28日(金)、台風が熱帯低気圧となって通り過ぎて行ったので、父と二人で展覧会を観に行きました。「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」には何回か行った事がありましたが、何故か行く度に迷います。
「シャルル=フランソワ・ドービニー」は、初めは聖書などを主題にした伝統的な絵を描いていましたが、次第に自然を描く様になりました。自然をありのままに描く風景画家たちが集まる「バルビゾン村」にも滞在し、「ミレー」や「コロー」と共に《バルビゾン派》の中心となって活躍しました。その絵の描き方や、自然に対する姿勢は「モネ」などの《印象派》の画家たちに大きな影響を与えました。
49歳の時に「サロン」と呼ばれる展覧会の審査員になってからは、若い《印象派》の画家たちが活躍出来る様に積極的に評価し、反対意見を押し切って何人も入選させたそうです。また、「モネ」たちに画商を紹介して経済的にも手助けしました。まさしく架け橋となったのです。
40歳の時には水辺の光の変化や色合いをよりリアルに表現する為に、船に乗ったまま描く事が出来るアトリエ船「ボタン号」を手に入れました。更に11年後にはより遠くまで旅をする事が出来る様に大きなアトリエ船「ボッタン号」を買いました。息子の「カール」は水夫として共に旅し、後に風景画家になりました。娘の「セシル」は花を描く画家になりました。余談ですが、「モネ」も影響されてアトリエ船を手に入れて絵を描いていました。その様子を描いた【アトリエ舟で描くモネ】という「マネ」の絵があるそうです。
「ドービニー」は日本では余り馴染みのない画家ですが、国内初の展覧会になるそうです。42階にある美術館からは、「新宿御苑」や遠くの「新国立競技場」が望めました。
また、26日(水)には父が《新構造展》(会期:23日~30日)に出品して「優秀賞」・「テルラ賞」を頂いたので、「東京都美術館」に観に行って来ました。表彰式もあって疲れたので、その日は《新構造展》を観終わったら直ぐに帰りました。
【オワーズ河畔】 / 【ボッタン号】(中段中) / 【アトリエ船】(下段左) <版画集より>
入口の看板 / 御馴染みの「ゴッホ」の「ひまわり」の複製 / モード学園のコクーンタワー
新宿御苑 / 「新国立競技場」も見えました
「シャルル=フランソワ・ドービニー」は、初めは聖書などを主題にした伝統的な絵を描いていましたが、次第に自然を描く様になりました。自然をありのままに描く風景画家たちが集まる「バルビゾン村」にも滞在し、「ミレー」や「コロー」と共に《バルビゾン派》の中心となって活躍しました。その絵の描き方や、自然に対する姿勢は「モネ」などの《印象派》の画家たちに大きな影響を与えました。
49歳の時に「サロン」と呼ばれる展覧会の審査員になってからは、若い《印象派》の画家たちが活躍出来る様に積極的に評価し、反対意見を押し切って何人も入選させたそうです。また、「モネ」たちに画商を紹介して経済的にも手助けしました。まさしく架け橋となったのです。
40歳の時には水辺の光の変化や色合いをよりリアルに表現する為に、船に乗ったまま描く事が出来るアトリエ船「ボタン号」を手に入れました。更に11年後にはより遠くまで旅をする事が出来る様に大きなアトリエ船「ボッタン号」を買いました。息子の「カール」は水夫として共に旅し、後に風景画家になりました。娘の「セシル」は花を描く画家になりました。余談ですが、「モネ」も影響されてアトリエ船を手に入れて絵を描いていました。その様子を描いた【アトリエ舟で描くモネ】という「マネ」の絵があるそうです。
「ドービニー」は日本では余り馴染みのない画家ですが、国内初の展覧会になるそうです。42階にある美術館からは、「新宿御苑」や遠くの「新国立競技場」が望めました。
また、26日(水)には父が《新構造展》(会期:23日~30日)に出品して「優秀賞」・「テルラ賞」を頂いたので、「東京都美術館」に観に行って来ました。表彰式もあって疲れたので、その日は《新構造展》を観終わったら直ぐに帰りました。
【オワーズ河畔】 / 【ボッタン号】(中段中) / 【アトリエ船】(下段左) <版画集より>
入口の看板 / 御馴染みの「ゴッホ」の「ひまわり」の複製 / モード学園のコクーンタワー
新宿御苑 / 「新国立競技場」も見えました
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