熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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祖谷渓・小豆島・鞆の浦・天空の白鷺を巡る一人旅(続.き)

2013-06-21 04:17:00 | 旅行
今朝も起床は4時でした。Nさんとの約束が7時なので、その前に福山城周辺を早朝散歩に出ました。こちらのホテルは、福山城の道路を挟んで反対側という立地条件なので、散歩には好都合です。

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おまけに朝食は6:00~ですから、ひと歩きしてきて朝食といういつものパターンにぴったりです。それとチェックインの時に説明されたのかも知れませんが、シングルの予約がダブルの部屋に変わっていて、それもエレベーターのすぐ近くの部屋でした。朝確認するとシングルが満室になったため、ホテル側で変更したとのこと。当然料金はシングルの料金です。何か得した気分です。

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 さて福山城は新幹線のホームからも良く見えますが、昭和になって再建されたお城です。

築城は徳川譜代の臣、水野勝成が西国鎮護の重責を担って入封した時に始まり、3年の歳月をかけて完成させました。残念ながら天守や湯殿は福山大空襲で焼失、その後福山市市制50周年事業として、昭和41年に復元されたのだそうです。

築城当時から残っているのは石垣と写真の伏見櫓です。

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伏見櫓は築城の際、伏見城の松の丸東櫓を移築して建てられたのです。重文に指定。


このお城の周りには文化施設が軒を並べています。時間があればゆっくりと見たいエリアですね。そろそろ6時になるのでホテルに戻って朝食を頂きましょう。

ちょっとその前に中世ヨーロッパ風の建物が見えてきました。散歩している方に聞くと教会だそうです。そうかなと思いつつ、傍によって見ることにしました。良く見ると結婚式場兼レストランです。中には高級リムジンも止まっていました。

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パンの朝食を頂いていると6:45にNさんから電話です。もうホテルの脇に車を停めたよとのこと。Nさんも4時に目が覚めて、今日のコースを何処にするか検討していて、早目に出てきたとのことです。有り難いですね。こちらは出発の準備は整っていましたので、メールを1通だけ送って、すぐにチェックアウト。Nさんの案内で福山・鞆の浦を巡ります。

最初は草戸稲荷の隣にある「明王院五重塔」国宝です。この五重塔は南北朝時代の1348年の建立だそうです。今から665年前、見事な五重塔ですね。

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この前を流れる芦田川の中州に、日本のポンペイと呼ばれる草戸千軒遺跡があります。

中世にはこの付近一帯は門前町として大いに賑わったのでしょう。

ここから鞆の浦や燧灘が一望に見渡せるグリーンラインを通り、鞆に向かいます。このグリーンラインはNさんの伯父さんが市長の時に建設されたのだそうです。しかしここも暴走族のメッカとなり、二輪車の通行規制や夜間の全車通行規制をかけることとなって、観光目的の有料道路も頓挫してしまったようです。

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鞆の浦に行く前に阿伏兎(あぶと)観音に立ち寄りました。正式な名称は磐台寺。

鞆の漁師が夢のお告げで、創建当初の十一面観音が網にかかり、それを安置して現在に至っているそうで、航海安全、子授け、安産のご利益がある観音さまです。この境内では魚が良く釣れるということで、竿一式を持参して釣りをしようとしましたが、管理人さんに断られてしまい、止むを得ず手前の海にイソメをつけて投げ込んでおきます。帰りに上げてみると根がかりして糸を切る羽目に。やっぱりこういうところで、生き物を捕まえるのはちょっと不謹慎かも。

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堂内には善女が奉納した乳房型の絵馬がいっぱい奉納されています。おっぱいがいっぱいです。関東圏ではあまり見かけない光景でビックリです。

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さー坊も娘のためにお守りをゲット。いよいよ鞆に向かいます。鞆の浦は古くは遣唐使の時代から潮待ち港として栄えた町です。また維新の歴史の中でも重要な役割を果たしました。

鞆に着いて知り合いの電器屋さんに車を停めさせてもらい、最初に保命酒の醸造元入江豊三郎商店を訪ねました。現在、鞆には保命酒の醸造元が4軒あります。過日のNHK朝イチでも取り上げられましたのでご存知の方も多いと思います。簡単に言ってしまえば薬用酒です。残念ながらこの日は蔵元を改装中で見学は出来ませんでした。

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お土産の発送をお願いして、保命酒の本家太田家住宅に行きました。太田家は保命酒で財を成した中村家から引継ぎ現在に至っているとのこと。この屋敷には、福山藩のお殿様やご重役も足繁く通われたので、贅を尽くした作りになっています。入館料は400円、ボランティアのガイドさんが詳しく説明してくれます。

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この日の中国新聞にちょうどタイミング良く、鞆の記事が掲載されていて、Nさんが新聞を持ってきました。その記事は「鞆に日本最古の2階居室町家」という見出しで、鞆の澤村船具店さんが所有する建物が、17世紀の建設にほぼ間違いないという結果が出たという内容でした。

こちらがその建物です。

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そこで、澤村船具店さんを訪ねてみました。すると品の良い女将さんがいろいろと説明してくれました。余談ですが、このお店には今年の9月で105歳になるお婆さんがいらっしゃるそうで、我々もあやかりたいものだと女将さんとツーショットをお願いしました。

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17世紀の建物の隣はNさんの知人で、元NHK解説委員の毛利さんのお宅でこちらも18世紀の建築だそうです。3世紀もタイムスリップしてしまいました。

さてそろそろ姫路に向かう時間が近づいてきました。鞆の最後はやはり宮城道雄の春の海でしょうということで、銅像がある鞆の浦歴史民俗資料館に上がりました。ただこの日は月曜日のため資料館は閉館しています。銅像の前の木陰で春の海を心に聴きながら、優雅なランチを頂きました。


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今回はNさんに大変お世話になって、鞆の浦をスムーズに観光出来ましたが、初めてだとなかなかこうはいかなかったでしょうね。ご存知の方も多いと思いますが、この町は道路が非常に狭く、観光の車が増えることは、日常生活にも支障が出るような場所です。以前から、バイパスを造る計画があり、一部を埋め立てて橋を架ける案、山側にトンネルを掘る案等が検討されています。双方の案に一長一短があり、30年近くもかけて議論が続いています。広島県知事はトンネル案を支持しているとのことですが、一観光客としては鞆の町を早く安心して歩けるようにして欲しいとしか言いようが無いですね。



さて福山駅に戻ってきました。駅前には平櫛田中が作成した五浦釣人像のレプリカが建てられています。

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五浦釣人像の説明には、昭和五十年、山陽新幹線の開通と、福山駅舎の落成を記念して、本市の名誉市民平櫛田中先生の、ご厚情を受けて建立したものです。

 田中翁の快心作といわれるこの像には、翁の生涯の師として崇敬された岡倉天心先生が東京から五浦に移って、横山大観など多くの偉才を育てたことを釣りにたとえ、師に対する報恩の気持ちがこめられています。

 田中翁は、練達した彫技法による写実的な作風で田中芸術を開花させ世界に誇る木彫の名匠として活躍されましたが、昭和五〇年四月に百八歳で他界されました。

 文化功労 文化勲章受章者

 日本芸術院会員 東京芸大名誉教授

とあります。どうりでこの町の出身者には釣り好きの方が多いのも頷けます。Nさんも釣人ですが、井伏鱒二もそうですよね。

Nさんお世話になり有難うございました。早速、Nさんが心酔されている井伏鱒二の本を図書館で借りました。「山椒魚」「岬にて」「朽助のいる谷間」「掛持ち」なども収録されているので、大変面白く読みました。書評を亀井勝一郎が書いていますが、「老人を描くことが巧みで、もし老人が出てこないときは、自ら老人の口調を真似る」とありました。こういう事が分かって来たということは、小生も老人の部類になったという事かも知れません。


さて、次は平成の大修理中の姫路城ですが、この続きは次回にします。



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