かつて私がレイキの伝授を受けたヴォルテックスというところから「感動と癒しの最前線」というメルマガが届きます。
今朝届いたメルマガに載っていた話にウルウルしてしまい、私だけではもったいないので、ここでも紹介させていただくことにしました。
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勇気の物語 ホーム転落「俺が助ける」
~読売新聞2004年1月3日付け関西版掲載の連載記事より~
財貨を失うのはいくらかを失うことだ、名誉を失うのは多くを失う
ことだ、勇気を失うのは、すべてを失うことだ。そんな言葉がある。
社会が、人が委縮し、無力感さえ漂う時代。だからこそ、勇気を奮い
起こしたい。命を賭(と)して立ち向かう、新たに事を起こす、静か
に信念を貫く――。
◆助けられてきた人生 22歳の決断◆
激しかった雷雨は小雨に変わっていた。家庭教師のアルバイトから
の帰り、大学生の伊賀崎俊(22)は、千葉県と都心を結ぶ私鉄・北
総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。
2003年9月4日午前零時20分。5分前に着くはずの電車はま
だ来ない。雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。 終わったばかり
のサッカー合宿の内容を携帯メールでやり取りしていると、男性のふ
らつく影が視界をよぎった。酔っていた。崩れるように1メートル下
の線路に落ちた。ホームには二、三十人いたが動かなかった。
いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。が、意を決して飛び降
りた。男性はレールの間に倒れ動かない。上体を抱き起こす。「重い」
と感じた時、乗客の一人が降りてきた。渾身(こんしん)の力でホー
ムに押し上げた。男性は腕を骨折していた。
翌日、同県印西市の自宅で俊の話に母の真理子(50)は「何てこ
としたの。非常ベルもあるじゃない」としかった。2001年1月に
起きたJR新大久保駅の事故が脳裏をかすめた。ホームから落ちた人
を救おうと二人が飛び降り、輪禍の犠牲になった。俊は生まれつき耳
が聞こえない。聴覚障害では最も重い2級だ。
珍しく言い返した。
「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」
俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。生後六か月の19
81年冬、「感音性難聴」と診断された。〈音のない世界〉の宣告。
絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。
当時の補聴器は服の下につけても人目についた。ふびんに思い、外
出する時はたまらず外した。ある日、街で同じ障害を持つ女児を見か
けた。補聴器がワンピースの上にあった。衣服のすれる音が入らない
ようにするためだった。 「一体、私は何をしてるんだろう」。自分
を恥じた。「強くなろう。この子を育てていくんだ」
「お前の言葉は分からない」。千葉に転居し、小学校に上がった俊
に「宇宙人」というあだ名が付いた。会話に入りたくて唇の動きから
言葉を追いかけても、そのスピードについて行けない。家に入る前に
何度悔し涙をぬぐっただろうか。
それでも、教科書をなぞって進み具合を教えてくれる友人がいた。
しかし、予備校では孤独だった。受験生に自分の相手をする余裕など
ない。社会に出ればもっと厳しい現実がある。不安が募った。
大学に入った年、それを察していた母に災害救援ボランティアの講
習を勧められた。俊は思った。
いろんな人に助けられて生きてきた。
が、いつまでも頼っていていいのか。せめて自分の身は自分で守りた
い。そして一人で生き抜く力を身につけたい。
講習の合宿に参加した。人を助けたことはなかった。
言葉が伝わるか、トラブルになったら――という思いが先に立ち、困っ
ている人を見かけても動けなかった。ここを乗り越えれば自分の足で
立っていける。障害者にもできるはずだ。
止血法や蘇生(そせい)法を習得し「セーフティリーダー」に認定
された。短い期間ではあったが自信を得た。何があっても対応できる、
明日(あした)へと踏み出せる気がした。
新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、
その時が来た。周囲を見回した。誰も動かない。
「俺(おれ)が行く」。
決断した。
2分救助の鉄則を反芻(はんすう)した。自分の安全を確保して行動に
移る。線路脇に退避所があるのを確かめた。小学一年からサッカーを
続け、体力には自信があった。1,2分あれば。
「助けるんだ。大丈夫だ」。自分の声をはっきりと聞いた。
救助から10分後に電車は来た。名前も告げずに立ち去った。
「俺って、人の命を救えたよな」。確かな手応えをつかんだ。
半月後、真理子は突然、男性の妻から電話を受けた。
「主人に万一のことがあれば、私たち家族は路頭に迷うところでした。
何とお礼を申し上げていいか」
男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれたのか駅に尋ねた。ポスター
を貼って俊を探し出した駅から、数日後に連絡があった。面倒を避け、
厄災を恐れて人とかかわろうとしない時代。駅員が救助したとばかり
思っていた妻は、驚いた。「事故を知らせる人はいても、まさか、そ
んな人がいるなんて」。ただ、ただ頭が下がった。夫が治れば伺いた
い。その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。
幾度も幾度も繰り返される感謝の言葉。真理子は息子をしかったこ
とを悔いた。人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、一人の、一
家の命を救った。誇りに思った。
「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、この電話を聞かせてやりたい」
真理子は切実にそう思った。(敬称略)
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天は意味あってその子に試練(障害)を与えているのではないでしょうか。
うちの子についてもそう思うことが多々あります。
効果的な抽出方法の濃縮タイプ≪甜茶エキス≫
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勇気の物語 ホーム転落「俺が助ける」
~読売新聞2004年1月3日付け関西版掲載の連載記事より~
財貨を失うのはいくらかを失うことだ、名誉を失うのは多くを失う
ことだ、勇気を失うのは、すべてを失うことだ。そんな言葉がある。
社会が、人が委縮し、無力感さえ漂う時代。だからこそ、勇気を奮い
起こしたい。命を賭(と)して立ち向かう、新たに事を起こす、静か
に信念を貫く――。
◆助けられてきた人生 22歳の決断◆
激しかった雷雨は小雨に変わっていた。家庭教師のアルバイトから
の帰り、大学生の伊賀崎俊(22)は、千葉県と都心を結ぶ私鉄・北
総線新鎌ヶ谷駅のホームにいた。
2003年9月4日午前零時20分。5分前に着くはずの電車はま
だ来ない。雷雨によるダイヤの乱れは続いていた。 終わったばかり
のサッカー合宿の内容を携帯メールでやり取りしていると、男性のふ
らつく影が視界をよぎった。酔っていた。崩れるように1メートル下
の線路に落ちた。ホームには二、三十人いたが動かなかった。
いつ電車のライトが迫ってくるか知れない。が、意を決して飛び降
りた。男性はレールの間に倒れ動かない。上体を抱き起こす。「重い」
と感じた時、乗客の一人が降りてきた。渾身(こんしん)の力でホー
ムに押し上げた。男性は腕を骨折していた。
翌日、同県印西市の自宅で俊の話に母の真理子(50)は「何てこ
としたの。非常ベルもあるじゃない」としかった。2001年1月に
起きたJR新大久保駅の事故が脳裏をかすめた。ホームから落ちた人
を救おうと二人が飛び降り、輪禍の犠牲になった。俊は生まれつき耳
が聞こえない。聴覚障害では最も重い2級だ。
珍しく言い返した。
「人が倒れているのに、ほったらかしにするのか」
俊は京都府八幡市で生まれた。三人兄弟の二男。生後六か月の19
81年冬、「感音性難聴」と診断された。〈音のない世界〉の宣告。
絶望の中で真理子は息子を抱いて施設に通った。
当時の補聴器は服の下につけても人目についた。ふびんに思い、外
出する時はたまらず外した。ある日、街で同じ障害を持つ女児を見か
けた。補聴器がワンピースの上にあった。衣服のすれる音が入らない
ようにするためだった。 「一体、私は何をしてるんだろう」。自分
を恥じた。「強くなろう。この子を育てていくんだ」
「お前の言葉は分からない」。千葉に転居し、小学校に上がった俊
に「宇宙人」というあだ名が付いた。会話に入りたくて唇の動きから
言葉を追いかけても、そのスピードについて行けない。家に入る前に
何度悔し涙をぬぐっただろうか。
それでも、教科書をなぞって進み具合を教えてくれる友人がいた。
しかし、予備校では孤独だった。受験生に自分の相手をする余裕など
ない。社会に出ればもっと厳しい現実がある。不安が募った。
大学に入った年、それを察していた母に災害救援ボランティアの講
習を勧められた。俊は思った。
いろんな人に助けられて生きてきた。
が、いつまでも頼っていていいのか。せめて自分の身は自分で守りた
い。そして一人で生き抜く力を身につけたい。
講習の合宿に参加した。人を助けたことはなかった。
言葉が伝わるか、トラブルになったら――という思いが先に立ち、困っ
ている人を見かけても動けなかった。ここを乗り越えれば自分の足で
立っていける。障害者にもできるはずだ。
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された。短い期間ではあったが自信を得た。何があっても対応できる、
明日(あした)へと踏み出せる気がした。
新鎌ヶ谷駅で転落を目撃した夜、
その時が来た。周囲を見回した。誰も動かない。
「俺(おれ)が行く」。
決断した。
2分救助の鉄則を反芻(はんすう)した。自分の安全を確保して行動に
移る。線路脇に退避所があるのを確かめた。小学一年からサッカーを
続け、体力には自信があった。1,2分あれば。
「助けるんだ。大丈夫だ」。自分の声をはっきりと聞いた。
救助から10分後に電車は来た。名前も告げずに立ち去った。
「俺って、人の命を救えたよな」。確かな手応えをつかんだ。
半月後、真理子は突然、男性の妻から電話を受けた。
「主人に万一のことがあれば、私たち家族は路頭に迷うところでした。
何とお礼を申し上げていいか」
男性の妻は事故の翌日、誰が助けてくれたのか駅に尋ねた。ポスター
を貼って俊を探し出した駅から、数日後に連絡があった。面倒を避け、
厄災を恐れて人とかかわろうとしない時代。駅員が救助したとばかり
思っていた妻は、驚いた。「事故を知らせる人はいても、まさか、そ
んな人がいるなんて」。ただ、ただ頭が下がった。夫が治れば伺いた
い。その前にどうしてもと、電話をかけたのだった。
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とを悔いた。人の役に立ってほしいと願ってきた息子が、一人の、一
家の命を救った。誇りに思った。
「もし、もしも俊の耳が聞こえたら、この電話を聞かせてやりたい」
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