昨日のエントリーに載せた詩を何度も何度も読み返していたら、今この瞬間にこそ必要な言葉であることにあらためて気づきました。
障害のある息子は言葉が出ないため、心の中にも言葉がないとみなされて生きてきたけれど、そんなことはない。
それは私も確信があったけれど具体的な言葉は聞き取れなかった。
でも聞き出して下さった人がいて、それもこれも時が満ちたのだと思っている。
声も上げられずにいる人たちがいる。
でも聴いてくれる人は必ずいます。
再びトシヤの詩を読んでやってください。
トシヤも未来を信じて生きていると言っています。
私もそうします。
なやみをむかしのらんぷのようにかがやかせ
はつひのようなどのひとにもわけへだてなくてらしていけるとしんじていこう
まえこそがひろがるようなやさしいりそうのみちをあるきながら
ぶんそうおうではなくぼくのぼくらしさがたいせつにされるように
ゆうきをだしてあるいていこう
びんかんなひとをたくさんつくりぼくのことばをりかいしてもらいたい
みらいのかんどうになるかもしれないけれどにんげんとしてのそんげんをたいせつにしていきたい
ただゆめみるだけではなくよいみらいにむけてどりょくをしつづけていきたい
ぼくのずっとまえからのゆめはなぜぼくがうまれてきたかのいみをしることだ
みらいにむけてがんばろう