。
これがなぜこんなに美談になったかというと… 後日談があるからです。
イラン戦争が始まった1985年、イランに住んでいた日本人が慌ててテヘラン空港に向かったのですが、日本政府はなかなか援助機を出せず日本人は皆パニックに陥ったそうです。リミットの40時間直前まであと2時間足らずというところで、トルコ航空の飛行機が日本人216名全員を乗せて成田に向かったという話があるそうです。
この話の下地に昔の大島の島民の救援のことがあったということです。 まさに『情けは人のためならず』ですね。
上の写真は大島のトルコ記念館の2階展望台からトルコ帆船が座礁した岩(一番後ろに見える岩)
今でもトルコは親日だと聞きます。 こんな小さな田舎の島(すみません)の人たちの親切がたくさんの日本人の苦境を救うことになるなんて、ちょっとじーんとしました。
大島を出ると潮岬に向かいました。 潮岬の灯台の上から遥か太平洋を見ると…