蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」第9・10集

2006年11月23日 | 本の感想
読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」第9・10集(竹内政明 中公新書ラクレ)

昔、生保のセールス(いわゆる○○生命のオバチャンの類の人)が職場への立ち入りを許可されていた頃、時々、その日の主要全国紙の朝刊のコラム(朝日の「天声人語」みたいなの)を並べて印刷した紙を配っていたことがあった。
読み比べて見ると面白かった。特に大事件があって話題が一致した時、各コラムニストの料理の仕方の違いが興味深かった。今ではセールスの立入は禁止されてこの紙を見ることはできないが、インターネットで各紙のコラムを読むことができるようになった。

何年か前までは、産経の「産経抄」がクビ差くらいで他紙をリードしている様子だったが、ここ数年は読売の「編集手帳」が二馬身は差をつけて独走している感じ。
この本はその「編集手帳」を収録して新書。9集、10集の中で私が一番気に入ったものの一部を引用させていただく。

(第10集 P30~31 2006.1.24)
明治期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースに、日本人の少女ふたりを連れて東京の夜店を散策したときの回想がある。
少女は日本で雇い入れた料理人の子供とその友だちで、10歳くらいである。十銭ずつ小遣いを与え、何に使うのだろうと興味をもって眺めていた。
ふたりは、道端に座って三味線を弾いている物乞いの女に歩み寄ると、地べたのザルにおのおの一銭を置いた。みずからも貧しい身なりをした少女たちの振る舞いを、モースは「日本その日その日」(東洋文庫)に書き留めている。(中略)
江戸の風儀を残す明治の初め、少女たちが施した一銭にも、不運にして日の当たらぬ者に寄せた慈しみのまなざしが感じられる。勝敗は運ではない、個人の才能よ--と驕れる当節の自称「勝ち組」には、無縁のまなざしであろう。(後略)
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