末期の癌患者本人に、余命告知をするべきかどうかについては、賛否様々な意見があるようです。これは『読売』紙の医事欄に掲載された投書に対する反応です。(YOMIURI ONLINE)
一つは膵臓癌で祖母を亡くした女性からのもので、体調を崩して入院した祖母が、家族不在の時、医師に「私はあとどれくらいですか」と余命を尋ねたところ、「3か月です」とさらりと告知されたそうです。投書の女性は「家族に何の相談もなかった。余命の告知は医師の判断だけでよいのか」と対応を疑問視、配慮を求めました。
この投書への反論になった二つ目の投書は、癌医療の最前線に立っているという外科医の男性からのもので、自らの余命を尋ねる患者に対し男性は「正直に答えることは何ら問題ない」と指摘したうえで、家族が真実を伝えることに反対した場合、「患者本人の意向を無視して虚偽の説明をすることは正しいのだろうか」と疑問を投げかけました。
患者の家族と医師とでは立場が違い、意見が違うのは当然でしょうが、このような投書に対してまた、賛否両論の意見があったようで、肯定派は3割、否定派は4割、肯定でも否定でもない感想や医師の伝え方によって患者の受け止め方は違う、などとする意見は3割だったようです。私の父は膵臓癌で母は告知を受けましたが、私たち家族は父には伝えませんでした。父の性格からするときっと落ち込み、気力を無くすだろうと思ったからです。私の妻はスキルス性胃癌で、腸へも転移して死にましたが、本人には軽い癌だと伝えてもらうように主治医に頼み、本人は納得していました。素直な性格でしたから「軽い」という医師のことばに「嬉しい」と答えていました。その様子をそばで見ながら本当は余命半年くらいなのにと、妻の素直さが愛しくて涙ぐんでしまいましたし、主治医も痛ましそうな表情でした。
その後妻は、私が医師から告知されたよりも長く生きました。途中で何度か本当のことを伝えようかと思ったこともありましたが、治ると信じて自分の癌を「ガンコさん」と呼び、春になったら植えたい草花の話を楽しそうに話す妻を見ると、やはり黙っていることにしました。ですから妻はひどく痩せて、乳房などは老婆のようになっても「いやだわ」というだけでした。おそらく妻は自分の余命がもうほとんどないことは受け容れられなかったと思います。独りにする私のことや息子達のことを思って落ち込んでしまったでしょう。何も知らせず、希望を持たせ続けたことに悔いはありません。
私は機械的に本人に余命の告知をすることには反対です。本人の性格や年齢を考慮して医師と相談するべきだと思っています。以前何かで読んだことがあるのですが、ある高齢の禅宗の和尚が癌で余命いくばくもないことが分かり、身近な人達は日ごろの行い済ました和尚の様子から大丈夫だろうと判断して本人に告知したそうです。ところがその後夜になると和尚が「死にたくない。助けてくれ」と叫んでいたということです。生死を超越しているはずの僧でもやはり人の子だったのでしょう。まして普通の平凡人にはなかなか平然と死を受け容れることは難しいでしょう。
私はもし末期癌ということが分かったら、直接告知してほしいと思っています。妻に先立たれ独りですから、後の始末もありますので自分に残された命の長さは知っておきたいと思っています。その結果としてどういう精神状態になるのか、今は死ぬことを恐れてはいませんが、その時になればどうなるのか分かりません。でも「死にたくない。助けてくれ」と言うようなことはしたくないですね。