蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ほどよく長生き 死ぬまで元気

2005年09月10日 | 本の感想
鈴木輝一郎さんが書いた「ほどよく長生き 死ぬまで元気」(小学館文庫)を読み終わりました。
鈴木さんの体験に基づく小説で、親族が相次いで病に倒れる中、工具店の社長業と作家の兼業をこなしていく多忙な日常が描かれています。

作家が書いているのにロハだからというせこい理由で作家のホームページの日記を見ることがありますが、鈴木さんのそれは毎日更新で内容量が多く、かなり充実しているものだと思います。
日記から推測してこの作品はかなり実話に近いような気がします。余談ですが、私の知る作家のホームページ日記で一番面白かったのは森博嗣さんのもの(刊行されたので今はホームページに掲載されていません)で、量が圧倒的なのは栗本薫さんのものです。

私の実家は鈴木さんの会社から歩いて10分くらいのところにあり、舞台となっている地方都市の地理や近所・親戚等との付き合い方になじみがあって、内容に共感できるところがたくさんありました。
名古屋の通勤圏内で、それほど田舎でもないのですが、近所・親戚付き合いはけっこう濃密です。しかし、大学入学以来ずっと実家を離れているので、私自身はそういう付き合いとは離れて暮らしてきたのですが、両親もそこそこの年齢になった今、鈴木さんの言うとおり、他人事ではないなあと・・・

90歳になって入院してもなお、やはり入院している息子の具合が気になってならない主人公の祖母や喘息で入退院を繰り返す息子を案ずる主人公の様子が細やかに、かつ、湿っぽくなったり暗くなったりしないように適度なお笑いを交えて描かれています。
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桃色トワイライト

2005年09月08日 | 本の感想
三浦しをんさんが書いた「桃色トワイライト」(太田出版)を読み終わりました。

月曜日のお楽しみは、「ボイルドエッグ」という出版エージェント(?)のサイトに連載されている三浦さんの読書エッセイの更新です。最近、更新が火曜日になったりお休みしたりすることが多いのがちょっと残念ですが、毎回楽しく読める内容です。
この本はその連載をまとめたもので、確か4冊目か5冊目です。(私が買って持っているのは「人生激場」(新潮社)と「乙女なげやり」(太田出版)。ちなみに、読んだ後も売らないで“持っている”ということは何度か読み返しても笑えるからです)なお、タイトルおよび少女マンガちっくな表紙と本の内容はほとんど一致していません。

いちおうサイトでは読書エッセイというふれこみですが、読んだ本の感想とかはほとんどありません。大半は三浦さんの友達や家族の日常を面白おかしく脚色した話です。(脚色しているかどうかはわかりませんが、そうとしか思えないほど現実離れしたおかしさがあるのです)

三浦さんの男性の好みは非常にはっきりしていて、かつ、思い込みは極めて激しいみたいです。今はオダ○ョー(この本の途中からなぜか伏字になった)に夢中だそうで、彼の出世作(?)仮面ライダークウガのDVD集、さらに大河ドラマの「新選組!」のDVD集もすべて取り揃え、日々友達への布教(?)活動に勤しんでいるとか。
「新選組!」はともかく、クウガをすべて買い求めてしまったというのがすごい。(余談ですが、私もクウガは(子供ではなく)奥さんにつられてTV放映時にみていました。終盤のストーリー展開は、この本でも述べられているように子供番組のそれではなく、毎週楽しみにしていました)

三浦さんのエッセイとそれ以外の著作との落差が相当に大きいことは、よく指摘されますが、このお気楽エッセイシリーズの中でも、時として思考の深さとか観察の鋭さみたいなのが感じられることがあります。この本では「源平布引滝」という文楽とか石森章太郎のマンガの解釈などにそれを感じました。(私は文楽については全く知識がなく、斯界では当たり前の解釈なのかもしれませんが・・・)
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ゆとりなき教育

2005年09月05日 | Weblog
いわゆるゆとり教育の見直しがすすめられている。何十年かぶりに全国統一学力テストも復活するという。

私は小学校の頃の記憶を呼び起こされた。
その頃、知能テストという、知能指数を測定できるという触れ込みのテストを毎年受けさせられた。私はたいがいの場合クラスでほぼビリの順位だった。
先生は、私の母親との面談で、そのテストの結果を示して
「普通の学科の成績はいいのですが、将来は心配ですね」といったという。
(そういう言い方をした教師も許せないが、今にして思うとそのまま子供に伝えた母親もどうかと思う。私の母は「だからもっとがんばって勉強しろ」といいたかったのだろう)
それを聞いて私は生涯初めて絶望を感じた。
将来のすべての道が閉ざされたような気持ちになった。

今は知能テストは実施されていない(されている地域があるのかもしれないが、私の子供の通っている学校ではなかった)ようだが、パズルのような形式のテストには向き・不向きがあって、あのテストで総合的な賢さが測れるとは思えない。

会社や役所で本当に戦力になる人を紙に書かれた試験で選抜することはできないということは、会社や役所にいる誰もがわかっていることではないのか。

紙に書かれた定型的な試験によって人の能力を測ることのむなしさを、豊かになったこの国の人々はようやく悟ったのではなかったのか。

すでに豊かになった後の国をどうやら破滅の淵にまで導こうとしているのは紙に書かれた試験で高い得点をあげる能力は抜群であることを証明できた人たちではなかったのか。

思い出してみてほしい。
学力偏重教育と批判された役人達がいわゆるゆとり教育に舵を切るのにどれだけ長期間を要したかを。
それに比べてその反対のペーパーテスト万能に戻るのがいかに素早かったかを。
数字で表現できないゆとり教育に比べて、テストによる成果の表現(というか出題・採点基準の人為的操作)がいかに容易であるのかを。
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