蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

つまらない住宅地のすべての家

2025年01月28日 | 本の感想
つまらない住宅地のすべての家(津村記久子 双葉社)

近所にスーパーは1軒しかなく、コンビニも遠くにしかない、特にとりえもない古びた住宅地に並ぶ10の家。妻が出ていった父子家庭、老夫婦2人の家庭、独身の若者一人の家、近所の大学の教職の夫婦、放浪癖がある息子に悩む夫婦 等々。そんな住宅地の近所に実家がある女性が刑務所を脱獄する。その女が実家に帰ってくるのでは?と疑われ・・・という話。

初出はミステリ雑誌の連載。津村さんがミステリ?と半信半疑で読み始めた。典型的なミステリではないけれどサスペンスの風味は漂い、しかし最後はいかにも津村さん、という結末に着地する。

200ページ強の分量の割に登場人物がやたら多く、しかも多くの場合ファーストネームで記述されているので、中盤くらいまで冒頭に掲げられた地図をいちいち参照しないと誰が誰だがわからない。
単に私の記憶力が衰えただけなのか?ただ、一応名前を覚えた後は、直感的なわかりにくさがミステリ的興趣を醸し出しているような気もした。

全くバラバラに見えた10(脱獄犯のそれも加えると11)の家族の話がラストでキレイに収束するのはお見事の一言。各種書評で高く評価されているのも理解できる。
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バタン島漂流記

2025年01月26日 | 本の感想
バタン島漂流記(西條奈加 光文社)

江戸初期、知多半島と江戸を結ぶ航路の帰り、15人乗りの商船 颯天丸は、知多半島の近くまで来たところで強い西風に流され、黒潮に乗ってしまい、循環流でフィリピン北部のバタン島に流れ着く。全員無事だったが、バタン島の原住民に奴隷のようにこき使われ・・・という話。

実話に基づくフィクションらしいが、江戸時代の航海方法や和船の構造が詳細に描写されていて、ある意味史実よりリアルに感じられた。
特に、漂流中に船頭(リーダー)がどのようにメンバーの士気を維持していくか(全員で協議する、納得性を高めるために最後は神託(くじ)で方針を決める、余計なことを考えないようにルーティンを作って守らせる、等々)の方法論はへたなビジネス書より実用的に思えた。

史実かどうかわからないが、海水を日光で蒸留して真水を得るノウハウが確立されていた、とか、江戸時代より前はどの外航船も方位磁石を持っていたなんていうのも意外な感じだった。

颯天丸のメンバーは知恵と工夫をこらし自力で帰国への道を切り開いていく。なんというかベンチャー魂の塊りみたい。日本人は運命を従容として受け入れる・・・みたいなイメージは間違っているよ、と突きつけてくる感じ。
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ベンチの足

2025年01月21日 | 本の感想
ベンチの足(佐藤雅彦 暮しの手帖社)

暮しの手帖に連載されたエッセイ集。粒ぞろいだが、特に面白かったのは・・・

「家の中で一番年を取るところどーこだ?」→どこでしょう?

「ボールペン奇譚」→「グラフ」の考え方が興味深い。

「携帯電話は知っていた」→当たり前ようで、意外と指摘されるまで気づかないこと、ありますね。

「フィッ、フィッ」→人間の脳の不思議。右目と左目の合成認識の話がいい。

「5名の監督」→いやあ、才能ある人(著者)ってやっぱり違うなあ、と差を感じてしまう。

「憎き相手校を応援する理由」→自分が応援しているチームを負かしたチームを応援してしまう、という誰もが抱く変な感情を科学的?に分析。なるほど~と思わされた。

「ベンチの足」→これも指摘されるまで気づかない。確かに足の下に●●がないと・・・

「名優のラジオ」→名優というのはモリシゲのこと。これはもしかして創作なのでは?と思えるくらいドラマチック。

そして、何と言っても素晴らしかったのは「とくの話」。この話に近い経験があるせいか、何度も読み返してしまった。映像化してくれないだろうか。
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資本主義の中で生きるということ

2025年01月19日 | 本の感想
資本主義の中で生きるということ(岩井克人 筑摩書房)

経済学者である著者の2000年代からのエッセイ(学術的な内容のものも多い)を集めた短文集。

(本書によると)著者の主な研究テーマは3つあって、貨幣論、法人論、信任関係論。

「貨幣とは誰もが貨幣であると予想しているから貨幣である」→貨幣の「価値」とはこの人間の「主観」とは独立に「客観的」に実在している(そうでないと誰も受け取らない)→客観性をもつ「科学」の対象として研究できる。
貨幣とは社会の中で交換を媒介し続けることによって価値が維持されるが、他方で貨幣はその媒介機能によって人間社会を支えている。
資本主義は貨幣を基礎として成立し、その差異(収入マイナス費用)の追求を行動原理といsている単純で(理解しやすいゆえに)普遍的なシステムである。

普遍的な資本主義社会の中で、法人はモノでありながらヒトでもあるという多元的な構造をもっている。会社の株主は会社資産の所有者ではない(スーパーの会社の株主だからといって売り場から商品を持っていったら犯罪だ、という例えがわかりやすかった)。株主は会社をモノとして所有しているが、一方で会社はヒト(法人)として会社資産を所有し、契約の主体となり、裁判の当事者となっている。
会社の唯一の目的は株主の利益であるとする株主主権論は法人化されていない個人企業と法人企業である会社を混同している。

会社と経営者の間にあるのが信任関係。信任は信頼によって任される関係で非対称的であり、契約関係とは対立する概念である。信任関係は「忠実義務」によって維持されており、経営者は自己利益を最小限にして会社の利益に忠実であることが求められる。
アメリカで経済的格差を広げた要因は(資本所得でも企業家所得でもなく)賃金所得である。経営者が報酬として株式を付与される制度の導入によるもので忠実義務からはほど遠い。
米英法において信任法が、忠実義務を外形基準化する方法として「利益相反」と「不当利益」の禁止への置き換えを行っており、これにより法定における証拠認定手続きの原則を「想定無罪」から「想定有罪」へ転換させており、信任受託者は自らの行動が忠実義務違反でないことを「十分な明確性」を持って否定できなければ有罪となってしまう・・・という解説が興味深かった(日本国の法理にはないそうだが)。
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迷うな女性外科医

2025年01月19日 | 本の感想
迷うな女性外科医(中山祐次郎 幻冬舎文庫)

佐藤玲は、(シリーズ主人公の)雨野の先輩でそろそろベテランの域に入ろうかという外科医。手術の技術を上げるのがトッププライオリティで、海外に赴任した恋人とは別れた。
癌で入院してきた中年男性の主治医を命じられるが、彼は玲が新人時代に憧れた外科医だった・・・という話。

著者の経験を反映させていると思われる主人公の雨野のネタが尽きてきたのか、前巻は離島に赴任する話で、今回はサイドキャラの話だった。外科医としての悩みや屈託を描くというテーマは同じなので、やはり雨野の牛ノ町病院でのエピソードが読みたいかなあ。

本作に登場する外科医は、みな、手術が三度の飯より好きで、夜中に呼び出されても嬉々としてでかける、みたいなワーカホリックばかりなのだが、実際の現役外科医はそういうものなのだろうか。
患者としては、そういう意欲満々の医者に巡り合いたいので、ホントの話と思いたいが、若い医者の多くが研修を終えると美容外科に進むという話を聞くと、眉にツバをつけたくなってくる。
現役外科医の著者としては、そうした風潮を嘆いて、カッコいい外科医像を作ってみたいのかもしれない。
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