中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

幼稚極まる大学生

2013-04-13 07:42:55 | 身辺雑記

 神戸大文学部2年の男子学生(19)が大阪市のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)で繰り返し迷惑行為を繰り返していたことがわかりました。この学生は入学前の昨年3月から今年3月にかけて計8回、急流を下るアトラクションなどに友人らと乗った際、ボートを故意に傾けて水中に落ち、係員らにクレームをつけるなどしたといいます。USJ側は安全点検のため、アトラクションの運営を一時休止しました。 

 この学生は簡易投稿サイト「ツイッター」に、アトラクションから身を乗り出して骨折し乗り物が終日休止した、との虚偽の書き込みをしたそうです。また自分の行為について「ツイッター」やブログに自慢げに投稿していたことも発覚しています。大学の調査に対して学生は「他人と違うことをして目立ちたかった」と話しているといい、神戸大職員と親とともにUSJに赴いて謝罪し、USJはこの学生の年間パスポートを没収し、入場禁止の措置を取りました。 

 「他人と違うことをして目立ちたかった」とはなんとも呆れかえった幼稚な理由ですが、『毎日』の夕刊のコラムで、「これ『学力低下』以前の問題」と酷評していますが、その通りでバカとしか言いようがありません。大学は学生を処分するようですが、こんな低脳学生は大学から追い出してもいいと思います。 

 他にも同じUSJで、同志社大学の学生がアトラクションの水上を移動する乗り物から陸地部分に飛び移り、約30分に渡って運行を止めたということもありましたし、関西外大生も神戸大学の学生と一緒に迷惑行為をしていたそうです。高校時代は受験勉強だけで社会常識を学ぶことなどから遠く、人格の陶冶もせずに過ごしてきた結果、このような他人の迷惑など考えない学生が多く生まれるのでしょう。こういう学生がまたのんべんだらりと学生生活を送り社会に出ていくのかと思うとため息が出ます。

 

 

 


市長選と維新の会の野心

2013-04-09 07:35:16 | 身辺雑記

 私の住む宝塚市と隣の伊丹市で、14日投票の市長選挙が公示されました。この2つの市長選がマスコミにちょっと取り上げられているのは、双方の市長候補者に日本維新の会の新人が名乗りを上げているからです。兵庫県の市長の座を維新の会が狙うのは初めてのことです。 

 伊丹市では、公認候補の集会で維新の会の浅田政調会長(大阪府議会議長)が、同党の「大阪都構想」で宝塚や伊丹が属する兵庫県東部の阪神地区や神戸市まで「大阪都」の特別区にする考えを示し、「東京に対決する強烈な自治体ができる」と述べました。これに対してツイッターなどインタネットで兵庫県民から強い反発の声が上がっています。 

 橋下維新の会共同代表は「関西広域連合の首長をいかに維新の会のメンバーにしていくかが重要」と言い、7月の兵庫県知事選や10月の神戸市長選に候補者を擁立する方針のようで野心満々です. 橋下氏は宝塚市長選について「社民と労組が必死になっている」と例によって公務員攻撃をしていますが、今の市長(女性)は前、前前市長が続けて汚職で辞職した後を受けて今日まで地道にその職を推進してきましたので、わたしは支持しています。ましてやこの選挙が維新の会の「大阪都構想」に位置付けられていることには強く反発します。大阪のことは大阪でやっていけばいいのです。

 

 

 

 

 

 


古い映画

2013-04-07 09:24:45 | 身辺雑記

 行きつけの書店の一隅に古い映画のDVDを置いているコーナーがあります。「クラシックムービーセレクション」というシリーズで、版権の期限が切れたものなのか、1巻380円という安さです。1930年代から60年代あたりの物が多いようで、ほとんどが白黒です。 

 最初に、中学生の時友人と観て怖い思いをした『フランケインシュタイン』というのを買って観ました。ところがこれは私が観たものとは違っていましたし、C級と言うか、何とも愚作の極みで観た後捨ててしまいました。その次に少年時代に読んだ児童向きの世界の文学全集にあった『ソロモンの洞窟』を買ったのですが、これも原作とはかけ離れた大したものではありませんでした。 

 それに懲りて監督やキャストが有名人の物を選びましたが、これで何とか満足しました。中には『戦艦バウンティー号の反乱』のように古いのですがアカデミー賞を受けた作品もあり暇つぶしには適当でした。 

 私の家のテレビは古くなって映らず、買い替える気もないので、映画はこのシリーズをパソコンで観てしばらく楽しもうと思っています。昔の映画は今頃の物とは違って上映時間が1時間半くらいなので適当です。古い映画ですから出演者はほとんど故人ですが、有名俳優でも、みな若くそれも面白いものです。

      1941年モノクロ

      1951年からー

    

 

 

 

 

 

 

 

 


死期の告知

2013-04-04 09:18:57 | 身辺雑記

 末期の癌患者本人に、余命告知をするべきかどうかについては、賛否様々な意見があるようです。これは『読売』紙の医事欄に掲載された投書に対する反応です。(YOMIURI ONLINE) 

 一つは膵臓癌で祖母を亡くした女性からのもので、体調を崩して入院した祖母が、家族不在の時、医師に「私はあとどれくらいですか」と余命を尋ねたところ、「3か月です」とさらりと告知されたそうです。投書の女性は「家族に何の相談もなかった。余命の告知は医師の判断だけでよいのか」と対応を疑問視、配慮を求めました。 

 この投書への反論になった二つ目の投書は、癌医療の最前線に立っているという外科医の男性からのもので、自らの余命を尋ねる患者に対し男性は「正直に答えることは何ら問題ない」と指摘したうえで、家族が真実を伝えることに反対した場合、「患者本人の意向を無視して虚偽の説明をすることは正しいのだろうか」と疑問を投げかけました。 

 患者の家族と医師とでは立場が違い、意見が違うのは当然でしょうが、このような投書に対してまた、賛否両論の意見があったようで、肯定派は3割、否定派は4割、肯定でも否定でもない感想や医師の伝え方によって患者の受け止め方は違う、などとする意見は3割だったようです。私の父は膵臓癌で母は告知を受けましたが、私たち家族は父には伝えませんでした。父の性格からするときっと落ち込み、気力を無くすだろうと思ったからです。私の妻はスキルス性胃癌で、腸へも転移して死にましたが、本人には軽い癌だと伝えてもらうように主治医に頼み、本人は納得していました。素直な性格でしたから「軽い」という医師のことばに「嬉しい」と答えていました。その様子をそばで見ながら本当は余命半年くらいなのにと、妻の素直さが愛しくて涙ぐんでしまいましたし、主治医も痛ましそうな表情でした。 

 その後妻は、私が医師から告知されたよりも長く生きました。途中で何度か本当のことを伝えようかと思ったこともありましたが、治ると信じて自分の癌を「ガンコさん」と呼び、春になったら植えたい草花の話を楽しそうに話す妻を見ると、やはり黙っていることにしました。ですから妻はひどく痩せて、乳房などは老婆のようになっても「いやだわ」というだけでした。おそらく妻は自分の余命がもうほとんどないことは受け容れられなかったと思います。独りにする私のことや息子達のことを思って落ち込んでしまったでしょう。何も知らせず、希望を持たせ続けたことに悔いはありません。 

 私は機械的に本人に余命の告知をすることには反対です。本人の性格や年齢を考慮して医師と相談するべきだと思っています。以前何かで読んだことがあるのですが、ある高齢の禅宗の和尚が癌で余命いくばくもないことが分かり、身近な人達は日ごろの行い済ました和尚の様子から大丈夫だろうと判断して本人に告知したそうです。ところがその後夜になると和尚が「死にたくない。助けてくれ」と叫んでいたということです。生死を超越しているはずの僧でもやはり人の子だったのでしょう。まして普通の平凡人にはなかなか平然と死を受け容れることは難しいでしょう。 

 私はもし末期癌ということが分かったら、直接告知してほしいと思っています。妻に先立たれ独りですから、後の始末もありますので自分に残された命の長さは知っておきたいと思っています。その結果としてどういう精神状態になるのか、今は死ぬことを恐れてはいませんが、その時になればどうなるのか分かりません。でも「死にたくない。助けてくれ」と言うようなことはしたくないですね。

       

 

 

 

 


流されることの怖さ

2013-04-02 07:17:40 | 身辺雑記

 フランク・パヴロフ著 藤本一勇訳『茶色の朝』(大月書店)という本を読みました。

                 

 これはB6版より少し小さなサイズの本で、本文は14ページしかありませんが、読後感は怖いものです。語り手の「俺」とその友人のシャルリーの2人について坦坦と話されますが、あらすじは次のようなものです。 

 シャルリーは飼い犬を安楽死させましたが、理由は茶色の犬ではなかったということでした。「俺」は白と黒のブチの猫を始末していて、やはり茶色でないという理由でした。なぜ「茶色」なのかというと、「茶色が都市生活にもっとも適していて、子どもも産みすぎず、えさもはるかに少なくてすむことがあらゆる選別テストによって証明されたらしい」からです。「俺」は「なに色だって猫にはかかわりがないのに、とは思うが、何とかして問題を解決しなきゃならんというなら、茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律だって仕方がない」と考えます。

 それからしばらくしてシャルリーが毎朝読んでいた『街の日常』紙が廃刊になったことを「俺」は彼に教え、彼は腰を抜かします。廃刊の理由は、犬事件に関する法律を毎日たたかない日はなかったからです。「なんてこったい。競馬情報はどうすりゃいいんだ」「そりゃあ『茶色新報』を見るしかないだろう。それしかないのだから」というのが2人の会話です。

 そのうちに、『街の日常』の系列の出版社が次々に裁判にかけられ、そこの書籍は全部、図書館や本屋の棚から強制撤去を命じられます。その後も茶色についての思想統制はどんどん進み、用心のために言葉や単語に茶色を付け加えるのが習慣となってしまい、そのうちに茶色に染まることにも違和感を感じなくなってしまいます。「俺」は言います。「少なくとも、まわりからよく思われていさえすれば、放っておいてもらえるし」

 その後も幾つかのことがありますが省略します。そしてある日曜日に「俺」がシャルリーのアパートにトランプをしに行くと、彼のアパートのドアが茶色に身を包んだ自警団によって壊され、彼は逮捕されて連れ去られています。彼は今は茶色の犬を飼っていますが、前に、茶色ではない犬を飼っていて、それが犯罪とされたのです。「俺」は前に白黒の猫を飼っていたことは誰でも知っていますので冷や汗でシャツを濡らします。『茶色ラジオ』では500人が逮捕されたニュースを流し、シャルリーもその中の1人だろうと思われました。ラジオではアナウンサーが「時期はいつであれ、法律に合わない犬あるいは猫を飼った事実がある場合には違法となります」と言い、「国家反逆罪」とまで言います。アナウンサーは続けて「たとえ自分が法律に反する犬や猫を個人的に飼ったことがなかったとしても、家族のだれか、たとえば、親、きょうだい、いとこなどが、生涯でたった一度でも飼ったことがあれば、ひどく面倒なことになる」と言います。

 この寓話は次のように終わります。

 だれかがドアをたたいている。

 こんな朝早くなんて初めてだ。

 ・・・・・

 陽はまだ昇っていない。

 外は茶色。

 そんなに強くたたくのはやめてくれ。

 いま行くから。 

 日本人にはちょっと分かりにくいのですが、茶色は前の大戦でヨーロッパを蹂躙したナチス党の色なのです。前大戦でナチスドイツに占領された経験があるフランスでは茶色はナチスを連想させます。そこにこの寓話の意味があります。この本が書かれた当時(1980年代末)のフランスでは極右政党・国民戦線が力を伸ばし、地方都市では市長の座を占めるようにもなっていて、1998年の統一地方選挙では躍進し、保守派の中にはこの極右と協力関係を結ぼうとする動きさえ出てきました。そのような情勢の中で、フランスとブルガリアの二重国籍を持つ著者が、危機感を持って印税を放棄して僅か1ユーロでこの作品を出版しました。そしてこの本はフランス社会に大きな影響を与え、極右を否定する運動が盛り上がり、大統領選挙の決選まで進んだ国民戦線の候補は敗退しました。著者のパヴロフはベストセラー作家になりました。 

 この作品は声を大きくして全体主義やファシズムを批判するのではなく、「俺」と友人の日常の不条理な変化とそれに押し流される様子を坦坦と綴っています。それだけに人々が極右的な思想にしだいに染め上げられていくことの恐ろしさを感じさせます。「寓話」と言うと少し理解されにくいかも知れませんが、この作品が今、多くの人達に読まれることを願っています。

 

 

 


維新の会と憲法

2013-04-01 07:19:34 | 海外あれこれ

 日本維新の会は結党後初めての党大会を開き、綱領が承認されましたが、その綱領の中で憲法について次のように言っています。 

 「日本をと軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶の占領憲法を大幅改正する」

  これはもともと原案にはなかったのですが、東京からネットシステムを使って参加した石原慎太郎共同代表が大幅修正を要求した結果、彼の持論が党の綱領の一項になったものです。「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ」とは何をもって言うのか、「絶対平和」が戦後の混乱した世界情勢の中でなぜ「非現実的な共同幻想」なのか私には理解できません。いずれにしても戦前の日本を思い描く、錆ついた石原氏の頭にある時代錯誤的な持論がそのまま維新の会の綱領となったことで、維新の会は石原氏の私党のようなものになり、超右派政党としての旗幟が鮮明になりました。この党はこれからどのような方向に行くのか注目したいと思います。