蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ゆとりなき教育

2005年09月05日 | Weblog
いわゆるゆとり教育の見直しがすすめられている。何十年かぶりに全国統一学力テストも復活するという。

私は小学校の頃の記憶を呼び起こされた。
その頃、知能テストという、知能指数を測定できるという触れ込みのテストを毎年受けさせられた。私はたいがいの場合クラスでほぼビリの順位だった。
先生は、私の母親との面談で、そのテストの結果を示して
「普通の学科の成績はいいのですが、将来は心配ですね」といったという。
(そういう言い方をした教師も許せないが、今にして思うとそのまま子供に伝えた母親もどうかと思う。私の母は「だからもっとがんばって勉強しろ」といいたかったのだろう)
それを聞いて私は生涯初めて絶望を感じた。
将来のすべての道が閉ざされたような気持ちになった。

今は知能テストは実施されていない(されている地域があるのかもしれないが、私の子供の通っている学校ではなかった)ようだが、パズルのような形式のテストには向き・不向きがあって、あのテストで総合的な賢さが測れるとは思えない。

会社や役所で本当に戦力になる人を紙に書かれた試験で選抜することはできないということは、会社や役所にいる誰もがわかっていることではないのか。

紙に書かれた定型的な試験によって人の能力を測ることのむなしさを、豊かになったこの国の人々はようやく悟ったのではなかったのか。

すでに豊かになった後の国をどうやら破滅の淵にまで導こうとしているのは紙に書かれた試験で高い得点をあげる能力は抜群であることを証明できた人たちではなかったのか。

思い出してみてほしい。
学力偏重教育と批判された役人達がいわゆるゆとり教育に舵を切るのにどれだけ長期間を要したかを。
それに比べてその反対のペーパーテスト万能に戻るのがいかに素早かったかを。
数字で表現できないゆとり教育に比べて、テストによる成果の表現(というか出題・採点基準の人為的操作)がいかに容易であるのかを。
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