やっとこさ、落ち着いてアクセサリー製作に取り組めるようになったのですが、ここでふと、自分の「仕事」に対するこだわりや姿勢について考えてみる機会があったので、ちょっと書いておきます。
私は大学卒業後に某住宅メーカーに就職し、設計はもとより営業も積算も、果ては集金まで何でもこなす仕事をしておりました。
お客様に喜んでいただけたら、この仕事に就いてよかったなーと思うことはもちろんあったけど、人に仕える仕事は向かないと確信したことも事実でした。
もちろん、当時はずいぶん青くて若くて、器が小さかったせいもあるでしょうが、要領よく世渡りするのが苦手な性格は今もって同じみたいです。
その後手仕事や工芸に興味を持って、染織(テキスタイル)を何年も学んだり、息子が生まれてからは、息子のことを理解したくて芸術セラピーを勉強することに時間を費やし、自然と何かのパフォーマンスで自己表現をすることに自分の価値を見出していくことを覚えていったのです。
それが「仕事」になれば最高だろうな、なんて。
まずは、得意だった文章で。
これも数年かけて、やっと文章でお金をいただけるようになりました。
同時に、それまでの息子を育てるプロセスで関心を持った癒す仕事をやりたいとも考えて、今のような仕事に繋げてきました。
単にセラピストとして向き合うだけでなく、私から生まれたものを介して癒すという部分がポイントです。
書くことも、アクセサリー製作も、ものをクリエイトすることでは同じです。
いずれも、私という人間が「まんま出てしまう」ことでも同じです。
自分で生み出したものだから、何か不備があれば、当然私の責任において対処します。
たとえ儲からなくても、心は平安で何の後ろ暗さもありません。
だから、誰かがこしらえたものを右から左へ流すような仕事は絶対出来ない、ということをつくづく思うのです。
あくまでも、私は、です。
人生なんて明日どうなるなんてわかんないですからね。
自分の心がキッパリ出来る仕事しかやる気はないなーと思うんです。
自分の作り出したものでしか勝負しないつもりです。



私は大学卒業後に某住宅メーカーに就職し、設計はもとより営業も積算も、果ては集金まで何でもこなす仕事をしておりました。
お客様に喜んでいただけたら、この仕事に就いてよかったなーと思うことはもちろんあったけど、人に仕える仕事は向かないと確信したことも事実でした。
もちろん、当時はずいぶん青くて若くて、器が小さかったせいもあるでしょうが、要領よく世渡りするのが苦手な性格は今もって同じみたいです。
その後手仕事や工芸に興味を持って、染織(テキスタイル)を何年も学んだり、息子が生まれてからは、息子のことを理解したくて芸術セラピーを勉強することに時間を費やし、自然と何かのパフォーマンスで自己表現をすることに自分の価値を見出していくことを覚えていったのです。
それが「仕事」になれば最高だろうな、なんて。
まずは、得意だった文章で。
これも数年かけて、やっと文章でお金をいただけるようになりました。
同時に、それまでの息子を育てるプロセスで関心を持った癒す仕事をやりたいとも考えて、今のような仕事に繋げてきました。
単にセラピストとして向き合うだけでなく、私から生まれたものを介して癒すという部分がポイントです。
書くことも、アクセサリー製作も、ものをクリエイトすることでは同じです。
いずれも、私という人間が「まんま出てしまう」ことでも同じです。
自分で生み出したものだから、何か不備があれば、当然私の責任において対処します。
たとえ儲からなくても、心は平安で何の後ろ暗さもありません。
だから、誰かがこしらえたものを右から左へ流すような仕事は絶対出来ない、ということをつくづく思うのです。
あくまでも、私は、です。
人生なんて明日どうなるなんてわかんないですからね。
自分の心がキッパリ出来る仕事しかやる気はないなーと思うんです。
自分の作り出したものでしか勝負しないつもりです。
