からっ風と、繭の郷の子守唄(30)
「深夜になると人が集まるスナック店は、同業者たちの癒しの空間」
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中央に20台近くの車が停められるスペースを持ち、ぐるりと周囲をコの字の形に
取り囲んでいるテナントでは2軒のスナックと1軒のフィリッピンキャバレーが営業中です。
深夜を迎えたというのに、客足が途絶える気配はありません。
まず目に入るのは、ピカピカに磨きこまれたベンツやBMWといった高級な外車たちで、
負けずとばかりにレクサスやクラウンといった、国産の高級車などもところ狭しと並んでいます。
高級ホテルか名門ゴルフ場の駐車場といった雰囲気に、まずは軽い違和感などを覚えます。
同時にテナントの中には、飲酒をした客の車を代理で運転をするための、
運転代行業の営業所が、2店舗も稼働していることがまた別の意味で客たちの目を引きます。
12時を過ぎてもここだけが、常に賑やかなのには理由があるのです。
多くの繁華街が深夜12時でその営業を終わるのは、風俗営業法の規制を受けているためです。
風俗営業とは、お客さんに遊興と飲食をさせる営業形態のことを指しています。
指定を受けているのは、接待を主とするスナックやキャバクラ、バー、クラブ、
キャバレー、ダンスホール、パチンコ店、マージャン店等の店舗です。
これらの店舗は午前0時より日の出までの営業は、厳禁と決められています。
ただし一部の例外は認められており、お店の名称に「バー」や「スナック」の名称が
付いていても、お客さんとカラオケでデュエットをしたり、接待をするという行為がなければ、
風俗営業の許可はまったく必要ありません。
お店の名前で判断をするのではなく、あくまでも、前述の接待行為などが存在するか否かで、
判断基準が異なり営業形態にも、当然のように差が出てきます。
飲食をするだけであれば、保健所が発行をする食品営業の許可だけで充分です。
また深夜に(午前0時から日の出までの時間帯)に、客へ酒類を提供する場合でも、
食品営業許可の他に、深夜における酒類提供飲食店としての届出をすれば、
法律上では何らの問題もありません 。
こうした基準を満たした店舗が集まる桐生市のこの一角だけが、主に飲食関係の人たちが
集中をし、未明までの賑わいを見せるという異様な空間を生み出しているのです。
スナック”辻”のママは、まさにその草分け的な存在であり、水商売のママさんたちとの
親交も深くその人望と人気とも相まって、魅了をされたファンとも言うべき人たちが、
深夜とともにここへ集まってくるのです。
「いらっしゃいませ。あら、お久しぶり、康平くん!」
「いらっしゃいませ」と、大きく張り上げた甲高いママの声は、
入口に取り付けられていて開閉をするたびに軽やかに鳴り響く、チロル風の小洒落た鐘の音を
簡単にかき消してしまい、あっというまに狭い店内のすべてへ響き渡ります。
ママの元気すぎる声に惑わされて、数人の常連客が入口などを振り返りますが、
残りの客の大半は意にも介せずというふうに、相変わらずの談笑などに耽っています。
「あらら、珍しいわ。とても美人のお連れ様がご一緒です。
でも、困りました。どうしましょう・・・・
ちょうど混み合ってきたばかりで、カウンター席くらいしか空いていませんねぇ。
お連れ様がご一緒では、男性ばかりというカウンターでは、少々不具合なものがあります」
美和子の容姿を一瞬にして上から下まで確認をした辻ママが、すばやく
空きはないかと、店内の様子などを見回しています。
カウンター席には数人分が空いていますが、満卓のボックスに空きの余裕は見えません。
しかし一番奥の席へ座ったばかりの男二人組の姿を見つけた瞬間に、辻ママの目が希望に輝きます。
「あら、渡りに船です。康平くん、今夜はついているかもしれません。
でも先方さんにも都合というものが有るでしょうから、相席は無理かもしれませんが、
男ばかりのカウンター席へ座るよりは、いくぶんかマシなものがあるでしょう」
ママがお尻を振りながら、最奥の席へと小走りで向かいます。
奥のソファには、見るからにいかつい屈強そのものにも見える男の背中と、少し白髪交じりの
短髪の横顔がママの背中越しに、ちらりとだけ見えています。
その横顔にはどこか見覚えがあり、なぜか懐かしいとさえ思える雰囲気も漂っています。
(トシさんだ!)見覚えのある横顔に、やっと康平が気がつくのとほとんど同時に、
奥の席でも笑顔を見せたトシさんが、康平にむかって「よおっ」と、片手をあげます。
連れの屈強な背中も、ついでにこちらを振り返ります。
その鋭い眼光ぶりに康平の脳裏には、錆び付きかけていた古い記憶までがいっぺんに蘇ってきました。
(あ、やばい。ツレは極道の岡本さんだ。よりによって。・・・俺、苦手なんだよな、あの人が)
躊躇を覚えた康平の反応よりもワンテンポ早く、辻ママがふたりを手招きしています。
「よかったですねぇ、康平くん。師匠と岡本さんから相席の快諾をいただきました。
懐かしいでしょう。お久しぶりの再会で」
桐生市の繁華街の真ん中で蕎麦屋を営んでいるトシこと、『六連星(むつらぼし)』の
俊彦は、康平にとっては和食を教えてくれた恩人でまさに師匠にあたります。
工業高校を卒業した康平が、2年間の調理実習の経験を積み調理師試験を受けるまでの間、
なにかと面倒を見てくれた良き指導者であり、独立時には物心両面で世話にもなったという、
和食と人生における相談相手であり、かけがえのない師匠であり恩人なのです。
「なんだ。ママが神妙な顔で相席を頼むというから誰が来たかと思えば、
トシのところで修行をしていた、あの時の機械科卒の調理師か。
懐かしいなぁ。あれからもう10年くらいは経つか、
前橋で独立をして頑張っているんだって。
んん、なんだよ。綺麗なご婦人まで一緒かよ。
よかったなぁ、断らなくて。この小僧のことはどうでもいいが、こちらのご婦人なら
俺たちのほうから是非にとお伺いをたてて、喜んで相席をお願いをしたいくらいの別嬪だ。
ほら、トシ。ぼんやりしないで席を空けてやれ。小僧のためにお前のとなりを空けてやれ。
ああ、構わねえから娘さんは、このあたりの一番いいところへ座っちまえ。
今夜の主役は、誰がどう見たって間違いなくお前さんだ。
ん・・・・ちょっと待て。どこかで見た覚えがあるような顔だ、お前さん。
どこだったかなぁ・・・・うまく思い出せないが、間違いはねぇ。
見た覚えのようなものがあるんだが、それも俺のただの勘違いのような気さえしてきた。
こんな別嬪さん行き合ったんだ。おかしいなぁ、俺もぼけたかな、ついに」
「美和子といいます。
演歌歌手をしていますので、どちらかの繁華街でお目にかかったかもしれません。
突然に、無理な相席などをお願いしたしまして申し訳ありません。
よろしかったらお近づきにしるしに、どうぞ、一杯」
テーブルに置かれていた徳利を手にすると、美和子が微笑んだ目で岡本を促しています。
「おいっ、あの子、歌手だってさ。あとで一曲でいいから歌ってくれねえかなぁ・・・・」
そんな外野の声を小耳にはさんだ岡本が、苦虫を噛み潰したような厳しい視線を、ひそひそと
声を交わし合っている席へ向かって、『何か用か』とばかりにジロリと向けていきます。
「おいおい。まぁまぁ」と、俊彦が軽くそんな岡本をたしなめています。
「何はともあれ、久しぶりの再会だ。
こんなところでばったりろ行き合うのもまた、なんかの不思議な縁がある。
まずは、乾杯といこうじゃないか。
美人のお嬢さん、すまないね。俺にも一杯ついでくれないか。
康平との再会を祝してまずはみんなで、乾杯といこうじゃないか。
おい、岡本。怖い顔ばかりをしていないで機嫌を直して、
こっちを向け。乾杯だ、乾杯!」
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・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/
「深夜になると人が集まるスナック店は、同業者たちの癒しの空間」
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中央に20台近くの車が停められるスペースを持ち、ぐるりと周囲をコの字の形に
取り囲んでいるテナントでは2軒のスナックと1軒のフィリッピンキャバレーが営業中です。
深夜を迎えたというのに、客足が途絶える気配はありません。
まず目に入るのは、ピカピカに磨きこまれたベンツやBMWといった高級な外車たちで、
負けずとばかりにレクサスやクラウンといった、国産の高級車などもところ狭しと並んでいます。
高級ホテルか名門ゴルフ場の駐車場といった雰囲気に、まずは軽い違和感などを覚えます。
同時にテナントの中には、飲酒をした客の車を代理で運転をするための、
運転代行業の営業所が、2店舗も稼働していることがまた別の意味で客たちの目を引きます。
12時を過ぎてもここだけが、常に賑やかなのには理由があるのです。
多くの繁華街が深夜12時でその営業を終わるのは、風俗営業法の規制を受けているためです。
風俗営業とは、お客さんに遊興と飲食をさせる営業形態のことを指しています。
指定を受けているのは、接待を主とするスナックやキャバクラ、バー、クラブ、
キャバレー、ダンスホール、パチンコ店、マージャン店等の店舗です。
これらの店舗は午前0時より日の出までの営業は、厳禁と決められています。
ただし一部の例外は認められており、お店の名称に「バー」や「スナック」の名称が
付いていても、お客さんとカラオケでデュエットをしたり、接待をするという行為がなければ、
風俗営業の許可はまったく必要ありません。
お店の名前で判断をするのではなく、あくまでも、前述の接待行為などが存在するか否かで、
判断基準が異なり営業形態にも、当然のように差が出てきます。
飲食をするだけであれば、保健所が発行をする食品営業の許可だけで充分です。
また深夜に(午前0時から日の出までの時間帯)に、客へ酒類を提供する場合でも、
食品営業許可の他に、深夜における酒類提供飲食店としての届出をすれば、
法律上では何らの問題もありません 。
こうした基準を満たした店舗が集まる桐生市のこの一角だけが、主に飲食関係の人たちが
集中をし、未明までの賑わいを見せるという異様な空間を生み出しているのです。
スナック”辻”のママは、まさにその草分け的な存在であり、水商売のママさんたちとの
親交も深くその人望と人気とも相まって、魅了をされたファンとも言うべき人たちが、
深夜とともにここへ集まってくるのです。
「いらっしゃいませ。あら、お久しぶり、康平くん!」
「いらっしゃいませ」と、大きく張り上げた甲高いママの声は、
入口に取り付けられていて開閉をするたびに軽やかに鳴り響く、チロル風の小洒落た鐘の音を
簡単にかき消してしまい、あっというまに狭い店内のすべてへ響き渡ります。
ママの元気すぎる声に惑わされて、数人の常連客が入口などを振り返りますが、
残りの客の大半は意にも介せずというふうに、相変わらずの談笑などに耽っています。
「あらら、珍しいわ。とても美人のお連れ様がご一緒です。
でも、困りました。どうしましょう・・・・
ちょうど混み合ってきたばかりで、カウンター席くらいしか空いていませんねぇ。
お連れ様がご一緒では、男性ばかりというカウンターでは、少々不具合なものがあります」
美和子の容姿を一瞬にして上から下まで確認をした辻ママが、すばやく
空きはないかと、店内の様子などを見回しています。
カウンター席には数人分が空いていますが、満卓のボックスに空きの余裕は見えません。
しかし一番奥の席へ座ったばかりの男二人組の姿を見つけた瞬間に、辻ママの目が希望に輝きます。
「あら、渡りに船です。康平くん、今夜はついているかもしれません。
でも先方さんにも都合というものが有るでしょうから、相席は無理かもしれませんが、
男ばかりのカウンター席へ座るよりは、いくぶんかマシなものがあるでしょう」
ママがお尻を振りながら、最奥の席へと小走りで向かいます。
奥のソファには、見るからにいかつい屈強そのものにも見える男の背中と、少し白髪交じりの
短髪の横顔がママの背中越しに、ちらりとだけ見えています。
その横顔にはどこか見覚えがあり、なぜか懐かしいとさえ思える雰囲気も漂っています。
(トシさんだ!)見覚えのある横顔に、やっと康平が気がつくのとほとんど同時に、
奥の席でも笑顔を見せたトシさんが、康平にむかって「よおっ」と、片手をあげます。
連れの屈強な背中も、ついでにこちらを振り返ります。
その鋭い眼光ぶりに康平の脳裏には、錆び付きかけていた古い記憶までがいっぺんに蘇ってきました。
(あ、やばい。ツレは極道の岡本さんだ。よりによって。・・・俺、苦手なんだよな、あの人が)
躊躇を覚えた康平の反応よりもワンテンポ早く、辻ママがふたりを手招きしています。
「よかったですねぇ、康平くん。師匠と岡本さんから相席の快諾をいただきました。
懐かしいでしょう。お久しぶりの再会で」
桐生市の繁華街の真ん中で蕎麦屋を営んでいるトシこと、『六連星(むつらぼし)』の
俊彦は、康平にとっては和食を教えてくれた恩人でまさに師匠にあたります。
工業高校を卒業した康平が、2年間の調理実習の経験を積み調理師試験を受けるまでの間、
なにかと面倒を見てくれた良き指導者であり、独立時には物心両面で世話にもなったという、
和食と人生における相談相手であり、かけがえのない師匠であり恩人なのです。
「なんだ。ママが神妙な顔で相席を頼むというから誰が来たかと思えば、
トシのところで修行をしていた、あの時の機械科卒の調理師か。
懐かしいなぁ。あれからもう10年くらいは経つか、
前橋で独立をして頑張っているんだって。
んん、なんだよ。綺麗なご婦人まで一緒かよ。
よかったなぁ、断らなくて。この小僧のことはどうでもいいが、こちらのご婦人なら
俺たちのほうから是非にとお伺いをたてて、喜んで相席をお願いをしたいくらいの別嬪だ。
ほら、トシ。ぼんやりしないで席を空けてやれ。小僧のためにお前のとなりを空けてやれ。
ああ、構わねえから娘さんは、このあたりの一番いいところへ座っちまえ。
今夜の主役は、誰がどう見たって間違いなくお前さんだ。
ん・・・・ちょっと待て。どこかで見た覚えがあるような顔だ、お前さん。
どこだったかなぁ・・・・うまく思い出せないが、間違いはねぇ。
見た覚えのようなものがあるんだが、それも俺のただの勘違いのような気さえしてきた。
こんな別嬪さん行き合ったんだ。おかしいなぁ、俺もぼけたかな、ついに」
「美和子といいます。
演歌歌手をしていますので、どちらかの繁華街でお目にかかったかもしれません。
突然に、無理な相席などをお願いしたしまして申し訳ありません。
よろしかったらお近づきにしるしに、どうぞ、一杯」
テーブルに置かれていた徳利を手にすると、美和子が微笑んだ目で岡本を促しています。
「おいっ、あの子、歌手だってさ。あとで一曲でいいから歌ってくれねえかなぁ・・・・」
そんな外野の声を小耳にはさんだ岡本が、苦虫を噛み潰したような厳しい視線を、ひそひそと
声を交わし合っている席へ向かって、『何か用か』とばかりにジロリと向けていきます。
「おいおい。まぁまぁ」と、俊彦が軽くそんな岡本をたしなめています。
「何はともあれ、久しぶりの再会だ。
こんなところでばったりろ行き合うのもまた、なんかの不思議な縁がある。
まずは、乾杯といこうじゃないか。
美人のお嬢さん、すまないね。俺にも一杯ついでくれないか。
康平との再会を祝してまずはみんなで、乾杯といこうじゃないか。
おい、岡本。怖い顔ばかりをしていないで機嫌を直して、
こっちを向け。乾杯だ、乾杯!」
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・「新田さらだ館」は、
日本の食と農業の安心と安全な未来を語る、地域発のホームページです
http://saradakann.xsrv.jp/