久しぶりに「ラジオ深夜便」の話題です。4時台の「心の時代」は「がんと向き合い希望を持って生きる」の1回目でした。お話はNPO法人ジャパン・ウェルネス理事長 竹中文良さん。
冒頭で「浜までは海女も蓑着る時雨かな」ジャパン・ウェルネスの行動基準ともいうべき言葉の話が出ました。どこかで聞いた句です。大意は「これから海に入ることが分かっている海女さんでも、時雨に濡れて体を冷やさないように気をつけるのだから、自分の最後がある程度読めたとしても、それまでは明るく元気に過そう」」というような意味だそうです。
竹中さんはお医者さんで「医者が癌にかかったとき 」という本も書いていらっしゃいます。興味のある方はこちらをご覧下さい。
今日は自分が大腸がんに罹りその手術を体験するまでのお話でした。明日は再発の可能性に対してどう向き合うかというような事が、患者と医師の両方を経験されたお立場からお話しいただけるのだと思います。私の周りでも再発の悩みを抱えた方がいっぱいいます。これから自分も癌になる可能性は0ではありませんので興味があります。4時6分頃からの放送ですので、早起きされた方は是非お聴き下さい。
早起きできなかった方のために第2回のさわりの部分を書いておきます。
がん患者の精神的なバックアップが必要だと考えた竹中さんは、退職金1200万円を投じNPO法人ジャパン・ウェルネスを設立しました。再発の悩みを抱えながら生きるがん患者同士が、その悩みや生き方を話し合い、より良く生きることを目指すのがこの会の目的だそうです。
活動の紹介の中で樹木希林さんの生き延びられるのは「運と縁」という話も出てきます。竹中さんは大腸がんの再発は無かったのですが、25年経ってC型肝炎のキャリアだったため、肝臓がんが発見されます。甥御さんが阪大にいらっしゃって肝胆膵の専門のお医者さんだったので診て頂いたら、手術可能という診断だったそうです。これはラッキー(運)だったのでしょう。そのオペを誰に頼むかということになり、東大の幕内教授にお願いしようと思うと相談したら、それならピカ一ですと甥御さんは仰ったとか。竹中さんは幕内さんのお父さんから薫陶を受けたので、子供時代の幕内さんともスキーに行ったりしたことがあったのだそうです。
ここからが凡人と違うところで、幕内さんの診察を受けるのに紹介状も無く一般の患者として受診したとのこと。診察室で竹中さんを見た幕内さんは「やっぱり竹中さんだ」と仰ったとか。気付いてくれることに自信があったからでしょうが、これが「縁」なのですよね。竹中さんの肝臓がんは再発を繰り返し今までに4回も手術したとのこと。
自分が患者さんに明るく前向きに生きようと号令をかけているのだから、自分からやめたとは言い出せなかったとも。
私の心臓の手術も健康診断で見つかったのが「運」、同郷の先生に巡り会えたのが「縁」でした。
今の活動をたとえると「真夜中のドライブ」だそうです。ライトの見える範囲は頑張ろう。でもそこから先は何があるか分からない。皆さんの寄付によって続いている活動なので、もっと大きなライトにして先の先まで見えるようにしたいという言葉が印象的でした。
冒頭で「浜までは海女も蓑着る時雨かな」ジャパン・ウェルネスの行動基準ともいうべき言葉の話が出ました。どこかで聞いた句です。大意は「これから海に入ることが分かっている海女さんでも、時雨に濡れて体を冷やさないように気をつけるのだから、自分の最後がある程度読めたとしても、それまでは明るく元気に過そう」」というような意味だそうです。
竹中さんはお医者さんで「医者が癌にかかったとき 」という本も書いていらっしゃいます。興味のある方はこちらをご覧下さい。
今日は自分が大腸がんに罹りその手術を体験するまでのお話でした。明日は再発の可能性に対してどう向き合うかというような事が、患者と医師の両方を経験されたお立場からお話しいただけるのだと思います。私の周りでも再発の悩みを抱えた方がいっぱいいます。これから自分も癌になる可能性は0ではありませんので興味があります。4時6分頃からの放送ですので、早起きされた方は是非お聴き下さい。
早起きできなかった方のために第2回のさわりの部分を書いておきます。
がん患者の精神的なバックアップが必要だと考えた竹中さんは、退職金1200万円を投じNPO法人ジャパン・ウェルネスを設立しました。再発の悩みを抱えながら生きるがん患者同士が、その悩みや生き方を話し合い、より良く生きることを目指すのがこの会の目的だそうです。
活動の紹介の中で樹木希林さんの生き延びられるのは「運と縁」という話も出てきます。竹中さんは大腸がんの再発は無かったのですが、25年経ってC型肝炎のキャリアだったため、肝臓がんが発見されます。甥御さんが阪大にいらっしゃって肝胆膵の専門のお医者さんだったので診て頂いたら、手術可能という診断だったそうです。これはラッキー(運)だったのでしょう。そのオペを誰に頼むかということになり、東大の幕内教授にお願いしようと思うと相談したら、それならピカ一ですと甥御さんは仰ったとか。竹中さんは幕内さんのお父さんから薫陶を受けたので、子供時代の幕内さんともスキーに行ったりしたことがあったのだそうです。
ここからが凡人と違うところで、幕内さんの診察を受けるのに紹介状も無く一般の患者として受診したとのこと。診察室で竹中さんを見た幕内さんは「やっぱり竹中さんだ」と仰ったとか。気付いてくれることに自信があったからでしょうが、これが「縁」なのですよね。竹中さんの肝臓がんは再発を繰り返し今までに4回も手術したとのこと。
自分が患者さんに明るく前向きに生きようと号令をかけているのだから、自分からやめたとは言い出せなかったとも。
私の心臓の手術も健康診断で見つかったのが「運」、同郷の先生に巡り会えたのが「縁」でした。
今の活動をたとえると「真夜中のドライブ」だそうです。ライトの見える範囲は頑張ろう。でもそこから先は何があるか分からない。皆さんの寄付によって続いている活動なので、もっと大きなライトにして先の先まで見えるようにしたいという言葉が印象的でした。