熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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100歳現役、わが俳句人生 俳人 富田潮児

2009-06-12 07:05:19 | 日記
 ラジオ深夜便で俳人 富田潮児さんのインタビューを聴きました。富田さんは明治43年生まれで、今年数えで100歳になります。私の父も同じ明治43年生まれでしたから同世代なんですね。父は「牛歩」という俳号で水原秋櫻子の「馬酔木」に投句していました。
 たまたま全盲のピアニスト辻井伸行さんがコンクールで優勝された日と重なりましたが、富田さんも若くして失明しています。目の他に耳もちょっと不自由なようですが、毎日10句以上も詠んでいるそうです。まさに怪物です。
俳誌「若竹」を設立されたのは失明して間もない昭和3年で、間もなく1000号を迎えるとのこと。
番組の中で紹介された句の幾つかを書いておきます。

 怪物といふ名をもらひ生身魂

 ステッキはオランダものよ白靴も

 老鴬の今朝も来ており守石荘

 ラジオ収録つかの間に済み夕薄暑

 いまわまで筆を離さず萩惜しむ

 ついでに牛歩の句もひとつ

 「夏蝶の睦みつダムの空へ空へ」

 明日は故郷秩父で活躍されている若きピアニスト「高橋 望」さんのドビユッシィーを聴きにいきます。


ラジオ深夜便(6月3・4日)

2009-06-05 04:40:58 | 日記
 昨日はちょっと早起きしたのでラジオ深夜便を聴くと、杉原千畝を紹介した資料館の館長にインタビューした番組でした。題名は「ユダヤ難民、敦賀上陸秘話 敦賀ムゼウム館長 古江孝治」
 
 杉原千畝はドイツ軍のポーランド侵攻で中立国リトアニアに逃げ込んでいたユダヤ人に、本国からの訓令を無視して、人道的見地から日本国の通過ビザを発給した領事代理です。TV番組にもなりましたが発給されたビザで最初に上陸した港が敦賀港だった。そこから神戸や東京に向かい、カナダやアメリカに亡命したとのこと。1940年頃の出来事です。
 ユダヤ人の迫害の歴史に、日本人がお上からの訓令に背いてまで、救いの手を伸べたという事実は日本人の誇りだと思います。

 敦賀にはこの20年前にもポーランド孤児を受け入れた経緯があるということも初めて知りました。ロシアに祖国を滅ぼされ、シベリアで悲惨な生活を送っていた孤児たち763名を上陸させ、各地の収容所に送り届けたそうです。日本での滞在は1ヶ月程度だったそうですが、その間に病気を治し、体力を回復したのだそうです。
その後、ポーランドに帰国するため横浜港から出港した孤児たちは、ポーランド国歌と君が代を唄って、ひとりも欠けずに祖国に帰っていったとのこと。

 命と平和の大切さを教える資料館「敦賀ムゼウム」に一度訪れてみたいと思いました。

 以前にも書きましたが、ラジオ深夜便を録音、iTunesに転送、更にiPodに転送して、通勤時に聞いています。ちょうど深夜便の「心の時代」が終わる頃、駅に着きます。便利な時代になりました。


初夏の装い

2009-06-02 21:37:00 | 日記
 お昼休みに行田の古代蓮の開花状況をみてきました。まだちょっと早いようで今月の中旬頃が咲き始めでしょうか。

代わりにアサザや睡蓮が咲いていました。
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 公園内には白いホタルブクロやピンクのシロツメクサも。

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白い花を撮るのはホワイトバランスを調整したり、ちょっと技術が要りますね。

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 とまっている蝶はベニシジミ。



初夏の頃
ソニーレコード
浜田省吾

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みずみずしい感性に浸 ...
「4年目の秋」は是非 ...
まるで小説を読むよう ...

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