熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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能登半島巡りと「BS日本のうた」公開収録観覧

2013-05-11 05:24:00 | BS日本の歌
今回の旅は少し強行軍で、何名の方かにお声を掛けましたが、ご賛同を頂けなかったため、最後のお一人千葉のSさんを誘うことにしました。Sさんはサンダンスリゾートの会員なので、金沢都ホテルの宿泊費が浮きます。
Cメールでお誘いすると二つ返事でOK。
ということで弥次喜多道中今回は金沢・能登編です。さー坊は車で行く場合でもかなり細かく予定を立てますが、同行のSさんは泊まるところくらいしか決めません。さて最初のプランが計画どおり進むのかも見ものです。
第1日目5月8日(水)熊谷駅で8:00待ち合わせ、ところが遠足に行く子供のように早起きしたSさんからメール、7時少し過ぎには熊谷に着くとのこと。早くも計画変更です。
7:15に熊谷駅でSさんをピックアップ、花園ICから関越道、上信越道、北陸道と来て、計画では越中八尾観光会館に行く予定です。ところが、高速道ばかりでは旅では無いとの意見があり能生ICで一般道に降りました。
Sさんには一般道に降りる別の目的もあったのですが、親不知・子不知にも寄れるということで渋々了解。Sさんの用件を済ませ親不知海岸へ到着したのは12:30でした。観光客は我々とサイクリストひとりだけの寂しい親不知海岸でした。
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でも上天気に恵まれ、天下の険から遥か能登半島も見えました。少し歩いて行くとウェストンの銅像があり、頭上の岸壁には「如砥如矢」の一枚岩も見えます。

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ここが如何に難所だったかを偲ばせます。

そろそろお昼の時間です。ここでSさんの知人に市振の漁業組合長がおり、以前美味しい料理を出してくれる民宿を紹介してくれたので、その方にお勧めのお店を聞くことにしました。ところが漁業組合長の名前が出ません。結局そこまで行ったのですが不在。止むを得ず近くの道の駅でおにぎりを買い、海岸で食べることにしました。
さて、ここで問題です。市振という地名で思い浮かぶ有名人を挙げて下さい。
松尾芭蕉を挙げた方は文学青年です。
そうです、市振にはここで詠んだ有名な句「一つ家に遊女も寝たり萩と月」の句碑があります。
俳句の上達を祈願して写真をパチリ。
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芭蕉と曽良が泊まったという桔梗屋跡もパチリ。
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その間にSさんはやっと組合長と連絡が着き再会出来ました。組合長のお話では民宿も既に廃業されたとのこと。最近はキャンプ道具一式を持ってきて、BBQとテント泊という若者が増えて、民宿は商売にならないとのこと。市振小学校の全校生徒数12名だそうです。
さー坊の長男一家もGWにこちら方面に来て、二泊ともテント泊でしたので、良く分かります。
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組合長さんと別れて堤防の上でおにぎりを頬張っていると、近所の奥さんが何やら浜を見つめながら、寄ってきました。何でもワカメの根を探しているとのことです。
ワカメを取ったあとの波が強い日、浜に打ち上げられた根っこを拾って食べると、大変美味しいのだそうです。
早速、浜を見回すと3株ほどありました。奥さんに調理法を伺いお土産にすることにしました。
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そんなハプニングもあった市振を後にして、黒部ICから北陸道へ乗り、金沢東ICで降りてホテルに着いたのはちょうど5時ころでした。今日の走行キロ440kmです。
夕食は浅野川沿いの「田村」さんで、ノドクロの一夜干し、ブリカマ、ホタルイカなどをつまみながら、地元のお酒でいい気分になってしまいました。特にアルコール度数46度の越後侍は後で利いてきて、その夜は爆睡でした。
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この続きはまた近日アップ予定。


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