妻の次の妹の連れ合いが、胃癌手術したということを末妹から聞き電話で様子を尋ねました。10日ほど前に退院したとのことでしたが、胃とその近くにある膵臓と脾臓、この3つが集まった所に癌ができていて、結局3つの器官を全部摘出したそうです。出なくていいと言って止めたのですが、本人は電話口に出て少しの間話しました。しゃがれた囁くような声で、本当に辛そうで気持ちが重くなりました。
彼は3年前には喉頭癌になり、幸い予後はよかったのですが、今年に入って脳梗塞を起こし、この時には心臓バイパスの手術をするかどうかと言うことにもなったようです。今度の手術では体重は45キロに減ったそうですが、よほど体にこたえたのでしょう。
こういうように最近の彼の様子を見ると、いかにも病弱のようですが、高校時代は野球の選手で、夏の高校野球大会に広島県代表で甲子園に出場し、内野手としてウイニングボールをキャッチして優勝しました。ですから元来はスポーツマンで頑健な体だったのです。高校卒業後証券会社に就職し、かなりの成績を上げたのですが、退職後は自分で始めた仕事がうまくいかず不遇でした。そこへ追い打ちをかけるようにいくつも病気を抱え込み、本当に気の毒に思います。今年74歳になるのですが、これからのことは予断を許さないでしょう。義妹は彼と同い年ですが心労は当然大きいだろうと思われます。
私は毎日どことなく疲労感があって元気いっぱいということはないのですが、検査してもどこも悪くありません。血圧はまったく正常ですし、血液の諸検査の数値はどれも正常、癌の検査でも異常はありません。それでいて「健康感」がないのは、やはり80近い年のせいでしょうか。もっとも私くらいの、あるいはそれ以上の年齢でも元気あふれた人は少なくありませんが。私は50台までの健康管理が拙かったのかも知れないとちょっと悔やんでいますが、「遅かりし」でしょう。
自分が一応健康であることには感謝しながら、義弟が元気を取り戻してくれるようにと願っています。
だから、何かの心の切っ掛けで、すぅーっと治ることが結構ある。わしも八十ぐらいで大腸に生じてから多少転移しているが、面白いことに瞑想で気を循環させ解きほぐすと縮小したりして、医者が何度も「あほな」と言ってビックリしておった。檀家にも癌の人が多いが、色々と観察しても、度が過ぎなければ酒やタバコが原因になるとはあまり思わんな。
誰でも年を取ると体力の低下はしかたない、そうでなきゃ、いつまでも死なんじゃろうがな??しかし体力の低下と気力の低下は、実はまったく関係がないことを人はあんまり知らん。だから若い人でも気力が低下し無気力になることがあり、果てに自殺したりする。
実は心と身体がまったく別のものであり、心は身体を制御できることを知った人は人生が変わる。それが人生の秘密であるが、科学至上主義に傾き過ぎた現代人は損をしているのじゃな、体験するしか方法がないからのう、はは。
輸血を拒絶したり、薬をのまなかったり、
手術しなかったりさせて祈るって、
これはやり過ぎなんでしょうが、
少なからずそうして手遅れになることもあったりする。
自分でも、このくらいで薬を飲んでたらあかんと思って、
風邪をこじらして肺炎になったことがあるんで、
言うは安く、行うは難しって感じがいつもしてまっす??
修行せえと言われるんかもしれませんが、
こういうのってどう考えたらと・・・?
よって、体に故障をかかえて日々の生活を送ることの苦労、困難さも知らない。
最近、知り合いの中に病気で亡くなった、入院したということをよく聞くようになった。
自分の身体に故障が発生し体(精神も)の自由が制約されることになった時の怖さを少しずつ感じている。
しかし、現在の年齢と自覚症状がないことから、それらの処置を避け、しばらく様子を見ようと考えています。
手術による体力の低下と抗癌剤の副作用による苦しみを多くみているからです。
僅かに命が延びたにしても、その多くが苦しみの時間では意味がないと思うからです。
癌を含めた慢性病というのは、原因が己の心の内にあるのじゃ。柏原益軒は「養生訓」で「未病」と言う言葉を使いよったが、身体に病気が現れる前の状態のことであり、不定愁訴や無力感が続き疲れやすく、放っておくと慢性病や疾患になる。病気は未病の状態で治すことが大事で、病気になってしてしまうと治すのが難しくなる。
だから未病の状態で己の心と生活態度の問題点をよく整理し転換するコツを学べば病気をしなくなるが、一端病気になってしまった後では、普通の人が気力だけで治すのは難であり、薬や手術で早期に治療するのが正しく、信仰や祈りは無駄であるな。ただし、薬や手術で治った後あるいは平行して、その原因である己の心の姿勢と生活の在り方を反省し、心のバランス保ち未病の内に治すように心がけることが大事じゃな。
中国爺殿は、その歳では健康な方じゃろうな、ただもっとスッキリさせたければできるし、そうすべきじゃろうな、老人の身体は脆いので直ぐに未病の段階に入るからのう。
心のバランスを失わせるのが執着じゃが、執着とは好きなものへの執着だけではなく、実は嫌なものに執着する場合が実に多くこれがまずいのじゃ。己が嫌いと感じるもの、例えば社会現象や政治や教育などを選び出し、それを周囲の人に訴えるとしても、周囲の人はそうは考えていないか、関心がない場合が多く敬遠されるようになり、それが更に孤独感を増す結果となり、孤独感が心を更に頑固にさせ、その悪循環が「不定愁訴」なるものを生み出し、肉体的には病気が未だ現れていないが潜在する、未病という状態に進むのじゃ。この嫌なものを見、それを不義として訴えたがるのは、実は己の不満や孤独からくる心の歪みを解消しようとする己自身の心の呻きじゃが、誰にでもその潜在性があり、本人はなかなか気づかないものなのじゃ。
一つ大きな疑問がありまっす
悪人やヤクザや犯罪者や詐欺師
は悪いことをしますね、
そうすると彼等は普通の人達より慢性病や
癌になることが多いということになんでは?
実際には関係ないように思うんですが?
これって、どう考えたらいいんですか?
また人のブログで遊ぶ奴に憑りつかれてますな!
善悪の概念は人間の心だけに生ずる、聖書の創世記に「そして人間は善と悪を知る者となった」と書いてあるのを読んで、「あは~」と感心した。わしが以前「罪悪感」と書いたとおり、人間がそう感じるだけじゃ。動物は、仲間の獲物を奪っても罪悪感など感じない、欲しい物は何でも自分の物と思っている。悪人や詐欺師も似たようなところがあり、罪悪感を感じればそんなことはできない、だから本当の悪人なら癌になりやすいということはなく、逆に長生きするじゃろう。
つまり反省し罪悪感を感じるからストレスになるのじゃ。執着も同じで、自分の物にしたい、人の賛意を得たい、訴えたい、愛されたいとの願望と、「それは恥ずかしい、いけない、無理かなあ」とのネガティブな反省と葛藤がストレスになる。これを脱する方法は三つ、「執着を少なくする訓練」、「赤子のように素直に表現する訓練」、そして「人の道をよく研究する」ことがポジティブな反省の仕方であり、それができればストレスと慢性病の心理的原因が減る。
何も考えず反省せずにがむしゃらに生きてきたビジネスマンが、定年後に大病を患うことが多いのは、外ばかり見てきた人が、急激に己の心の中を覗き込む状態に入るストレスからであり、ネガティブな反省、感傷、未来への不安、無力感が押し寄せたのじゃ。