落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(22)

2013-07-08 06:26:10 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(22)
「生き字引と呼ばれている由多加のママと、店名の由来」

 

 
 「何でも聞いて頂戴よ~。生まれてこのかた、早、70年余り。
 呑竜マーケットで夜毎に酔っぱらいどもを見つめながら、なんだかんだでもう半世紀。
 あんたのパパなんか、まだ工業高校へ通っている15~6の頃から良く知ってるさ。
 何かあったら言いなさいよ。
 可愛いい貞ちゃんをいじめるなって、たっぷりとお説教をしてあげるから」



 「スナック由多加」は、呑竜マーケット通りの中央に位置しています。
カウンター席には5~6人。テーブルがひとつだけ置いてありそこへ4人も座れば
満席になってしまうというほど、きわめて狭いお店の造りです。
70歳を超えたというのに、由多加のママは細身の美人です。
スレンダー美人という言葉がまさにぴったりで、茶髪に染めたボブカットの後ろ姿からは、
今年で満71歳になるという年齢を、まったく微塵も感じさせません。


 「あとから美和ちゃんもやってきます。
 ママ。お誕生日ですって? おめでとうございます。
 そこで美和ちゃんから聞いたばかりで、何もお祝いの準備ができなかったけど、
 私の気持ちで、以前に褒めてくれたイヤリングをプレゼント代わりにしたいと思います。
 あ、断っておきますが、パパから貰ったプレゼントじゃありません。
 これだけは。私がまだ、真面目にアルバイトに明け暮れていた頃に
 どうしても欲しくなり、思い切って食費を切り詰めて買ってしまったものです。
 お気に入りで言うと私の2番目になるのですが、ママのお祝いに、はい、どうぞ」



 「あら、まぁそんな貴重なものを、こんな年寄りにプレゼントしてくれるの。
 嬉しいわねぇ・・・・
 一時はどうなることかと、ハラハラしながら見つめてきたけれど、
 あれから10年。なんとか光ちゃん(貞園のパパの実名)と、うまく続いているようですね。
 男と女には色々あるけれど、誰がなんと言ったって、無事に、
 長く続くのが一番なのよ」


 「そういえば、ママとマスターは何年くらい一緒に過ごしたのですか?」



 「おやまぁ、ずいぶんとストレートな質問だね。
 そうだねぇ。いろいろな計算の仕方があるけれど、始めてお互いに知り合ったのが13の時。
 男女の関係になったのが、たぶん、17か18の頃だと思うわねぇ。
 其れからはくっついたり離れたりの繰り返し・・・・
 正味の期間で言えば、一緒に暮らせたのは60年のうちの約半分かしら。
 多めに見ても、30年足らずくらいかしらねぇ」

 
 「ママ。どう計算しても、だいぶ年数が不足しています・・・・」



 「女ができれば、すぐにどこかへ飛んでいっちまうんだよ。あの人は。
 糸の切れたやっこ凧みたいにね。
 それでもね。そんなやくざで取り柄のない男だったけど、
 呑竜が火災にあって丸焼けになった時にはずいぶんと頼りになったし、
 最前線に立ったまま、最後の最後まで尽力をしてくれたのさ。
 根っからの遊び人で最後まで苦労はさせられたけど、そういう時には
 なんとはなしに、役にたつ人だった」


 「へぇぇ・・・・じゃ、その後はまた、仲良くお二人で暮らしたわけですね


 「ところがどっこい。
 マスターは、常に根っからの遊び人で筋金いりだ。
 その後も常に2~3人は愛人がいて、一週間のうちに家にいるといえば、
 せいぜい、1日か2日が限度だった。
 最後の10年間くらいかしらねぇ。ず~と一緒にいられたのは・・・・
 もっともその頃になると、あの昔の元気は微塵も残っていなかったけどね。
 今から思い出しても頭にきちゃう話だね。あっはっは」


 「まったく。・・・・どこかの誰かさんとそっくりですねぇ」



 「そんなもんさ、貞ちゃん。仕事のできる男なんていうものは。
 中途半端に生きてる奴ほど、みんな真面目で勤勉に頑張っているけれど、
 使える男というか、仕事のできる男というものは、みんなおしなべて悪党揃いだ。
 悪知恵は利くし、損得計算は早いし、いい女を見ればモノになるまで女の尻を追い回す。
 最近は草食系の男子なんてのが流行っているらしいけど、
 あたしらの時代には男は狩猟本能をまるだしで、みんな、いい女を見れば目の色を変えたもんさ。
 もっとも、そんな男たちが沢山いたおかげで、私もこの水商売の世界で長い間、
 おマンマなどを食わせていただきましたけど、ね」

 
 「あら。そういえば、ママだって若い頃にはずいぶんともてたでしょう。
 今でも十分すぎるほど、輝いているもの」


 「ああ・・・随分と惚れて通ったもんだぜ。
 俺なんか、あれから50年近くも通いつめたというのに、いまだに冷や飯食いのままさ。
 俺もカミさんには先立たれて、ママさんもマスターに逝かれたというのに、
 やっとチャンスが巡ってきたと思ったら、いつの間にかもう俺たちは、
 いい年をした自由のきかない、ただのジジィとババァになっちまった・・・・
 なぁ。ゆかりちゃんよ」


 「え?ママの本名は、ゆかりというの? じゃ、由多加というお店の名前は?」



 「愛するマスターの本名さ。
 そういうことだから、いくら惚れたって俺たちには出番がなかったということだ。
 ここにいる常連のほとんどが、ママに惚れて通いつめてきたが、
 同時にいろんな面で、男気の強いマスターの世話になったし、面倒をみてもらっている。
 まぁ、典型的な遊び人の一人だったが、現代版の国定忠治というところだろうな。
 もっともスケベに関しては、本家の忠次をはるかに超えていたかもしれないけどな。
 とにかく女は好きで、女にも良く惚れられていた。」

 貞園の隣で熱燗を飲んでいる常連が、横から口を挟みます。
そういえば今夜のお店に集まっているのは、いずれも古い常連さんたちばかりです。
若い貞園はなぜか、今夜のカウンター席では一人だけ際立って目立っています。
「飲むかい?」と、その常連が貞園に向かって徳利を持ち上げます。



 「ママもねぇ・・・・若かりし頃は、君のようにきわめての別嬪さんだった。
 前橋の真ん中に有りながら、なぜか掃き溜めのような呑竜マーケットに、
 ある日突然に降りたった鶴のように、この人は俺たちの目の前へ舞い降りてきた。
 そりゃもう、のんべぇ横丁があっというまに上へ下への大騒ぎだ。
 お、飲んでくれるかい。
 ありがたい。付き合いがいいねぇ、お嬢ちゃんも。
 気立てがよくて愛想がいいと来れば、女として向かうところ敵なしだ。
 おまけにスタイルはいいし、別嬪さんとくれば、男どもがほうっておくはずがない。
 こんな狭い店だから入店できなくて、毎晩表にはのんべぃどもの長蛇の列が出来たんだ。
 本当だぜ。今でも3本の指に入る、呑竜マーケットの伝説の美人のひとりだぜ。
 ここの、ママは」


 なみなみと貞園のグラスに日本酒を注いだ常連さんが、さらに言葉をつづけます。
「だがなぁ。そういう恵まれた女性に限って苦労を背負い込むものなんだ。これがまた・・・」
と、徳利を持ち上げママに2本目のお代わりを催促します。



 「あら。美人はみんな苦労をするの?」と、貞園が聞き返します。


 「そうじゃねぇ。気立てが良すぎるから、自分自らが苦労をするという話だ。
 よく聞けよ、姉ちゃん。
 群馬の女はみんな働き者だ。昔からよく稼ぐことで巷に知られてきた。
 かかぁ天下という言葉は、男を支えてよく稼ぐことから生まれてきた言葉だ。
 生糸の生産が全盛だった頃には、女は工場で糸を引いて生糸を産み出し、
 一日中、機(はた)を織って、高額な絹をおおいに生産をした。
 そういう群馬の風土と女の気質が、遊び人や飲んだくれの男どもを大量に生み出した。
 働き者のカミさんがいると、男はどこかで怠けるか、虚(うつけ)になっちまう。
 そんなもんだろう、なぁ・・・・ゆかりちゃん」


 「そうだねぇ、そんな昔もあったさねぇ」と、ゆかりママが
クスリと鼻で笑っています。





・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
 http://saradakann.xsrv.jp/