斉藤うめ子ブログ

新しいニセコの街づくりにとりくみます

言葉の壁

2019-11-23 19:16:22 | 哲学
「ジェンダー・イクウォーリティについての国際的動き」の講演を日本医療
大学教授の林美枝子さんを講師に先週11月17日(日)に開催しました。

このタイトル、「イクウォーリティ」という言葉への反発は当初から尋常では
ないものを感じました。イクウォーリティはイコールの名詞です。イコールと
聞くと、みなすぐにピンとくると思います。もうすでに長いこと日本語の一部
になってしまっているからです。その名詞形になると全く違った馴染まない
言葉になってしまい拒絶反応が生じてくるようです。

今日の新聞の一面の記事一つを開いても、シリーズ、フォーラム、コンセンサス、
ジェンダー、マイノリティー、フラワーデモ、ドメスティックバイオレンス、
セクシャルハラスメント、ミレニアム、リプロダクティブ・ライツ、レイプ、
テ-マ、グローバル、デジタル、インターネット、データ、サポーター、
まだまだ切なく外国語で溢れかえっています。しかし、これも多くは慣れで
何とも思わなくなり、すでに日本語と同様に当たり前に使われている言葉が
大半になってきています。
「イクウォーリティ」をあえて日本語で「平等」という言葉に置き換えて
しまうと「イクウォーリティ」の中にある、日本語の「平等」という概念だけ
では包括し得ないものがあり、林先生が講演の中で「イクウォーリティ」は
翻訳しません!とおっしゃったのは正しいと私は思っています。
そしてこれまで日本になかった「平等」の概念が「イクウォーリティ」によって
徐々に浸透されていくと思います。

24年前阪神淡路大震災の時、神戸で被災しましたが、その時「ボランティア」を
巡って批判に晒されたことを思い出します。「ボランティア」活動への考え方や
意識の問題もありますが、「ボランティア」という言葉そのものへの反発を感じ
ました。しかし今そんなことを言う人はまずいないと思います。
しかし当初この「ボランティア」を「奉仕」と日本語訳したため、誤解を招く結果
になり、いまだにその後遺症は残っているようです。
大いなる誤訳の見本と言われています。

日本になかった概念を海外から輸入して無理に日本語に置き換えることそのものに
無理が生じます。グローバル化によって日本にはなかった考え方がたくさん入って
きています。これからもどんどん新しい言葉が入ってくると思います。ですから
外国語をそのまま使用してその意味を徐々に広げて理解していくしかないと思って
います。

アメリカにいた頃(ずいぶん昔のことで恐縮ですが、今はそんなことはないでしょうが)
大学でよく教員から日本の学校では何語で教育が行われているのかと質問され驚きました。なんでこんな変なことを聞かれるのか初めはさっぱりわかりませんでした。
「(もちろん)日本語です!」といつも答えていました。後で何故かわかりました。
世界中の国々から来ている留学生たちは自国の言語ではないもの、表現できないもの
がたくさんあり、学校では外国語、主に英語、フランス語、スペイン語で教育が
行われているからです。

一般的に、知らない言葉(物、人)への拒絶反応は凄まじいものを感じます。
今こんな言葉が思い出されます。
「知」とは「未知」なるものへのあくなき好奇心と探究心である!!と

これだけは私の体験から間違いなく言えます。海外に住んでいた時、アメリカでも
イギリスでもまず例外なく私に近づき声を掛け、話し合い、受け入れ、誘ってくれ、
仲間に入れてくれた現地の人たちと外国人たちはまさに「未知」への探求者であり、
意識の高い善良な知識人だったことを!思い出します。

私もその人たちに倣って「未知」への探求をつづけていきたいと思っています。

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